皆さんこんにちは。

 

11番線の神戸方で撮影しました

特急スーパー雷鳥3号和倉温泉行です。 2両目の車両は サロ481ー2000番台車

スーパー雷鳥用に改造される前は 畳式のお座敷グリーン車「だんらん」 で その前は 食堂車 サシ481でした。

 

その お座敷時代がこちら。 1987年の撮影です。

サロ481ー500番台。「だんらん」です。 和風車なので 窓に障子。座席はリクライニングシートではなく 座椅子で座卓を囲む方式でした。 側面赤帯の下には、金帯が入っていました。

車内のイラストが入った記念券。

「だんらん」の運転開始が1985年3月のダイヤ改正からで その直前に展示会がありました。

 

続いて

特急しなの15号長野行です。 先頭は、中間車サロ381改造の クロ381-0番台車。

増結に対応するために貫通型になっていて平面の特急マークがつき この時は、幌まで装着されていました。


 

スーパー雷鳥3号は 8時40分発車。 しなの15号は 8時44分発車でした。

特急電車の2本並びなんですが しなの15号の右手にもうひと編成 白山色が見えていますね。3本並びでした。  6番線と7番線の間にあった留置線に止まっている 臨時特急スーパー雷鳥83号になる編成でした。

 

特急しなの15号。 増結編成の4両は 後に連結されていて 10両編成となっていました。

 

今度は3番線に移動。

トワイライト色のEF81-44号機牽引の20系客車。

 

臨時急行あおもりです。  この日は ドロドロのナハネフ23が最後尾でした。

 

この臨時急行あおもり ですが、 1980年代後半は やはり臨時特急で運転されていました。

1987年の夏です。

臨時寝台特急日本海82号です。 B寝台6両に電源車1両。当時の大阪発着の20系臨時列車の定番でした。  1990年に急行あおもりに格下げされたようです。

 

1993年に戻ります。

特急エーデル鳥取 倉吉行です。 城崎以遠の非電化区間への直通旅客の需要に対応するために キハ65系で運転されていた 気動車特急でした。

 

臨時特急雷鳥83号富山行です。 定期の雷鳥15号が発車した直後のホームには まだ多くの自由席利用客が待っています。  雷鳥83号は、 15号の4分後の9時14分に発車して 終点の富山まで 定期雷鳥15号の影武者のように背後を走り続けて 富山到着も15号の4分後でした。

もう、雷鳥15号を18両編成で運転したような感じですね。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。  

 

大阪駅10番線です。

臨時快速比良ホリデー221号 湖西線 近江今津行です。 以前もご紹介した 臨時快速列車ですが この日は種別幕が「ホリデー」となっていました。

 

 

1番線 14系特急型客車の編成が停車していました。 団体臨時列車かと思いましたが 臨時急行銀河81号でした。 

全席指定の座席夜行で 定期の銀河に補完する形で運転されていました。 座席は 簡易リクライニングシートのままだったかと。

 

特急北近畿1号城崎行です。 32年前の大阪駅 阪急梅田駅の駅ビルも見えて 空が広いです。

 

現在の大阪駅3番線。

列車は 特急サンダーバード8号。  32年前とほぼ同じ場所での撮影です。

阪急梅田駅の駅ビルは、信号機の赤表示の右側に僅かに見えています。

 

臨時特急マリンはまかぜ 播但線経由 鳥取行です。 

 

ステッカー付きの専用編成で運転されていました。  やっぱろ国鉄特急色はいいですね。

 

となりの5番線に 新快速網干行が到着。 221系とキハ181系との並びは 当時は 見慣れた光景でした。

 

この並びの風景が 現在になるとこんな感じになります。

左2番線が キハ189系臨時特急かにかにはまかぜ。 右が 225系快速網干行です。

 

