皆さんこんにちは。

 

江差線(現在の道南いさりび鉄道)上磯駅からの 普通351D函館行。

 

快速海峡2号 青森行です。ED79-17号機牽引 ヘッドマークを装着したブルートレイン、 客車は、レッドトレイン50系客車を改造した 50系および51系5000番台車です。車内は新幹線0系の転換シートを転用 側面の窓が固定窓になりました。

 

現在は、新幹線が走る青函トンネルですが、開業直後は、 日中は 特急はつかり2往復 と 寝台特急日本海の昼寝1往復の 合わせて3往復、それに加えて この客車快速海峡号が 臨時含めて10往復していました。 実質青函連絡船の代替えは この快速海峡号が主力となっていました。 

開業当初は、11両に増結されていました。 通常は5~6両編成で指定席車が1両となっていました。

 

当時の海峡線の時刻表です。ファイルサイズが大きくなっています。

海峡号の平均所要時間は 青森ー函館間2時間30分前後でした。

 

特急北斗3号 札幌行。 キハ183ー0番台先頭の9両編成です。2両増結されていました

キハ183系は、1980年に 国鉄が製造した 北海道向けの特急型気動車で キハ82系を置き換える目的で製造されました。 0番台の先頭車 キハ183は、耐寒耐雪構造を強化した 非貫通型高運転台となっていました。  この時の塗装は、後継の500番台に合わせた 白を基調とした塗装でしたが、 登場時は 国鉄特急色でした。

 

1986年の函館駅で撮影しました。

特急北海3号 倶知安 小樽経由 札幌行です。

青函トンネル開業前までは、函館ー札幌間には 特急北斗の他に 函館山線経由の 北海号が2往復走っていました。

 

1988年に戻って 最後に。

臨時特急北斗81号札幌行です。

 

北斗3号の5分後を走るダイヤで運転されていました。 ただ 臨時列車のためか 札幌には、40分以上遅くなるダイヤでした。  今更ですが、この4両を 北斗3号に増結して 13両編成で運転すればとも思いました。

 

普通662D 函館行。七飯駅からの短区間列車です。  キハ40の首都圏色は もう見れませんと 書こうとしたら 道南いさりび鉄道に譲渡された1両が 首都圏色になっているようですね。  40年ほど経っても この光景が今も見られるようです。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

 

JTB パノラマ特急1号 札幌行です。

JTBパノラマ特急は、 JTB日本交通公社のパッケージ旅行商品エースとして 団体旅行列車とし運転されていましたが、 個人旅行でも利用できてJTBの時刻表の方には詳しく案内されていました。

1号は 函館駅を朝7時すぎに発車。 大沼公園 洞爺 登別に停車して 札幌駅には12時前に到着していました。  札幌駅には10分間停車。 ここからは JTBパノラマ特急3号と別の列車になり 3号は 石勝線経由 根室本線の池田行となりました。  今度は札幌駅を出ると 千歳空港 トマム 新得 帯広 に停車して池田駅に16時過ぎに到着しました。  一編成しかなかったので 隔日の運行で 翌日は逆行程で函館に戻って1往復する感じでした。。

食堂車も連結されて 旅行代金には、時間帯によって 朝食 昼食 夕食がついていました。

使用されていた車両は、キハ80系改造の トマムサホロエクスプレス。

1987年12月に改造されました。 先頭展望車が キハ84-101と102。中間車がキハ83-101 当初は3両編成で 後に 中間車キハ83-102と 真ん中に食堂車キシ80-501を増結しました。

食堂車が連結されているということで 時間帯と区間によって 旅行代金に 朝食 昼食 夕食が含まれていたようです。

 

特急はつかり10号 盛岡行です。 東北新幹線盛岡開業で 盛岡ー青森間の新幹線連絡特急となっていた 「はつかり」が 青函トンネル開業で 函館まで延長されました。盛岡ー函館間は一日2往復の運転で そのうち5号と26号が 青森ー函館間ノンストップで運転され 5号は、当時の青函間最速の1時間59分で走り抜けました。

 

