近江塩津駅 ・ 敦賀駅 (JR 湖西線 ) だいぶ平穏な北陸行軍・・・ | りこたび

りこたび

トレすごで足あとをつけたいがために出る鉄道旅と武家時代のウィキを読んで興味深い人探しをしょっちゅうやっている人のブログ

正月に青春18きっぷで敦賀まで一気に向かいました。

 

たった1日なのに

すでに5記事かかってます 笑

 

間違えて降り立った比叡山坂本を出て

宿泊地、敦賀へ向かいました。

 

いやー、青春18きっぷで

ここまで来れるもんですね〜

到着がもっと遅くなってもよくてノンストップだったら

もっと行けますね。すごいわ。

 

 

 

座り続けてさすがに腰疲れてきたとか

年末まで仕事いろいろ大変だったな〜とか

世の中ガー、とか

 

 

いろいろ言ったところで

 

 

こんな、電車でのんびり移動できるだけ

なんにせよ平穏なんだと思います。

 

 

 

 

名目上は南朝の「官軍」ながらも

形勢逆転かつ北朝に寝返った足利尊氏に追われる身となり

新田家復興へ最後の望みをかけて向かった北陸

 

 

新田義貞は何を思って敦賀に向かったのか。

 

 

私が理解できることではないですけどね。

 

 

 

仕事で関西に住んでいた時期があったですし

琵琶湖のここら辺を通るのは初めてではないですけど

 

 

当時はそんな視点全くなかったわけで

琵琶湖一周ウェ〜〜〜イ♪ぐらいのノリでしたね。

 

 

 

後醍醐天皇方と別れて北陸へ向かう最中、

足利軍に襲われた新田軍は陸路ではなく

堅田〜海津間を船で移動し、

そこから(おそらく)福井寄りのルートで

敦賀に向かったとのこと。

 

 

その時はまだ10月中旬だったけれど、

特に寒さが厳しい年だったので

↑このことは木の年輪幅から裏付けられてるらしい

途中猛吹雪に遭い、

犠牲者を出しながらの峠越えだったと。

 

 

 

その様子を追うなら

敦賀に行くのは冬でなければ意味がないので

どうしても冬の間に行きたかったのですよ。

 

峠越えはもっと福井寄りとされているので

ここは全く違うんですけど

こんな感じだったりするのかな?とか。

 

 

船に乗ったとされる堅田をちょっと過ぎたあたりだったかな。

 

 

 

足利軍がここいらに兵を置いていたかもしれぬ。

 

 

そうこうしているうちに

琵琶湖から上陸したと言われる

海津大崎が近づき

 

 

 

 

 

 

湖西線は琵琶湖を離れ、だんだんと敦賀方向に向かいます。

 

 

 

 

北陸本線との分岐点、近江塩津駅でちょっと停車。

 

 

ホームに出る時間があったのでちょっと出てみる。

 

 

ぼちぼち日没です。

 

 

 

晴れ晴れの初日の出を見ていた太平洋側とは

うってかわってどんよりとした空。

北陸が近づいてきた感がありますね。

あれと同じ日ですよ。

 

 

でも残念ながら雪は降っていなかったのですよ。

北陸行軍の悲壮感は再現できず・・・

 

 

しかも肝心の琵琶湖湖畔あっさり過ぎちゃったしなぁ・・・

 

 

 

やっぱ明日通り直すかぁ〜〜

 

 

 

いずれにしろこの日はもうタイムアップなので

おとなしく敦賀へ向かいます。

 

 

 

北陸は鉄道的にも興味深いのでいずれまた

別旅で行きたいとこが色々あるな。

 

 

 

新幹線開通への期待がビシビシの駅前。

 

 

こうして

 

 

長い長い元旦がやっと終わりました・・・

 

 

くもり雨

 

 

正月に新田義貞北陸期を辿るシリーズ(たぶん超大作になる)

東海道線 日の出編

東海道線 富士山編

東海道線 静岡の車窓編

東海道線 愛知・岐阜の車窓編

湖西線 比叡山坂本編

湖西線・北陸本線 琵琶湖湖畔〜敦賀駅 ←イマココ(ここまで元旦)

湖西線 堅田駅

(つづく)

 

新田軍 鎌倉街道進軍を辿るシリーズ

分倍河原(1)

(つづく)