この記事についてaiに評価してもらいました
「能力の高い上司と思われたい。」
部下を持てば、多くの人が一度はそう考える。
この記事では、その気持ちが強すぎると、部下の仕事を奪い、成長を止めてしまうと指摘している。そして、「できる上司」ではなく、「部下を育てながら成果を出す上司」を目指すべきだと結論付けている。
方向性としては理解できる。しかし、この説明だけでは、リーダーが何を判断基準にすべきなのかを構造的には説明できていない。そのため、「能力の高い上司と思われたい」という考え方を、「部下を育てるべき」という別の考え方に置き換えているだけになってしまう。なぜリーダーはその判断をすべきなのかという役割の原理が示されていないため、状況が変われば判断基準も揺らいでしまうのである。
■「できる上司」と「育てる上司」を対立させても本質は見えない
記事では、
「できる上司と思われたい」
より
「部下を育てる上司」
という対立で語られている。
しかし、本当に問題なのは、その価値観の違いなのだろうか。
例えば、品質や納期を守るために上司が部下を支援することもある。
一方で、部下が十分に対応できる仕事まで上司が引き受けてしまえば、部下は判断する機会を失う。
つまり問題は、「優しいか」「厳しいか」でも、「できる上司か」「育てる上司か」でもない。
どの仕事を誰が担うべきかという判断なのである。
■リーダーの判断基準はどこから生まれるのか
記事は、「部下を育てながらチームの目標を達成すること」がリーダーの判断基準だと述べている。
しかし、なぜそれが判断基準になるのかは説明されていない。
リーダーの役割を構造的に考えるなら、リーダーとは、他者や組織が実現したい状態の成立条件を成立させる主体である。
ここでいう制約とは、実現したい状態の成立を妨げている要因である。
例えば、
納期を守りたいが、人手が足りない。
品質を維持したいが、必要な知識が不足している。
売上を達成したいが、営業資料が整備されていない。
安全に作業したいが、手順が標準化されていない。
このように、実現したい状態が成立しない原因が制約である。
リーダーの役割は、こうした制約を処理し、組織が実現したい状態を成立させることである。
そのために必要であれば、自ら制約を処理することもある。
一方で、部下が処理できる制約まで上司が引き受け続ければ、部下は自ら制約を処理する経験を積めず、いつまでも同じ仕事しかできない。
つまり、育成は目的ではない。
組織が継続的に成果を出し続けるための手段なのである。
■任せることが正解とは限らない
記事では、「任せる勇気」が強調されている。
しかし、「任せること」自体を正解としてしまうのも危険である。
経験不足。
判断材料不足。
権限不足。
時間不足。
こうした制約を部下が処理できない状況で仕事を任せれば、失敗する可能性は高くなる。
逆に、部下が十分に処理できる制約まで上司が代わりに処理すれば、部下は成長する機会を失う。
重要なのは、「任せるか」「助けるか」という二択ではない。
どの制約は部下が処理すべきで、どの制約は上司が処理すべきなのかを判断することである。
■「嫌われる勇気」は判断基準ではない
記事は最後に「嫌われる勇気」が大切だと述べている。
しかし、「嫌われる勇気」は判断基準ではなく、結果として必要になることがある心構えにすぎない。
難しい仕事を任せれば、不満を持たれることもある。
厳しい指摘をすれば、一時的に嫌われることもある。
しかし、それは組織が実現したい状態を成立させるために必要な判断をした結果である。
嫌われること自体を目標にしているわけではない。
■リーダーが本当に考えるべきこと
リーダーが考えるべきなのは、
「能力の高い上司と思われるか。」
でも、
「部下を育てていると言われるか。」
でもない。
組織が実現したい状態を成立させるために、
誰が、
どの制約を、
処理すべきなのか。
その役割分担を設計することである。
その結果として、部下が成長することもある。
成果が向上することもある。
つまり、部下の育成もチームの成果も、リーダーの役割から自然に導かれる結果なのである。
リーダーの判断基準を心理論や精神論で語るだけでは、本質は見えてこない。
必要なのは、「何を目指すべきか」ではなく、「なぜその判断基準になるのか」を構造的に説明することである。