この 「はまかぜ」号の前3両は、この車両でした。

キロ189系7000番台 観光列車はなあかり号。 カニすきシーズンの最盛期のかにかにはまかぜ号に 一般販売のグリーン車として増結されていました。 大阪ー三宮間などの短区間でも購入可能だったので 試乗してみようかと e5489で見ていたんですが、やはり大変な人気で 都合のつく日は全て満席で断念しました。

 

過去に戻って。

6番線 普通西明石行の201系。 当時神戸で開催されていた イベントのヘッドマークがついていました。

 

1番線に戻って 普通新三田行 黄色103の系4両編成。 当時のJR宝塚線普通の主役でした。

スカートの部分に 手書きで 103-839と書いてありました。

この編成は、1981年福知山線 尼崎ー宝塚間の複線電化完成の際に新製投入された編成です。それまで 非冷房の茶色の旧型客車が走っていた路線に 山手線と同じ国電が新車で しかも冷房付きで登場しました。 

 

1982年の時刻表から。

少し見にくくなりましたが、福知山線の時刻欄の下に 別枠で大阪ー宝塚間のみの普通列車の時刻表が記載されていました。 それまで運転されていた 旧客 気動車の列車を置き換えたのではなく 純粋な増発として103系普通電車が運転されていました。103系普通は 最速29分 阪急電車の急行よりも6分も早い所要時間で走っていましたが、 103系の本数は少なかったので劣勢を挽回するまでもなく 日中などは 本当に空気輸送状態でした。 たまりかねた国鉄は、 103系を、4両に減車してしまいました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

 

 

EF65-1108号機牽引 寝台特急彗星 新大阪行。都城ー新大阪間を1往復していました。 この日は9両編成でした。 そのうち3両が大分まで 都城までは6両でした。

この10年後に あかつきと併結されます。

 

 

特急雷鳥11号金沢行です。11番ホームの西の端で撮影しました。 右の所々切れている レールは、荷物列車が走っていた時代の名残です。  このボンネットのクハ481、屋根上ヘッドライトのカバーがありませんね。

遠くに回送される 日本海2号が見えました。

 

EF65−1129号機牽引 寝台特急あかつき京都行。

最後尾に連結されていたのは 座席車 オハ14-300番台 レガートシート車です。その前はB寝台一人用個室ソロのオハネ15-300番台車です。 

あかつき号のレガートシート車は編成の端に連結されていて その車端部に女性専用の化粧室などが設置されていて その前の一部区画が女性専用席となっていました。

完全に男性の侵入は不可となっていました。

 

臨時特急タンゴエクスプローラー81号です。 京都駅から山陰本線経由 久美浜行でした。

 

EF65-1131号機牽引 またまた20系客車の到着。

 

臨時寝台急行霧島 新大阪行きです。11番線には 雷鳥11号が、9番線は、 福知山線からの普通電車が発着していたので この10番線に上りの夜行列車などの発着が集中していました。  ムーンライト九州からの30分間で 5本の夜行列車が到着していました。

 

雷鳥11号が 発車した後に、 もう一枚撮りました。  以前の急行雲仙と同様、 寝台特急時代は 明星82号として 西鹿児島から運転されていました。

余談ですが、 この2年前の1991年までは、この西鹿児島からの臨時列車のダイヤでは、 オール14系座席車の夜行列車 臨時特急 金星 名古屋行きが運転されていました。

明星82号の写真は 撮れていないのですが、慌てて撮った 臨時金星号を。

1987年に撮影しました。 臨時特急金星 名古屋行。 太陽系の惑星のうちで 唯一列車名になっていました。 

 定期列車時代の「金星」は、 名古屋ー博多間の583系使用の寝台特急で 上り列車は 名古屋に6時10分到着 名古屋始発の6時20分発のこだま号に乗り継ぐことで 東京に9時10分に着くことができました。

しかし、 1982年に名古屋始発の唯一の寝台特急金星は、廃止になり 列車名は、名古屋始終着の列車ということで 座席夜行の臨時特急に使用されていました。

 

