皆さんこんにちは。 1983年の9月 サロンエクスプレス東京が、大阪駅に来るという記事が雑誌か新聞かで流れて 行きました。

 

テレビ東京の番組が企画した団体列車だったようです。

 

「サロンエクスプレス東京」 1983年8月に 国鉄 東京南鉄道管理局が改造し運転開始した欧風客車で ジョイフルトレイン と呼ばれた最初の客車でした。 

14系座席車を改造、車内はコンパートメント室主体でした。

 

EF58-148号機が牽引。 ホームには大勢の見物客がいました。 食堂車の従業員らしき人が見えますが、これは 7号車のパノラマラウンジ車のビュッフェカウンターで作業していたのではないかと思います。

 

正規は7両編成なのですが、改造スケジュールの都合で2両が遅れていて 5両編成での来阪でした。

 

当時としては 斬新な形状の展望室。

 

展望室内には固定された回転式椅子が設置されていました。 

 

両端の展望車は、スハフ14の改造で1号車はスロフ14−701。 トイレ洗面所側の部分を展望室に改造していました。

 

中間車は、オハ14改造で オロ14-701~705の5両が改造されました。

少しわかりにくいのですが、 中間車の車内は 全て側廊下式の6人用個室が設置されていました。個室内は ソファーだったそうです。

 

最後尾 7号車スロフ14ー702。 

7号車は、パノラマラウンジ車でフリースペースだったようです。

 

運転開始から1ヶ月しか経っていないピカピカの新車でした。

 

ちなみに 大阪地区の ジョイフルトレイン 「サロンカーなにわ」は 同じ1983年の9月に運転開始。サロンエクスプレス東京に比べて1ヶ月遅れの弟分になります。車体形状は、皆さんご存知の通り全く別な形ですが、車両番号は、続番になっていて スロフ14−703・704。オロ14-706~710となっています。

 

「サロンカーなにわ」の方は、現在も走っていますが、サロンエクスプレス東京の方は、晩年はお座敷客車ゆとり再改造ののち 2008年に引退したそうです。

 

おまけ。

大和路快速の先代。 113系赤帯車の奈良行快速。 153系新快速ブルーライナーに習った 羽型のヘッドマークがついていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんばんは。 最後は1996年の撮影分と今年の分です。 在庫を探していたのですが、仕事の休みの関係か 2000年代はほとんど撮影していませんでした。

 

この日は出遅れたみたいで 1本目は間に合わず 折り返しの回送を甲東園駅で撮影。

回送 7004Fです。この7004Fは、現在今津線専用編成となっています。

 

臨時急行仁川行5008Fと普通西宮北口行3068F。

 

臨時急行の字幕が、黄色地に黒文字の現行表記に変わっていました。

 

3本目は 門戸厄神駅にて。

臨時急行仁川行 3082Fです。

 

これが 私の最後の撮影になりました。 この後は 運転日と休みが合わないまま 仁川行は2006年に廃止になりました。

 

そして30年ぶりに 先日のG1桜花賞の開催日に仕事が早く終わり 雨でしたが神崎川駅で撮影しました。

回送 9000F。 この時間に回送が見られるのも 馬急運転日のみですね。

この場所は屋根がないので 雨ざらしなんですが、先日購入したコンデジが片手でもなんとか撮影できたので 傘をさしながら撮影しました。  中津駅みたいな狭いところだと不可能ですが ここはホーム幅も余裕があるのでなんとかできました。

 

臨時急行大阪梅田行 7012F。  神戸方の鉄橋に近い方は、 上下線とも5~6人ぐらいて 危険だったために 梅田方の最近のお気に入りスポットで撮影。

 

回送9002Fと普通大阪梅田行1017F。

 

臨時急行大阪梅田行 7019F。

この日は、仁川発16時10分から10分間隔で6本の運転。 回送2本と臨時急行2本を撮影できました。

 

おまけ。

特急大阪梅田行9006F。 桜花賞ヘッドマーク付き。

 

