吉野で迎える朝は、本当にすがすがしいです。

 

 前日の夜に、月美結貴さん吉野館の玄関先で朝の6時に会う約束をしていたので、昨日のブログは夜の内に書き終えてセットし、一昨夜は早めに寝て早起きしました。

 

 朝の6時の吉野の太陽と空……

 

 

 

 うろこ状の雲が、きれいにたなびいています。

 

 早起きをして、一体どこに出掛けるかというと、これから蔵王堂の朝座勤行(あさざごんぎょう)に参加してきます。

 

 一昨日は夕座勤行(ゆうざごんぎょう)昨日は朝座勤行と、真面目に仏法の修行をしております。      なんちゃって修行僧です(^^)

 

 というのは、実はこのチケットを入手しているからでもあるのですね。

 

 

 

 この緑のチケットを持っていれば、夕座勤行から参加した場合、翌日の朝座勤行と通常拝観も全部セットで入れます。

 

 宿泊先の吉野館から蔵王堂までは、徒歩10分ぐらいの距離にあります。

 

 その道の途中に、朱紅先生が参拝した𠮷水神社もあるのですが、𠮷水神社に参拝するのは最後のお楽しみにして、まずは朝座勤行で、金峯山寺(きんぶさんじ)蔵王堂の秘仏・金剛蔵王大権現三体と再びの対面をしてきます。

 

 金剛蔵王大権現三体は、普段は秘仏で隠されてしまいますから、このすごい三体の仏様に今年お会いできるのは、5月6日までのあとわずかな期間のみです。

 

 

 

 昨日の夕座勤行の参加者は、月美さんと僕の二人だけ、そして今朝の朝座勤行はどうかというと、他にはご夫婦が一組いらっしゃっただけで、結果的に勤行参加者は4人だけです。

 

 これはもう、奇跡です。

 通常だったら、勤行の参加者で本堂の部屋がぎっしりになってしまい、仏様の顔を近くでちゃんと拝みたくても拝めないほどの混雑ぶりになるとのこと……

 

 それがなんと、三体の仏様のすぐ真ん前に座って、心ゆくまでお経が上げられます。   いや、お経覚えていないので、実はちゃんと上げられていないのですが……

 

 この三体の金剛蔵王大権現様は高さが7mにも及び、お姿が真っ青で憤怒のお顔をされていらっしゃいます。

 

 それはもう迫力満点というか、小さな子供だったら怖くて泣き出すんじゃないかというくらいですが、じっとお顔を見つめてみつめていると、憤怒の顔の向こう側に優しい愛情が詰まっているのを感じます。

 

 月美さんからお聞きしたのですけど、青という色は、仏教においては、最も強い怒りを表すとされる色なのだそうです。

 

 残念ながら仏像は撮影禁止ですが、三体の金剛蔵王大権現様は、それぞれにお顔が違っています。

 

 真ん中に鎮座されている釈迦如来様は、三体の中でも一番迫力がある仏様はです。

 この仏様は高さが7.3mもあるのですが、我々の過去を守ってくださっていると言います。

 

 そして、右側に鎮座されている千手観世音菩薩様は高さが6.1mで、我々の現在を守って導いてくださっています。

 

 さらに、左側に鎮座されていらっしゃるのが弥勒菩薩様で、高さは5.9mあり、我々の未来を守護してくださいます。

 

 三体の仏様のお顔はそれぞれに特徴があって、温もりがあるのですが、どの仏様もものすごく怖い形相です。

 

 観世音菩薩様や弥勒菩薩様というのは、普通なら、優しい顔で表現される仏様のはずではないのか…… とお気づきになられる方も多いと思います。

 

 この話も、月美さんからお聞きした話ですが……

 

 この金峯山寺を開創した役行者(えんのぎょうじゃ)が大峯山の頂上で、一千日間の参籠修行をし、当時(7世紀後半)苦しみの中に生きている人々を救ってくださる仏様をお呼びしようと、一生懸命にお祈りしていた所、最初にお優しい顔の(通常の)釈迦如来、千手千眼観世音菩薩、弥勒菩薩の三仏が、お出ましになったそうです。

 

 とはいえこの時代は、疫病が流行り飢饉が起こって、巷では略奪が当然のようにはびこっていたような治安の乱れた世の中で、人の心もすっかりすさみきった末法とも呼ばれた時代です。

 

 役行者は、このままのお優しい柔和なお姿の三体の仏様では、とても衆生を救うことはできないだろうと思い、さらに祈念を続けられました。

 

