父はハイエナにそっくりだ。
父の目には光がない。
黒い点、何を考えているか分からない闇のような目。
ハイエナの目に似ていると思った。
父が何か言う時の相手を探るような目は、
ハイエナが獲物を狙う時の目。
父が何かをする時のせわしない様子は、
目標を定めたら隙を狙って駆けて行くよう。
お腹が一杯になって
休憩する時のトローンとした目は、
餌を得て満腹になって横になるハイエナの目だ。
熊にも似ている。
何でも手づかみで食べる仕草が熊に似ている。
手に食べ物を持って社内を歩き回ったり、
口にパンをくわえていることがよくあって
熊に見える。
寝坊しておいて「何か食うものあるか?」と威張る。
「飯を食う時間もない!」と威張る。
誇らしげに。
人様に迷惑をかけるくらいなら食わなければいいじゃないかと思う。
我慢ができない。
食べ物を探して民家を襲う熊を彷彿とさせる。
怒って殴りかかる時も熊に見える。
ものすごい早さで拳を上から振り下ろす。
殴りかかる父の動きは普段ののんびりペースとは別人で
予測できないくらいスムーズで手馴れたものだ。
ハイエナと熊のような父を知っているのは私と母だけです。
このような父も部外者には「紳士」として通っているのです。
化け物かもしれません。
この理不尽さに父を粉々にしたくなります。
でも私はこれまで一切父に手出ししたことはありません。
もし手出ししたら私が大やけどを負うでしょう。
父は戦いを待っています。
私を打ちのめすのを待っています。
だからその手には乗りません!
私の人格まで崩壊しないように、
私は人間であるよう自分を守りたいと心に誓わないとなりません。
父はまるで5歳児。
何か私のことで気に喰わないと
母の元へ駆けて行き、
「今あれ(私の事)がこう言った。ひどいだろ!?」
「あれは病気だから何とかしてくれ!」
70歳にもなって
母に聞いてもらいたい子どもみたい。
私が父を見ただけで
私に
「馬鹿にしてるのか!?」
母に
「あれが俺をにらんだ」
「あれがいると腹くそ悪い」
今日はゴミ出しの日だったので、
昨日の夜家中の燃えるゴミを袋に入れ、
台所のマット(父が食べ物をこぼすのですぐに汚れる)
をお風呂の残り湯で洗濯していた。
ゴミ箱に新しいポリ袋をセットする際に
袋の穴が開かないように、
水分を吸収するようにと新聞紙を敷いている。
それも父がゴミ箱に捨てる時にはね散らかすから
できるだけゴミ箱の中の方に捨ててもらうための
目印でもあった。
新聞紙を敷くようになってからは、
あまりゴミが飛び散らなくなった。
父は物を捨てるのすら面倒くさがる人で、
ゴミ箱の上の方から落とすように捨てる。
後は振り返らないので、もしちゃんと入ってなくても
気にも留めない。
よって、ゴミ箱の周りにはきちんと入らなかった
ゴミが必ず落ちている。
もし
「ちゃんとゴミ箱に捨てて下さい」とお願いしたとしよう。
父は
まず「俺の前に現れるな!」「言葉をしゃべるな!」
私の存在を否定する。
私の言葉は聞かない。
でも、もし父が自分の身に覚えがあると、
母への説得が始まる。
「俺くらい気を使って捨てている人はいない」
そして、次回からは言われたことを根に持ち、
居様な行動を取り始めるだろう。
言われた事に対して異常に執着するのだ。
私たちの捨てたものをチェックして、
「お前がこれを捨てたのか?」「なんだ?コノ捨て方は!」
「お前はゴミを捨てるな!ゴミ箱に触るな!」
普通では考え付かない父にとっては考え付く限りの
嫌がらせをするのだ。
だから何も父には言わない方がいいと学習した。
私は居間のテーブルの下の古い新聞を1束取った。
父が古い新聞を切り抜きしているのは知ってはいたが、
少しくらい大丈夫だろうと思った。
何より、切り抜きを終えた新聞はカッターでビリビリになっていて
ゴミ袋に敷くのには使えないので。
でも、ミスった。
私が後で使おうと下駄箱の上にポンと置いてしまったものを
父に見られてしまったのだ。
当初は見過ごしたフリをしたようだったが、