秋に東北地方に飛来する 渡り鳥の 「雁」にちなんで命名された 「はつかり」雁の群れが飛ぶ模様をモチーフにしたヘッドマークでした。 特急はつかりは、1958年にSL牽引の客車列車で 東北地方初めての特急として走り始めました。 1961年に キハ81系特急型気動車に置き換えられました。 初めての特急型気動車だった キハ81系は、初期故障が多く はつかり号は がっかり号とささやかれたりしていました。

2002年東北新幹線 八戸開業時に JR北海道の789系電車が青函間に投入されて

 同時に列車名も改称 特急白鳥 スーパー白鳥になり 伝統の東北特急の愛称だった「はつかり」は 消滅しました。

 

特急北斗1号 札幌行。 青函トンネル開業後函館7時32分発となリました。キハ183系500番台中心の9両編成でハイデッカーグリーン車も連結されていました。

特急北斗1号は、青函トンネル開業前までは、 青函連絡船の深夜便に接続して 函館を早朝4時45分に発車していました。 トンネル開通後は、その早朝の時間帯には、寝台特急北斗星1号が運転されるようになりました。 その北斗星1号には、函館ー札幌間で立ち席特急券で乗車できるようになっていました。

 

キハ24が先頭の普通682D。函館行。

 

後の4両は急行型キハ27でした。 急行列車の間合い仕様みたいな列車でしたが 定期の気動車急行はもう走っていなかったので 普通列車専用になっていました。

 

側線に止まる DE10-1717号機。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 今回は 本当に 意味のない記事かもしれません。

 

 

昨日 夜 20時の阪急神戸線神崎川駅。

神戸三宮行の普通にタッチの差で乗り遅れた 駅構内。 私一人と言いたいとこrですが、あと二人いてます。

 

そして 大阪梅田行普通が到着 私の脚元には。

雑草と7000F。 点字タイルの隙間から結構な高さまで伸びていました。

 

蒸し暑い夜の一コマでした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんばんは。 時系列が前後します。 臨時2便の羊蹄丸を撮影する前に 早朝の五稜郭駅で 撮り鉄をしていました。

 

1988年夏の行程は、夜行列車で青森に到着後 羊蹄丸の青森港到着を撮影 その後青函トンネルを通って 北海道上陸 函館岸壁で到着する羊蹄丸を撮影しました。 その夜は 函館駅近くで一泊 翌日は早々にホテルを出て 五稜郭駅に向かいました。

 

快速ミッドナイト 函館行。1988年のこの夏から運行開始した、札幌ー函館間の夜行列車でした。当時運行されていた夜行長距離バスに対抗するためにキハ27系を改造。 カーペットカー1両とリクライニングシートを装備したドリームカー1両の2両編成で全席指定席として運転されていました が、

 

キハ27系一般車を自由席車として増結。青春18きっぷ利用者にも配慮した列車となっていました。 18きっぷの期間外の日は、指定席車のみでした。この時の時刻表にも全席指定席と案内されていました。

ところで 自由席の3両は、非冷房車ですね。

 

寝台特急北斗星5号 札幌行です。 ED79-19号機牽引。 寝台特急北斗星は、1日3往復の運転でした この5号は、函館6時38分 札幌には10時57分着。で函館から札幌までの観光に便利な列車でした。

 

キハ22-320 単行の普通列車。江差線木古内からの普通341Dです。

1両でしたが、車掌さんが乗務したツーマン運転でした。 国鉄の名残がなこっていました。

 

津軽海峡線方面に発車する ED79重連牽引のコンテナ列車。ED79は 交流専用機関車ED75から改造された 津軽海峡線専用の電気機関車で 本務機用基本0番台と重連運転の補機専門の100番台の2タイプがありました。 画面の後ろの機関車も100番台になります。

 

寝台特急北斗星5号札幌行です。この日2度目の出会い。

DD51-1101号機他 DD51の重連で運転されていました。

函館駅で ED79からDD51の重連に交換。進行方向も変わって 最後尾はオハネフ25に。  食堂車では 早めの朝食が始まっていそうですね。

 

函館本線 森駅からの普通680D函館行。

 

前から キハ40+キハ40+キハ22+キハ22+キハ54の3種混合の5両編成でした。車掌さんが4両目のところで乗降確認していますね。 昔の地方の列車では無人駅の改札の関係か編成の中ほどで扉扱いしていることを多く見かけました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん こんにちは。 前回の1988年夏の青函連絡船の続きをどうぞ。

