皆さんこんばんは。 1992年6月の撮影分です。

 

午前中 門戸厄神駅にて

臨時急行仁川行 7007F。 黒地に黄色の字幕はやはり見にくいですね。

 

 

7002F回送。  午前中の仁川行きは、 折り返しは西宮車庫に回送されていました。

この日の午前中は これだけしか撮っていませんでした。 

 

 

夕方は 甲東園駅にて

臨時急行梅田行 5006F。  現在の今津北線の主力5000系も フルリニューアル前で 8両編成で走っていました。

 

臨時急行梅田行 7002F。  

 

回送 8001F。  側面にHマークがついていますねえ。

 

この後は 仁川駅に移動。

臨時急行梅田行7003F。 うろ覚えなんですが、この日は、G1宝塚記念のあった日

16時過ぎから 6分〜12分間隔で臨時急行が運転されていたような。右手に宝塚行きの普通が信号待ちしていて この写している背後に 8両編成の回送が待避線に移動しているところでした。

 

普通西宮北口行 6025F。奥の待避線には次の臨時急行が待機中。 ホームにも臨時急行を待つ人が待っています。

 

その編成が入線。

臨時急行梅田行 3050F。

 

発車した3050F。 上下の電車が ほぼ3分おきぐらい、踏切は駅の真横にあるためしまっている時間が長く 競馬開催時は駅周辺の道路は大混雑でした。

 

臨時急行梅田行 5006F。

 

この頃ぐらいまでは、ほぼ阪神競馬開催時は 臨時急行が運転されていたので あまりレア感がなく ほとんど同業者杯みかけませんでした。 

 

しかし、現在では、必ずどこかの駅で 阪急線では 撮り鉄見かけますね。

 

つづく

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんばんは。 大阪駅の一日も夜のゴールデンタイムに突入 しかし 写真の方は、ほとんど露出不足のブレブレ写真ばかりです。 ご容赦ください。

 

特急まつかぜ2号です。 大阪止まりで 回送されるところです。 まつかぜ2号は、鳥取発の列車で 使用される編成は、朝8時に大阪を発車した 博多行のまつかぜ1号の後6両の付属編成が鳥取で切り離され その編成がまつかぜ2号として大阪まで運転されていました。 逆に昼に大阪を出る 特急まつかぜ3号鳥取行の編成が 鳥取到着後 博多から来たまつかぜ4号に増結されて 13両編成で大阪に戻ってきていました。

 

寝台特急日本海1号青森行。夕方からの寝台特急トップバッターは、17時15分発の日本海1号でした。

 

快速963M 岡山行。大阪17時39分発の快速列車でした。 グリーン車1両連結の12両編成で 岡山到着後は こちらも四国連絡宇野線快速として運用されて 翌々日ぐらいの朝6時9分岡山発の快速大阪行で帰ってきていました。 

私も数回 四国への乗り鉄時に利用しました。 快速963Mは 岡山行で案内されていましたが、姫路で1分停車中に普通1447Mと列車番号が変わっていました。 岡山には20時47分着で 宇野線は 岡山21時13分発に乗り換え 宇野には21時51分着

宇野22時10分出航の宇高連絡船35便で高松に23時10分の到着。 高松からは、0時34分発の急行うわじま1号宇和島行か  土讃線方面 普通731D中村行にのって 宿代節約 四国乗り鉄の旅スタートさせていました。  宇高連絡船は もう1便後に37便ももあったのですが、座席争奪戦に勝つためには、 その37便の到着前には列車はホームに入っていて客扱いが始まっているので 楽々と席を確保できました。

 

画面右端4番線と一番奥の11番線にボンネットクハ481の雷鳥。真ん中6番線と8番線に117系の快速が停車しているところです。

 

寝台特急明星3号 西鹿児島行。 ここからは フラッシュは持っていなかったので 手持ち写真のひどいものになります。

 

特急雷鳥31号富山行。 19時5分発車。最終の雷鳥号は、583系での運転で食堂車の営業もありました。

 

