この記事についてaiに評価してもらいました
「部下の話を最後まで聞こう」「すぐにアドバイスをしないようにしよう」。
マネジメントに関する書籍では、このような助言がよく語られる。
確かに、部下が相談している途中で話を遮り、一方的に結論を押し付ければ、「この人は話を聞いてくれない」と感じさせてしまうだろう。
しかし、この説明だけでは、なぜ信頼が失われ、その後の報連相まで減ってしまうのかという構造までは説明できていない。
本質は「共感すること」ではない。
本当に重要なのは、相手を理解する前に操作を選択してしまうことなのである。
■問題は「助言」ではなく「理解する前の助言」である
部下が相談してきたとき、多くの上司は善意から解決策を提示しようとする。
「だったらこうすればいい。」
「要するにこういうことだよね。」
このような対応は、一見すると問題解決が早いように思える。
しかし、ここで見落とされているものがある。
それは、部下が何を実現したいと思っていて、何がそれを妨げているのかである。
方法が分からず困っているのか。
責任の所在が曖昧で迷っているのか。
上司からどう評価されるかを不安に思っているのか。
他部署との調整が進まず困っているのか。
同じ「相談」という行動でも、抱えている問題はまったく異なる。
我々は、このような実現したい状態を妨げている要因を制約と呼んでいる。
それにもかかわらず、その制約を十分に理解しないまま助言を始めれば、解決策そのものが的外れになることは珍しくない。
つまり問題は、助言そのものではない。
相手が抱えている制約を認識する前に、操作を選択してしまうことなのである。
■信頼とは「この人に相談すれば状況が良くなる」という成立仮説である
では、なぜそのような対応が信頼を壊すのだろうか。
我々は、人は「何をすれば実現したい状態を成立させられるのか」という認識を持ちながら行動していると考える。このような認識を成立仮説と呼ぶ。
例えば、部下は相談するとき、
「この上司に相談すれば、一緒に解決策を考えてもらえる。」
「相談すれば、自分の状況を理解してもらえる。」
という成立仮説を持っている。
しかし、話を十分に聞かず、一方的に結論だけを返されれば、
「この上司は、自分の話を最後まで聞かず、自分の経験だけで判断する。」
「この上司に相談しても、自分の状況は理解してもらえない。」
という新たな成立仮説が形成される。
つまり、信頼とは単なる好意や感情ではない。
「この人に相談すれば、自分が抱えている問題は解決へ近づく」という成立仮説なのである。
■報連相が減る理由も行動生成式で説明できる
成立仮説が変わると、その後の行動も変わる。
我々は、人の行動を次のように表している。
行動=機会 × 想起 × 理解 × 納得 × 実行可能 × 評価期待
機会とは、その行動を行う場面やタイミングが存在することである。
想起とは、その場面で行動を思い出せることである。
理解とは、何をすればよいか分かっていることである。
納得とは、その行動の意味や必要性を本人が受け入れていることである。
実行可能とは、時間・能力・権限・環境などの制約を踏まえ、自分には実行できると認識していることである。
評価期待とは、その行動を行えば望ましい結果につながると期待していることである。
相談という行動も、この式で説明できる。
一度相談した結果、
「理解してもらえなかった。」
「結局、自分の話を聞かずに結論だけ言われた。」
という経験をすれば、
「相談しても状況は改善しない。」
という成立仮説が形成される。
すると、
「相談すれば状況は良くなる」という評価期待が低下する。
その結果、相談や報連相という行動そのものが生成されにくくなる。
つまり、報連相が減る原因は、部下の性格でも最近の若手の気質でもない。
上司との対話によって成立仮説が変化し、その結果として評価期待が低下し、相談という行動が生成されなくなっているのである。
■なぜ上司は「言葉のドッジボール」をしてしまうのか
では、なぜ上司は相手を理解する前に助言してしまうのだろうか。
それは、相手を軽視しているからではない。
多くの上司もまた、自分自身の成立仮説に従って行動しているからである。
例えば、
「困っている人には、早く解決策を示すことが支援である。」
という成立仮説を持っていれば、部下の話を聞きながら「答えは分かった」と感じた瞬間に、自分の経験から導いた解決策を伝えようとする。
しかし、その時点で上司が理解しているのは、自分が過去に経験した問題である。
部下が抱えている問題とは限らない。
部下が方法に困っているのか、責任の所在に迷っているのか、それとも評価への不安を抱えているのかは、まだ分かっていないからである。
つまり上司は、部下を理解したうえで操作を選択しているのではない。
自分の成立仮説に基づいて、操作を先に選択してしまっているのである。
■共感は目的ではなく、認識のための手段である
ここで誤解してはいけないことがある。
それは、「だから共感だけしていればよい」という話ではない。
部下が本当に求めているのは、自分の問題が解決へ向かうことである。
そのためには、まず何が問題なのかを正しく認識しなければならない。
共感や質問は、そのための情報収集なのである。
相手は何を実現したいと思っているのか。
何がその実現を妨げているのか。
どのような成立仮説を持っているのか。
これらを理解したうえで初めて、助言するのか、問いかけるのか、判断を示すのか、それとも他部署との調整を行うのかという操作を適切に選択できる。
重要なのは、共感という行動ではない。
認識の精度を高めることなのである。
■リーダーに求められるのは「認識してから操作する」という順序である
「言葉のドッジボール」を避けることは、単なるコミュニケーション技術ではない。
リーダーの役割とは、他者が実現したい状態を阻害している制約を認識し、その制約に応じた操作を選択することである。
しかし、多くの人は逆の順序で考えてしまう。
まず自分の経験から操作を決め、その操作が正しい理由を後から探そうとする。
これでは、認識していない制約に介入することになり、善意の助言であっても相手には「理解してもらえなかった」という経験になってしまう。
一方、相手が実現したい状態と、その成立を妨げている制約を十分に認識したうえで操作を選択すれば、助言であっても、問いかけであっても、判断であっても、相手の問題解決につながる。
支援の質を決めるのは、話し方ではない。
どれだけ多くの助言を知っているかでもない。
認識してから操作するという順序を守れているかどうかである。
これが、「言葉のドッジボール」が起こる本当の理由であり、あらゆるマネジメントに共通する原理なのである。