父がいると仕事にならないので、
集中してやらなければならない仕事は夜している。
そこへ数時間テレビを見ていてそろそろ飽きて
新聞の切り抜きを始めようと思ったらしい父が
2階から下りてきた。
無言で私の仕事道具やかばんを置いている部屋に足音を立てずに行った。
父は何か目的がある時は
足音を立てない。
逆にわざと足音を立てる時もあり、
それは仕事で疲れたという時だ。
足も思うように動かないくらい疲れていると体で表現する。
それからドドドと足音を立てて
私のところへ来た。
「これお前が持って行っただろ!?」
「俺にとって一番大事な選挙の記事のある新聞なんだよ!」
「嫌がらせだな!このやろう!」
「この泥棒!」
まさか泥棒と言われるとは思わなかった。
私がすごい悲しそうな顔をしたのは父は見過ごさなかった。
「泥棒!」「泥棒!」「泥棒!」
何度も大声で近所にも聞こえるように叫んだ。
怒っているというより嬉しそうだ。
母の寝ている部屋に行って
「あいつが俺の大事な新聞を盗んだぞ!」
とまた告げ口した。
新聞がなくなったことより、
私の尻尾をつかんだことがこの人には嬉しいんだ。
「人を泥棒呼ばわりして楽しいの?」と思わず私は言った。
「楽しいわけないだろう」
「お前が悪いと証明してるんだから当たり前だ」
私が悪かった。
でも父が怒れば
父が一番言われたくないことがよく分かる。
一番言われたくないことを言うのが父だから。
モラハラ加害者は
自分の心にあることを相手に投影して相手を罵倒する。
自分の心にあるやましさを相手に投影する。
だから父が泥棒と口に出せば
父が泥棒ということになる。
掃除もゴミ捨ても洗濯も全て私と母にやらせて、
仕事になるとイライラ。
それなのに、
夜になると人が変わったかのように
テレビと新聞。
姿勢を正し、真剣な眼差しで、片手にはテレビのリモコン、
居間のテーブルを全部占領しての切り抜き作業。
たくさん仕事がたまっているのに、
たまった新聞を切り抜くことが最優先。
本来するべきものをしないでテレビと新聞に逃げている。
本来すべきでないことをしているから、
時間泥棒。
何か私のことで気に喰わないと
母の元へ駆けて行き、
「今あれ(私の事)がこう言った。ひどいだろ!?」
「あれは病気だから何とかしてくれ!」
70歳にもなって
母に聞いてもらいたい子どもみたい。
私が父を見ただけで
私に
「馬鹿にしてるのか!?」
母に
「あれが俺をにらんだ」
「あれがいると腹くそ悪い」
今日はゴミ出しの日だったので、
昨日の夜家中の燃えるゴミを袋に入れ、
台所のマット(父が食べ物をこぼすのですぐに汚れる)
をお風呂の残り湯で洗濯していた。
ゴミ箱に新しいポリ袋をセットする際に
袋の穴が開かないように、
水分を吸収するようにと新聞紙を敷いている。
それも父がゴミ箱に捨てる時にはね散らかすから
できるだけゴミ箱の中の方に捨ててもらうための
目印でもあった。
新聞紙を敷くようになってからは、
あまりゴミが飛び散らなくなった。
父は物を捨てるのすら面倒くさがる人で、
ゴミ箱の上の方から落とすように捨てる。
後は振り返らないので、もしちゃんと入ってなくても
気にも留めない。
よって、ゴミ箱の周りにはきちんと入らなかった
ゴミが必ず落ちている。
もし
「ちゃんとゴミ箱に捨てて下さい」とお願いしたとしよう。
父は
まず「俺の前に現れるな!」「言葉をしゃべるな!」
私の存在を否定する。
私の言葉は聞かない。
でも、もし父が自分の身に覚えがあると、
母への説得が始まる。
「俺くらい気を使って捨てている人はいない」
そして、次回からは言われたことを根に持ち、
居様な行動を取り始めるだろう。
言われた事に対して異常に執着するのだ。
私たちの捨てたものをチェックして、
「お前がこれを捨てたのか?」「なんだ?コノ捨て方は!」
「お前はゴミを捨てるな!ゴミ箱に触るな!」
普通では考え付かない父にとっては考え付く限りの
嫌がらせをするのだ。
だから何も父には言わない方がいいと学習した。