発車した 雷鳥24号の回送と 4番線に停車中の寝台特急明星5号熊本行。

3番線でにいる人たちは、明星5号の続行の彗星3号を待つ人たちです。

 

寝台特急彗星3号都城行。 明星5号が19時36分発 彗星3号は40分発でした。

 

かなりボケていますが、EF65PF牽引の列車が入線しました。

 

14系座席車。表示幕が白飛びしてしまって判然としません。

急行雲仙・西海かと思いましたが この後の列車の写真からすると  臨時特急金星51号 西鹿児島行だと思われます。

名古屋ー博多間に1往復 583系使用の寝台特急金星が運転されていましたが、その臨時列車として 混雑期に 名古屋ー西鹿児島間に全席指定の座席夜行列車として 金星51号が運転されていました。 名古屋17時発 大阪19時51分発 西鹿児島には11時24分到着でした。

 

20時15分発 寝台特急日本海3号青森行。

ここで フイルムが切れたのと 体力の限界で 帰宅しました。

早朝6時から 14時間ほど 大阪駅で ぼーーと列車を眺めて 大満足の一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

皆さん こんにちは。 先週 阪神競馬場でG1桜花賞が行われた日の夕方 仕事がギリギリ 終わったので 神崎川駅で 通称 馬急(仁川発大阪梅田行臨時急行)を撮影に行きました。  それに関しまして、今回から私の過去写真の中から 馬急の写真を公開していきたいと思います。

 

まずは こちらを。

1979年の梅田駅 神戸線 日祝日ダイヤ。 マルーンブック1979年版から。

当時の神戸線の日祝日ダイヤは 12分間隔 特急 普通の交互運転でした。 そこに 午前中と夕方の時間帯に 梅田ー西宮北口間に 急行が運転されていました。

その 午前中の梅田発急行の一部が 日曜の競馬開催時のみ 仁川行に変更されていました。 9時17分41分10時5分29分53分11時17分と 午前中は6本ありました。

これが徐々に本数を減らしていき、2006年の運行を最後に仁川行は運転されなくなりました。 最後は3本だったと思います。

 夕方の梅田行については、 日曜ダイヤでは、完全に普通も増発されての臨時ダイヤのなるので仁川駅時刻表では 掲載なし。 代わりに 1979年の西宮北口駅の上り時刻表です。

日曜祝日ダイヤでは 競馬開催時臨時列車を運転するためにダイヤ変更がありますの注意書きのみ。これは 観客数に応じて最大限増発するためと 西宮球場でのイベント開催時に 西宮北口発の急行を運休にしてしまうとパンクするので 運休せずに 仁川発の臨時急行を 急行の続行で運転する時もありました。

ただ 1979年当時は、土曜日も平日ダイヤで運転されていたようで、16時39分と51分発の急行のみ競馬開催時は運休しますとあります。 これは、土曜は、この2本のみ仁川発の臨時急行となっていました。

 

では 1980年代後半に撮影した分です。

臨時急行梅田行 2250Fです。 1980年の撮影。 いつでも撮れる環境に居ながら 中学生の私は、あまり興味示さず これ一枚でした。  急行の運行表示幕が 白地に赤文字の一番最初のデザインでした。

 

1986年の撮影 当時住んでいたマンションから撮影。

臨時急行梅田行 3058F。

 

臨時急行梅田行 5230F。 徒歩5分の住んでいるところなんだから駅まで行けばいいのに 自宅窓から撮っていました。 ぐうたらな管理人でした。

 

続いて 1988年3月。 梅田駅に出かけました。

臨時急行仁川行 3056F。  梅田駅で 「仁川」の行き先が見られました。

この頃は、あまりブームになっておらず 他に撮影している人もいませんでした。

 

折り返し 臨時急行仁川行 3082F。 幕回しが終わっていました。 西宮北口発の急行で梅田まできて 折り返しは 仁川行になっていました。

 

仁川駅に移動しました。

臨時急行仁川行 2058F。  神戸本線の旧2000系で 最後の8両編成車でした。

 

この編成の両端の先頭車は、2年後に能勢電1751Fとなって 能勢電に2017年に廃車になっています。

 

