この記事についてaiに評価してもらいました
『理不尽仕事論』の対談記事では、「役職鎮座マン」「闇堕ち」「私的権力観」「公的権力観」など、印象に残る言葉が数多く登場する。
確かに読み物としては面白い。
しかし構造的に見ると、少し注意が必要である。
なぜなら、記事全体に共通する問題として、「状態に名前を付けること」と「その状態がなぜ成立するのかを説明すること」が混同されているからである。
■ラベルよりも行動の成立条件を見る
組織で起きる問題を理解するためには、まず行動がどのように生まれるかを考える必要がある。
社員の行動生成式は次のように表現できる。
行動 = 機会 × f(想起 × 理解 × 納得 × 実行可能 × 評価期待)
想起 = その場面で行動を思い出せるか。
理解 = 何をすればよいか分かるか。
納得 = その行動の意味や価値を受け入れているか。
実行可能 = 実際に実行できる状態か。
評価期待 = 実行したときに評価や成果が返ると期待できるか。
例えば、
問題を上司へ報告する
という行動であれば、
問題が起きたときに報告を思い出せるか。
どの段階で報告すればよいか分かるか。
報告する意味を受け入れているか。
報告する時間や手段があるか。
報告した結果として良い結果が返ると思えるか。
によって行動の発生確率が変わる。
重要なのは、
決断力
自己効力感
責任感
のような言葉を使うことではなく、
どの条件が成立し、
どの条件が崩れているのか
を分析することである。
■「決断できない人」を説明できているのか
記事では、「役職鎮座マン」という言葉を使い、決断できないリーダーを批判している。
しかし、本当に重要なのは、
決断する
↓
決断しない
という行動そのものではない。
なぜ決断しないのかである。
例えば、
失敗したら役員評価が下がると思っている。
家族への影響を恐れている。
組織内で孤立することを恐れている。
そもそも何を基準に決めればよいか分かっていない。
こうした条件が存在するなら、
評価期待が崩れているのかもしれない。
理解が崩れているのかもしれない。
見るべきなのは行動ではなく、その行動を成立させている条件である。
記事も「家族を守りたい」「誰かに迷惑をかけたくない」といった事情に触れているが、そこから先の分析までは踏み込んでいない。
■「自己効力感」は説明になっているのか
記事では、
リーダーシップ自己効力感がない
↓
決断できない
という説明が登場する。
しかしこれは説明として弱い。
なぜなら、
自己効力感が低い
という状態に名前を付けているだけだからである。
例えば、
過去の失敗経験が多い
↓
成功する未来状態を想定できない
↓
決断しない
なら因果関係になっている。
あるいは、
失敗すると強く非難される
↓
評価期待が崩れる
↓
決断しない
でも因果関係になっている。
しかし、
自己効力感が低い
↓
決断できない
では、
なぜ自己効力感が低いのか
が分からない。
ラベルは増えるが、因果は増えないのである。
■「自尊心より大切なもの」は本当に説明になっているのか
記事では、
自尊心を優先する
↓
自己保身する
↓
決断できない
という構造で説明している。
しかし、
自尊心
という言葉自体が曖昧である。
例えば、
家族を守りたい。
社員を守りたい。
会社を守りたい。
顧客を守りたい。
これらも広い意味では自己保身に含めることができる。
重要なのは、
何を守ろうとしているのか。
誰からの評価を重視しているのか。
どの成立条件を失うことを恐れているのか。
である。
記事は道徳的な方向性を示しているが、行動の成立条件としてはまだ粗い。
■「世代理解」が闇堕ちを防ぐ理由は何か
記事では、
他世代にも苦しみがあると理解する
↓
闇堕ちを防げる
と説明している。
しかし、このままでは因果が見えない。
例えば、
若者は楽をしている
↓
怒り
↓
攻撃
という成立仮説を持っていた人が、
若者にも別の苦しみがある
↓
自分だけが不幸ではない
という成立仮説へ更新されるなら、攻撃行動は減るかもしれない。
重要なのは、
世代理解
という言葉ではなく、
どの成立仮説が更新されたのか
である。
■「私的権力観」と「公的権力観」は分類であって原因ではない
記事では、
私的権力観
↓
闇堕ち
公的権力観
↓
健全なリーダー
という説明が行われている。
しかしこれは原因の説明ではなく分類である。
本当に知りたいのは、
なぜ私的権力観が形成されたのか
である。
例えば、
認められなかった経験がある。
権力を持ったときに成功体験を得た。
過去に理不尽な扱いを受けた。
こうした経験によって、
権力を自分のために使う
↓
自分を守れる
という成立仮説が形成されたのかもしれない。
分類はできている。
しかし形成過程までは説明できていない。
■「誰かのおかげを思い出す」は比較的構造的である
一方で、記事の中で最も興味深いのは、
誰かのおかげを思い出す
という部分である。
なぜなら、これは成立仮説の更新として解釈できるからである。
誰も助けてくれなかった
↓
世界は敵だ
↓
協力しない
↓
攻撃的になる
↓
孤立する
という成立仮説ネットワークがあるとする。
そこに、
助けてくれた人もいた
↓
世界は敵だけではない
という認識が入ると、
後続の行動も変わる可能性がある。
これは単なる精神論ではなく、
成立仮説ネットワークの再構成
として理解できる。
記事の中では最も構造的な部分である。
■「理論なき心」と「心なき理論」の限界
記事の最後では、
理論なき心は危険
心なき理論も危険
と語られる。
方向性としてはその通りである。
しかし、
理論
心
という言葉もかなり曖昧である。
本来区別すべきなのは、
相手を理解し予測し操作する技術
と、
相手の状態をどう評価するかという価値判断
である。
記事ではこれらが一括して語られている。
そのため読んだときの納得感はあるが、
何を観察し、
何を更新し、
何を操作すればよいのか
までは見えてこない。
■本当に必要なのはラベルではなく成立条件である
この記事は、
理不尽な組織の中で人間らしさを失わずに働くための考え方
としては優れている。
しかし、
なぜその状態が成立するのか。
その状態が成立すると次に何が成立するのか。
という観点から見ると、
自己効力感
自尊心
闇堕ち
私的権力観
公的権力観
理論
心
といった言葉の多くは、原因ではなく結果ラベルである。
重要なのはラベルを増やすことではない。
どの条件が成立すると、
どの状態が成立し、
どの行動が生まれるのかを明らかにすることである。
組織を変えるために必要なのは、
「闇堕ちしている」
という診断ではない。
なぜその人がそうなったのか。
想起が崩れているのか。
理解が崩れているのか。
納得が崩れているのか。
実行可能が崩れているのか。
評価期待が崩れているのか。
あるいは、
どの成立仮説が形成され、
どの成立仮説を更新すればよいのか。
そこまで踏み込んで初めて、人や組織を実際に変える理論になるのである。