私は居間のテーブルの下の古い新聞を1束取った。
父が古い新聞を切り抜きしているのは知ってはいたが、
少しくらい大丈夫だろうと思った。
何より、切り抜きを終えた新聞はカッターでビリビリになっていて
ゴミ袋に敷くのには使えないので。
でも、ミスった。
私が後で使おうと下駄箱の上にポンと置いてしまったものを
父に見られてしまったのだ。
当初は見過ごしたフリをしたようだったが、
父がいると仕事にならないので、
集中してやらなければならない仕事は夜している。
そこへ数時間テレビを見ていてそろそろ飽きて
新聞の切り抜きを始めようと思ったらしい父が
2階から下りてきた。
無言で私の仕事道具やかばんを置いている部屋に足音を立てずに行った。
父は何か目的がある時は
足音を立てない。
逆にわざと足音を立てる時もあり、
それは仕事で疲れたという時だ。
足も思うように動かないくらい疲れていると体で表現する。
それからドドドと足音を立てて
私のところへ来た。
「これお前が持って行っただろ!?」
「俺にとって一番大事な選挙の記事のある新聞なんだよ!」
「嫌がらせだな!このやろう!」
「この泥棒!」
まさか泥棒と言われるとは思わなかった。
私がすごい悲しそうな顔をしたのは父は見過ごさなかった。
「泥棒!」「泥棒!」「泥棒!」
何度も大声で近所にも聞こえるように叫んだ。
怒っているというより嬉しそうだ。
母の寝ている部屋に行って
「あいつが俺の大事な新聞を盗んだぞ!」
とまた告げ口した。
新聞がなくなったことより、
私の尻尾をつかんだことがこの人には嬉しいんだ。
「人を泥棒呼ばわりして楽しいの?」と思わず私は言った。
「楽しいわけないだろう」
「お前が悪いと証明してるんだから当たり前だ」
私が悪かった。
でも父が怒れば
父が一番言われたくないことがよく分かる。
一番言われたくないことを言うのが父だから。
モラハラ加害者は
自分の心にあることを相手に投影して相手を罵倒する。
自分の心にあるやましさを相手に投影する。
だから父が泥棒と口に出せば
父が泥棒ということになる。
掃除もゴミ捨ても洗濯も全て私と母にやらせて、
仕事になるとイライラ。
それなのに、
夜になると人が変わったかのように
テレビと新聞。
姿勢を正し、真剣な眼差しで、片手にはテレビのリモコン、
居間のテーブルを全部占領しての切り抜き作業。
たくさん仕事がたまっているのに、
たまった新聞を切り抜くことが最優先。
本来するべきものをしないでテレビと新聞に逃げている。
本来すべきでないことをしているから、
時間泥棒。
内ゲバとは同一党派または同一陣営などの内部での暴力を使用した抗争のこと。
主に学生運動もそれに当たる。
1950年~2003年までに起こっており、
死者は100名以上、負傷者は数千人と言われている。
元々仲間だった者たちが敵対し、戦争状態になり、
自分たちを正当化するために計画的な殺人を行った。
内ゲバが発生する理由とモラハラが起こる理由がとても似ていると思った。
引用させていただきます。
元ネタはこちら
理由は簡単。
はっきり言えば「気に食わないから」でしょう。
理想家は始末に悪い。
現実に目をそむけないと、自分達の正当性を立証できないから。
理想家は思い込みで思考・行動するから余裕が無い。
そのため些細なコンプレックスやストレスから激発しやすくなる。
今の「キレる」方々と同じです。
「自らが絶対正しい」とムリヤリ信じ込んでいるから、否定する存在を排除しなくてはいられないのです。
だから身内で討論しても、「自分と違う意見を言うやつは敵、敵は殺せ」と、こうなるのです。
というように、
日本でつい最近まで内ゲバの名で殺人が行われていたことを知って
甚だ恐ろしくなりました。
あまり公に語られることがないものですが、
殺された人は学生だったり社会人でもみんなまだ若く
前途洋洋の優秀な人たちだったことと思います。
あまり今語られない理由は、
犯人が分からないこと、
時代の流れで起きたこと、
