「双樹」(『黄蝶舞う』所収)の作り方 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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いよいよ頼家の最期も

近づいてきているようなので、

 

このタイミングでやっておかないとな、

ということで

 

今回は「双樹」という

自分の短編について少し。

 

あ、もちろん冒頭は

『鎌倉殿の13人』の

進み具合の話です。

 

僕が彼の死をモチーフにして

書いているのが、

 

『黄蝶舞う』という作品集所収の

この「双樹」だったりするもので。

 

本書収録の五編の中で

実は一番最初に

できあがっていたのが、

この「双樹」でした。

 

それも、デビュー前に書いてました。

 

『君の名残を』を一旦書き終えて、

時代背景、考証的な部分での

ストックが自分の中にあることは

それなりに自覚していたので

 

それを活かせる方法はなんだろう、とか

思いあぐねていた気がします。

 

そんなタイミングで、

伊豆文学賞というのを見つけまして。

 

伊豆→修善寺ときて、

「修禅寺物語」はそういえば

頼家だったなあ、

みたいな感じになった記憶があります。

 

だからまあ、本編のサイズは

同文学賞の応募規定に合わせて

そもそも設計されていたりします。

 

 

既読の方は御承知の通り、

この「双樹」という一編は

 

岡本綺堂「修禅寺物語」の

登場人物の名前を

全面的に借りて成立しています。

 

「修禅寺~」では

かつらとかえでというのは、

本物の人間の姉妹なわけですが、

 

“かつら”と“かえで”なら、

木の精でもありだよな、ということで、

 

本作の二人ができあがりました。

 

ですから二人が自分たちを

“夜叉の娘”と表現するのは、

 

「修禅寺~」での姉妹の父親が

夜叉王という名前だからです。

 

そしてまあ、頼家の最期を描いて、

最終的にむしろ

 

この「双樹」の方が

「修禅寺物語」そのものの

縁起であるような振りをするという

 

ある種ウロボロス的な構造を

仄めかして幕を引いています。

 

元ネタを飲み込んでしまうとでも

いうのがいいのかも知れませんが。

 

こういうのは割りと好きです。

 

 

あえて大雑把に書きますが

「修禅寺物語」というのは、

 

夜叉王という伊豆の面作(めんつくり)師と

彼に娘たち、かつらかえでの姉妹のうち、

特に姉のかつらを主人公とした

 

いわば綺堂版「地獄変」のような作品です。

 

とはいえもちろん

展開は全然違います。

 

そもそも舞台が違いますし。

 

なお、「修禅寺物語」の方は、

小説ではなく戯曲です。

 

今手に入るのはこちらかな。

 

で、僕がこの「修禅寺物語」という

作品の存在を

まずどうやって知ったかというと、

 

これが間違いなく手塚治虫の

「七色いんこ」で

扱われていたからだったんですよね。

 

たぶん中学生くらい。

 

ですから概略はずいぶんと昔から

知っていたはずなのですけれど、

 

「双樹」執筆の際に初めて

原典に当たってみました。

 

しかも考えてみれば、

手塚作品には確か、

 

樹木の精神性のようなものが

人の形を採って現れるという話も

たぶん複数あるはずなので、

 

そういう意味でもつくづく

自分は彼の作品群の影響を

 

多大に受けているのだなあ、と

思いなおしたりもいたします。

 

まあ、神様なので当然かもしれませんが。

 

 

この「双樹」を書いていて

特に楽しかったというか、

 

ある意味一番こだわっていたのは

姉妹二人の台詞回しですね。

 

物の怪っぽく、かつ

少なからず微笑ましく、

ある意味ではどこか

なまめかしくもある

 

みたいなところを

意識して目指していた気がします。

 

音数や繰り返しの使い方には

相応の注意を払ってもいます。

 

「たしかに、たしかに」

かなにしようか感じにしようか

小一時間悩んだり、とかですね。

 

 

おかげさまでこの

「双樹」という作品は、

『文蔵』という雑誌の創刊号に、

 

それも小説作品としては

一番最初に一挙掲載され、

 

のちに同誌でそれぞれ短期連載された

「悲鬼の娘」「黄蝶舞う」

および「されこうべ」の三編に加え

 

冒頭の「空蝉」を書き起こす形で

『黄蝶舞う』として

一冊にまとまる運びとなりました。

 

ちなみに上記の中では

「悲鬼の娘」だけが

 

「双樹」と同様デビュー時に

すでに草稿があったものになります。

 

当初は「双樹」と「悲鬼~」がもうあって、

それぞれ頼家、実朝の最期を扱っているから、

 

あとは頼朝の死が書ければ

一冊になるかなあとか、

漠然と思っていたのですけれど、

 

「悲鬼の娘」の主人公が公暁で、

そうなると一冊の中に

 

実朝の視点のテキストが

一切なくなってしまうのが、

 

なんとなくバランスが

あまりよくない気がしたのと、

 

取材を進めるうちこの実朝という人が

非常に興味深い人物だったことが

僕にも段々とわかってきまして、

 

急遽「されこうべ」よりも先に

「黄蝶舞う」を書くことにしました。

 

それがまあ、結果として

書名にせざるを得ないくらい

一番力の入ったテキストに

なってしまうのですから、

 

本当、先のことは、自分自身ですら

よくわからないものだなと思います。

 

特に「黄蝶舞う」と「悲鬼の娘」とが

同じ一冊の中で、

実朝暗殺事件の、いわば表と裏を

 

それぞれ描き出す形となったのは

怪我の功名というのがいいのか、

 

想定していた以上の

面白さになってくれたのではないかと

自分でもそこはそう思っています。

 

 

ただいずれにせよ、

この「双樹」を

まず書いていればこそ、

 

やがて『黄蝶舞う』という本が

生まれることになったことは

揺るがぬ事実なわけでして、

 

しかも、そんな二十年以上も前の

それも素人時代の原稿が、

 

まだ市場にあって、

手に取っていただける機会が

皆無ではないということが

 

どれほど幸運な出来事なのかは

改めて身に染みているこの頃です。

 

ちなみに『黄蝶舞う』ですが、

現在紀伊国屋書店さんが各店舗に

 

改めて多少入れて

くださっているとのことなので、

 

お寄りになった際には

探してみていただければ幸甚です。

 

 

さらについでながら、

北条の命を承け、

頼家暗殺のため現地に赴く

金窪行親という人物が

 

「修禅寺~」にも

そして当然「双樹」の方にも

登場してきているのですが、

 

あの梶原善児のモデルは、

この行親なのではないかと、

どこかに書いてありました。

 

まあ善児とトウは九分九厘

修禅寺には行くのでしょうねえ。

 

 

そうそう、オチというわけでも

ないのですが、この「双樹」、

先述の伊豆文学賞には

 

お恥ずかしながら

かすりもしませんでした。

 

日の目を見せることができたのも、

御縁なのだろうなあ、とつくづく思います。

 

では今日のところはこのへんで。