皆さん こんにちは。 10月3日に 阪急宝塚線の駅のホームドア設置状況を記事にしましたが、先日 川西能勢口駅を再訪しました。

 

その時の記事はこちら。

宝塚方面の1号線 その向かいの2号線は、機器の設置が完了。 3号線は補強工事が始まっているという段階でしたが、1号線2号線のホームドアは、11月20日ごろから稼働開始しました。

 

平日のラッシュ時しか電車の発着のない2号線。 週末などは終日しまったままです。

宝塚方先端。

 

3号線 宝塚方。 緑の仮柵だったところは 固定の柵が完成していました。

 

1号線。

列車の停車中。

列車の扉が閉まると 当然ホームドアも閉まって発車です。 ホーム端に余裕がなく 撮影には不向きになりました。

 

以前はどうだったかというと。2018年の写真。

ホームドアのない時はこんな感じでした。

 

3号線を発車した急行梅田行1012F。 柵のギリギリから撮影。 以前は 停車中も撮影できましたが、今は動き出して2両分ほど過ぎてからになります。

 

2018年は、

急行梅田行1001F 宝夢号。 今では わかりにくいですが、1101号車の一番後ろの乗降扉付近のホームが柵になります。

 

3号線の先端部分です。

普通大阪梅田行7011F。 3号線側は 柵の端まで少し余裕があります。

 

2018年はこんな感じ。

望遠レンズの兼ね合いもありますが 停車位置はほぼ同じだと思います。

 

ホームドア稼働前の状況を連写してみました。

 

3号線のホームドアは、12月23日 クリスマス直前に稼働するようです。

 

次に 能勢電の4号線の状況。

電車の停車位置が 日生中央・梅田方に約1両分ずれました。 以前はエスカレーターまで来ていました。 わかりづらいですが 左の柵がその部分だけ色が違っています。

 

2018年は。

これまた 分かりづらいんですが、 右上の発車案内表示器の位置で分かっていただけるかと思います。

 

能勢電4号線ホームですが、補強工事が始まっていました。

 

両端の柵の形状を見ていると ホームドアではなくて 伊丹線などの支線で採用されている 開口部にセンサーをつけた ドアのないタイプになりそうな感じです。

 

向かいの3号線側先端部。

 

このポスターでは 柵の区別がつきませんが。

 

最後に2号線ホームに戻りました。

ほぼ柵が動くことはないので 

接近してもアラームが鳴ることはないようです。

普通大阪梅田行9001F。

 

10年前の2015年はこんな感じでした。

急行梅田行 9001F。 右側に能勢電の電車が見えますが、停止位置が変わっているのが分かりますね。

 

最後に 1号線梅田方です。

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 ふと思い立って 大昔の未整理に買ったものを掘り込んでいた 引き出し類を整理していると特に熱心に集めていたのではないのですが 硬券の切符が 10数枚程度出てきました。

 

購入した切符が どんな時に買ったのかは 今のところ思い出せていません。

ただ 購入しているのは、1980年代になります。

 

まずは 新大阪駅。昭和60年(1985年)に購入。

 

大阪駅は買っていなかったようでしたが。

東京駅を買っていました。 1984年。

 

関東繋がりで

大森駅。1982年。

 

根府川駅。 1983年。

 

簗場駅 1982年 大糸線の駅ですね。

 

EXPO2025で賑わった この駅の切符もありました。

桜島駅。 1981年。

 

1980年 入場券を買った前年にも行っていたようです。

 

廃線になった 姫路駅から伸びていた線の終点。

飾磨港駅 1984年。 飾磨港線には 乗りに行った記憶はあるのですが、写真がなかったので 不安でしたが、今回入場券が見つかって 乗車したことが証明されました。

 

飾磨港線と書きましたが、 正式には、播但線の一区間で 姫路駅から南に伸びていました。現在の播但線とは繋がっておらず直通列車はなかったと思います。

1978年の時刻表から。 1978年でも一日2往復。主に貨物輸送がメインだったようです。 歴史は古く1895年に開通、廃止は1986年でした。

 

 

1980年の購入 紀勢本線の那智駅からの急行券。 

 

1981年 窪川駅から高知駅までの特定特急券。 これは 急行しか乗れなかった頃のワイド周遊券で 日程の都合で特急南風に乗ったのだと思います。

 

