皆さんこんにちは。  雪の保津峡駅からの続きです。

 

特急あさしお3号 舞鶴線 北近畿タンゴ鉄道線経由 城崎行です。 

これを撮影して あまりの寒さに次にきた113系に乗って移動しました。

 

移動した駅から改札出て 園部方面に少し行ったところで撮影。

特急あさしお4号京都行です。 北部の方も雪が酷かったみたいで ヘッドマークには雪がこびり付いています。  この4号は、 米子駅 7時丁度の発車で京都11時51分着。 所要4時間51分。 山陰本線の東半分を走破する長距離特急でした。 

やはり ここでも寒さに負けてホームに逆戻り。

 

普通園部行。 113系ですが、モハ112は ダブルパンタになっています。 山陰本線のこの区間では トンネルでの 霜かツララ対策で2台パンタ搭載になっています。

 

一番最初にこの写真を記事にした時 この駅がどこか思い出せないのですが、 今回の18切符をスキャンして 馬堀駅のスタンプを見て どうもここが馬堀駅なのかなと思います。

 

急行丹後1号です。 急行丹後1号は、途中で編成が分かれる2階建て列車で 前のグリーン車を含む4両が、舞鶴線・北近畿タンゴ鉄道線経由の網野行。後の2両が、東舞鶴で分割されて 小浜線経由の敦賀行になりました。  これは、現在の特急まいづる号とはしだて号との併結運転に引き継がれていますね。

 

続いて もう一度保津峡駅に戻りました。

急行丹後3号城崎行です。

電化直前の山陰本線 京都口では、京都ー綾部間で日中から 夜間まで1時間の等間隔で 特急あさしおと急行丹後が運転されていました。 京都発は、毎時25分で統一。 10時25分発が特急あさしお3号。11時台が急行丹後1号。その次の12時台が、この急行丹後3号。となっていました。 

 

前回でもご紹介した 嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車。 京都駅方面に戻る普通を待っている時に 汽笛がなって気づきました。 嵯峨野7号 トロッコ亀岡行が トロッコ保津峡駅に到着するところでした。  今は 一年中大人気のトロッコ列車で 新型車両も登場するようです。

 

この後 京都駅まで戻りました。

特急あさしお5号城崎行です。 京都駅は 駅ビル工事の真っ際中でした。 現在だと完全に建物の下になっている場所ですが、当時はまだ 空が見えていました。

 

このまま京都駅で撮影を続ける予定でしたが、 写真のように駅舎の改良工事の関係で 真っ暗だったので 青春18切符を持っていたので 隣の丹波口駅に移動しました。(京都梅小路西駅は、まだ影も形もありません)

 

前の2両は、敦賀からの 急行わかさ。 現在この区間は 複線になっています。

 

後のグリーン車を含む4両が 豊岡駅発 北近畿タンゴ鉄道線経由 急行丹後6号 京都行でした。

 

次の普通で この急行を追いかけて 京都駅に戻りました。

丹波口駅で撮影した、急行わかさ号のキハ28です。 側面の行き先サボから、 折り返しも敦賀行となりました。

 

側面をアップに。

下のサボは、急行丹後に変わっていました。 「わかさ」は、撮れず。。。 折り返しこの車両も 急行丹後5号となり 西舞鶴からは普通列車にかわって 敦賀まで行っていたので 急行わかさとはならず 急行丹後と 呼称したようです。 車両の所属が、金沢支社の敦賀派出になっています。

 

先頭のキハ58です。 前の4両は、急行丹後5号 舞鶴線・北近畿タンゴ鉄道経由の豊岡行で こちらも 分割された 西舞鶴駅から 北近畿タンゴ鉄道線内は、普通列車となりました。グリーン車の方は、急行運転時はグリーン車指定席。 普通になってからは グリーン車自由席となっていました。

 

急行丹後号は、 グリーン車が連結され 比較的長編成で最後まで国鉄色キハ58系で運転されて 国鉄気動車急行の全盛期のイメージを色濃く残した列車でした。

 

