皆さんこんにちは。 1980年の中学生に時の夏休み 当時の鉄道ファンだったと思いますが 特集記事で 上野駅の1日という記事に触発されて 大阪駅に朝から晩まで1日行ってみました。 フラッシュを使わなかったので 早朝夜間中心にピンボケの写真がありますが ご容赦ください。

 

全ての列車を撮るには、フイルムが高すぎるので 気の向いた時に撮影しました。

 

まずは、

寝台特急彗星2号 新大阪行。 24系25型B寝台2段式車両で運用されていました。機関車にヘッドマークはなく 編成も食堂車 A寝台などはなく オールB寝台車ばかりの寒々しい編成でしたが、B寝台に2段式が投入されたのは、東京初のブルートレインよりも関西初のブルートレインが早かったです。

 

寝台特急あかつき2号 大阪止まり。こちらも14系15型B寝台2段式です。 東京発の「さくら」「みずほ」は 同じ14系使用でしたが、この時期まだB寝台は3弾式のままでした。

 

カニ25-1 珍しく 電源車のナンバーを記録。 

 

その姿は、現像するまでピンボケしているのかわかりませんでした。

寝台特急彗星4号新大阪行。

 

カニ25は、先代の20系の電源車カニ22からの改造車で 1975年に2両が改造されました。 24系25型で運転されていた 「あかつき」の鳥栖以降での分割運転時に電源車が不足するために改造されました。その後1両は廃車になり残るトップナンバーの1号車が、向日町運転所に所属して 関西ブルートレインで運用されていました。

カニ22時代は、画面の屋根の形状から分かる通り 当初はパンタグラフを搭載し架線からの電力で 電動発電機を回していましたが、晩年は撤去されてディーゼル発電になりました。

 

快速大阪止まり。当時の新快速の主力車両117系。  1980年代初めの新快速は、朝夕ラッシュ時間帯を外した 9時〜17時ごろまでの運転でした。 それ以外の時間帯では、117系を2本併結の12両編成で快速運用についていました。 この編成も大阪到着後は、宮原区へ入庫し そこで 6両編成に分かれて 9時台の大阪駅始発の新快速に充当されていました。

 

特急雷鳥3号新潟行。 JNRマークが輝いています。クハ481ー300番台先頭車。3900番台は、1976年ごろの製造で この頃ではまだピカピカの新車のようでした。

 

153系新快速色と湘南色の併結部。

 

宇野ー新大阪間と急行のサボ。 宇高連絡船の深夜便に接続して 早朝5時過ぎに大阪に到着していた 急行鷲州号の編成が回送されてきました。 恐らく 早朝に新大阪到着後は 向日町まで回送 そこで折り返してきて大阪駅を経由して宮原区に向いそこで車両整備後 大阪発名古屋行急行比叡1号になっていたのかと思います。

 

つづく

 

御覧頂きましてありがとうございました。