予讃本線 五郎駅。 現在は 山間部を通る内子駅経由が予讃線のメインルートになっていますが、 その内子駅までが枝線だった時の 内子線の起点駅が五郎駅でした。

五郎駅の駅名標と内子線のキハ20。

サボ。 チャレンジ20000km挑戦中に乗車したのですが 冬の日没後だったので車窓の記憶はなし。。。

 

1980年 予讃本線 壬生川駅。

 

1983年 大社駅から140円。 入場券が切れていたのかも。

 

 

長崎本線 諫早駅。 1979年

 

豊肥本線 宮地駅  1979年。

この2枚は 中学生の時の家族旅行の途中で。

 

高森線 高森駅 1985年。 現在は 第三セクター 南阿蘇鉄道の終点駅。

はっきりと記憶していませんが、確か大学生の頃 乗り鉄の途中 この高森駅から国鉄バスで高千穂に抜けた途中だったかと。

 

しばらくは 切符ネタが続くかも

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 現在の話題が続いてすいません。

 

宝塚南口駅に行く前に 園田駅によっていました。

園田駅でも 今年の8月から工事が始まったようです。

 

今の所変化を感じたのは、梅田行ホームの待避線側で工事が始まったようです。

左側のホームは、園田競馬開催時に使用されていた降車専用ホーム。 現在は使用されていません。

 

いよいよ 40年ぐらい前から お世話になっていた場所ともお別れになりそうです。

いつもは 下りホーム側で撮るのですが、この日は上りホーム側で撮影。

40年前は 平日だとほとんど誰もいなかったのですが、 現在は、平日朝ラッシュを中心に よく撮影している人を見かけます。

 

話題は変わりまして、 家族が ミャクミャクのぬいぐるみを買いそびれたので 探しに行きたいというので 大阪駅付近のEXPO2025オフィシャルショップに行ってみました。

 

万博閉幕後も ミャクミャクグッズは好調に売れているようで ネット動画でも混雑状況や品揃えを配信してくれている方がいるので 参考にして行ってみました。

まずは 堂島アバンザにあるジュンク堂書店の公式ストアに向かいました。 1週間前の動画では、10時の開店30分前に20人ほどが並んでいたようですが、

この日は 開店10分まで 6人ぐらいでした。右手の壁に沿って待ちました。

 

10時丁度にエスカレーターが動き店内へ。 公式ショップは、店というよりコーナーといって感じで 想像よりかなり狭かったです。

手前が お菓子などの食料品 奥にグッズが並んでいました。

 

左手にアニメとのコラボ商品。

 

ミャクミャクグッズもありましたが、ぬいぐるみ型ポーチがあるのみでした。

純粋なぬいぐるみは全くありませんでした。

 

結局家族は、 うさぎのキャラクターとコラボしたぬいぐるみとキーフォルダー などを購入 五点ぐらいですが、8000円ほどに。。。

 

次に 大丸梅田店の方に向かいました。

阪神電車の改札口から JR大阪駅の桜橋口に繋がる地下通路には、最近登場の広告がありました。

夢洲駅では動いていましたが、ここでも盛んにあおっていました。

 

10時30分に着きました。

ここではまだ整理券方式で この日は30分待ち。 1ヶ月前に来た時は、2時間待ちでした。

 

ゴジラストアなどで時間を潰し。

 11時前に入り口に。だいたい一回20人ぐらいで区切って 案内しているようでした。

店内は、堂島と違って かなり広くなっていました。 

大屋根リングの模型。

 

その反対側には、

ミャクミャク様。

 

そして もう一つ意図がわからなかった展示物が。

インバウンド向けだったのでしょうか? 外国の方は ほとんど皆無でしたが。

 

ところで肝心の品揃えは、堂島のジュンク堂と全く同じでした。

ぬいぐるみ類は、買えないようです。

 

ここでは クリアファイルを買っただけで 帰りました。

 

大々的に宣伝するのなら、皆が購入希望だと思う ぬいぐるみをもっと増産してほしいですね。

 

最後は 大阪市役所まで歩いて こちらにも挨拶してきました。

こちらのミャクミャク様は、12月26日までです。

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。  JR伊丹駅付近で 用事を終えて時間があったので 帰り道宝塚南口駅で途中下車しました。

 

普通宝塚行5001F。 今津北線に集結した5000系も 先日5004Fが引退したため 残るは5編成。 最古参は この5001Fになっています。

 

改札口を出て 宝塚大橋に向かいました。 この日は快晴でした。

普通西宮北口行 5001F。 ここから連写したのですが、思わぬ罠が?