再び丹波口駅に。

特急あさしお6号京都行。 特急あさしお と 急行丹後 気動車の特性を活かして 北近畿地方の様々な地域からの細かい需要に応えるべく 運行されていました。

 

行き違いで発車した 普通亀岡行。 この列車で この日の予定を終了しました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 懐かしきっぷシリーズ??? 今回は、1996年の青春18きっぷです。 1983年の次に残っていた 青春18きっぷは 1996年の春のきっぷでした。

 

マルス発券の1枚ものになっていました。 1枚11300円。 希望の日に入鋏印を押してもらうシステムでした。 

 

始まりは 3月5日 なぜか 山陰本線馬堀駅でスタートしたことになっていました。

最寄り駅では、駅名入りの入鋏印がなかったのか 日付印だけ押してありました。

この日は、保津峡駅へ 置き換え前のキハ81系特急あさしお や キハ58系急行丹後を撮影にいきました。

 

この日の保津峡は、激しく雪が舞う寒日で 雪の中を爆進する列車を撮影しました。

特急あさしお号。

 

急行丹後号。

 

113系普通列車。

 

特急タンゴエクスプローラー1号。

 

雪が止むと青空も見え白黒の世界に 湘南色が映えていました。

 

しかし すぐに雪が降り出したりして。

雪降る中を進む 嵯峨野トロッコ列車。 真冬は運転休止のトロッコ列車ですが、この日は、3月5日 この年の運転が始まったところでの 大雪で あまり見ることができない 雪景色のトロッコ列車を撮影できました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。  前回は 1982夏 のびのびきっぷ の旅をお届けしましたが、その翌年1983年の春に発売された 国鉄全線普通列車乗り放題切符は、装いも新たに?? のびのび がとれて 青春18きっぷとなって発売されました。

 

この切符から 青春18きっぷとしてスタートしました。

 

この切符を使っての旅は つい最近記事にしましたので 写真だけ触れていきます。

その記事はこちら。

途中下車印を結構押してもらっていますが、姫路駅では、

寝台特急彗星を撮影。

 

新見駅では

特急やくも号を撮影。

 

出雲市駅では 寝台特急出雲4号。

 

二日間券なので 夜行 山陰号に乗って 東海地方の乗りつぶしに向かっています。

早朝の二条駅で 419系に改造待ちの581系を撮影。

翌日は、

大垣駅から 美濃赤坂支線と 樽見線に乗車。

美濃神海駅にて。

 

その後は、二俣線に乗車して 豊橋 浜松 名古屋の途中下車印を集めて 大垣夜行で 上京。

三日目使用の乗車券。 この日は、東京到着後は、185系の普通で熱海に折り返し 伊東線に乗ってから 身延線に回って 東京に戻る行程でした。  この日は乗り継ぎがタイトだったのか下車印はなく 入鋏以外は綺麗な状態です。

熱海駅で 東京行185系普通列車。

 

甲府駅で 身延線用ワインレッドの115系。

 

その夜は 再び大垣夜行に乗って 名古屋に戻りました。

 

早朝の武豊線を往復し その後は、

岐阜駅で撮影した 特急ひだ号の写真から 多治見と美濃太田を結んでいた 太多線に乗ったと思っていましたが 今回この切符をスキャンして どうも違っていたようです。

切符の右上 武豊駅のスタンプの右側に 新豊田駅と岡崎駅の途中下車印がありました。 1983年当時、岡崎駅と新豊田駅を結んでいた 国鉄岡多線がありました。 この線を往復乗りつぶしていました。 この岡多線は、JR東海に引き継がれた後  1988年1月 第三セクター 愛知環状鉄道線となり 岡崎ー新豊田ー高蔵寺を結ぶ路線となりました。

 

その後は、名古屋駅 草津駅途中下車して 最後に草津線を往復して帰っています。

柘植駅で撮影 関西本線普通亀山行。

 