それでは 私が小学生の頃 名古屋の親戚の家に遊びに行った時に早朝撮りました。

二日連続でチャレンジ。 神領電車区に回送されていく 583系金星。

名古屋に到着した 金星の583系は、中央西線にある神領電車区に回送されて 座席車に転換 昼間に名古屋からの特急しらさぎ号に運用されて 金沢を1往復 その夜は 寝台特急金星となった 博多に戻る 運用でした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 前回の続きです。

 

 

寝台特急 つるぎ。 大阪ー新潟間をダイレクトに結ぶ寝台特急でした。

さて 1枚目の写真のホームに。横断幕が

この日は、なぜか撮影していないんですが ナインドリーム甲子園の乗車口案内が貼ってありました。

 

その横断幕の向こうに583系が止まっていました。

ヘッドマークが 団体。 おそらく 秋田か青森方面の甲子園に出場する高校の応援団を乗せてきた 団体臨時列車だったと思います。

機関車牽引の臨時列車だとお手製のヘッドマークがついているのをネットなどで見かけるんですが、 この列車では側面の窓につけていたようです。

つるぎの向こうに 「号」だけ写っていました。

 

 

1番線に到着した 急行きたぐに です。 特急型寝台電車の揃い踏み。 いい時代でした。 ちなみに 団体列車の583系は 確かJR東日本車だったと思います。

 

9番線です。

 当時の青春18きっぷ族の御用達列車?。

 

臨時快速ムーンライト九州京都行。  冬はシュプール号に使われる 14系グレードアップ座席車を 夏は ムーンライト九州に使用していました。 上りでは 機関車次位になっていましたが 展望車もそのままの豪華な快速列車でした。

 

ムーンライト九州が 発車した直後の9番線にDD51牽引の列車が到着しました。

 

急行だいせん です。 お盆期間ということもあり 寝台車 座席車ともに1両づつ増結されて 7両編成と風格のある姿になっていました。

 

ちなみに ムーンライト九州は京都行で 時刻表上は大阪駅には7時8分着 発車は10分となっていました。 対する 急行だいせんの 大阪駅到着は 時刻表では7時9分。 同じホームに 同時発着という 変則ダイヤが組まれていました。しかも客車列車。 恐らく この急行だいせんの方は 大阪駅手前で 若干の信号待ちをして少し遅れて到着していたと思われます。

 

1992年3月の時刻表より

JR神戸線のページ。左隅にムーンライト九州。

 

福知山線のページ。 

定期列車に臨時列車。朝の大阪駅は各方面からの列車で超過密状態でした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは、 今回は1993年夏の大阪駅です。

 

臨時急行シャレー軽井沢 大阪行です。 一年前の夏も撮影して臨時急行から この日も撮影を始めました。

 

淡いブルーに紺と緑の細帯が入った 旧JR西日本色 1991年ごろからの N40体質改善工事の際に塗り替えられました、しかし 1997年頃から 再び灰色を基調としたJR西日本色に塗り替えられた為 6年ぐらいしか見られませんでした。

 

シャレー軽井沢撮影後にすぐに移動した10番線で偶然撮影した 12系の回送列車。 10両の長い編成 青い12系も関西では見られなくなりました。 

シャッターを押した時は動き出していました。

 

その10番線。

EF65-1121号機。

臨時寝台急行 雲仙 新大阪行。 長崎が始発駅でした。 1980年代だと 臨時寝台特急あかつき号と特急列車でした。

その1980年代前半 急行雲仙というと 14系座席車での 夜行席席急行で 

佐世保発の急行西海号と併結されていました。

その14系座席車時代の写真はないのですが その代わりに

 この写真の4年前 1989年に撮影した あかつき82号をどうぞ。

EF65-1094号機が20系客車を牽引してきました。

 