 

時刻は お昼前。 タワマンの影が。。。  快晴の日に撮影に行かれる皆さん お昼前後は タワマンの影に気をつけましょう。

 

気を取り直して 5001Fのサイドビューを撮影。

5001号車

5501号車

5551号車 (元5051号車)

 

5523号車(元5003号車) 5551と5523号車の2両は、元は先頭車でしたが。。リニューアル改装の際 運転室部分を完全に撤去して 完全な中間車となりました。

 

5503号車

5053号車。 午前中早くの順光の時間に再訪したいですね。

 

とここで33年前の写真。1992年。

2720号車。 タワーマンションはなく、光がきちんと当たっていました。

 

33年前は 河川敷は未整備でしたが 現在は散策できるようになっています。

 

入り口は 宝塚大橋を渡った橋のたもとから入れるようになっています。

完全に逆行ですが、そびえ立つタワマンを入れてみました。左のマンションが、2012年に完成したマンション。 タワマンになる前は サンビオラ3番館というマンション兼商業ビルでした、ちょうど左奥に見えるビルと同じ高さの建物でした。

 

そして 右側の2棟のマンションが、宝塚ホテルの跡地に建設されたタワマンです。右側は完成していて入居が始まっています。

 

川上側に出ました。 正午には太陽が真ん前に来るので撮影には不向きですね。 曇り空の方がいいかも。

 

普通宝塚行5010F。車両に露出を合わせてみました。

 

今津線の川上側には、宝塚観光ダムがあります。 完全に堰き止めるのではなく 板を立ち上げて 水を溜める感じのダムです。

1998年に改築されて現在の姿に。 それまでは 2720号車の写真に写っているような感じでした。 宝塚ファミリーランドがあった頃は、ここに手漕ぎボートなどがあってボート遊びができたように思います。

 

ダムの少し上流の川の真ん中に 楕円形のコンクリートの島?があります。

 

現在は 休止していますが、武庫川宝塚観光噴水が実施されていました。 1995年の阪神淡路大震災からの復興を祈念して 不死鳥 PHEOENIXが飛び立つ姿を噴水で表現していたようです。

 

その付近から撮影してみました。

 

ダムの制御棟を入れてみました。

 

宝塚ホテル。

 

駐車場の向こうに今津線の高架が通っています。 フェンスの向こうが 宝塚駅からつづく 花のみち。 右手が宝塚大劇場になります。

 

宝塚駅前から続く道にある 宝来橋付近から。

 

ここまでくると 宝塚駅からの方が近くなります。

 

御覧いただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 昨日の鬱蒼とした緑の駅どこかわかりましたか?

 

右上のイオンがヒントでした。  JR宝塚線 伊丹駅の上りホームの宝塚方でした。

 

引いてみてみると

こんな感じ。 駅のホームの東側は 用水路みたいな川になっておりその影響か 蔦に雑木が伸び放題になっていました。

 

下りホームの方は、綺麗な状態ですね。

 伊丹駅は 柵ができる前は 結構訪れていたのですが 最近は行っていませんでした。

 

快速木津行。 電車が緑の茂みから飛び出してくる感じになります。

 

普通新三田行。 朝8時過ぎ 快晴だと茂みの影が邪魔をしています。 

 

特急こうのとり1号城崎行と特急こうのとり4号新大阪行の離合を 望遠で狙ったのですが 手前の柵にピントが合ってしまい 撃沈。。。

 

気を取り直して 2005年まだ柵ができる前の伊丹駅での撮影分をどうぞ。

下りホームからの撮影。普通大阪行。 阪和色の113系4両編成。

この年の4月 JR福知山線では大きな事故がありました。 その復旧作業の際 安全対策の強化として 自動列車停止装置 ATS-P型が設置されました。 運転を再開するに際し 117系は P型に対応していなかったために、JR西日本各地から P型を搭載した113系などが集められました。

 