同じく柘植駅にて 草津線普通草津行。 車両は、113系2700番台 湖西線草津線用に製造された車両でした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。  「のびのび」 私と同じ年代の方だとすぐにピンと来ると思うのですが、 そうです こちらの切符です。 現在も発売されている あの切符の前身です。  (6時15分の公開の記事を加筆しました)

青春18のびのびきっぷ。 国鉄が運賃増収策の一環として 1982年3月に発売を始めた切符です。 3月発売分は 春期間用で 私が残していたのは 夏期間用の切符です。 一日券2000円が4枚と

2日間有効が1枚の 5枚綴り1冊 10000円でした。 皆さんお気づきかと思いますが、1日券と2日券 券面価格は2000円と同額でした。 

 

途中下車印がひとつ 和田岬駅。 この時に初乗車したみたいです。

 

この二日間券を使った旅は、朝に和田岬線などを乗ってから 大垣夜行で上京し 関東発着の特急列車のヘッドマークを初撮影しました。 

 

寝台特急北星。 ピンボケ写真。 地平ホームの14番線だったと思います。

上野駅と盛岡駅を東北本線経由で1往復運転されていました。

隣の20系は 寝台急行天の川。 上野駅と秋田駅を 上越線・新潟駅・羽越本線経由で1往復運転されていました。

 

17番18番線に並んだ ブルートレイン。 向かって左 18番線が6時22分着 寝台特急あけぼの2号。 右17番線が 6時30分着寝台特急あけぼの4号です。 2号は秋田駅始発 4号は青森駅発で 当時は 奥羽本線経由で走っていました。

 

185系200番台車 新幹線リレー号です。

東北・上越新幹線は、1982年6月 大宮駅ー盛岡・新潟間が先行開業しました。東京都心と大宮間のアクセス手段として運転されました。

185系7両編成2本併結の14両編成でした。

1983年7月号時刻表より

上野ー大宮間ノンストップ。 新幹線利用客専用列車と案内されていました。新幹線の特急券を持っていないと乗れないようでした。

 

特急ひばり号 上野ー仙台間の運転。

 

臨時特急そよかぜ。 主に夏休み期間に 上野ー中軽井沢間で運転されていました。

 

特急はつかり 上野ー青森間の運転。 583系の他 485系も使用されていました。

寝台特急はくつる や ゆうづる との共通運用で 昼夜兼行の活躍をしていました。

 

特急いなほ。 現在も運転されていますが、 当時は、上野ー秋田・青森間 上越線・羽越本線経由の長距離列車でした。

 

特急はくたか号。 現在は 北陸新幹線の列車名となっていますが、 初代 はくたか号は、上野駅ー上越線 長岡駅経由の金沢行 特急列車でした。

 

特急とき  上野ー新潟間運転の伝統の列車ですね。 現在も上越新幹線の列車名として引き継がれています。

 

などと撮影をし、当時は、神田駅付近にあった 交通博物館に行ったりして

その夜は、上野22時ごろ発車の長岡行普通の上越夜行に乗車 この列車は、高崎線で使用されている115系と同じ編成で 尚且つ高崎付近までは通勤列車なので 超満員静かになったのは上越線に入ってから それでも利用が多く熟睡した記憶はありません。  早朝終点の長岡駅の一つ手前の宮内駅で下車。5分で接続の4時45分発の長距離旧型客車の普通米原行522レに乗り換えました。 長岡まで行くと 522レが4時40分発なので間に合わないので 宮内駅乗り換えでした。 

早朝の 522レはガラガラ こちらの方で惰眠を貪っていたような気がします。

 

 

長岡から3時間ほど7時51分に糸魚川駅着  写真の列車は快速富山行。2分接続で7時53分に先発しました。 この列車は、富山駅からは、急行立山2号大阪行になりました。  私の方は、糸魚川で30分ほど停車していた522レに乗り続け 長岡から5時間かけて 9時50分ごろ富山駅で下車しました。 

