こだま631号名古屋行きで訪れた東海道新幹線浜松駅を午前8時30分頃にスタートした僕は、市街地を一気に西へ歩き、弥生時代から古墳時代及び律令制時代(りつりょうせいじだい)にかけて存在していた複合集落遺跡で、木簡の他、多数の貴重な出土品が発見された「伊場遺跡公園」へと向かった
到着後、さっそく公園内を散策してみると、高床式倉庫はあるものの、竪穴式住居が一切なく、遺跡というよりはただの芝生公園となっていて、つまらない公園で凄く残念だったのだ
その後、JR東海浜松工場の横道と県道62号線を歩き、言われは山葉寅楠(やまはとらくす)のオルガン修理工場があったことから由来しており、山葉寅楠が明治20年に、今の元城小学校の壊れたオルガンの修理に成功したことから、オルガン製造を決意し、ヤマハの創業者となったと言われている「オルガン坂」を登っていった
すると、「木下惠介(きのしたけいすけ)記念館」と「中村與資平(なかむらよしへい)資料室」があったので、僕はここの施設で見学していくことにした
まず「木下惠介記念館」では、人間愛を繊細に描き続けた映画監督の「木下惠介」の功績を称え、



到着後、さっそく公園内を散策してみると、高床式倉庫はあるものの、竪穴式住居が一切なく、遺跡というよりはただの芝生公園となっていて、つまらない公園で凄く残念だったのだ
その後、JR東海浜松工場の横道と県道62号線を歩き、言われは山葉寅楠(やまはとらくす)のオルガン修理工場があったことから由来しており、山葉寅楠が明治20年に、今の元城小学校の壊れたオルガンの修理に成功したことから、オルガン製造を決意し、ヤマハの創業者となったと言われている「オルガン坂」を登っていった
すると、「木下惠介(きのしたけいすけ)記念館」と「中村與資平(なかむらよしへい)資料室」があったので、僕はここの施設で見学していくことにした
まず「木下惠介記念館」では、人間愛を繊細に描き続けた映画監督の「木下惠介」の功績を称え、


続いて「中村與資平資料室」では、浜松市指定有形文化財である旧浜松銀行の協会内にあり、設計者である建築家の「中村與資平」に関する資料が展示されていた
そんな2人の偉人を学んだところで、徳川家康公の側室である西郷局(さいごうのおつぼね)が、二代将軍の徳川秀忠公を生んだ際に、産湯としてこの辺りにあった井戸水を使ったという伝承をもとに復元された「徳川秀忠公誕生の井戸」を通って、東海道新幹線浜松駅に午前11時50分頃にゴールした
今日の9㌔のコースを無事に歩き終えた僕は、浜松駅ビル「MAYONE」の7階特設会場において、井伊直虎や戦国時代を生き抜いた井伊家の人々、また、井伊家ゆかりの龍澤寺(りょうたんじ)について、パネルで詳しく展示されている「MAYONE井伊直虎展」を見学していくことにした
さっそく会場内に入ってみると、10月から井伊直政をテーマにした展示を展開していたため、井伊直虎だけではなく、井伊直政についても学ぶことができたのだ
そして、「MAYONE井伊直虎展」の見学を終えた僕は、こだま650号東京行きに乗って帰りました
おしまい



そんなお祭りをウォーキング仲間の人と一緒に宴(うたげ)のように満喫したところで、すぐ近くにある東海道新幹線小田原駅に午後1時30分頃にゴールをし、今日の6㌔のコースを無事に歩き終えることができた


