スポーツ障害 運動療法専門施設 麻生スポーツ理学センター

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ランニングで痛くて走れなくとも諦めさせないと誓ったブログ

患者専用トレーニング施設完備で腰痛、膝・足関節痛等の疼痛治療はもちろん、再発防止からパフォーマンス向上まで一貫サポート!

ってお決まり説明ですが、日々蛇足を書き綴るブログです。w


現在、新規の患者は基本的に紹介優先で診ている。

それ以外のお問い合わせでも、なるべく詳しく話を聞き、こちらが出来る提案はするようにしている。特に必ず勧めるのが整形外科受診だ。

まずは画像を撮るなり、診察を受けるなりして大きな病気や重篤な外傷がないか確認してもらう。これは当たり前の話である。

その上で、

「病院へ行ったけれど良くならない」

「湿布と薬だけで終わった」

「もう年齢だから仕方ないと言われた」

そんな人たちが相談にやって来る。

怪我や外傷がきっかけであっても、急性期を過ぎてなお改善しないケース。あるいは障害を受け入れるしかないと言われた慢性的な症状。

原因は実に様々だ。

練習し過ぎで疲労が抜けていないだけなら重要なのは休息である。

運動不足なのに急に張り切って悪くしたなら、必要なのは根性論ではなく運動量の調整だ。

準備運動も整理運動も適当に済ませているなら、その指導も必要になる。

睡眠の質が低そうなら寝具の話にもなる。実際にテンピュールを試してもらうこともある。

通勤や通学の自転車が原因で膝や股関節を痛めているケースなら、院の外へ出てサドルの高さを調整する。

しょっちゅう転ぶ患者には靴底を見せてもらい、

「この減り方だと滑りますよ」

「雨の日はこの部分から着くようにすると転びにくいですよ」

などと説明する。

治療院なのに、自転車屋なのか靴屋なのか寝具店なのか分からなくなる瞬間がある。

だが症状というものは、施術ベッドの上だけで起きているわけではない。

患者は今の症状に不安を抱えている。

そして今まで受けてきた治療に何らかの不満を抱えている。

だからやって来るのだ。

医師でもない。

マッサージ師でもない。

整体師でもない。

トレーナーでもない。

私が考えるフィジカルコンダクターの役割とは、まずその「不安」と「不満」を解決することにある。

もちろん魔法はない。

一回で治る話でもない。

だが患者本人も気付いていない原因を一緒に探し、紐解き、整理していく。

その作業を続けていくと、

「そういえば自転車を変えてからだった」

「転勤して通勤時間が長くなっていた」

「最近ずっと寝不足だった」

そんな答えがポロポロ出てくる。

原因が見えてくると、不安は減る。

やるべき事が分かると、不満も減る。

結局のところ、患者が本当に求めているのは施術そのものではないのかもしれない。

自分の身体で何が起きているのかを理解し、これからどうすれば良いのかを知ること。

そのために今日もまた、自転車を見たり、靴底を見たり、布団の話をしたりしている。

治療院なのだが、時々何屋なのか自分でもよく分からなくなるのだがw



ついに今朝のNHKのニュース番組でも特集されてしまいましたね。

パーソナルトレーニングジムでの事故が急増していると。

この1〜2年、特に男性はパーソナルジムや無人ジム、女性はマシンピラティスで身体を痛めて来院するケースが本当に増えた。以前から何度か書いていたが、やはりウチだけの気のせいではなかったようだ。

もちろん知識や技術の向上は大切。
だが、果たして「そこ」なのか?

小生らが若い頃、まだ“トレーナー”という言葉が今ほど一般的ではなかった時代、「治せない者は鍛えられない」という空気が確かにあった。
だから現場の人間ほど、治療や解剖、生理学の世界へ進んでいった。

最近も古い付き合いの某大学教授であり学部長がこんな事を言っていた。

「学力の高い学生を指導できない教師は、学力の低い学生も指導できない。逆もまた然り。」

実に本質的な話である。

フォームが正しければ痛めないのか?
では一流プロ選手は全員ケガをしないのか?
逆にフォームがギクシャクしている素人は全員壊れるのか?

そんな訳がない。

痛める原因は、もっと別の所にある。

だが誤解して欲しくないのは、若い指導者たちが悪いと言いたい訳ではない。
むしろ問題なのは、その彼らを導いてきた“先駆者側”である。

つまり、小生に近い世代だ。

会社でも政治でもスポーツでも同じ。
現場の混乱や迷走は、結局「上」が何を評価し、何を教え、何を流行らせたかの結果である。

見た目だけ派手なトレーニング。
SNS映えするメニュー。
「効いてる感」ばかり追う根性論。
とにかく追い込め、汗をかけ、限界突破だ。
だからと言って軽いからいい訳でもない。

そんなものを長年持ち上げてきた結果、現場は「何のために鍛えるのか」を見失った。

フォームや技術を教えるのはコーチ。
だが、“どこへ向かうのか”を示すのは監督の仕事である。

健康の為なのか。
競技力向上なのか。
見た目づくりなのか。
一生動ける身体づくりなのか。

目的が曖昧なまま負荷だけ増やせば、そりゃ壊れる。

痛めた患者を診ていると、「頑張り過ぎましたね」では済まぬケースも少なくない。
本人は真面目で、言われた通り必死にやっているだけなのだから。

だからこそ今、必要なのは最新マシンでも資格ビジネスでもない。
“導く人間”の哲学なのだと思う。

道を教えるのではなく、道を間違えさせない。
そんな指導者が増えて欲しいものである。


続き...


失敗や挫折をしにくい人間ほど、実は「好きな事」だけで人生を組み立てていない。

やりたい事。
やりたくない事。
良い事。
悪い事。
面倒な事。
逃げたい事。

全部ひっくるめて、「まぁそういうもんだ」と受け止める視野が広い。

昭和の頃は、
「人の嫌がる事を進んでやりましょう」
「好き嫌いをなくしましょう」
などと、耳にタコが出来るほど言われた。

今なら時代錯誤だと怒られるのかもしれない。

だが、あの教育には少なくとも、
「世の中、自分の好きな事だけでは回らない」
という現実を教える意味はあった気がする。

今は“個性”という便利な言葉で、
「やりたい事だけ選んで良い」
「嫌ならやめて良い」
という方向へ寄り過ぎているようにも見える。

結果、人生の並べ方が、
“やりたい順リスト”
だけになってしまう。

だが現実は、やりたくない事をどう処理するかで、その人間の土台が決まる。

余計な事は口に出さぬ方が平和。
そんな空気もよく分かる。

だが、耳障りの良い言葉ばかり並ぶ時代だからこそ、たまにはこんな面倒臭い話も必要なのだろう。