当時の過激な思想家たちによる別世界のこと、
若さゆえの行動で残された家族には理解できないこと、
というように
片付けられているように思えます。
しかし、それから時代を経て、
今の学生は生ぬるいとか言われますが、
団塊ジュニアもそうですし、
そもそも内ゲバなんて不可能でしょう。
現実的になったのだと思います。
それに、
理想を現実に近づけることの難しさを知っている大人は
物事に寛容で、ゆったりと余裕があると思う。
そして、今の若者は理想家よりもまとめ役に惹きつけられるのではないかな。
ただし父は古い人間で理想家です。
理想が高いから仕事が進まない。
さっさと決断すれば済むことを
こねくり回して複雑にして、
難しい顔しているけど、
集中すれば2時間で終わるような仕事ばかり。
決断できないから途中でストップ。
それを10件くらい抱えている。
また、思い込みの塊です。
実はすごいコンプレックスとストレスがあるらしい。
いつもイライラ、ピリピリ。
そして、父にとっての敵は私です。
ただ、
父は理想家崩れになっているようです。
夜の父を見ているとテレビを毎日見ることが
父の理想なのかと思えます。
夜7時前後から夜中の2時・3時まで7時間以上の長い時間、
毎日毎日休むことなくテレビを見ています。
お正月休みは、1週間何にもせず昼から毎日テレビ。
年賀状もお墓参りもお正月のお飾りも全て私と母でやった。
父がやったことは12月30日に鏡餅を供えたことだけ。
それだけで「疲れた」と言っていた。
鏡餅を買って来たのは私ですが、だまっていました。
父は「ご先祖様を大切にしろ」とか
「俺のお墓だ」とかよく言っています。
でも、昨年も今年も、
父だけお正月にお墓参りをしていません。
昨年から、家族3人で行くのを止めたのです。
前もってお墓の掃除を私がやっておき、母に一人で自由に行ってもらいます。
何故なら父と一緒に車に乗ると、車の中の密室で自分の不満をぶちまけて私と母をいじめるから。
それと、お墓でああだこうだと注文を付けて命令して威張り散らすのが耐えられないから。
他の家は静かににこやかにお参りしているのに、
うちはいつも父が怒鳴っていて、苦痛だ。
お供えの菓子を置くのに「お盆を持ってくれば良かったのに。気が利かないな!」
(父が自分で前からお盆あるといいなと言っていたんだから父が持ってくれば良いこと。私も母も別にお盆がなくても不便とも何とも思ってない。父だけが要求が高い。)
花を生けようとすれば「はさみあるか?」
(これから花に手を付けようとする前に先回りして口に出す)
花を切ると「ゴミ袋!」
その後、花は前もって適当な長さに切ってから持参すればゴミも出ないので、
前もって切っておくことにした。
線香に火を点けようとすれば「ライター!」
(あるに決まってる。なければお寺で借りれるし。)
全て父のペースでこっちのペースでやらせないので、
一緒にいてすごくストレスが溜まります。
父にとってはこれが自分の見せ場なのです。
そして、もしはさみがなかった場合だけ文句を言い、
あった場合に「あって良かった」「助かったよ」「偉いね」とは言わない。
どっちにしても父は自分は何も手を汚さずに全部自分の手柄とする。
お墓参りに行く前は、出発ぎりぎりまでテレビ見たりして何にも気にしていない風なのに、
現地に着いたら豹変するのだから、ついていけない。
父と一緒に出かけるといつもこうだ。
父は自分のペースで私たちを振り回すのが快感なんだろう。
そして、昨年から3人一緒に行かなくなったら、
とたんにお墓参りの話題すらしなくなった。
自分だけがまだ行ってなくて、私も母がもう済んでいるということを認めたくないので、
話題にしないのだ。
いつだって自分が一番じゃないと気が済まない。
もし一番になれないのなら、なかったことにする。逆切れ。
これってまるで内ゲバ状態だと思う。
本来の思想(ご先祖様を大切にする)より、
自分の正当化が目的になっている。
今までのお墓での威張った振る舞いは何だったのか?