 

富山港線岩瀬浜駅。現在は、富山地方鉄道市内線に吸収されて 市内線の路面電車が直通している路線ですが、 1982年国鉄時代は、富山駅と岩瀬浜間を結ぶ直流電化の国鉄線で、スカイブルー色の72系旧型国電が走る路線でした。

交流電化区間に 飛地のように直流電化となっていたのは、元は私鉄線として建設されその後国鉄に吸収されたためでした。

 

その富山港線を往復後は、富山11時27分発普通338Mに乗車、この列車は金沢から快速3338Mとなって敦賀まで行くロングラン快速列車で 富山を1時間後に発車した特急雷鳥14号に終点敦賀まで逃げ切るという俊足列車でした。 特急街道の北陸本線でしたが、青の合間に運転される電車快速も意外と俊足でした。

 

その敦賀駅には1436分ごろ到着。

金沢を快速の203338Mの20分後に発車した 急行くずりゅう8号米原行。 急行くずりゅう号は、米原ー金沢間の運転。1983年時点で1日6往復の運転されていて 同区間を走る 特急しらさぎ・加越を補完する列車でした。

 

敦賀では 1時間20分ほど休憩。金沢付近の加賀笠間駅付近で追い越した 普通522レに再び乗車 米原まで再び旧型客車の旅をして 大阪まで帰りました。普通522レの米原到着は17時45分。長岡ー米原間 所要時間13時間5分という 長距離普通列車でした。 1980年代の国鉄時代は、全国各地にこのような長距離を走る普通列車が存在していて、そのような普通列車を有効活用しようとするのも青春18のびのびきっぷが発売された要因となっていたそうです。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 切符スキャンシリーズ?第5弾。

今回は、切符ではなくてポケット時刻表

 

1985年3月ダイヤ改正の大阪駅時刻表。電車とあるように、特急急行と福知山線の列車は乗っていません。 現在のJR神戸線京都線の普通 快速 新快速の時刻表です。新快速はほぼ9時〜16時代での運転。 快速もラッシュ時間帯の本数も日中とほぼ同じで 普通電車の本数が多い印象ですね。 日中は、新快速と快速が大阪駅で緩急接続していました。 その普通 日中下り方面は 西明石行が15分間隔 甲子園口行が30分間隔。上り方面は 高槻行が15分間隔 吹田行が30分間隔だったようです。

その普通吹田行。

201系の運用が増えていました。現在の吹田行は、早朝新三田発吹田行の1本のみです。

あと 当時のダイヤでは、下り方面 17時4分。赤い数字が二つ並んでいますね。

快速西明石行5番線と快速網干行4番線が同時発車となっていました。

また 17時38分発は、快速岡山行でした。

その列車を。

快速岡山行。一日1本のみの運転でした。この列車で 何度か四国乗り潰しに出かけました。

 

時刻表の裏面は

大阪環状線のダイヤ。赤文字は、快速奈良行です。 日中内回り西九条方面は 快速が20分間隔 環状運転が10分間隔でした。  外回り京橋方面は、環状運転と天王寺行が交互に10分間隔の運転で 天王寺行の半分が、奈良からの快速、もう半分は、大阪始発でした。

その快速奈良行

113系赤帯車。で 羽根型のヘッドマークがついていました。停車駅は、天王寺ー京橋ー大阪間が各駅 大阪からは 西九条 弁天町 新今宮 天王寺 王寺 王子から各駅でした。

 

この頃は あまり快速普通の写真は少なかったので 1985年前後に見られた 優等列車の写真をどうぞ。

ちょっとボケていますが、特急まつかぜ1号。キハ82系で3両目に食堂車が連結されていました。

キハ181系に置き換えられていた 特急まつかぜ2号。鳥取ー新大阪間の運転。

 

特急はまかぜ2号。まつかぜ2号3号と同時に181系に置き換えられていました。

 