その能勢電入線直後の1990年代の1751F時代の写真もどうぞ。

平野駅にて。 車庫に入庫するために転線する 1751F。 能勢電では 1700系導入に際して 1500系のマルーンにクリームの帯だった塗装を変更し、 オレンジにグリーンの帯の塗装になりました。

 

その数年後

能勢電では 再び車体色の変更をすることになり その塗装を決定する際 4編成ほどに試験塗装をして 実車で比較しました そのうちの一つに1751Fが選ばれていました。

 

1998年の1751F。 フルーツ牛乳色。 結局正式採用になったのは、試験塗装された色ではありませんでした。

 

話が脱線しましたが、馬急 続きます。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

鉄道ジャーナル最終号。 Amazonでは、入荷未定の予約不可だったんですが。

本日先ほど近所の本屋では 10冊ほど積んであって 無事購入できました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんばんは。 今回は 阪急電車のポスターの話題。  

 

まずは これ。 今年の2月ごろ 早朝の宝塚線列車 ボッとした頭で前を見ると

マリーアントワネット様が ダジャレを。。。  その横では オスカル様も。

 

それに気づいて 天井も見ると

車内中吊り 全てがベルばら。 出勤途中の寝ぼけた頭で また 次に乗り合わせたときにじっくり観察したらいいわ と そのまま目を瞑ってしまいました。

その後 宝塚線の1000系ラッピング編成だったような記憶しかなく 乗るたびに観察しましたが ついに この広告に出会うことなく お蔵入りになっていました。 

創味食品のだしまろやか酢と ベルばらのコラボだったようです。

 

続いて 通勤途中の阪急宝塚駅のポスター。

 

京都2WAYパス。 大阪万博開催期間中 阪急京都線本線 支線とJR西日本大阪ー京都・山科間と JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅ー京都ー奈良線稲荷駅間の普通列車 が1日乗り放題 1300円の切符が発売中。 単純往復だと 元が取れなさそうですが、 嵐山で乗り付けば かなり得になりそうです。  この乗車券ですが、磁気カードでの発売はなく 最近流行のKANSAI Maasというアプリを介して購入するQRコード方式の乗車券となっています。  磁気カードを準備する必要がなく スマフォの画面だけで発売できるので 事業者側も発売するのに障害が少ないのかもしれません。

 

しかし アナログ人間の私としては、購入手続きがめんどくさかったり、実際利用の際 トラブルなくQRコードが表示されるかとか そもそもQR対応改札機が少ないとか 心配で まだ利用したことがありません。

と前置きが長くなりましたが、 そんなある日 阪急宝塚駅の改札口。

改札外から撮影しています。左のガラス張りの部屋が サービスカウンター。 そこから5台改札機。 そして この右手にも

4台の改札機。  このうち左の2台がQRコード対応となっています。  最初は1台だったのですが、いつの間にか2台に増えていました。 改札機自体が3台ぐらいの駅だと一カ所でしょうが、この規模で2箇所あると少しは利用しやすくなった気がします。

 

続いて JR宝塚駅。

全体で改札機は7台あり そのうち真ん中の1カ所のみが QR対応なんですが、床面にQR対応を案内するシールが貼ってあって こちらも少し利用しやすくなったような気がします。

 

話変わって 阪急蛍池駅。

4月に入って 上下ホームともホームドアが稼働していました。 

ホームドア関連では、西宮北口駅も 4号線のホームドアが 4月10日ごろから稼働しています。

 

ホームドアの話題でもう一つ。 以前武庫之荘駅で下りホームの梅田方に ポツンとホームドアがあるとお伝えしたのですが。

このホームドア 電車の接近時以外は、開いたり閉じたりしていることに気がつきました。  YouTuberの方でも気づいた人がいてて その人の推測ですが、新型ホームドアの耐久試験ではと 予想されていました。

 

 これに気づいた日 武庫之荘駅上りホームから 無理やり桜を撮ってきました。

準特急高速神戸行 9008F。  ダイヤ改正後の18時前後に2本設定された 高速神戸行です。

仕事帰りの日没間際だったので 肝心の桜が陰ってしまいました。

 