 

青函連絡船 空知丸。  当時の青函連絡船で唯一になった 貨物専用の連絡船でした。 客室部分がないので 船橋から船尾まで平らなのが特徴でした。

 

青函連絡船 檜山丸。 元は 空知丸と同じ貨物専用船でしたが、 老朽化で廃船になった 津軽丸と松前丸の代替えとして 客室部分を増設して客貨両用船になりました。

 

この後 五稜郭駅から函館駅に戻り 函館山に登りました。

1988年の函館駅全景です。 左下に停泊する黄色の船は、青函博の函館ドック会場と函館駅を結んでいた シャトル船です。 シャトル船の左上が連絡船の岸壁 そこから右にホームや駅の連絡跨線橋が続き カーブする煉瓦色の屋根がホーム部分。その右手の煉瓦色屋根の建物群が函館駅舎でした。 私は これ以来函館山に登っていないので現在はどのようになっているのでしょうか?

 

13時を過ぎた頃。

青森を羊蹄丸と同じ9時30分に出港してきた 臨時1便 十和田丸です。

当時の連絡船は、青森ー函館間を3時間50分で結んでいました。

 

函館港の防波堤付近に差し掛かりました。 右下に EXPO1988函館会場の観覧車が見えていました。

 

画面の中央に十和田丸。その右上に 空知丸と檜山丸が係留されていた 有川桟橋。羊蹄丸の出港はこの付近で撮影していました。 手前のコの字型クレーンが見える場所が函館どっくで EXPO函館会場でした。

 

岸壁に近付いてきました 十和田丸の近くに見える船は 着岸を補助していた JR北海道所属の補助汽船(タグボード)かつとし丸です。

手前に見える四角い島が 人工島の緑の島。 函館博開催期間中は、来場者向けの臨時駐車場となっていて 函館博へ車で来た人は ここからシャトル船で会場に向かっていました。

 

では 十和田丸の着岸シーンを連写で。 といっても列車と違ってゆっくりと進んでいます。

岸壁に直角に接近してきた 十和田丸 この付近で停止状態になります。

 

それとともに船尾部分をかつとし丸が押して行きます。

 

岸壁の目前でほぼ270度回頭します。

 

後進をかけて バックで接岸して行きます。

 

接岸が完了しました。 現役時代なら十和田丸の船尾部分から貨車を引き出す DE10の動く姿が見えていたはずです。

 

今回記事にしていて初めて知ったのですが、 このEXPO1988函館会場に開催期間中中国からパンダが貸与されていたそうです。

 

HTB北海道の公式YouTubeチャンネルで紹介されていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 10年前の2015年8月24日 Yahoo!ブログで ブログデビューしました。

 

ブログを始めた きっかけは フイルム時代の写真をデジタル化して残しておこうと思って フイルムスキャナーを購入。 そのデジタル化が ほぼ終了した時に 下手な写真ですが、自分のパソコンにしまっておくだけでなく 誰かに見てもらえればと思って始めました。

 

一番最初に取り上げた1枚が この青函連絡船の写真でした。

ネガのほのん状態が悪かったので非常にくすんだ写真で恐縮です。

函館桟橋を出港し青森に向かう 臨時2便 羊蹄丸です。

 

青函連絡船は、1988年3月 青函トンネルの開業と引き換えに廃止されました。

この写真は、その1988年の夏に 青函トンネル開業を記念して 青森市と函館市で開催された 「青函トンネル開通記念博覧会」 に協賛した JR北海道が、1988年の6月〜9月の間に この羊蹄丸と十和田丸を使用して 復活運航を実施しました。 函館側からは 羊蹄丸。 青森側からは 十和田丸が それぞれ一日1往復し 夜はそれぞれの港で停泊し 洋上ホテルとして運用されていました。

1988年7月時刻表より。

 

1988年の夏は、青函連絡船に乗船するよりも 撮影して記録に残そうと思っていたので 利用しませんでしたが、かなりの人気だったようです。

 

撮影場所は、五稜郭駅から徒歩で向かったところです。 途中で迷ってしまい

着いた時には、羊蹄丸は 岸壁を離れていました。

 

列車と違い ゆっくりと進んできます。

 