父が立てたお墓なんだけど。
この話しをもし知人にしたら、
「お父さんを立てて一緒に行ってあげればいいのに」
と言われそうだ。
はたから見ると父を除け者にしていじめているように見えるだろうか?
父は実際に「自分はいじめらている」と思っているのだが。
いじめられていると公言し、
私に対して「いじめるな!」と言ったり仕返しをしたりしているのだから、
いじめとは言えないようにも思う。
それに、もし、
「お父さんどうして昨年も今年もお墓参り行かないの?」
と聞いたら、
「なんだと!このやろう!」と
私が蹴り倒されます。
相手が動くのを待ってから反撃に出る。
モラハラ加害者はいつも後出しジャンケン。
父は正月1週間の休みの間、一度も外へ出かけませんでした。
買い物すらしませんでした。
自分が何かしてもらいたいという子どものように
何もできない人。
年末年始はいつも母がいじめられます。
大晦日に当日になって急に「何かごちそうあるのか?」
「ない」と言えば、「これだからな!」と捨て台詞。
逆にごちそう準備しても食べなかったりするし、
何考えているのか全く読ませない。
結局、大晦日の夕食は家では食べず、温浴施設へ入浴と食事に行った。
最初から「お風呂屋行くからごちそうはいらないよ」って言うか、
前持って「すき焼きが食べたいけどどうだろう?」ってお伺いするもんじゃない?
自分の気持ちの押し付け、
相手をおとしめるための会話。
神様はどうして父みたいな人を野放しにしているのだろう。
本当に不公平だ。
主に学生運動もそれに当たる。
1950年~2003年までに起こっており、
死者は100名以上、負傷者は数千人と言われている。
元々仲間だった者たちが敵対し、戦争状態になり、
自分たちを正当化するために計画的な殺人を行った。
内ゲバが発生する理由とモラハラが起こる理由がとても似ていると思った。
引用させていただきます。
元ネタはこちら
理由は簡単。
はっきり言えば「気に食わないから」でしょう。
理想家は始末に悪い。
現実に目をそむけないと、自分達の正当性を立証できないから。
理想家は思い込みで思考・行動するから余裕が無い。
そのため些細なコンプレックスやストレスから激発しやすくなる。
今の「キレる」方々と同じです。
「自らが絶対正しい」とムリヤリ信じ込んでいるから、否定する存在を排除しなくてはいられないのです。
だから身内で討論しても、「自分と違う意見を言うやつは敵、敵は殺せ」と、こうなるのです。
というように、
日本でつい最近まで内ゲバの名で殺人が行われていたことを知って
甚だ恐ろしくなりました。
あまり公に語られることがないものですが、
殺された人は学生だったり社会人でもみんなまだ若く
前途洋洋の優秀な人たちだったことと思います。
あまり今語られない理由は、
犯人が分からないこと、
時代の流れで起きたこと、
当時の過激な思想家たちによる別世界のこと、
若さゆえの行動で残された家族には理解できないこと、
というように
片付けられているように思えます。
しかし、それから時代を経て、
今の学生は生ぬるいとか言われますが、
団塊ジュニアもそうですし、
そもそも内ゲバなんて不可能でしょう。
現実的になったのだと思います。
それに、
理想を現実に近づけることの難しさを知っている大人は
物事に寛容で、ゆったりと余裕があると思う。
そして、今の若者は理想家よりもまとめ役に惹きつけられるのではないかな。
ただし父は古い人間で理想家です。
理想が高いから仕事が進まない。
さっさと決断すれば済むことを
こねくり回して複雑にして、
難しい顔しているけど、
集中すれば2時間で終わるような仕事ばかり。
決断できないから途中でストップ。
それを10件くらい抱えている。
また、思い込みの塊です。
実はすごいコンプレックスとストレスがあるらしい。
いつもイライラ、ピリピリ。
そして、父にとっての敵は私です。
ただ、
父は理想家崩れになっているようです。
夜の父を見ているとテレビを毎日見ることが
父の理想なのかと思えます。
夜7時前後から夜中の2時・3時まで7時間以上の長い時間、
毎日毎日休むことなくテレビを見ています。
お正月休みは、1週間何にもせず昼から毎日テレビ。
