毎年同じなのだが、この時期はとにかく忙しい。
もう少し続く見込みだが、案の定こうして忘備録の更新も滞る。
新患もほぼ取れない状況。
それでも何とか時間を捻出して話だけは聞き、最低限の提案をする。
…のだが、その提案すら聞き入れない問い合わせが一定数ある。
実はこれ、ある共通項がある。
世代的な問題だ。
今さら「デジタル世代」なんて言葉も古いが、
物心ついた頃からスマホ、PC、ゲームが当たり前にある環境で育った世代。
この恩恵は大きい。
情報も答えも、昔とは比べものにならない速さと精度で手に入る。
ただし——当然ながら、失ったものもある。
当院の屋号にもある「理学」という言葉。
少し堅苦しいが、要はこういうことだ。
「なぜそうなったのか」「どうやって起きたのか」を考えること。
これを抜きにして結果だけ求めるのは、理学ではない。
しっかり治る人は、この部分をこちらが言わずとも理解している。
逆に、治らず繰り返す人ほどここが抜けている。
どんなに丁寧に説明しても、
計画を立てても、
そもそも“受け入れる土台”がない。
厳しく言えば、履行できない。
小生的に例えるならこうだ。
「小学校6年間でここまで出来るようになりますよ」と説明しているのに、
「思ってたのと違う」と言って3年生で辞めていく。
当然、ゴールには辿り着かない。
だが本人は「合わなかった」で終わる。
まぁ、それも自由であり、自己責任だ。
ただ一つだけ確かなのは——
悪くなったのにも、治らないのにも、必ず理由があるということ。
そしてその多くは、自分自身の思考と行動にある。
「これをすれば治る!」
そんな都合のいい話は、ほぼ存在しない。
耳障りのいい言葉に飛びつき、
結果を急ぎ、
途中でやめる。
その繰り返しで時間だけ失うのは、さすがにもったいない。
せめて一度くらい、
「なぜ?」に向き合ってみてほしい。
それが遠回りに見えて、
一番の近道なのだから。
その答えは簡単だ。
「まず自分の質問に対して、否定的に教えてください」と一言添えるだけ。
今どきのAIチャットは、とにかく共感が大原則。優しく、肯定的に、気分を害さぬように返してくる。それはそれで結構なことだが、こと問題解決となると話は別だ。
自分が抱える失敗や不調を本気でどうにかしたいのであれば、まず自分の“ダメな部分”を指摘してもらう必要がある。だがAIは、放っておくとそれをやらない。いや、やれない。
だからこそ「否定的に答えてほしい」と、こちらから条件をつける。
例えば腰痛ひとつとってもそうだ。
同じ症状でも、聞き方ひとつで「ストレッチをしましょう」とも言えば、「むやみにストレッチはするな」とも答える。
つまり答えは一つではなく、問いの質でいくらでも変わるということだ。
日々患者と向き合っていて強く思う。
「治らない」のではない。
“治るのを邪魔している何か”が、必ずある。
しかし厄介なのは、それを見つけて指摘しても、真摯に受け入れないケースが少なくないという現実だ。
運動でも、食事でも、仕事でも、人間関係でも同じ。
「こうすれば良くなる」という未来の話の前に、
「なぜこうなったのか」という過去の整理が必要だ。
反省と後悔。
耳障りは悪いが、これが人間を前に進める数少ない原動力だと、つくづく思う。
では聞こう。
叱咤激励してくれる、本当に大切な人はいるだろうか。
もし思い当たらないなら、今すぐ作った方がいい。
そしていなければ――せめてAIにその役をやらせればいい。
ただしその時は忘れるな。
「優しくしてくれ」ではなく、
「厳しく否定してくれ」と頼むことだ。
そもそも「勉強」とは何なのか。
「学習」との違いは何なのか。
今ではこの二つ、ほぼ同義語として雑に使われているが、本来は少し違う。
漢字で書けば一発だ。
勉強とは――強いて(強)勉める(勉)。
つまり、泥臭くやる“行為”そのものだ。働くことに近い。
一方の学習。
こちらは机と紙と鉛筆の世界。
情報を集め、整理し、理解した気になる“準備段階”に過ぎない。
ここを履き違える人がやたら多い。
情報をいくら詰め込んでも、それは知識ではない。
知識とは、経験でしか裏打ちされない。
やって、失敗して、痛い目見て、ようやく残るものだ。
それなのに――
やたら詳しい。やたら語る。やたらドヤ顔。
だが現場では使えない。
なぜか。
学習で止まって、勉強していないからだ。
もっと厄介なのは、
情報を知識と勘違いして振りかざすこと。
これはもう凶器である。
昨今は特にひどい。
スマホ一つで、他人の経験を“つまみ食い”できる時代。
便利になった反面、自分の器を超えた情報を抱え込み、
分別もないまま動いて、勝手に壊れる。
そして傷つく。
だがそれは、間違えたからだ。
道を外したからだ。
失敗したからだ。
ここまではいい。誰でもやる。
問題はそこから先。
自分の失敗に気づかない。
向き合わない。
他人の言葉で誤魔化す。
会ったこともない、
自分のことなど一ミリも理解していない人間の言葉を、
なぜそこまで信じられるのか。
不思議でならない。
感化、影響、感銘――
言葉は立派だが、中身はどうだ。
薄っぺらくなっていないか。
それに気づけるかどうか。
結局それも、自分次第である。