もう一つおまけ 一番古い馬急の写真お忘れていました。

多分1970年代後半の仁川駅の折り返し線。 臨時急行梅田行 2060F。 運行標識板は 駅名表記のない 臨急 でした。

 

右のホームに降車客がいますが、 宝塚からの列車で仁川駅で降りる人が 仁川駅のホームが阪神競馬からの帰宅者でいっぱいのために 降りるのが困難なため 乗降分離するために 駅手前の臨時ホームで 駅員の手旗信号で一旦停車 降車だけ取り扱いして 徐行で仁川駅に進行していました。

 

最後の最後の2枚。 探したらまだ出てきました。

これは 馬急ではないかもしれませんが 臨時急行梅田行 1117F。 武庫川の堤防に向かって上がってきたところです。

 

最後の1枚。

臨時急行仁川行 5000F。西宮北口駅 1・2号線ホームから撮影。多分1980年前後

ダブルクロスが健在で 梅田方面ホームは左奥に見えています。 右手の小鳥と書かれた建物の向こうには 北口市場が広がっていました。 今ここは、空港連絡バスなどが発着するバスロータリーになっていますね。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんばんは。 今回は、1994年の撮影です。

 

臨時急行仁川行。 3078F。 この頃になると 午前中の臨時急行仁川行は、3本の運転。その1本目、どこの駅かと一瞬迷ったのですが、甲東園駅のようです。

 

臨時急行仁川行 7001F。 この日2本目です。 7000系の第2編成の7001Fは 1981年に6両編成で新造されました。 新造直後は、山陽電鉄直通運用につくとともに今津線でも運用されて 夏の今津線の冷房化率アップに貢献していました。

西宮北口駅6号線に到着する 普通宝塚行7001F。

まだ ダブルクロスが健在の頃です。 

この時は、同僚の7003Fも走っていました。

7号線から発車した 普通宝塚行7003F。 今の私なら 隅に写っている 1010系を中心に撮っているんでしょうが、 この時は新型車に目を奪われていました。

 

7001Fと7003Fは、この後 3年ほど6両編成で走った後 アルミ車体で製造されたT車2両を組み込んで 8両編成となりました。 その後 両編成とも アルミ車体でのT車2両を再び抜いて 6両編成で現在に至っています。

 

1980年台の臨時急行の写真がもう一枚見つかりました。

臨時急行梅田行 2250F。 5号線から撮影。

 

1994年に戻って

臨時急行仁川行 3056F。3本目を撮影して一時帰宅 夕方に西宮北口駅に行きました。

 

急行梅田行 5012F。 その横に 3000系の臨時急行梅田行が待機中。

5012Fは西宮北口駅始発の 定期の急行梅田行でした。

 

5012Fが発車した1分後。信号が変わって 3050Fの臨時急行梅田行が本線に転線していきました。

 

3050Fが去った 約5分後 5001Fの臨時急行梅田行が発車して行きました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。白黒写真の第2段 撮影場所は、現在のJR京都線 岸辺ー千里ヶ丘間。

ボンネット 特急雷鳥号。 撮影している位置の背後には、道路を挟んで 阪急正雀車庫があります。 この写真の右端の線路に右に分岐するポイントがありますが、おそらくこの線路が、阪急正雀車庫への連絡線になります。 今では もちろんありませんが、正雀車庫の北西たんの入り口につながっていました。

1997年の8000系最後の8042Fまで JR神戸線尼崎ー立花間の南側にあった アルナ工機で阪急電車の車両は製造されていました。 その完成した車体を運ぶのに いつ頃かまでは忘れましたが、国鉄線を使って搬入されていました。

 

下り 新快速西明石行。

 

上り新快速京都行。 当時の新快速は 昼間のみの運転 京都ー明石間15分間隔で内側線を走行していました。 基本パターンは、1時間に京都ー姫路間に2往復 草津ー西明石間に1往復 湖西線堅田ー西明石間に1往復の運転でした。 現在と違い姫路行の新快速は西明石駅を通過していました。  もちろん 新大阪、高槻 芦屋 尼崎も通過です。

 

快速草津行。

 

EF65-29号機

 

EF65-532号機。

 