臨時寝台特急あかつき82号。 20系の大きなテールマークも用意されていました。 

寝台幅52cm。頭が上に当たってしまうほどの低い窮屈な3段寝台。寝台料金は5000円でした。特急料金は 大阪ー長崎3000円 運賃は10000円 合計18000円になりました。それが 急行になって 料金は1200円に下がりました。

ちなみに 現在唯一の寝台列車 サンライズ出雲瀬戸号の 一番安い寝台個室 B1ソロだと料金が6600円。 36年前 かいこ棚とも呼ばれていた 狭い3段式B寝台が高すぎたのか、それとも 現在のサンライズの個室が安すぎるのか もし 新型寝台車両が登場した場合、もう少し料金が値上げになっても仕方がない気がします。

 

余談続きで 9189年JTB時刻表の寝台列車の案内のページ。

現在だと サンライズのみなので 縦1列だけですが、1989年は見開き2ページもありました。

少し驚いたのは、2ページ目の最後 寝台車の座席利用 通称 ヒルネ で 寝台特急さくら・みずほ のA寝台を グリーン車として利用できたようです。

ちなみに 下り さくら号の下関発車は、6時44分。ということは 朝6時過ぎには、A寝台を利用していても起こされて 座席に変換していたことになりますね。

どなたか 実際に乗車されていた人いませんか?

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 前回の続きで 園田駅に移動しました。

 

臨時快速急行 三宮行 3050F。 塚口駅で 臨時急行梅田行として撮影した 3050Fが戻ってきました。

 

特急梅田行 3082F。 


特急新開地行 5000系。 

 

特急梅田行8008F。 

特急運用に 初詣ヘッドマークがついていました。

最近は、イベントヘッドマークがつく場合 編成が固定されていますが、以前は、運用で分けられていたような気がします。

 

臨時急行西宮北口行 8006F。 これもレアな写真になりますか?

臨時列車の下り最後の2本ほどは、西宮北口行でした。

 

臨時快速急行梅田行 7002F。  園田駅での普通の追い抜きはなかったので 先行する特急に比べては 速達性に劣ってすいていたような気がします。

 

2020年 上の写真からおよそ30年後の同じ場所。

通勤特急大阪梅田行 7002F。 同じ7002Fを記録していました。

ほぼ同じ雰囲気なんですが、ホームの白線がなくなり 点字ブロックの幅が大きくなっていますね。

 

さて この7002Fは、10両編成運用についていた時なんですが、 この次の10両編成運用をどうぞ。

特急大阪梅田行 8201F。 2020年は 10両編成の特急運用もありました。

この特急の運用は確か、三宮で増結する運用だったので 後ろの編成は日によって変わっていたと思います。

 

後ろの基本編成は、9006Fでした。

10両編成の終盤は、増結編成+7000系の若番車の半固定編成でしたが、5年前は、9000系も10両編成の運用に入っていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 1993年のお正月 今では見られなくなった初詣臨時列車を撮影に出かけました。

 

快速急行三宮行 8003Fです。 当時の阪急神戸線では お正月ダイヤというか行楽期の休日ダイヤ 午前中に 梅田ー三宮間で 臨時快速急行の増発が行われていました。

当時の神戸線ダイヤでは、 普通列車は、上下列車とも 園田駅で後続の特急の待避を行っており、 梅田と西宮北口での 特急と普通の発車時間は、 現在では日中は 特急の1分後に発車するダイヤですが 当時は、3分ほどの間があり その間に 臨時の快速急行か急行が運転できるようなダイヤが組まれていました。

 

臨時急行梅田行 3050F。 臨時急行幕ですが 馬急ではありません。 西宮北口始発で 梅田到着後は、折り返し臨時快速急行三宮行きになりました。

白飛びして見えにくいのですが、背後に改築前の塚口さんさんタウンが見えていて 屋上に観覧車がありました。

 

臨時快速急行三宮行 3064F。 8003Fは 快速急行の幕でしたが、 この列車ではきちんと 臨時快速急行幕を表示していました。

 