特急北近畿6号新大阪行。 右手黄色の柵の向こうが 川になっています。

 

普通大阪行。 113系6両編成。 6両編成の後ろのユニットが湘南色でした。

この写真は、上りホームの先端で撮影しました。

 

快速大阪行。 221系の8両編成。 221系は 2000年からJR宝塚線の運用に入りました。 日中は 丹波路快速と愛称がつきましたが、 朝夕のラッシュ時間帯は、快速 となっていました。

 

 

駅舎方向。2005年は、普通のホームでした。 点字タイルの途切れている所に現在では柵があります。

 

普通福知山行。 湘南色との混色編成が結構走っていました。

 

普通新三田行。

 

103系は 2003年に 運用終了していたのですが、 事故の影響で 8月から11月までの4ヶ月間 7両編成1本の運用が復活しました。 

 

運転開始の最初の1ヶ月は 大阪環状線用のオレンジの103系が運用についていました。

最初にこの写真を取り上げれば良かったのですが。 伊丹駅からイオンに繋がる陸橋から撮影しました。 伊丹駅に到着する 普通大阪行です。右手が川で ホームには何も映えていませんでした。

 

写真に時間が写し込んであって 時系列はバラバラでした すいません。

 

最後に一言川西池田駅での撮影ですが、

丹波路快速篠山口行です。 ここも柵で先端部まで行けなくなりました。

日中の丹波路快速は基本的に4両編成でした。 現在 日中は 川西池田以北各駅停車の区間快速が15分間隔になっていますが、 2005年は、丹波路快速が30分間隔での運転でした。 4両の快速が30分間隔だと 混雑が激しいような気がしますが、2005年は、現在は塚口止まりになっている JR東西線からの快速が宝塚まで来ていました。

2005年の時刻表です。尼崎ー宝塚間 1時間に快速6本 普通4本 特急1本も走っていました。 流石に輸送力過剰で 東西線の快速は ほぼ空気輸送状態でした。。。

 

ところで 左端に 特急タンゴエクスプローラ1号が、載っていますが。

特急タンゴエクスプローラー1号久美浜行。 

本来ならば 銀色流線型のKTR001型だったのですが、事故の影響で KTR8000型タンゴディスカバリー編成に置き換えられていました。

 

最後の最後に。

不定期に運転されていた バラスト運搬列車。 宝塚ー生瀬駅間の武庫川橋梁の右岸側に採石場があって そこで採れたバラストを運ぶ列車が 不定期でこの時間に運転されていました。

 

 

御覧いただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんばんは。 突然ですが。この駅はどこでしょうか?

 

鬱蒼としげる木々。もちろんホームです。 ただ ホーム有効長の関係で 柵ができてこちらにはいけません。

 

答えは 次回の更新で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 

 

新快速長浜行 221系8両編成。 そういえば 221系の新快速もあまり記録がありませんね。 

 

次は 連写で。

シュプール妙高・志賀2号の入庫回送です。

 

1997年3月号のシュプール号のページ

シュプール妙高・志賀3号2号は、冬季期間中毎日運転の列車で 583系7両編成と485系7両編成を併結した14両で運転されていました。 583系の方は、普通車は全てB寝台。583系の方のグリーン車は、車内の真ん中付近にリクライニングシートを残し 両端には、ソファを置いた サロンカーとなっていました。 座席指定のグリーン車は、485系の方のサロ481が当てられていたと思います。

姫路から 所属区の向日町運転所には、大体この時間に回送されていました。

 

特急はまかぜ2号 大阪行。  キハ181系は 国鉄特急色が最高ですねえ。

 

 

特急はくと3号 智頭急行線経由 倉吉行です。

1994年に 智頭急行線が開通したことにより 新大阪ー倉吉間に 智頭急行HOT7000系の特急スーパーはくと号と JR西日本キハ181系の特急はくと号が運転開始。 このキハ181系特急はくと号の方は、1998年にHOT7000系に置き換えられて 撤退しました。

 

この日は、これで撤収したのですが、 キハ181系からみで こちらもどうぞ。

冬の朝7時頃 JR宝塚線広野駅で撮影。

臨時特急北近畿81号城崎行です。 早朝に1月〜2月にかけての土曜日のみ運転された臨時列車でした。

 