年賀状もお墓参りもお正月のお飾りも全て私と母でやった。
父がやったことは12月30日に鏡餅を供えたことだけ。
それだけで「疲れた」と言っていた。
鏡餅を買って来たのは私ですが、だまっていました。
父は「ご先祖様を大切にしろ」とか
「俺のお墓だ」とかよく言っています。
でも、昨年も今年も、
父だけお正月にお墓参りをしていません。
昨年から、家族3人で行くのを止めたのです。
前もってお墓の掃除を私がやっておき、母に一人で自由に行ってもらいます。
何故なら父と一緒に車に乗ると、車の中の密室で自分の不満をぶちまけて私と母をいじめるから。
それと、お墓でああだこうだと注文を付けて命令して威張り散らすのが耐えられないから。
他の家は静かににこやかにお参りしているのに、
うちはいつも父が怒鳴っていて、苦痛だ。
お供えの菓子を置くのに「お盆を持ってくれば良かったのに。気が利かないな!」
(父が自分で前からお盆あるといいなと言っていたんだから父が持ってくれば良いこと。私も母も別にお盆がなくても不便とも何とも思ってない。父だけが要求が高い。)
花を生けようとすれば「はさみあるか?」
(これから花に手を付けようとする前に先回りして口に出す)
花を切ると「ゴミ袋!」
その後、花は前もって適当な長さに切ってから持参すればゴミも出ないので、
前もって切っておくことにした。
線香に火を点けようとすれば「ライター!」
(あるに決まってる。なければお寺で借りれるし。)
全て父のペースでこっちのペースでやらせないので、
一緒にいてすごくストレスが溜まります。
父にとってはこれが自分の見せ場なのです。
そして、もしはさみがなかった場合だけ文句を言い、
あった場合に「あって良かった」「助かったよ」「偉いね」とは言わない。
どっちにしても父は自分は何も手を汚さずに全部自分の手柄とする。
お墓参りに行く前は、出発ぎりぎりまでテレビ見たりして何にも気にしていない風なのに、
現地に着いたら豹変するのだから、ついていけない。
父と一緒に出かけるといつもこうだ。
父は自分のペースで私たちを振り回すのが快感なんだろう。
そして、昨年から3人一緒に行かなくなったら、
とたんにお墓参りの話題すらしなくなった。
自分だけがまだ行ってなくて、私も母がもう済んでいるということを認めたくないので、
話題にしないのだ。
いつだって自分が一番じゃないと気が済まない。
もし一番になれないのなら、なかったことにする。逆切れ。
これってまるで内ゲバ状態だと思う。
本来の思想(ご先祖様を大切にする)より、
自分の正当化が目的になっている。
今までのお墓での威張った振る舞いは何だったのか?
父が立てたお墓なんだけど。
この話しをもし知人にしたら、
「お父さんを立てて一緒に行ってあげればいいのに」
と言われそうだ。
はたから見ると父を除け者にしていじめているように見えるだろうか?
父は実際に「自分はいじめらている」と思っているのだが。
いじめられていると公言し、
私に対して「いじめるな!」と言ったり仕返しをしたりしているのだから、
いじめとは言えないようにも思う。
それに、もし、
「お父さんどうして昨年も今年もお墓参り行かないの?」
と聞いたら、
「なんだと!このやろう!」と
私が蹴り倒されます。
相手が動くのを待ってから反撃に出る。
モラハラ加害者はいつも後出しジャンケン。
父は正月1週間の休みの間、一度も外へ出かけませんでした。
買い物すらしませんでした。
自分が何かしてもらいたいという子どものように
何もできない人。
年末年始はいつも母がいじめられます。
大晦日に当日になって急に「何かごちそうあるのか?」
「ない」と言えば、「これだからな!」と捨て台詞。
逆にごちそう準備しても食べなかったりするし、
何考えているのか全く読ませない。
結局、大晦日の夕食は家では食べず、温浴施設へ入浴と食事に行った。
最初から「お風呂屋行くからごちそうはいらないよ」って言うか、
前持って「すき焼きが食べたいけどどうだろう?」ってお伺いするもんじゃない?
自分の気持ちの押し付け、
相手をおとしめるための会話。
神様はどうして父みたいな人を野放しにしているのだろう。
本当に不公平だ。