8月5日、私の妻が亡くなりました。

今日告別式。早すぎる死でした。


妻は13年前に゙乳癌を患い、左胸を全摘出しています。

その後、抗がん剤、ホルモン治療等で、再発などはなく、安定していたのですが、昨年肝臓への転移が発覚しました。

その為、再び抗がん剤治療を行っていたのですが、白血球の数が低下する副作用により、中々連続して抗がん剤が使えない状況でした。そして、7月末に容態が悪化。本人が希望していた、訪問看護ステーションに入院していました。

しかし、体調は安定せず、8月5日未明。ついに力尽きました…。


葬儀等は昨日無事終わり、お骨が自宅に帰って来ました…。


家の中は片付いておらず、置く場所に゙困ったのですが、長女が率先して片付けを行い、祭壇とお骨、花、遺影を飾る場所も用意してくれました。


私は、悲しさより今は喪失感で一杯です。そして、様々な手続をしなければならず、悲しみにくれる暇もありません。


49日が終わればそのような感情が湧いてくるのでしょうか…

お久しぶりです。

昨年、通っていた就労継続支援A型作業所廃業してしまい、失職していました。

その後は、障碍者雇用を目指し、就労移行支援事業所に通所していましたが、そこでの訓練のかいがあり、無事に就職が決定。

今月はじめから働き始めました。

まだまだ研修期間ですが、1日も早く戦力になるよう頑張るつもりです。

 就労継続A型作業所で働き始め、一年半。いろいろな仕事をやって来ました。ただ、脚の障害、腕の障害等があり、全ての仕事ができるわけではありません。例えば、住所氏名の書かれたダイレクトメールを配るボスティングはかなり厳しい。
 その他にも、施設外で身体を使って行う仕事も厳しい。
 なら施設内は?
 これも、右腕に軽い障害があるだけでけなく、もともと不器用な方なので、できない仕事がいくつかある。

 ならば、私はどうすべきか?

 できる仕事のスピードと精度を上げるしかない。

 ここ1、2ヶ月、私はこの事に神経を集中している。

 まずは、これに集中しよう。

 そして、これに余力が出てきたら、周りにその極意を教えられたら。これが今の私の先の目標にしようと思う。
久し振りにこのネタで投稿します。

曲は「夢みたものは」です。
木下牧子さん作曲のアカペラの曲。YouTubeにもあるので、紹介します。

一つ目

https://m.youtube.com/watch?v=LHGo_bqjp7A

これは、親子四人でのカルテット。お母さんがソプラノ、娘さんがアルト、息子さんがテノール、お父さんがバスという編成。リハーサルの風景みたいですが、上手い。特にお父さん、上手すぎ❗

二つ目

https://m.youtube.com/watch?v=JgLNLvoENhQ&t=7s

これは、男声合唱版。歌っているのは、私が以前在籍したことがある男声合唱団です。

私が去ってからかなりの年月が経っていますが、声の響きは昔のまま。指揮者が変わっていないからかな?

アカペラなので、学校のコンクールには使いにくいかもしれませんが、歌う機会があるかたは是非歌ってほしいものです。

良い曲ですから。
支援員でもない私が言うのはおこがましいのは承知の上。

私は怪我をする前は、主としていすゞ自動車向けの部品を製造する会社で品質管理の仕事をしていました。部品は社内生産、外注を合わせると種類、数量とも莫大な量でした。

そんな状況なので、生産した部品の品質は原則自工程保障。検査にまわるのは特殊なケースのみでした。

そんな中、今通っている就労継続A型作業所でも何の因果か、いすゞ自動車のトラックに取り付けられる部品を扱うようになりました。

成り行きで私はその仕事に関わる事が多くなりました。

そんな中、気になることがあります。それは自工程保障ができていないこと。自分が担当している作業をしていると、ほぼ毎日、前工程のミス(作業忘れ)が見つかります。

気がつく度に手直しはしていますが、なんとかしたい。そう思って、支援員にその事を伝えるのですが、最後に検査があるから、と言う言葉が返ってきます。

うーん。どうなんだろう。


今通っている作業所では、利益を上げないと言う動きがあり、新しい仕事をいろいろ探しています。

それは大事だと思いますが、今ある仕事の生産性を上げるのも重要だと考えるのです。

クレームはダメなのはわかります。

しかし猫も杓子も検査に入れるのではなく、検査の対象を絞ることも必要ではないかと思うのですよね。


まあ、これは理想論。すぐにはできないでしょう。

でも、後工程で見つかった不良を作業者にフィードバックするのはやってめ良いのではないかと思うのですよね。

あと、作業後の、物の確認もするよう呼び掛けるべきだと思うのです。確認方法の指導も含めて。

あーあ。これって言った方が良いのだろうか。

迷います。
前回の投稿で、現在は就労継続A型作業所で働いている旨書きました。
既に一年半になります。

当初はネットオークションの出品代行の仕事が私のメインの仕事になっていましたが、その仕事がなくなったので、今はいろいろある仕事の中から、いすゞ自動車のトラックに取り付けられる、シフトレバーブーツ(シフトレバーの下側にあるゴム製のジャバラ状の部品)に携わることが多くなりました。

