スポーツ障害 運動療法専門施設 麻生スポーツ理学センター -2ページ目

スポーツ障害 運動療法専門施設 麻生スポーツ理学センター

ランニングで痛くて走れなくとも諦めさせないと誓ったブログ

患者専用トレーニング施設完備で腰痛、膝・足関節痛等の疼痛治療はもちろん、再発防止からパフォーマンス向上まで一貫サポート!

ってお決まり説明ですが、日々蛇足を書き綴るブログです。w


続き...


失敗や挫折をしにくい人間ほど、実は「好きな事」だけで人生を組み立てていない。

やりたい事。
やりたくない事。
良い事。
悪い事。
面倒な事。
逃げたい事。

全部ひっくるめて、「まぁそういうもんだ」と受け止める視野が広い。

昭和の頃は、
「人の嫌がる事を進んでやりましょう」
「好き嫌いをなくしましょう」
などと、耳にタコが出来るほど言われた。

今なら時代錯誤だと怒られるのかもしれない。

だが、あの教育には少なくとも、
「世の中、自分の好きな事だけでは回らない」
という現実を教える意味はあった気がする。

今は“個性”という便利な言葉で、
「やりたい事だけ選んで良い」
「嫌ならやめて良い」
という方向へ寄り過ぎているようにも見える。

結果、人生の並べ方が、
“やりたい順リスト”
だけになってしまう。

だが現実は、やりたくない事をどう処理するかで、その人間の土台が決まる。

余計な事は口に出さぬ方が平和。
そんな空気もよく分かる。

だが、耳障りの良い言葉ばかり並ぶ時代だからこそ、たまにはこんな面倒臭い話も必要なのだろう。


最近つくづく、そんな人が増えた気がする。

やりたい事を優先する。
好きな事を伸ばす。
自分らしく生きる。

言葉だけ聞けば立派なのだが、現実はそこまで単純ではない。

失敗や挫折をしない人間には、実は共通点がある。
それは「強い人」でも「才能がある人」でもなく、“やりたくない事”から逃げ続けない人間だという事。

そもそも、本当にストレスを理解している人間は、壊れる前にガス抜きをする。
愚痴を言う。
酒を飲む。
走る。
旅行へ行く。
ゴミ箱を蹴飛ばす。

方法は何でもいい。
とにかく「今、自分は嫌なんだな」と自覚している。

だから意外と溜め込まない。

逆に危ないのは、「自分は大丈夫」と言う人間。
これは長年この仕事をしていて本当に多い。

こちらが遠回しに、
「ちょっと無理してません?」
「少し休んだ方が…」
と話しても、

「あ、自分そういうの平気なんで」

と返すタイプ。

そして得てして、一年後くらいに突然ガクッと落ちる。

昔からこの業界の先輩達に、
「メンタル関係には安易に手を出すな」
と散々言われてきた。

理由は簡単。
本人ですら自覚していない事を、他人がどうこう出来るほど甘くないから。

しかも厄介なのは、ひと段落すると本人は案外ケロッとしている事だったりする。

「まぁ俺も色々あったけどね」

などと、若干武勇伝っぽく語る。
だが周囲は、その間ずっと振り回されている。

もちろん本当に病気として苦しんでいるケースもある。
だから雑に語れる話ではない。

ただ、それでも思う。    続きはその2へ...


先日、多分肉離れのようだと言ってやってきた小学生の患者がいた。
しばらく前にも同じように痛くなり(今度は反対側)、整形外科で「肉離れですね、安静で」と言われたそうだ。

そして実際、痛みは取れた。
だから本人も親御さんも、「前回と同じ」「あぁ肉離れなんだ」と信じ、安心する。

だが、また出た。

症状、治療の詳細はここでは触れぬ。
だが厄介なのは、結果オーライだった事実そのものだ。

人は結果が良いと、途中の思考を省略する。
「治った=正しかった」と脳が勝手に変換する。

そして、
“自分は理解した”
となる。

しかし実際には、理解ではなく「納得した気になっただけ」という事が実に多い。

これは医療に限らない。
スポーツでも仕事でも、子育てでも、趣味でも全部同じ。

特に、人に何かを教える立場、使う立場になると危険性はさらに増す。

経験を積むほど、自信が付く。
だがその自信の中には、「検証を終えた気になった思い込み」がかなり混ざる。

だから昔から思う。

信じるのが先ではない。
まず理解しようとする事。

そして理解する為には、疑わねばならない。

「なぜ治ったのか」
「本当に同じ症状なのか」
「なぜ再発したのか」
「安静で治ったのか、たまたま時間経過だったのか」

そこを考えず、
“前もそうだったから”
で進み始めると、途端に思考が止まる。

以前も書いたが、経験10年前後の人間が一番危うい。

多少出来る。
多少知っている。
周囲からも認められ始める。

すると、人は「理解した側」に立った気になる。

だが本当に恐ろしいのは、その辺りから。
自分の中で答えが固定化し始める。

そしてそのまま伸びる者と、止まる者に分かれる。

小生も過去、何人も見てきた。
助言しても、「いや、自分は分かっていますので」と消えていった者達を。

出会いやチャンスは必ずあったはずなのだが、つかめぬ者はそこ止まり。


逆に、一度自分を疑えた者。
理解した“つもり”を壊せた者。
そういう人間は、後から大きく伸びた。

元スタッフにも数名いた。


だからウチでは、患者に症状名を安易に断定して話す事をあまりしない。


分かりやすさだけなら簡単だ。
「○○ですね」と言えば話は早い。

だが、その瞬間から相手は“理解した気”になる。

そしてその言葉だけが、一人歩きする。

責任とは常に付きまとう。
無責任な分かりやすさほど、実は怖いものはない。