当時の新快速は 117系の天下でした。 4番線に停車中の20系は、寝台特急日本海52号でした。

 

20系繋がりで この列車。

寝台急行銀河。 20系での運転の末期には、絵入マークに変わっていました。

A寝台車 ナロネ21。

 

次に 夜行客車急行をもう一本

急行マークが残念ですが、 急行きたぐに です。

急行きたぐに といえば 583系という印象でしたが、583系になったのは 1985年3月 この写真の直後で 1982年から1985年までの約3年間 14系座席車と寝台車の混結編成でした。

1982年14系客車化になった時に 大阪ー青森間から 大阪ー新潟間に短縮されています。

1984年時刻表巻末編成表。

真ん中右に 急行きたぐに。14系座席車自由席5両B寝台4両A寝台1両 最後尾スハフ14が指定席車でした。

 

 

DD51ー1131牽引 旧型客車列車。

 

大阪鉄道管理局所属のスロフ81系お座敷列車でした。

 

スロ81-2124 5号車 山城。 各車両には近畿地方の旧国名が愛称としてつけられていました。

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 先日夕刻に梅田駅に寄りました。

 

普通茨木市行 5324F。

高槻市行に 北千里行は、よく見かけますが、茨城市行は 梅田駅での茨木市行は、土日ダイヤのこの18時6分発1本のみみたいです。

 

この日は5300系の運用だったので 方向幕も撮りました。

 

特急京都河原町行2305F。 もみじマーク付き。 

と スナップしている時 ふと 遠くにこのようなものが。

9号線の降車ホームに緑の柵に囲まれた 台車的なものが。 ついに ホームドアの波が梅田駅にも。。。

 

どうも ホームドアの設置だけではなく 列車の停止位置も動かす 大改良みたいです。

 

公式HPの記事。

https://www.hankyu-hanshin.co.jp/release/docs/067bfb0d30580ea18328a1102890d56303b4fe89.pdf

 

列車停止位置を十三側に14mずらし その空いた場所の線路は 塞いでしまい コンコース広場を拡幅するようです。 改札機の位置もずらすようですが、 正確にはわかりません。 ただ 確かに3階改札口外側は 大ターミナルの駅前?としてはかなり手狭にはなっていますね。

 

移動工事は、年明けの1月 神戸線から始まるようで、ホームドアの設置工事は 5年後の2031年ごろから始まるみたいです。

 

梅田駅の十三側部分。 画面を見て気づいたんですが、右の柱から縦走側のホームの蛍光灯が消灯されていました。  おそらく 列車の停止位置をずらした時 この蛍光灯のついてる部分に8両目が来るのかと思います。 ということは この柱付近で作が設置されるかもしれませんね。

 

これを撮影した場所は、1号線と2号線の間の降車ホーム。 ホーム幅が広く お気に入りの場所です。

 

別な日の昼間に撮影。

1号線に入線する 特急京都河原町行2304F。

 

3号線を発車した 7300F準急京都河原町行。 

 

2号線に到着する 快速特急京都河原町行7006F。

 

4号線に到着する 急行宝塚行 5104F。

ほぼ1〜4号線に到着する列車をカバーできます。

 

1983年頃。

2号線を発車した 臨時急行桂行。 40年前から撮り鉄していました。

 

現代に戻って

6号線の車止め側。 電車の停車している部分よりやや後ろぐらいまでが コンコースになる感じでしょうか。

 

6・7号線ホーム十三側より。 手前の柱部分が先頭になるようです。

 

このホームも幅があるので お気に入りの場所です。

ただ 正面に排気塔が難点ですが。

4号線を発車した 特急日生エクスプレス 日生中央行 2000F。

 

7号線に入線する 1000F普通西宮北口行。

 

9号線を発車した 準特急新開地行 9006F。

6号線を発車した 6005F普通豊中行。

1980年代 排気塔の色は茶色でした。

準急雲雀丘花屋敷行 5146F。

 