快速神戸三宮行 7002F。  

 

普通大阪梅田行 7012F。

 

下りホームでは 不可能になりましたが、上りホームからは 望遠でなんとか撮れました。 

 

西宮北口駅のホームドアですが、 来週の日曜(27日)ごろには、2・3号線ホームのホームドアも稼働開始予定ですね。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。

 

午前中は この3・4番ホームの先端で過ごしていたようです。

10時過ぎ 583系の回送列車、 午前中の特急雷鳥号は、向日町運転所から回送で 一度大阪駅を経由して宮原区まで行き そこで折り返して11番線方面に入線していました。

 

これも少しピンボケ。 153系 急行比叡1号です。東海道新幹線の開業前までは、この153系電車が 東京ー大阪間を結ぶ電車急行として ビュッフェ車も連結して多数運転されていました。 新幹線開業後は、東京ー静岡間急行東海。 そして 名古屋ー大阪間に急行比叡 

2往復のみが残っていました。 新幹線開業後の余剰となった153系電車を使って 新快速電車のグレードアップと増発が行われました。 しかし その新快速にも117系電車が投入されて 153系は廃車が進んでいき この時期は、寄せ集めの混色編成で運転されていました。

 

この急行比叡号ですが、 あることでも有名になっていました。

1979年の時刻表の切り抜き。 10番線から発車する12時58分発の列車が 急行比叡2号名古屋行。 その右側 オレンジで落書きしていますが、13時丁度発新快速京都行です。その京都到着時刻 急行比叡2号は、13時35分。 対する新快速京都行は13時29分。急行電車が、料金不要の列車に抜かれるという下剋上現象で有名になりました。 ちなみに あのオレンジの印は、当時の雑誌かで苦評されていた 先行投入されていた 117系使用列車でした。 ということで 153系急行が 後輩の117系新快速に抜かれていてということになります。

 

EF81-113号機牽引の14系座席車編成。

 

臨時急行加賀1号 金沢行です。大阪10時50分発 金沢には15時37分。所要4時間37分で 電車特急より1時間以上遅いダイヤでした。

 

回送された583系が11番線に入線。

11時5分発 特急雷鳥9号金沢行です。寝台特急の間合運用で 特急雷鳥号に2往復充当されていて 雷鳥号運用の時は食堂車も営業していました。  今月で休刊になる 鉄道ジャーナルの列車追跡でも記事になっていた記憶があります。

 

ちなみに 特急はまかぜ号の方は 大阪止まりのはまかぜ2号です。

 

定位置に戻ってきました。 EF58-171号機牽引 12系客車の臨時急行但馬55号 播但線経由 香住行です。

 

1番線に停車する キハ47。 福知山線 快速篠山口行です。

当時の福知山線は、1時間に1本程度の旧型客車の普通列車が運転される程度で 快速は、大阪ー篠山口間に2往復のみ。 下りの快速は、この12時43分発と夕方の17時42分発でした。 大阪ー尼崎ー伊丹ー宝塚ー三田ー相野ー藍本ー篠山口に停車。 所要時間は 1時間50分程度。 単線非電化で行き違い待ち合わせが多かったのもあります。現在の丹波路快速だと1時間10分ぐらいです。

 

この時は、朝の寝台特急や特急は ほとんど撮影せずに 昼間にしか走らない列車などを撮っていたようです。

 

お昼過ぎ ぼーっとしている時の1枚。 上下の青い103系と 大阪環状線の103系が並びました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 前回の続き。  ブロ友さんからコメントで 中学生が駅で1日いて 補導されなくてよかったと いただいたのですが。 40年前、昭和の時代は、のんびりしていたというか 今みたいな ギスギスした雰囲気はなかった気がします。 今と違って 駅のホームも広々としていて 荷物ホームなんかを含めると 各ホーム20両編成が止めれる余裕がありました。 

 

7時半ごろの1番線。 急行幕の14系客車です。

 

臨時急行銀河51号です。 定期の銀河号の前を走っていて 14系座席車使用で全席指定席の列車でした。

 