発車した 3064F。

当時の神戸線の定期快速急行は、早朝 深夜時間帯の運転だったので 撮影した事はありませんでした、 また 臨時快速急行幕などは滅多に見る事もないだろうと思い 期待して出かけていました。 

 

切り抜いて アップにしました。 側面を取らなかったのが悔やまれます。

おそらく もう2度と見られないと思います。

 

臨時快速急行梅田行 8006F。

こちらも臨時幕を表示していました。現在は、宝塚線を走る8006Fで かなりレアな1枚になりました。  

 

運転席後の小窓の上に 塗りつぶされたHマークが見えました。 お正月の2日。 臨時列車の運転はされていましたが、あまり混雑はしていませんでした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 1993年の正月に宇治駅まで出かけました。

 

京都駅 嵯峨野(山陰)3番線。

特急タンゴエクスプローラー1号舞鶴線経由久美浜行。

KTR001系は 1990年に運転開始で 最初は 京都発着の特急列車でした。

当時は明るい場所でしたが、現在は巨大な駅ビルの下になり駅ビル開業前後に駅ホームの番線表記も変更されて 現在では33番ホームになります。 国鉄時代は、山陰3番線と呼ばれていて 山陰1番〜4番までありました。JRになってからは、嵯峨野線の愛称をとって 嵯峨野(山陰)1〜4番線になって 現在では、31番〜34番線になっています。

 

現在の31番線。

31番線は 現在ほぼ特急はるか号専用となっていますが、それ以前は 山陰線特急あさしお号なども発着していました。

 

1993年に戻って 7番線です。

青い快速幕の165系電車が到着しました。

 

名古屋始発。臨時快速 多賀・伏見稲荷初詣号です。

国鉄時代 名古屋ー大阪間の電車急行比叡号や 臨時快速近江路 の末裔になるのでしょうか。 1990年代初の頃までは、 名古屋・岐阜方面から京都方面への在来線利用の需要があったみたいです。

 

車両は、JR東海神領電車区の所属のT-11編成。 普段は中央西線の中津川ー松本間の普通電車の運用についていた編成でした。

 

宇治駅に着きました。 

赤帯の113系普通奈良行。3番線は湘南色の113系普通京都行です。 この後真ん中2番線に快速京都行が到着しました。

 

平等院鳳凰堂などを観光して帰りの宇治駅ホームにて。

3番線を発車した 普通京都行。

 

臨時マークの221系 臨時快速伏見稲荷初詣号。今では当たり前の奈良線221系も この時はまぶしい存在でした。

 

1993年のこの頃は、終夜運転や初詣臨時列車の増発などが多数行われていました。

 

これは1993年の12月号時刻表から

この221系臨時快速は、神戸から直通運転していました。

次にその年のJR京都線の大晦日終夜運転の時刻表もどうぞ。

大晦日の夜 神戸ー大阪ー京都ー奈良間直通電車で30分間隔だったようです。

神戸ー奈良間所要2時間50分。使用車両は、確か、通勤型の103系か201系だったと思います。

 

現在では 奈良線でも定期列車の本数が増えているので 臨時列車はないようです。

 

おまけ。

地元 JR宝塚線でも終夜運転が実施されていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 今回は 1992年11月の大阪駅での撮影写真です。

 

EF65-1107号機牽引 寝台特急彗星 新大阪行です。

 

1970年代は、3往復走っていた 「彗星」号も1992年は、都城からの1往復のみになっていました。機関車にヘッドマークがつくようになったのは JRになってからのような気がします。

 

2000年に 寝台特急「あかつき」号との併結運転になって その後2005年に廃止になりました。 この時の車両は、B寝台2段式14系15型。1978年に製造された 寝台客車の最終形式で 関西ー九州発着の 「あかつき」号用に新製された客車でした。

 

