大姫哀歌 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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よもやまるまる一回分

義高と大姫に割いてもらえるとは

つゆも思わず。

 

そこでちょっと予定とは

順番を逆にして、

今回はまずその大姫のお話を

 

少しまとめてさせて

いただこうかと思っております。

 

いや、本当は、まず義仲を

もう少し掘り下げる

つもりではいたんですよ。

 

 

さて、僕自身が作中で

彼女を登場させているのは、

 

 

 

この『君の名残を』の下巻収録の

平泉之章で、巴と対話する場面と、

 

あとそれから、先般の

蝉の抜け殻の時の記事(→こちら)で触れた、

『黄蝶舞う』の冒頭の「空蝉」、

 

 

さらには、同書のタイトルにもなっている

中編「黄蝶舞う」にも、

 

ちょっと史実にはないだろうやり方で、

登場してもらっています。

 

ほか、名前だけ書いたような箇所は

捜せばまだあるのかもしれませんが、

 

とにかく書いた本人としても

どれもが非常に

印象深いテキストとなりました。

 

 

この大姫と義高との

悲恋物語に初めて触れたのは、

 

たぶん『草燃える』だったのでは

なかったろうかと思います。

 

ただもう、ほとんど記憶には

残ってはおりませんですねえ。

 

長じて『君の名残を』の取材の中で

改めて、永井路子さんによる

 

『北条政子』『炎環』ほかの

鎌倉関連の作品群を読みなおし

 

概略を把握しなおした気がします。

 

その時にも思ったはずなのですが

改めて考えてみると本当、

 

大姫の境遇というのは、

察してあまりあるというのが

いいのかどうか。

 

たぶん彼女が生まれた

まさにその直後くらいから

 

頼朝すなわち鎌倉殿と

その周辺というのは、

 

板東の片田舎にぽつりと浮かんだ

それこそあぶくみたいな

貴族社会になっていった、

 

少なくとも頼朝自身が

そうなることを

望んだのではないかと思います。

 

自前の兵力をほぼ持たない

頼朝の拠り所というのは

貴種であることしかないわけですから、

 

それを補強しようと思えば

周囲との格差みたいなものを

誇張するしかなかったのかもしれません。

 

だとすると、ここから先は

想像するしかないわけですが、

嫡男万寿(=頼家)の誕生の前の段階では

 

大姫こそはその貴種の

今のところ唯一の

直系だったわけですから、

 

なんというかだから、きっと、

普通の家の子供がするように、

 

近所の同じ年頃の友だちと

表で遊んだりなんてことも

 

あるいはほとんどさせてもらえては

いなかったのかもしれません。

 

そこへ、年のさほど離れていない、

とはいえ義高の方は

彼女よりたぶん五つか六つは

上だったはずではありますが、

 

それにしたって周囲の大人よりは

よほど自分と近しい、

親しみの持てる相手が

いきなり現れたわけです。

 

貴種としてもある意味対等であるうえに、

両親からは許嫁だとまで教えられる。

 

それこそ少女の彼女にはこの義高が

わずか一年ほどのつかの間のうちに

 

まさしく世界のすべてのような存在に

なっていったのかもしれません。

 

ですから、母にも黙って

懐に短刀を忍ばせて

 

父頼朝の前で自分の喉元に突き立てる

あのエピソードについては

 

あっても全然おかしくはないな、と

個人的には思った次第です。

 

 

ここから先は、ここで書いちゃうの、

ずっと、どうしようかなあ、と

実は思いあぐねてもいたのですが、

 

まあ今後このネタに触れられる場面が

そうそうあるとも思えないので、

 

もう書いてしまうことにします。

 

おかげさまでデビューから数えても

もうすでに二十年、

 

その前の修業時代を含めれば

三十年とかそれ以上、

 

こうやって画面に向かって

つらつら文章を書くことを

幸いにも止めずに

続けられているわけですが、

 

そんな中でもただ一度きり、

タイプを打ちながら

 

思わず泣き出してしまったという経験が

実はあったりします。

 

――いや、さすがにあの時は

自分でもびっくりしましたね。

 

こうやって文字にしてしまうと

なんとも気恥ずかしいわけですが、

 

あ、だめだ、と自分で声に出して

キーボードから手を離し

大急ぎで画面から顔を背け

 

椅子から立ち上がったことも

いまだ忘れてはおりません。

 

いや本当、あとにも先にも

あんなのはあの一度きり。

 

それがまあ、冒頭で出した

巴と大姫の対話というか、

 

ほぼこの大姫の

独白の箇所だったりしたんですよ。

 

たぶんその体験が

あまりに強烈だったもので、

 

後に「空蝉」なり「黄蝶舞う」なりを

書こうと思ったことは間違いないです。

 

たぶん彼女の生涯と、そこから先を

自分の手で形にしておきたいくらいに

考えたのではなかったかと思います。

 

 

とりわけ「黄蝶舞う」のラストは

決して明るい終わり方ではないですし、

 

むしろ真逆といっていいくらいの

内容ではありますが、

 

書けた時には手応えも感じましたし、

ある意味肩の荷を

ようやく下ろせたような気にもなりました。

 

自分で言いますが、

ああいうのをきっと

会心の出来というんだと思います。

 

 

まあ、そんなことも

昔あったというお話でした

 

やっぱ書かなければよかったかなあ。

 

ただ本当、自分の文章を

読みなおして泣いた、というのでは

なかったはずなんですよねえ。

 

むしろこれから

文字にしようとしている内容が

あまりに悲しくて

 

いよいよ押さえ切れなくなった、

みたいな感覚だった気がします。

 

するとね、こう思う訳ですよ。

 

ええと、これはどこにあったんだ、と。

 

 

以来僕はどちらかといえば

作家=シャーマン説に

正直傾きがちではございます。

 

いつもいつも、そこまで自分を

追い込めている気も

全然しないわけですが。