EF65-1134号機。後ろにオシ14か24を牽引していました。

 

背後に 貨物車がびっしり並んでいますが、 この吹田駅ー岸辺駅ー千里丘駅間の北側には、 1984年まで 東洋一の規模といわれた 吹田操車場がありました。

アルナ工機で製造された阪急電車も 工場から尼崎駅まで引き出されて 尼崎から貨物列車として運ばれて この吹田操車場から正雀車庫に搬入されていました。 国鉄区間では、 狭軌用の仮台車をつけていました。

 

吹田操車場廃止後は 信号車となり。、現在は、一部が吹田貨物ターミナルになっています。

 

最後に 

正雀車庫に放置 いえいえ 保管されていた 新京阪P-6型 116号車。 1990年代に整備されるまでは、この位置でほぼ野晒状態でした。手前の線路が 国鉄線につながっていたと思われます。

 

P-6の隣には、5422号車と 4052号車の姿も見えました。 5422号車は 製造後5年しか経っていない頃で 当時の阪急電車の新型車両でした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

皆さんこんにちは。 お金が乏しくても カラーにこだわっていたのですが、この時期数回 白黒フイルムで撮っていた時期がありました。

 

やはり大阪駅での撮影。

特急まつかぜ2号 大阪行。 キハ181系で置き換えられた 特急まつかぜ号。 この頃は 阪急にしても宝塚線方面には ほとんど足を運んだことがなく 数少ない特急まつかぜ号の一枚。

 

特急雷鳥31号金沢行。 300番台のスマートなクハ481にひかれて1枚。 前から7両目 微かに食堂車が見えます。

 

特急雷鳥20号大阪行。 3番線に到着。

 

そして この日は、リバイバルトレインの運転日。

団体臨時列車 リバイバルトレイン特急平和号。

1983年の夏に1往復 国鉄主催で 東京ー大阪間に運行された 昼行の臨時列車。東海道新幹線開業前に東京ー大阪間に運転されていた 昼行特急を再現する形で運行されました。

1981年の特急つばめ 1982年の特急はと に続いての運転でした。この時は 大阪駅もすごい人ででした。 14系座席車11両に 食堂車オシ14を2両連結した13両編成を EF58-61号機が牽引していました。  食堂車は2両とも営業していて この写真の後ろから5両目と9両目に連結されていました。

 

東京ー大阪間のリバイバル特急は この平和号を最後に運転されなくなりました。

 

DD51-51号機 背後に旧型客車が見えるので 福知山線の普通列車でした。 

 

ナハフ11-1。 番号の並びに興味を持って撮影?  福知山線の普通列車というと オハ35系列や スハ42系列が多かったのですが 寝台特急の20系客車の先輩に当たる 10系軽量客車もごく少数ながら走っていたようです。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんばんは。 急遽更新

 

本日仕事帰りの帰宅時 西宮北口駅。 

2号線と3号線のホームドアも稼働していました。   当初の予定通り 24日から稼働していたようです。

 

それと もう一つの西宮の駅の話題は、 西宮名塩駅。

今月末30日で 有人みどりの窓口が廃止になり みどりの券売機になるとお伝えしていましたが 一足早く みどりの券売機が稼働していました。  この位置には、ピンクの定期券発行できる券売機があったのですが、それを左側に移設して設置されていました。ピンクの券売機は無くなるのかと思っていたのですが、残されていました。  

また みどりの窓口廃止とともに 改札口の営業時間も変更になるようです。

正面から撮れなかったのですが、窓口横のポスターによると 5月1日からは昼の12時から15時半までは 無人となるようです。 その間の応対は インターフォンでの対応となるようで そのための機器が設置されていました。

 

西宮名塩駅ご利用の際は ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんばんは。  前回の続きです。 臨時急行撮影の合間に宝塚南口行も撮影していました。

 

普通宝塚南口行 3058F。 1990年〜1993年にかけて宝塚駅付近の高架工事のために 今津線宝塚南口ー宝塚駅間で単線運転をしていまた。 線路容量の関係でその区間では、最短8分間隔ぐらいでしか運転できなかったために ラッシュ時などの輸送力確保のために 宝塚南口折り返しの列車も運転されていました。