 すると、天地が鳴動し、山上にある大盤石が割れ裂けて、雷の音と共に忿怒(ふんぬ)の形相をした荒々しいお姿の御仏がお出ましになられたので、役行者はその姿を忘れることがないように、急いで桜の木にそのお姿を彫り刻んだのだそうです。

 

 昨日、月美さんからお聞きしたそんな話を思い出しながら、三体の仏様のお顔をのぞき込めるような場所で、思う存分、朝座勤行をさせていただきました。

 

 すがすがしい朝座勤行を終えて、吉野館へと戻り、朝風呂に入り終えると、美味しい朝食ができていました。

 

 

 

 朝食なのに、とてもボリュームがあって美味しいです。

 

 朝食を済ませてから、前日参拝した脳天大神龍王院に、もう一度参拝することになりました。

 

 昨日は夕方遅かったこともあって、龍王院の祖師堂(そしどう)の扉は閉ざされてしまっていたのですが、月美さんから祖師堂の不動明王様がすごいと聞いてたので、ぜひ参拝したかったのです。

 

 ということで、再び、蔵王堂へと足を運びました。

 

 

 

 蔵王堂のすぐ脇にある立て看板……

「450段の階段に挑戦・修行しよう!」と書いてあります。

 

 まあ、富士山や白山に登山することと比べれば、全然大したことではありませんが、普段、運動不足になっていると、やっぱり450段の上りは、結構キツかったりしますね(笑)

 

 昨日と同じように、階段を下へ下へと降りていきます。

 

 

 

 階段の途中にある役行者の象……

 

 役行者の多くの像には、どういう訳かこんな風に二体の小人が一緒にくっついているのですが、一体どういういわれだろうと調べてみたら、奈良県にこんな昔話がありました。

 

 むかしむかし、生駒の山奥に鬼の夫婦が人間の子供を隠して、村人たちを困らせていたそうな。

 

 そのことを知った役行者は、生駒山に登って鬼の夫婦を待ち構えて、二人の鬼の子供の末っ子を釜戸の中に隠してしまったそうな。

 

 鬼の夫婦は泣きながら、その子を探し回ったそうな。

 

 役行者は鬼の夫婦を捕まえて、「鬼も我が子が可愛かろう。人間とても同じじゃ。これからは決して悪いことをしてはならぬ」と、叱ったそうな。

 

 鬼の夫婦は罪を認めて改心したので、役行者は二人の角を切って、自分の弟子としたそうな。

 夫は前鬼(ぜんき)、妻は後鬼(ごき)といい、それ以降ずっと役行者につき従って、役行者を助けているのだとか……

 

 この二体の小さな人は、実は鬼だったのですね。

 

 ちなみに、この鬼の夫婦には五人の子供がいたそうで、この子供たちは、役行者の神通力によって人間にされたそうですが、当時「五鬼」と呼ばれていたそうです。

 

 ずいぶん前に「五鬼空亡」のことに少しふれましたが、鬼がなぜか「五鬼」と表現される理由もこういったことかも知れません。

(2024/4/12ブログ「五鬼空亡って何……」参照)

 

ようやく、脳天大神龍王院の本堂にたどり着きました。

 

 

 

 前日は脳天大神のことを何も知らない状態でここに訪れたのですが、ご本尊のことなど、いろいろと調べてから訪れると、また趣も違いますね。

 

 新たな気持ちで、本堂にしっかりと参拝させていただきました。

 

 不思議なことに、吉野館でゆっくりと休んだら、昨日まで痛かった首の左側がすっかりと治っています。

 

 昨日の夕方は閉じていた祖師堂の扉が、ちゃんと開いています。

 

 

 

 中央が不動明王様、そして右側のブロンズ像がこの脳天大神龍王院を建立した、覚澄(かくちょう)大僧正です。

 

 心ゆくまで、参拝させていただきました。

 

 この後また、この階段を上らなくてはいけないのですね(^^;;

 

 

 

 千日回峰行を達成した塩沼亮潤阿闍梨(あじゃり)は、毎日23時45分に起床して滝に入って身を清め、五百段もの階段を上って参籠所で真っ白な死出装束に身支度を整え、そこから毎日往復48kmの険しい吉野の山道を勤行をしながら歩くという過酷な修行を千日間行い、さらに断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける「四無行(しむぎょう)」を達成し、阿闍梨になったと言います。

 

 それに比べたら、ただ階段を上がるだけなんて、全然大したことではありませんね(^^;;

 

 さて、この後は、この場所から少し離れた場所にある吉野神宮に参拝する予定です。

 

 とはいえ、バスもタクシーも走っていないので、歩いて行くしかありません。

 

 はたして、無事に吉野神宮までたどり着けるかどうか…… 明日のブログに続きます。