この位置から京都線を撮ると、

こんな感じですね。

1987年も撮っていました

2号線を発車した、普通河原町行 2817F。

 

そのほか1980年代ですが、 4号線と5号線ホームでも。

普通豊中行6001F。

準急雲雀丘花屋敷行 7002F。

 

早いと 来年2026年 遅くとも2031年には、ここでの撮影ができなくなる可能性がありますね。

 

ホーム幅の広い場所だけでも 撮影スポット兼イベントスペースで開放してくれないかなあ・・・・・

 

御覧いただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 後編は、この切符からスタート。

 

西鹿児島から小倉まで 急行かいもん号のB寝台車に乗りました。

 

その時の車内だと思います。

 

寝台でゆっくり英気を養い 翌朝は博多駅で下車しました。小倉まで切符は、買っていましたが、小倉まで乗ってしまうと まつかぜ4号の博多発車までに戻って来れないことがわかったためです。

 

発車した 急行由布1号 別府行。

 

そして。

博多駅の発車案内パタパタ。 いよいよ特急まつかぜ4号に乗車します。

最後は、グリーン車を奮発しました。 大学生の身にはかなりの出費でしたが、大好きなキハ82系に一日中乗るのでゆったりと楽しみたいと思いました。

 

特急まつかぜ4号 新大阪行。

編成は、キハ82-キハ80-キハ80-キシ80-キロ80-キハ82の6両編成。 自由席2両指定席2両グリーン車1両 食堂車1両でした。

 

小倉を出た時点でグリーン車の車内は 3人ほど。 一人は、私と同じ乗り鉄でした。

 小雨の降る1日で 山陰本線に入ってからも どんよりとした感じで 海も灰色で少し物寂しい雰囲気でした。 長門市付近で 待望の食堂車に行きました。 確か 特急まつかぜ号限定の お蕎麦と山菜おこわのセット だいせんおこわ定食を食べたと思います。

 

そして14時33分出雲市駅に到着。ここまで 博多から6時間22分かかりました。

ここで 相方の大阪発博多行 特急まつかぜ1号と交換しました。 まつかぜ1号は大阪駅を8時ちょうどに発車していますから ほぼ中間地点での入れ違いでした。

背後の車両は、急行だいせんの20系です。 出雲市では 普通車の方は、結構入れ替わりがあったようですが、グリーン車の方は静かに時が過ぎて行きました。

 

15時32分 米子に到着しました。 ここでは、6分停車のうちに 大阪寄りに3両増結しました。

増結のために 貫通扉をあけていました。

 

この増結された3両は、まつかぜ1号で大阪からやってきた車両でした。 米子からは9両編成で大阪を目指しました。 

 余談ですが、特急まつかぜ号の最盛期にあたる1970年代後半は、この付属編成は グリーン車1両含む6両編成で 大阪ー鳥取間で連結されていました。 ですので この区間は13両編成という これぞ国鉄特急という存在でした。 また この6両の付属編成は、1号で鳥取到着後は 鳥取始発のまつかぜ2号で大阪に戻っていました。 逆に大阪をお昼に出てきた まつかぜ3号の編成が まつかぜ4号の増結されていました。

1978年の大阪駅。

9番線ホームから 慌てて撮った 特急まつかぜ1号。 失敗写真なんですが、まつかぜ1号の付属編成6両が写った写真でした。

 

米子駅では 普通車はほぼ満席になったようでしたが、グリーン車の方は、10人ぐらいの利用でした。

 

鳥取駅前後ぐらいで もう一度食堂車に出向き 軽食を取りました。

 

餘部鉄橋通過中。

 

城崎には、18時9分 福知山には19時15分の到着。 やはり普通車の方は、混雑していましたが、グリーン車は静かに過ごせました。

福知山線内は、日も暮れて真っ暗 武庫川渓谷も全く見えず、福知山線内は、宝塚以外は無停車で 大阪には21時10分につきました。 

 