ゆっくりなので ついついシャッターを切ってしまいます。 

 

背景に観覧車とジェットコースターが見えますが、 函館ドックの敷地内が、函館EXPOのメイン会場になっていました。 パビリオンの他に 遊園地も併設され 現在は函館駅至近で係留されている 摩周丸も 函館ドック内で公開されていました。

 

ゆっくりと左に回頭して 函館港外に出て 函館山を左に見つつ 津軽海峡に向かって行きました。

 

この撮影した場所の至近には 青函航路の貨物線用の岸壁 有川岸壁がありました。

終航後係留されていた 空知丸。 この後ろには 檜山丸と2隻が係留されていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんばんは。 何気に現代の話題です。

 

阪急宝塚線川西能勢口駅。

ホームドアの工事がかなり進展しています。

 

3号線宝塚方。仮柵でホームの橋には行けなくなっています。

 

停車中の急行梅田行。 仮柵のところに本設の柵がくるとすると 少し余裕があるような? 3号線側にはホーム柵の本体はまだ設置されていません。

 

1・2号線側。ホーム中央に仮柵で資材置き場が設置されていますが、まだホーム端には行くことができます。

しかし、

こちら側には、ホームドア基部が設置されていました。

 

1・2号線側では どうも編成ギリギリで柵ができそうです。

 

1号線側。 発車する通勤急行宝塚行6007F。 ドアが閉まっていないのに発車するのは今だけの光景です。

 

2号線の梅田方で撮影。3号線と能勢電の4号線側は まだ本体設置工事は未施工のようです。

 

ちなみに 半年ほど前の2025年1月の2号線。

上の写真と反対側から撮影。ホームの補強工事中でした。

 

もう一つ ちなみに 8年前の同じ場所。

2017年。 パタパタを取ったのですが、ホームはこんな感じでした。

 

 

話題は変わって 神戸線の神崎川駅。

神崎川の増水時 洪水対策の為の防潮扉が新しくなったようです。

 

本線を横切る 防潮扉のレール。  私はまだ この扉が閉められて神戸線が運休になったという記憶はないのですが、 もし閉められると 梅田ー園田間が運休になり 園田以西で折り返し運転をするそうです。

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。

 

山陰線ホームにやってきました。 現在の駅ビル下31番線になります。

特急あさしお1号倉吉行きです。 発車直前 エンジンの空ぶかし?? 排気煙を豪快に吹き上げています。 キハ181系8両編成でした。

 

隣に 東舞鶴駅始発の 特急あさしお2号が到着して 並びました。折り返しは、10時発の特急あさしお3号になります。

 

奥の113系は 普通園部行です。 

現在とは、配線やホームの呼称が変わっています。 この当時は、電化区間の愛称の嵯峨野線をとって嵯峨野1番〜4番ホームと呼んでいました。 2番線の番線札 嵯峨野の下に 小さく山陰と書いてあります。 JRになる前国鉄時代は、山陰1番2番と呼ばれ1面2線だけでした。 現在は キハ181系が止まるところが 31番32番線。 奥の113系のところが33番線と呼ばれています。

 

9時丁度に あさしお1号が発車して行き 改めてもう1枚。10時発の特急あさしお3号 舞鶴線 北近畿タンゴ鉄道線経由 城崎行きです。 3回も進行方向が変わる ジグザグ特急で 1978年ごろには、 この3号の運転経路が 先発の1号で 次発の2号が 山陰本線を真っ直ぐ走る 倉吉行きでした。 ということで 豊岡 城崎には、次発の特急あさしお2号が先に着く 特急が特急を追い抜くと話題になっていました。 推理小説のネタにもなっていたような。

 

奈良線8・9番線に移動。

左 9番線 普通奈良行は、当時の奈良線の主力車両105系2両編成。 

 

117系の4両編成も運用に入っていました。

 

奈良線に気を取られていたら 到着していました。

 

臨時寝台急行 東北夏祭り号 大阪行です。 1990年代 秋田の竿燈まつり と青森のねぶた祭が重なる 8月上旬の3〜4日間ぐらいにのみ 大阪ー青森間で運転されていました。

ナマハゲ? 歌舞伎役者のような面を モチーフにした専用のヘッドマークがついていました。

 