 

折り返し 普通宝塚南口行 6014F。 宝塚南口止まりで 宝塚まで行かないので 誤乗防止のために 行き先を神戸線ラインカラーの青地にしていました。

詳しくは 過去にも記事にしていたりしますので よろしければご覧ください。

 

この後午前の部は終了 一旦帰宅して 夕方仁川駅に。

 

臨時急行梅田行 3078F。

 

6分後。

臨時急行梅田行 5010F。 午前中も臨時急行運用に入っていた 5010Fが夕方も入っていました。。

 

そしてまた6分後。

臨時急行梅田行7005F。 下り線には、7005Fと入れ違いに折り返し線に向かう8000系が見えます。 この信号待ちの関係で 仁川駅手前の勾配で宝塚方面行が徐行してしまいます。

 

発車した 7005F。 信号が開通して仁川駅に向かってくる 3068F普通宝塚南口行。

 

臨時急行梅田行 8002F。 この日は、確か G1宝塚記念の開催日 現在ほどネットが発達していないのでかなりの来場者が詰めかけていたと思います。 宝塚方面もかなりの人出です。

 

発車した 8002Fと普通宝塚行3072F。  この頃の最終レースが16時10分ごろ。 その後の帰宅客が集中する時間帯の16時30分ごろから 6分間隔で臨時急行が設定されていました。

 

普通西宮北口行 6026F+6016F。 この頃の今津線列車は、宝塚南口駅での誤乗防止のために 区間表示でなく 行き先を表記していました。  

そういえば 10連増結運用だった この6016F どうなるんでしょうねえ。

 

臨時急行梅田行 7021F。  この日最後の臨時急行。 当時は、神戸線が12分間隔の運転だったので 臨時急行も最混雑時間帯に6分間隔で運転されていたようでした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

鉄道ジャーナル ついに最後になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。前回は、大阪駅で一日ぼっと過ごした模様をお届けしましたが、 その後は 撮り鉄より 乗り鉄の方に集中していたので 写真は少なめでした。 なにしろ 当時は写真をフイルム一本撮るだけで3000円以上しましたから 学生の身分ではそんなに取れるものではありませんでした。

 

そんな中撮影した画像。

寝台特急あかつき4号 新大阪行。 14系15型B寝台2段式客車。1978年に製造された車両で この時でまだ5年しか経っていない新型車でした。

 

 

特急はまかぜ2号。 

 

特急まつかぜ3号鳥取行。 この前年の1982年 特急やくも号が381系電車に置き換えられ 余剰となったキハ181系を使用して 特急はまかぜ号とこの特急まつかぜ3号2号を キハ82系から置き換えたところでした。

 

この三枚は、ちょうど変化が起きたところで撮影したようでした。

 

どこの所属か不明の 12系改造のお座敷列車。 マークの絵柄が 能登半島みたいな感じもするので 金沢鉄道管理局所属かも。

 

大阪駅9番線に到着する DD51-1178号機牽引の客車列車。 後には12系客車が連なっています。 多分 臨時急行だいせん54号です。12系座席夜行列車で 一部自由席連結。お盆期間の一番混雑する時期だけ運転されていたようです。

 

急行だいせん6号です。 こちらは 定期の夜行急行で20系客車に置き換えられた直後ぐらいです。 機関車次位から6両がB寝台3段式、その後の3両が、元A寝台車のナロネ21を改造した 座席車ナハ21が連結されていました。 A寝台の上段部分を撤去 下段を固定し4人掛けボックスシート車として運用されました。 普通客車の座席よりも シートピッチが広く乗り退く列車だったようです。

 

特急雷鳥号。ボンネット車にも絵入マーク化が進んでいた中で 文字マークだったのがめずらしくなっていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 1993年6月の撮影分です。

 

