先週 足の指から甲を捻挫?してから 運動を原則できないでいる
歩くだけが運動みたいな毎日だ
昨日で一週間経つが 悪くはなっていないが 状況だ

原因は 一本下駄で山道を500メートル程度だが 歩いた結果 登りは行けたのだが 荒地の凸凹に下駄を掴まれて
一本下駄をご存知の方しか解らないだろうが 下駄が高いので右前に先が落ちて体重がそこに乗ってしまい 右前側に全体重を乗せて鼻緒の止めによって捻じ込められた格好で あ右足の人差し指から小指までの根本から甲までが厚みを増して居る
歩けはするのだが、四股を踏んでも片側だけ 剣道なんて考えられず 昨日の抜刀も行きはしたが見てただけ

今朝 いつもの朝の本身の抜刀素振りは良かったが 切り込む姿勢を取ったら五本程度で 右足が音をあげた
斬り込むのにそんなに力も勢いも入れていないのに 足への負担は相当なものなのを知った
だから力を入れなくても 体重の移動で斬れるのか というのを知った

通常の健常状態だと気が付かないが
どこか故障すると その運動の身体への負担が解る 健康 健常 というのは こんなに大事なものだったのに気付かされた

多くの民間の事務職の人が同じだと思うが

しばらく前にFacebookに記したのを転用しよと思う

 

何から何まで コロナの所為 ?おかげ? 

人のやること出来ることって そう 自然に対しては 決めた制度を緩めるくらいしか無いのか 人に対しては出かけちゃいけないって締め付けでもあるが
だけど いくら制度を緩めても また人々への外出規制を行っても 自然の怒りは収まらない 🌏 は人類の不遜に怒ってるのではないか

 

これまでも、日々増加してきた
天候不順 天災 大気温上昇などなど、警告に気が付かなかったのは 鈍いからか 無視しているからか ...
遂に 人体への直接関与を始めた訳だ


人類だけの世界をつなぐSDGs 意識化でも間に合わなかった 

人類の叡智 より 無知無明が優ったことになるのか

 
政治と言う 無力な行いも 茶番劇場の体

これで 🌏 規模の適正化害虫駆除は有効に機能するのか

それともこの警告が少し収まったら、また忘れて貪欲な経済活動(搾取使い捨て活動)文明は復活するのか 

 

世界に散らばる主権国家意識の 脹れ上がった村々の閉鎖は ただ神の怒りを収める為に祈るしかない行為となにも変わらないじゃないか
人類の無力さを思い知るべきである 思い知る必要のある人たちが 意識しなければ 変わらなければ 人類の進化はここら辺で停止するのだろうか

いま 高慢な支配者意識の指導者層と意識している無知な人々は 懺悔し 自覚出来なければ 役割は担えないことにどれだけの者が気が付いているか 怪しいものだ
指導者位置に居ると意識している者達は 真に指導者なり得るのか その無知無明の為に 優れた無告の民を 置き去り犠牲にして 自らの運の悪さを嘆き また 他者の所為として逃げ惑うのか 

 

無告の民よ立ち上がろうではないか
小さく 静かに ガイアとの真摯な対話をすべく 心静かに 足元を見つめて 森に畑に行こう  

鍬を持ち 稲穂の子孫を絶やさないために 百姓に戻ろうではないか

 

充実した地面を見つめて 永遠で無限な広がりの空を見上げて

 

 もう一度やり直そうではないか人生をガイアと共に歩むことを 

今本を読んでて気がついたこと
日本の大企業のいくつかが、問題を起こしことを報道されている
また歴史のある有名企業が海外の資本に助けられた
持っていかれてしまった。と言うのかもしれない。

日本の企業文化 日本の明治以降の文化 輪をかけた昭和後半からの日本の在り方は、日本の培ってきた土壌 環境 文化の片面を残しながら、その片面である基礎の部分を忘れてきた様に思う。

企業も 政治も 教育も と言う前に教育からだろうが
教育もまた教育からではなく 学びから 始めなければならない 改めて

明治のエネルギーは 武士だけでなく 武士になれる百姓や町民にもその基本が備わっていたからではなかろうか
右傾化するのではなく 良いものや伝統文化を 忘れきれないうちに 取り戻そうではないか

月曜日は事務所の出勤時間は8:30 に決めた
いや、ずっとそう決まっている
決めたというのは、就業規則上、8:30出勤ならば、16:30退社と規定すべきだと意見された(意見が出てきたからだ。当然ではある)
働き方改革と言う言葉はとても素敵で心地よく夢見心地になるが、内部のはたらきかたの変化を顧客が認めてくれるかどうかが?課題はないだろうか
そりゃあ大企業は下請けや顧客に示達すれば済むだろうが
中小や小零細の我々では、営業担当兼管理職と称する社長やボスの仕事がやたら増えることになる
だから責任者の席に若い人は近づくのを嫌ってるのかもしれない  これは自己危機管理予知能力か?
昔は責任者とは威張って下に指示を出して済んでいた事もあった様だが 最近では、下(部下と言う意味で人格の問題では無い念の為)と客の板挟みで、苦労して来たのに苦労は増すばかり
愚痴になってしまった
働き方改革の成否は、個別企業の取り組み方もあるが重要なのはそれより、外部環境の整備が重要と思う
通勤の交通機関も 子供の世話を頼める場所も歳とった家族のケアも病気の家族の問題も
それに独自でうちの事務所も取り組み始めたが、苦労と困難は増して引退への花道はまた見えなくなって来た
ツラツラ愚痴って来たが、そう言う事で、前にも増して月曜日は早朝の出勤をしている
乗車駅6:22の普通電車が、なんと本八幡行き(京王線なのに新宿新線乗入れ) 時刻表を眺めると  一日この時間帯に二本だけなのである
これに一度乗ったら、「座れた」のである
特急に乗り換えれば20〜30分は早く着くが、ゆったりと座って寝ても行けるし、iPadでメールや文庫も書きやすいし本も読めるし
で本日は「テクニウム」という書籍を読書
しばらく前今年の6月5日朝からの読書開始だが、途中他の本数冊に浮気して来た
しばらくして再開するとやはり刺激的な内容である

本文で422ページあるから持ち歩きと電車中立ち読みが辛いので、一旦休憩したが、未来を占うおとぎ話

僕は新しモノ好き    珍しモノ好き  発明家じゃないけれど、母の影響だろう 血筋か  DNAか無関係ではないだろう  同じ傾向だ
そこでまた 脈絡の無い(と見られる)発想や見解を口にしては 不思議らられる
不思議に思われるのはまだしも  わけわからない  と思われる様だ  説明力に欠けるのかもしれないとも思うが

この「テクニウム」テクノロジーはどこへ向かうのか  も何故この書物に行き着いたか?
はおそらく、破天荒(とまでは言わないが)通常の発想を逸脱しているかもしれない
ダン・ブラウン の新作「オリジン」を読んだことから、その中に出て来たキーワードにアクセスしてこの書に行き着いたのだ
(ダン・ブラウンは映画にもなっている ダビンチコードで有名だが、僕が読むと、彼の小説にはいつも現代社会批判が内在していると読むが)
そこで  単なる、小説のネタ本ではなく、意味ありに追いかけて掘り下げるのが、僕流