環状線ホームに移動して 1番線に停車していた ジョイフルトレイン。

「ゴールデンエクスプレス アストル」 1988年頃に 金沢地区に登場したジョイフルトレインで キハ65とキハ58から改造されました。

 

10番線に単機回送 DD51-1043号機。

 

続いてその10番線。

臨時快速比良ホリデー221 湖西線近江今津行です。

 

土曜休日ダイヤで運転される網干発の大阪行新快速3200Mを 行楽期の休日のみ大阪から延長運転していました。 この後 字幕は快速に変わったと思います。 新快速ではなくなったのは 茨木にも停車したからでした。

 

続いて 環状線ホームに移動。

臨時快速熊野古道ホリデー 紀伊田辺行。 大阪まで回送で来て 大阪駅始発で運転されていました。  紀勢本線(きのくに線)の普通電車で運用されていた 165系の3両編成で運転されていました。

この時期の 大阪地区発着の臨時快速には ヘッドマークがつくことが多く この日は 比良ホリデーとこの列車のみを撮影しに来ていました。

 

ところで余談ですが、

1992年8月の時刻表。

紀勢本線行の最後の欄。 165系6両編成で 新大阪発新宮行で夜行快速2921Mが運転されていましたが、お盆の最混雑期に 臨時快速列車も運転されていたようです。

指定席車の連結もなかったのに 往年の紀勢線ディーゼル急行きのくにの愛称がつけられていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 1992年の9月に家族旅行で 高山から上高地方面い旅行した際に撮った写真です。

 

今ほどではないですが 残暑厳しい大阪駅9番線です。

急行たかやま 飛騨古川行。 この列車に乗って 高山を目指しました。

車内は 当時の電車特急と同じリクライニングシートに換装されていて座席自体は快適でしたが、キハ58系は コイルバネ台車なので 大津を過ぎて米原に向けての直線区間では 時折弾むほどの縦揺れがあって豪快な走りを堪能しました。

 

美濃太田を過ぎて 山間部に入って一枚撮影。 車窓案内もあったような。

 

下呂駅。 12時1分に到着しました。 急行たかやまは 11分の停車。 ここで 特急ひだ5号富山行に抜かれ、 特急ひだ8号名古屋行と行き違いました。

急行たかやま号は、岐阜ー高山間 途中8駅停車で所要時間2時間43分。 対する 特急ひだ5号は、途中で露駅のみ停車で 1時間49分で走る速達特急でした。

ということで 大阪を7時58分に発車して 5時間8分 13時6分に高山に到着しました。

 

高山市内観光後 1泊。 翌日は バスで乗鞍へ行き 15時頃上高地に到着。 明神池まで散策後 上高地 河童橋付近のホテルに宿泊。 次の日は 朝から大正池まで散策。

 

焼岳と大正池。 この焼岳の噴火によって 梓川が堰き止められて この大正池ができたとか。

その後は、お昼過ぎのバスで 松本電鉄に乗り継いで 松本へ。

松本城など市内観光後 宿泊。 そして 翌日は帰るのですが。

 

多分 大糸線白馬駅。 間違っていたらごめんなさい。

メモを紛失したので 記憶と時刻表を頼りに思い出しています。

おそらく 左手の115系の普通に乗って松本から白馬まで来たと思います。 この115系は字幕の通り 快速松本行に。 横の快速表示の183系は 快速南小谷行。

 

新宿を7時に発車した特急あずさ1号で大糸線に入り 信濃大町から快速に変身しました。

 

白馬からは、画面の右手に停車していた 白馬始発の433Dで糸魚川に抜けました。

特急雷鳥13号新潟行。

 

その頃の糸魚川駅の裏手には、機関区がありました。

この頃の大糸線の北側区間は、キハ58系の2両編成が走っていました。

 

糸魚川からは、上野から来た 特急白山号に乗り 途中の富山駅で特急スーパー雷鳥6号に乗り換えて大阪に帰りました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。