普通須磨浦公園行 7016F。 7016Fは、コアな阪急電車ファンの方でも 最近の人はあまり見たことがない編成ではないかと思います。  10番台の編成でありながら この7016Fと7017Fだけは 6両編成で新造されました。  今津線運用や山陽直通運用に入っていましたが、山陽電車との直通運転終了後は、 7017Fは、T車組み込みで8両編成化されましたが、 逆に この7016Fは、編成をばらされて 中間M車2両は、6050Fに、 中間T車2両は、7022Fの8両編成化に組み込まれ 7016Fは2両編成増結運用に入っていました。 その後 2018年に廃車 6000系T車組み込みで 能勢電鉄に譲渡され 7201Fとして走っています。

私の中では、幻の7000系編成となっています。

 

 

では 本編に。 この頃の午前中下り臨時急行は、3本の運転でした。

トップバッターは 5010Fでした。 梅田を9時15分ぐらいに発車しています。

 

続いて西宮北口駅に移動。

急行梅田行 5012F。 この後もう一度登場します。

 

その5012Fと入れ替わりに大阪梅田方から電車が接近。 連写しました。

8000系が車庫の横の渡り線を転線して 下り本線から上り本線に進行。

 

その次のダブルクロスで 上り本線から車庫からの出庫線に。

臨時急行仁川行 8003Fです。  動画が気軽に撮れなかった時代 連写で転線の模様を記録しました。

 

回送5010F。 塚口駅で撮影した 1本目の臨時急行運用に入っていた  5010Fが仁川から戻ってきました。

 

今津南線か 甲陽線の運用から戻ってきた 回送3020Fなどを撮影して 今津線ホームに移動。

 

回送 8003F。8003Fが仁川から戻ってきました。

 

3本目は 門戸厄神駅で。

臨時急行仁川行 5012F。

 

急行で 梅田に向かった5012Fが、臨時急行運用に入りました。 6012Fの横を軽やかに通過していきました。

 

つづく

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

一時的にAmazonで在庫切れだった 鉄道ダイヤ情報6月号 無事にいつもの書店で最後の4冊からゲットしました。 現在では、Amazonも在庫あるみたいです。

 
 

巻頭から 40ページほど。 5000系〜新2000系までの車両解説 沿線の見どころ 列車種別 歴史 エピソードなどを簡潔にまとめられた読み応えのある特集になっていました。  表紙に記載はありませんでしたが、2000系2300系の絵柄のポストカードが付いていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんばんは。 1992年6月の撮影分です。

 

午前中 門戸厄神駅にて

臨時急行仁川行 7007F。 黒地に黄色の字幕はやはり見にくいですね。

 

 

7002F回送。  午前中の仁川行きは、 折り返しは西宮車庫に回送されていました。

この日の午前中は これだけしか撮っていませんでした。 

 

 

夕方は 甲東園駅にて

臨時急行梅田行 5006F。  現在の今津北線の主力5000系も フルリニューアル前で 8両編成で走っていました。

 

臨時急行梅田行 7002F。  

 

回送 8001F。  側面にHマークがついていますねえ。

 

この後は 仁川駅に移動。

臨時急行梅田行7003F。 うろ覚えなんですが、この日は、G1宝塚記念のあった日

16時過ぎから 6分〜12分間隔で臨時急行が運転されていたような。右手に宝塚行きの普通が信号待ちしていて この写している背後に 8両編成の回送が待避線に移動しているところでした。

 

普通西宮北口行 6025F。奥の待避線には次の臨時急行が待機中。 ホームにも臨時急行を待つ人が待っています。

 

その編成が入線。

臨時急行梅田行 3050F。

 

発車した3050F。 上下の電車が ほぼ3分おきぐらい、踏切は駅の真横にあるためしまっている時間が長く 競馬開催時は駅周辺の道路は大混雑でした。

 

臨時急行梅田行 5006F。

 

この頃ぐらいまでは、ほぼ阪神競馬開催時は 臨時急行が運転されていたので あまりレア感がなく ほとんど同業者杯みかけませんでした。 

 

しかし、現在では、必ずどこかの駅で 阪急線では 撮り鉄見かけますね。

 

つづく

 

御覧頂きましてありがとうございました。