恐らくなんですが、急行たかやま 飛騨古川行。

この頃の7時台の大阪駅は 現在と違って 快速列車よりも 寝台特急 特急 急行の方が かなり多く走っていました。

 

3番線 EF58-143号機+20系客車。午前8時定時に到着しました。  その8時ちょうどには、この2番線からは、あずさ2号ではなくて 博多行特急まつかぜ1号が発車しました。

 

寝台急行銀河。 20系使用のこの銀河号にも絵入のテールマークが入りました。

 

各ホームの神戸方は こんな感じで荷物扱いの場所となっていました。 荷物専用のエレベーターがあって この下が荷物扱いの施設になっていました。 荷扱いがなくなり その空いた高架下にできたのが 駅マルシェ大阪になっています。

荷物の扱いのない時間帯は、係員もおらずよほどのことがない限り注意されることはありませんでした。

 

ちなみに 現在のほぼ同じ場所です。

45年前の写真のエレベーターより少し西側の位置ぐらいだと思われます。

 

現在の5番線に停車中の新快速姫路行。  三枚上のEF58とほぼ同じ位置に停車しています。

 

45年前。

9時半ごろ 3・4番ホームから撮影。1番線に入線する特急はまかぜ1号倉吉行です。

この撮影している3・4番ホームは、主に東京・北陸方面からの優等列車の到着ホームだったので 列車の発着時以外は閑散としていて この京都方は屋根もなく 子応援のような雰囲気でした。

 

現在の大阪駅東側。

同じ方向から撮った写真が見つからなかったので 現在の3番線から撮影した写真です。5番線に入線する新快速姫路行。 その5番線が当時の3・4番線で ちょうど茶色の建物の先端部分で撮影したのが 45年前の写真になります。

特急はまかぜ1号は、この写真の223系の3両目付近から右側に進んでいる感じなります。

45年前の公園みたいだった場所は、223系の左側 機器が置かれています。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんばんは。

 

桜の向こうからきました。

多分これで最後 連写しまくりました。

 

最大望遠で。

 

鼓ヶ滝から 川西能勢口までの帰路は1757Fでした。

昨年の暮れに 重要部検査を実施。ピカピカになって戻ってきました。

 

1757Fは検査明け後は、古参1700系 レジェンド1700系として装飾されて 年明けの1月末まで運行されていました。

この日は、主役を1755Fの方に譲っていましたが。

吊り革は、レジェンド1700仕様でした。

 

川西能勢口駅について もう少しじっくりと。

この菱形パンタグラフですが、能勢電1700系と阪急電車では3300系の2編成にしか見ることができなくなりました、3300系の方は2300系の増備状況で今年度末ぐらいで。この1757Fの方も 来年2026年春頃で見納めになりそうです。

 

この編成の梅田(妙見口)方から2両目 1737号車は 元阪急2002号車。 2002号車は、1960年11月 阪急2000系一番最初に製造されたグループの1両で 今年で65歳になります。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんばんは。 山下駅で乗り換えて 平野駅まで きました。 ここで 1755Fを待ちます。

 

平野駅車庫。 5100系が3本休んでいました。

 

左端の5124Fと桜を。 7210F7211Fと 区間運用を交代した 5124Fですが、 特に休車札はついていませんでしたが、今後は、4両編成の運用につくのでしょうね。

 

普通日生中央行1755F。  何度見てもこのヘッドマークが似合っています。須磨浦公園行特急も短い6両編成だったので。

 

この菱形パンタグラフもいよいよ阪急能勢電系統では終焉を迎えます。

 

一の鳥居駅に向けて モーター音を響かせて急坂を登って行きました。

 

続いて 鼓ヶ滝駅に移動 改札口を出て徒歩数分の線路際に行きました。

ここで 日生中央から戻ってくる 1755Fを待つことにしました。

普通日生中央行 5108F。

 

普通川西能勢口行7200F。 気づいていなかったのですが、桜とコラボできるスポットだったようで 先客がいてたので少し離れたところで待ちました。

 