後には ヘッドマークはなかったのですが、キハ181系の北近畿ヘッドマークは この列車だけだったのかと思います。

 

当時のJTB小型時刻表の臨時列車のページ

左端にL特急北近畿81号として載っていました。 しかし 不思議なことにこの列車の 大阪に戻ってくる列車が見当たらないのです。 土曜日の早朝片道のみの運転。

帰りは、回送だったのか。 おそらく 利用者は皆無だったのでしょう。。。この年だけの運転だったように思います。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

 

 

寝台特急なは 新大阪行。

突然ですが 当時の時刻表をどうぞ。

27年前 JTBの時刻表には、巻頭に寝台特急を集めたページがありました。 これは 九州方面への列車のページです。

九州方面には、 日豊本線 鹿児島本線 長崎本線へと 東京と大阪から 各1往復づつ走っていました。 東京からは 四国と博多行あさかぜ号の2往復も残っていました。  あっ 寝台特急出雲号は 別ページ。

現在でも残る 山陰方面への 寝台特急出雲号。 需要が多かったのでしょうか、まだ2往復が走っていました。 出雲2号の方には、B寝台3段式が1両連結されていて 少しでも安く利用したい客層を取り込もうとしていました。

 

EF66-37牽引 コンテナ列車。

 

特急スーパー雷鳥17号金沢行です。 JRになってから 1日1往復 神戸発着の雷鳥が運転されていましたが、 需要があまりなかったようで この年の3月のダイヤ改正で廃止されました。

 

廃止の前で 大阪以西で 雷鳥を撮ろうと この時は甲子園口駅にきました。

 

特急スーパーはくと2号京都行きです。 先頭車は、貫通型のHOT7020型でした。 

 

団体臨時列車だったと思います。 JR西日本米子支社 所属のジョイフルトレイン キロ59/29ほのぼのSUNIN号。 車内は 和風御座敷となっていました。 団体列車のほかに、年末年始 帰省客向け臨時快速としても運転されていました。

 

快速野洲行 113系6両編成になっています。 113系といえば 7両編成と 11両編成が多いと以前書きましたが 6両編成は宮原電車区の所属で 2本併結の12両編成での列車もありました。 この6両編成は、日中の福知山線の普通や快速運用もありました。

 

御覧いただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 今回からは、1997年の冬の撮影です。 まずは JR宝塚線 新三田駅で撮影しました。

 

篠山口から来た 快速大阪行です 117系300番台です。 4番線に入線しています。 手前の2番線と3番線が工事中ですが、 当時は、新三田以北は、電化はされていましたが 単線のままでした。 複線化が完了したのは この2ヶ月後の1997年3月 JR東西線開業と同じでした。

 

黄色の103系普通大阪行。 JR東西線開業前の普通電車は 全て大阪折り返していました 編成も103系は、6両編成でした。

 

臨時特急味めぐり北近畿2号 新大阪行です。 キハ181系特急型気動車での運転 香住駅始発でした。電化により 特急まつかぜ号廃止時以来の キハ181系が JR宝塚線を走りました。 だいたい 週末土曜日の下り3号 日曜日上り2号の変則1往復の運転でしたが、7両と長い編成でした。  この他 味めぐり北近畿号は、1号4号が 土日各1往復の運転で 183系か381系による電車特急でした。

 

特急北近畿10号新大阪行です。 この頃の週末日曜の 城崎からの帰りの特急列車は、定期 味めぐりなども含めて 日曜の午後は 1時間〜30分おきに 走っていました。

 

線路の中ほどで 作業員の方が集まっていますが、ダイヤ改正に向けて 上り線から3番線への線路をつなげているところです。

 

次の普通大阪行は 207系の4両編成でした。  日中は、103系の他は、207系 113系の4両編成が普通運用についていて この4両編成は、朝夕のラッシュ時は、2本併結の8両編成で快速運用についていました。

 

ここからは、別な日の撮影分で JR神戸線 甲子園口駅で撮影しました。

221系 新快速米原行。 ヘッドマークは 国宝彦根城築城390周年のPRマークです。

 

快速米原行 113系は11両編成。

 

