こだま631号名古屋行きで訪れた東海道新幹線浜松駅を午前8時30分頃にスタートした僕は、市街地を東へ歩き、1300年以上の歴史を持つ浜松市内に残る最古のお寺で、本堂の裏には、この地にゆかりのある幼少期の豊臣秀吉、徳川家康、井伊直政の銅像が新たに建立されていた「頭陀寺(ずだじ)」へと向かった
到着後、境内にある歴史資料館の中に入ってみると、井伊直虎や井伊直政、豊臣秀吉、徳川家康と頭陀寺との関わりをパネルで分かりやすく展示しており、頭陀寺城(松下屋敷)の模型から、当時の暮らしをうかがい知ることができたのだ
そんな「頭陀寺」のすぐ近くには、松下嘉兵衛之綱(まつしたかへいゆきつな)の守護神として、天文2(1535)年に祭祀(さいし)された「天白神社」も存在していた
ここ「天白神社」の境内には、「鎌研き池」があり、豊臣秀吉が少年の頃にこの池を訪れ、頭陀寺城主の松下嘉兵衛之綱に奉公したと言われており、毎日ある仕事の一つとして草刈りがあったが、草を刈る前にいつも屋敷の近くのこの池で鎌を研いていたという伝説が残されていたのだ
そんな「天白神社」を参拝後、市街地を一気に西へ歩いて行くと、徳川家康が29歳の時の1570年に建ててから、



到着後、境内にある歴史資料館の中に入ってみると、井伊直虎や井伊直政、豊臣秀吉、徳川家康と頭陀寺との関わりをパネルで分かりやすく展示しており、頭陀寺城(松下屋敷)の模型から、当時の暮らしをうかがい知ることができたのだ
そんな「頭陀寺」のすぐ近くには、松下嘉兵衛之綱(まつしたかへいゆきつな)の守護神として、天文2(1535)年に祭祀(さいし)された「天白神社」も存在していた
ここ「天白神社」の境内には、「鎌研き池」があり、豊臣秀吉が少年の頃にこの池を訪れ、頭陀寺城主の松下嘉兵衛之綱に奉公したと言われており、毎日ある仕事の一つとして草刈りがあったが、草を刈る前にいつも屋敷の近くのこの池で鎌を研いていたという伝説が残されていたのだ
そんな「天白神社」を参拝後、市街地を一気に西へ歩いて行くと、徳川家康が29歳の時の1570年に建ててから、


その後、「普済寺」と「浄土寺」の前を通って、徳川家康公が浜松城入城の際に勧請した歴史のある神社で、火の神様としても有名な「秋葉神社」へ足を運んだ
ここ「秋葉神社」は、井伊直政とともに「井伊の赤備え」を結成した武田家旧臣が、1584年に勃発した小牧・長久手の戦いの際に、血判状を奉納したことで有名な神社となっていた
今日の11㌔のコースを無事に歩き終えた僕は、こだま656号東京行きに乗って帰りました
おしまい



しかし、ここのバラは商品化されるバラであったため、写真を撮ることができず、それが凄く残念だったのだ
その後、掛川市の西部に位置する和田岡地区に所在する古墳群の総称で、5世紀前後に築造されたと言われており、二級河川の原野谷川の西側に配置し、南北約2.5㌔、東西約1㌔の範囲内に、全長60メートルを越える前方後円墳をはじめとする古墳が幾つか点在していた「和田岡古墳群」を巡って行った
おしまい