つづく

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 1980年の中学生に時の夏休み 当時の鉄道ファンだったと思いますが 特集記事で 上野駅の1日という記事に触発されて 大阪駅に朝から晩まで1日行ってみました。 フラッシュを使わなかったので 早朝夜間中心にピンボケの写真がありますが ご容赦ください。

 

全ての列車を撮るには、フイルムが高すぎるので 気の向いた時に撮影しました。

 

まずは、

寝台特急彗星2号 新大阪行。 24系25型B寝台2段式車両で運用されていました。機関車にヘッドマークはなく 編成も食堂車 A寝台などはなく オールB寝台車ばかりの寒々しい編成でしたが、B寝台に2段式が投入されたのは、東京初のブルートレインよりも関西初のブルートレインが早かったです。

 

寝台特急あかつき2号 大阪止まり。こちらも14系15型B寝台2段式です。 東京発の「さくら」「みずほ」は 同じ14系使用でしたが、この時期まだB寝台は3弾式のままでした。

 

カニ25-1 珍しく 電源車のナンバーを記録。 

 

その姿は、現像するまでピンボケしているのかわかりませんでした。

寝台特急彗星4号新大阪行。

 

カニ25は、先代の20系の電源車カニ22からの改造車で 1975年に2両が改造されました。 24系25型で運転されていた 「あかつき」の鳥栖以降での分割運転時に電源車が不足するために改造されました。その後1両は廃車になり残るトップナンバーの1号車が、向日町運転所に所属して 関西ブルートレインで運用されていました。

カニ22時代は、画面の屋根の形状から分かる通り 当初はパンタグラフを搭載し架線からの電力で 電動発電機を回していましたが、晩年は撤去されてディーゼル発電になりました。

 

快速大阪止まり。当時の新快速の主力車両117系。  1980年代初めの新快速は、朝夕ラッシュ時間帯を外した 9時〜17時ごろまでの運転でした。 それ以外の時間帯では、117系を2本併結の12両編成で快速運用についていました。 この編成も大阪到着後は、宮原区へ入庫し そこで 6両編成に分かれて 9時台の大阪駅始発の新快速に充当されていました。

 

特急雷鳥3号新潟行。 JNRマークが輝いています。クハ481ー300番台先頭車。3900番台は、1976年ごろの製造で この頃ではまだピカピカの新車のようでした。

 

153系新快速色と湘南色の併結部。

 

宇野ー新大阪間と急行のサボ。 宇高連絡船の深夜便に接続して 早朝5時過ぎに大阪に到着していた 急行鷲州号の編成が回送されてきました。 恐らく 早朝に新大阪到着後は 向日町まで回送 そこで折り返してきて大阪駅を経由して宮原区に向いそこで車両整備後 大阪発名古屋行急行比叡1号になっていたのかと思います。

 

つづく

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 相方の7211Fが来るまでに 妙見口駅前をぶらり。

 

一昨年の暮れに 妙見ケーブル廃止の際に訪れて以来の訪問。 一昨年にはなかった 大阪府最北端の駅の看板が立っていました。

この日は 4月7日の月曜日。10時ごろだったのですが。 平日ということもあってか ハイキング客は皆無。 駅前の2軒の食堂はシャッターが閉まっていました。 右手の観光案内所は開いていましたが。

 

黒川ケーブル前まで阪急バスが出ていた バス停。

 

能勢町乗合タクシーの乗り場になっていました。 平日のみ5本の運行のようでした。

 

7211F普通妙見口行。 藍彩(あい) 編成

 

少し場違いな気もしますが、時間が経てば馴染むのでしょう。

 

7211Fの方は、藍色を基調に 銀色の帯を配しています。 微糖周りが銀色のなので 正面から見ると 6300系にも似ている気がしました。

 

車内の袖仕切りも 吊り革も 藍色と銀色を配していました。

 

普通山下行 7211Fです。

 

新型車を投入して なんとかイメージアップと集客を目指しているのですが、

現状は厳しいようで、 妙見口からの帰りの電車 乗車したのは 私一人のみ。ときわ台から 5人ぐらい乗ってきましたが 山下までは 10人ぐらいだったかなっと。

日中は バス1台でも大丈夫な気もしました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。