博多から12時間58分の長旅でした。

乗車してきた 2号車のデッキを撮影。右の3号車は食堂車でした。

終着駅まで あと1駅なのに大阪駅で下車。。。

新大阪に向けて発車したまつかぜ4号。隣は、急行銀河です。 1週間ほどの九州乗り鉄の帰りの疲れもあって 暗くなってからはほとんど寝ていましたが、特急まつかぜ号を堪能しました。

 

最後にもう一枚 急行銀河のナハネフ22の前に 新型寝台車のオハネ24が1両連結されていました。

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 昔の切符発掘シリーズ? 第4弾。 硬券ではないですが

こんな切符です。

 

1985年3月に九州地方を乗りつぶし 帰りに3月のダイヤ改正で米子駅で分割された 博多発山陰本線経由新大阪行特急まつかぜ4号にお別れ乗車しました。

九州ニューワイド周遊券X券。  ニューワイド周遊券は、 行き帰りの交通機関を自由に選択できる切符で、国鉄だけではなく 航空機やフェリーも経路に組み込むことができました。 その国鉄線の経路も自由に設定できます。

Y券。 こちらが帰りの券になります。 行きは 山陽本線 鹿児島本線経由。帰りは、鹿児島本線 山陰本線 塚口駅経由で購入しました。

この切符は、駅のみどりの窓口での発売はなく 駅の旅行センター や JTBなどの旅行会社の窓口でしか販売していませんでした。 私は 大阪駅の中央改札前のみどりの窓口の背中合わせにあった JTBの大阪駅旅行センターで買っていました、

 

 

D券。 これが 九州全線乗り放題の券です。 普通のワイド周遊券ですと 帰りの切符と周遊区間と同じ切符で A券B券の2枚ですが、ニューワイドでは3枚になりました。

 

この時期は 途中下車印も集めるのがブームになっていて 普通は見るだけの場合が多いので 頼んで押してもらっていました。

 

高森駅の入場券もこの時に買っていました。  途中下車印も真ん中に押してあり やはりバスで移動したので 高千穂駅の途中下車印も入場する際に押してもらっていました。 左隅の少しキレている部分です。

 

この旅では 乗ることが主体で写真が少ないのですが。

指宿枕崎線 開門駅? 開聞岳と駅前に停まる国鉄バス。

 

西鹿児島駅。国鉄交直流急行色の475系普通列車。 1985年時点では、475系の急行運用は無くなっており 3両編成単位でローカル運用についていました。写真の先頭車は、サロ改造の先頭車になります。 そして 側線には寝台特急はやぶさ号が休んでいました。

 

噴煙を上げる桜島。 日豊本線竜ヶ水駅付近。 

 

確か 隼人駅だったと思います。 廃車になって編成から外された 食堂車サシ481が留置されていました。背後の鉄塔の向こうに噴煙を上げる桜島が見えていました。

 

駅の反対方向にも3両留置されていました。 

 

これは 1978年10月の 鹿児島本線の時刻表です。

西鹿児島まで 運転されていた 特急有明号のうち9号から19号までで食堂車が営業していました。 1号3号5号は583系での運用で 食堂車は連結していましたが 寝台特急運用時との兼ね合いで 営業はしていませんでした。

 

この食堂の営業は1980年に廃止されて この時にサシ481は編成から外されて 5年間放置されていたようです。

 

撮影場所不明の 特急にちりん号。ボンネットのクハは、まだ絵入マークではありませんでした。

 

ビデオ特急マーク。 1979年頃から 特急有明号用の一部のクハ481に車内でビデオ映画を上映するサービスがありました。

 

正面にスクリーン天井にプロジェクターが設置されていたようです。 この時点で上映されていたかどうかは不明ですが、 この写真は西鹿児島終着直後に撮影したと思います。

 