結局いすゞ自動車から逃げられないのね(^-^;

これの仕事は、ゴムを成型した際に、型の隙間に入り込んだゴム(バリと呼んでいます)を手で除去し、その後指定の箇所に角穴をラジオペンチを使って開け、さらに指定の箇所に丸穴を専用治具を使って開ける、3つの工程で、製品に仕上げています。

私は丸穴を開ける工程はどうも苦手なため、バリ取りと、角穴開けの工程に入ることが多くなっています。

しかし、これをやっていて、最近思うのです。

作業手順書をしっかり作った方が良いと。

そんなに面倒な作業ではありません。でも、完成後の製品を検査すると、何個かに一つ、工程の抜け(バリ取り忘れ、角穴忘れ、丸穴忘れ等)が見つかるのです。

流出すれば、間違いなくクレームです。そのための検査な訳ですが、これらの不具合は作業手順書をきちんと整備し、それを作業者に教えれは、0にするのは無理だとしても、大幅に減らす事ができるはずです。


あ~あ。

やっぱり私は品管部門の癖が抜けてないんですね。まあ、10年以上やってましたし、最後の方は協力会社の品質指導が仕事でしたから。

言おうかどうしようか迷っています。
障害者になってから、一時的に一般就労をしていたのですが、原因不明の体調不良に悩まされ、2年前に退職しました。
その後、体調不良の原因は、睡眠時無呼吸症候群であることが判明。今は就寝時に、治療用のマスクを着けて眠っています。
仕事はなかなか見つからなかったのですが、市内にある就労継続A型作業所で働いています。
その作業所は、藤沢の他、木更津、札幌の他、同じ運営会社が春日部、横浜の上大岡など広く事業展開しているようです。
ブログのフォロワーを見ていたら、なんと春日部の事業所も出てきました。

まずい。再開しようと思っていたのに、迂闊なことは書けないじゃないか(^-^;

まあ、そんなこんなで私は元気にやってます。脚は相変わらず不調ですけどね。

これは先日母から聞いた話です。

 

5年前の10月30日午後10時。私は交通事故(ひき逃げ事故)で救急搬送されました。

搬送先は、藤沢市民病院。搬送後私は意識がなく、集中治療室にいたそうです。

 

病院からは、私の家族(妻)のほか、東京に住む弟、そして川崎に住む私の両親に連絡が行ったそうです。

私の3人の子供のうち、一番ショックを受けたのは、当時小学校入学間近の長男だったそうです。

 

そしてその次にショックを受けたのは、駆け付け私の父なのだそうです。

 

父は、ICUのベッドの傍らで、私の名前を何度も叫んだのそうです。

 

その後、父は感染性の脊髄損傷になり、全く歩けなくなりました。そしてそれから、2年後の昨年。老衰でこの世を去りました。

 

母が言うには、父の寿命を縮めた原因の一つは貴方の事故なんだと思うのだそうです。

それはあながち間違っていないような気がします。

 

そして、私の両親は生前に墓を購入していました。もし、万が一、あの事故で私が命を落としていたら・・・

 

この墓に入るのは私だったかもしれない。父の納骨の時それを思い・・・・。胸が苦しくなりました。

 

障害は残りましたが、何とか命はつないでいる。私は親より先に逝くという最大の親不孝をせずに済んだのだ。

最近つくづくそれを感じています。



 11月10日。次女の七五三を行ってきました。13年付き合いのある写真屋さんから着物を借り、まずは写真館で写真撮影。三歳の時は緊張してにこりともしなかった次女ですが、七歳な今回は弾けまくり。良い笑顔の写真がたくさん撮れました。

 その後、藤沢市の中心部に近い白旗神社神社で祈祷を済ませ、無事イベント終了。

 写真は白旗神社で私が撮影したものです。胎児の時、母親が乳癌の手術を受け、無事産まれるか周囲をヒヤヒヤさせた次女も、こんなに可愛く成長し、感無量です。この子が無事成長するのを見届けるまで、私も障害にめげずに頑張らないといけないですね。