臨時特急マリンくろしお3号 白浜行です。 スーパーくろしお編成の1号が発車してから 30分後です。

 

関西の海水浴場のメッカ 白浜。 1990年代は、かなりの観光客が押し寄せていたようで、臨時のマリンくろしお2往復以外にも 新大阪や天王寺からも臨時くろしおが増発されて 定期臨時合わせて 天王寺駅からは9時~10時台に約15分間隔の特急が運転されていました。

 

再び山陰線ホームに

右は、特急あさしお3号。 左は、先発 9時30分発の 特急タンゴエクスプローラー1号 舞鶴線 北近畿タンゴ鉄道線経由の 久美浜行きです。

 

発車した 特急タンゴエクスプローラー1号。 3両編成で混雑するために 特急あさしお号に続行に近いダイヤが組まれていました。

 

タンゴエクスプローラーと入れ違いに 嵯峨野2番線に 折り返し臨時特急マリンあさしお号となる編成が入線してきました。

 

嵯峨野3番線の、特急あさしお3号 と並びました。 キハ181系天国!!

 

9時37分発の 臨時特急マリンあさしお 舞鶴線経由 小浜行です。 4両編成の全席指定列車でした。 当時の 小浜線には、敦賀方 舞鶴方から、それぞれ 2本の臨時列車が乗り入れていました。

小浜方からは、大阪駅から出ていた湖西線経由の急行マリン若狭・高浜1号と3号。 舞鶴方からは この特急マリンあさしお号と  大阪駅から福知山線経由のマリンエーデル高浜だったかと。 マリンエーデル高浜は エーデル北近畿7号の東舞鶴編成が 延長運転されていました。

 

車止め側から もう一枚並びを撮影。山陰線ホームを離れました。

 

2番線から撮影。 この日最後の撮影。

臨時特急白山83号 富山経由 上野行 ではありません。 すいません。

臨時特急雷鳥83号 富山行です。 大阪駅の中線で早朝から待機していた編成です。

 

関西地区では滅多に見られない白山色の489系、すっきりとした写真が撮れました。

この雷鳥83号は、 定期の雷鳥15号の4分後を ピタッと影のように走り続け 同じ駅に止まって 富山到着も4分後となっていました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 前回の続きなんですが、京都駅に移動しました。

 

 

臨時寝台急行あおもり 大阪行。 ギリギリ 間に合いました。 この日もナハネフ23が最後尾でした。 しかし 前回撮影した時と 違いがありました。

 

前回時に撮影の「あおもり」

わかりましたか?

 

奈良線用ホーム8番線から撮影。

特急スーパー雷鳥12号 大阪行きです。

スーパー雷鳥号は 基本的には 大阪 京都 福井 金沢 高岡 富山に停車駅を絞った 速達型特急でパノラマグリーン車連結の専用編成を使用していました。 一日5往復の運転で1号から10号までの1桁号数が割り振られていました。 

  朝一番の この上りスーパー雷鳥12号は、国鉄特急色の485系を使用した 雷鳥と同じ停車駅の多いタイプでした しかし 編成がスーパー雷鳥編成を使用していたので スーパー雷鳥と付けられて 号数が 12号となっていました。 

 

臨時急行マリン若狭1号 若狭高浜行です。 現在の0番線に到着しています。

右側に線路の無いホームが見えますが、現在は特急はるか号が折り返す 工事中の30番線ホームになります。

 

長い京都駅1番線(現0番線)ホームに 3両編成のキハ181の急行。短いですが 堂々として見劣りしせんね。  京都駅は 現在は巨大な駅ビルが立っていて この跨線橋も掛け替えられていれます。 この1番線ホームは手前の方に拡幅されています。

と言うことで 拡幅前の京都駅1番線の模様を

1988年1月の京都駅1番線です。跨線橋の下付近から撮っています。 白鳥の隣に通過線が2線ありますね。 この白鳥の止まっている線路上にホームを拡幅して 通過線が新1番線となりました。 

 

続いて 1999年の撮影。

駅の改良工事が完成した 京都駅1番線(現0番線)。 恐らく ほぼ同じ位置で撮影したと思います。 列車は同じ白鳥ですが 駅の方は ガラリと変わりました。

 