つづく。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 今回は、現在は 第三セクターの長良川鉄道線となった 国鉄越美南線です。

 

1985年の時刻表より。高山本線の美濃太田駅から北に伸びている路線です。

線名に南と入っていますが、福井駅から南下して九頭竜湖駅まで伸びる 越美北線があります。この両線は繋がるはずでしたが 計画は頓挫 一方は第三セクター鉄道となってしまいました。

 

この時は、越美北線に乗って九頭竜湖駅にやってきました。

当時の九頭竜湖駅舎。 

1985年の越美北線。九頭竜湖までは4往復。早朝の便の次はお昼の129Dまでしかありませんでした。 その129Dに乗ってきました。越前大野までは かなりの混雑 越前大野からもガラガラになった記憶はありませんでした。

 

九頭竜湖からは 5分で接続する 美濃白鳥駅行の国鉄バスに乗車。この区間を走る国鉄バスは1日2往復 美濃白鳥行は最終でした。

 

1時間ほどでついた 美濃白鳥駅。

 

15時17分発の331D北濃行。 美濃白鳥から 北濃駅までは2駅10分。

 

終点の北濃駅。 お姉さんの陰になってしまって残念ですが、鳥居型駅名標もありました。。。

 

折り返しの列車までは 終端駅では珍しく30分ほどありました。 

 

看板部分をアップ。駅独自の手作りの観光案内。 海抜446m

そして 夏休み 南美濃の思い出に 入場券はいかがですか。

の セールスに負けたわけではないですが。

入場券も買いました。

 

北濃駅から 終点の美濃太田駅までは2時間ほど。美濃太田からは高山本線に乗り換えて 岐阜駅に向かいました。

 

その途中の駅での一枚 確か 蘇原駅。 ユーロライナー色のDD51ー592号機の単機回送と行き違いました。 

 

この後は、大垣駅に向かって 大垣夜行に乗って 1985年開催していた EXPO1985筑波科学万博の見学に行きました。

 

上野駅。 国鉄初の近郊型電車 401系交直流電車の 制御車クハ401。一番古いグループは、低運転台車でした。EXPO観客輸送で最後の活躍中でした。

 

万博会場を1枚。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 硬券入場券を発掘した引き出しから ネガではなく 写真も数枚見つかりました。

 

1978年時刻表

福知山線の枝線で塚口駅から分岐して 阪神戦の大物駅付近を通って尼崎港に至っていた路線です。  1978年は、川西池田駅始発で尼崎港までの運転でしたが 廃止直前の1980年は、塚口駅ー尼崎港間の運転になっていました。

 

サボ。

 

途中駅の金楽寺駅の駅名標。 この駅が 大物駅の近くにありました。

 

見つかった写真は この2枚だけでした。

 

ただ 切符が残っていました。

硬券は なかったようです。   廃止になったのは 昭和56年。廃止の噂があったので行きました。

 

大阪駅での一枚。今回見つかりました。

阪急32番街とDD51牽引の普通列車。 あまり撮っていなかった 旧型客車です。

 

 

さて もう一つの枝線は、静岡県の東海道本線清水駅から伸びていた路線。1984年に廃線になりました。

1978年の時刻表。 もう1978年の時点で1日1往復の運転。 それも下りが朝、上りが夕方という 乗りつぶしには、困難な路線でした。  貨物輸送はありましたが 日本一旅客列車が少ない路線と言われていました。

 

朝の列車に乗車しました。

終点の三保駅駅名標。 

 

乗車してきた 661レ。 客車は2両 その前に貨車が3両の貨客混合列車で それをDE10が牽引していたと思います。

三保駅 入場券。

帰りは、路線バスで 清水駅に戻りました。

 

この時は 家族旅行で浜名湖付近で宿泊していました。

その際に2枚だけ撮影。

117系の上り普通電車。多分 浜松行。背後は 東海道新幹線。

 

浜名湖付近を走る 0系新幹線。

 

40年以上前の一コマでした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。