快速大阪行。 当時は JR神戸線でも113系がどんどんやってきました。 221系223系は、4両6両8両12両と偶数組成されていますが、113系は 基本が7両編成で それに4両編成を増結した11両編成が多く見られました。 当時は 乗車位置案内で 白い三角印 4~10番や2~10番の7両や11両の案内だと ほぼ113系がやってくるとわかりました。

 

普通京都行。 当時の普通列車の主力は 201系でした。 

この甲子園口駅は 特殊な線路配置で、上り線は、201系の走る内側線と外側線の間に島式ホームが1面2線の配置なんですが、下り線は、ご覧の通り行き止まり線があり、これは 大阪方面からやってきた 下り内側線は、駅ホーム手前で2線に分かれて直進した線路は ご覧の通り行き止まり 分岐した通常は待避線に当たる線路が、そのまま駅をすぎると 元の内側線の配置に戻っていくと感じで内側線が変則1面2線の島式ホームとなっています。 外側線には ホームがなく 緊急時に停車してもホームはない構造になっています。 内側線が膨らんだ分だけ その外を遠回りする感じで配置されています。 

 

1980年代までは、大阪方面から甲子園口で折り返しの電車が多く設定されていたみたいですが、現在は、一日3本ぐらいしかないと思います。

 

つづく

 

御覧いただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 毎年 11月11日になると 阪急電車では、大阪梅田駅11時11分発の神戸三宮行の普通が大きな話題になっていますね。 

 

その時の主人公がこの電車。

急行西宮北口行 1011F。

 

快速神戸三宮行。 1011Fの神戸方先頭車 1111号車。 

11月11日 11時11分 1が8個も並ぶこの時間の普通に 1011Fを運用につけるということを 阪急電車さんは、数年前から? 偶然を装って実施していたようで。 今年も 前日の人身事故で運用が変わるのが心配されていたようですが、無事に充当されたようです。  私は、毎年行けていないのですが、今年もネットで見ていると かなりの人出だったようです。

 

実写の写真はないので こじつけですが、過去の写真から 1が並んだ 阪急電車を探してみました。

 

初代1100系の1111号車の写真は見つからず。。。 1並びで まず 見つかったのがこちら。

石橋駅4号線に停車中の 1110F。 箕面線の日中の車両交換時に撮影。

 

続いて 十三駅にて。(撮影年は順不同です。) 普通曽根行 1113F。

1980年代ごろ 平日朝ラッシュ時に1本か2本運転されていた 曽根行の普通電車です。

急行梅田行 1114F。多分 中学生の頃に撮りました。 新型6000系に惑わされずに よくとっていたなあと。

 

数年後 同じく1114F。

雲雀丘花屋敷駅にて。 車庫に入庫する 1114F。非冷房で8両編成の1100系の写真は、数少ないです。

 

同じく 車庫に入庫する 1115F。同じ日に偶然に撮影しました。

 

1並びには なりませんが、

正雀車庫の片隅で眠っていた 1015F。

 

次は、2111号車になるのですが、 私の撮り鉄活動が本格化した時には、 2100系は 能勢電に譲渡され出していて 記録できませんでした。

 

次は 3111号車。

急行梅田行 3160F。 8両編成時代の画像。このあとは、字幕改造されることなく 4両編成に分割されて 伊丹線で運用についていました。

 

塚口駅を発車した 3161F普通伊丹行。

 

普通塚口行3161F。 このあとは、 3両編成に短縮されて 最後は今津南線の運用に入っていました。

 

次は 5111号車になるのですが、 こちらも私が本格的に撮り鉄活動を始めた時には

5140Fの中間に封じ込められていたみたいで 記録なし。

 

ですので 6111号車になります。

園田駅にて 特急梅田行 6021F+6011F。  神戸本線時代 8両固定編成の運用に入っていました。

 

西宮北口にて 特急梅田行。 6011F。 山陽電車線直通運用に入っていていました。

 

最後は7111号車。

池田駅で。 普通川西能勢口行 7011F。 この直後に リニューアル工事に入り

1年後。

急行梅田行7011F。 リニューアル後 車番が 車掌台側に移設されました。

 

8000系は、8008Fの次は、8020Fに飛んでしまったので 8111号車はなく。

また 9000系も9010Fで製造終了になったので ありません。

 

さて 新2000系は、何編成製造されるのでしょうか?

 

御覧いただきましてありがとうございました。