1993年の7番線に戻ります。 

臨時特急マリンくろしお1号白浜行です。

 

先頭のパノラマ車の字幕は スーパーくろしおでしたが、背後のヘッドマークは 専用のマリンくろしおヘッドマークでした。

 

ところで 今年2025年が 特急くろしお号運転開始 60周年となるそうです。

1965年にキハ80系特急くろしお号として 天王寺ー名古屋間 紀伊半島を全周して1往復運転されました。

その運転開始60周年を記念して 「特急くろしお60周年記念ラッピング列車」が287系1編成に施されています。

2025年8月 新大阪駅にて

特急くろしお17号新宮行。

 

記念ヘッドマーク と タイフォンカバーもステッカーで再現。

 

金色の特急マークも。

 

側面の塗り分けも再現されています。

 

ラッピングされているのは 両端の先頭車のみになっています。

窓下の細帯は、車両の後部でグラデーションを描きながら青い帯に変化していました。

 

中間車は 通常塗装です。

この ラッピング編成の運行情報は、パンダくろしおの公式Xで 毎日18時ごろに 翌日の運行予定が公開されています。 現在特急くろしお号には、3種類のラッピング編成が運行されていますが、 8月30日〜 第2弾のラッピング編成が運転開始になるそうです。

詳しくは 以下のリンクからどうぞ。

https://www.westjr.co.jp/press/article/items/250821_00_press_kuroshio60th.pdf

 

御覧頂きましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは。 前回までは 8月の1日の撮影 今回からは6日の撮影分になります。

 

急行きたぐに です。 583系国鉄特急色時代。 583系になる前 客車で運転されていた頃は、大阪ー青森間で運転されていましたが、583系電車に置き換わった際に 新潟止まりとなりました。

 

先頭車をアップで。 この直後にJR西日本の583系は、水色基調のJR西日本色に塗り変わりました。 

向かいのホームに103系の新三田行が停車しています。 当時の1・2番線は 低いホームでした。 583系をはじめとして 国鉄型の特急や急行型車両 旧型客車には 車両側に段差(ステップ)が設けてあって 車内で一段上がって乗り込む感じでしたが、103系以降?の通勤型電車では、そのステップがなくホームから車内に乗り込むのに階段一段分以上の段差がありました。  バリアフリーの概念はない時代 車椅子はおろか ベビーカーでも乗り込むには困難な時代でした。

 

EF65-1111号機牽引 寝台急行銀河 です。

1111号機 前回の記事で 「しなの」と並んだ 「彗星」を牽引していました。

 

24系特急型寝台客車使用でA寝台車も連結 テールマークも入って 寝台特急でも不思議ではない列車でした。

 

3番線に到着した銀河の 隣4番線には、先に寝台特急日本海2号が到着していました。 ブルートレインの並びも見れました。

 

2番線には 117系普通新三田行。 多様な列車が並んでいました。

 

 

特急雷鳥11号 金沢行です。 先頭は 非貫通のクハ481ー300番台。 貫通型200番台と違って  凹凸のないスマートな形状が好きでした。

 

6番線と7番線の間にあった留置線に停車する489系白山色。 このあと 神戸方にある折り返し線に入り 11番線に転線して 臨時雷鳥に運用されていました。

 

「ほくせつライナー」 です。 停車駅で乗車駅で整理券を購入して乗車できた ホームライナー。 JR宝塚線では ほくせつライナーの名称で 大阪ー篠山口間で1往復運転されていました。 時期によって使用車両がかわって エーデル北近畿車両が使用されていた時もありました。 この時の停車駅は、篠山口、古市、藍本、相野、広野、新三田、三田、宝塚、大阪でした。

 

右手11番線は 特急雷鳥11号金沢行。10番線は 臨時特急マリンタンゴエクスプローラー 京都駅経由 久美浜行きです。

 

大阪の次は、京都に停車。京都駅からは山陰本線を西に、福知山駅からは 北近畿丹後鉄道の宮福線に入って 天橋立から久美浜に向かっていました。 夏の海水浴シーズン以外では、タンゴエクスプローラー81号として 春秋の行楽期にも運転されていました。

 

雷鳥11号の5分前に先に発車。 もちろん京都まで先着していました。

 

御覧頂きましてありがとうございました。