「空蝉」(『黄蝶舞う』所収) | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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いや、今日はなにが驚いたかって

義高が、蝉の抜け殻を

握りつぶした場面でありました。

 

 

おかげさまで『鎌倉殿の13人』には

今回もすっかり、

 

自分でもどう形容していいのか

てんでわからないような気分に

させられているのですけれど、

 

あ、だから、義仲と巴の出番が

けっこう多くて嬉しいけど、

 

でも来週か再来週には二人とも

いなくなってしまうんだろうな、とか、

 

この義仲追討のタイミングで

鎌倉で何が起きていたかは

自分は全然調べてないや、とか、

 

本当いろいろ頭の中を

正直引っ掻き回されしまう訳でして、

 

倶利伽羅一瞬だし

行家はきっとあんなやつだよろうな、とは

僕も思うし、とか、

 

知盛維盛出番全然少ないけれど、

いやでも、そこは僕もあまり

他人のことは言えないよな、とか

思わないでもなかったりしたり、

 

とにかく今回は特に忙しい

四十五分でありました。

 

 

ところが中でも個人的に

群を抜いて衝撃だったのが

 

“蝉の抜け殻”だったりするのです。

 

というのも実は僕は

「空蝉」という作品で

 

臨終間際の大姫に

まったく同じことを

させているからです。

 

この『黄蝶舞う』という

連作短編集については、

 

本当はもう少し先で取り上げようと

いうつもりでいたのですけれど、

 

ちょっと唖然として、ついこうして

ブログなんぞを書き起こしています。

 

 

だけどこちらもすでに、

書いたのは10年以上前。

 

頼朝、頼家、実朝のそれぞれの死を

題材にした短編集を作ろうとして、

 

PHPさんの『文蔵』という雑誌に

数年がかりで発表させて

いただいていたのですけれど、

 

いよいよ本にしようという段になり

ド頭が「されこうべ」では

 

ちと重いといおうか

おどろおどろし過ぎるので、

 

プロローグ的に書き下ろしたのが

この「空蝉」という作品でした。

 

当時どういう取材をしていたかは、

さすがにほぼ覚えてないですね。

 

はたして吾妻鏡とか盛衰記とかに

義高と大姫と蝉にまつわる挿話が

あったのかなかったのか。

 

タイトルを決めたら

一気に書き上がってしまったことは

鮮明に覚えているんですが。

 

 

いやでも、本当目を見開きました。

 

正直三谷さんが同書を

読んでくださったりしたのかは

僕にはまるでわかりません。

 

それに当り前ですが、僕だって

現場を見て書いたりはしていない。

 

そんなもの僕の頭の中にしかない。

 

でも、こういうことがあるとなんか

ああ、俺、正しく拾えていたのかも、

みたいな気分になってまいります。

 

もちろん史書に残っている

はずもない訳ですが、

 

あるいはあの二人の間には、

何か蝉の抜け殻をめぐる思い出が

きっとあったのかもしれないな、

――とかね。

 

文庫の表紙はこちらになります。

 

 

 

この装丁は、自分の本の中でも

ひょっとして一番好きかもしれません。

 

「空蝉」本編は、床に伏せった大姫と

政子の会話だけのいわゆるワンシーンもので、

 

文庫本でも15ページという

ほぼ掌編といっていいサイズです。

 

お手にとってもらえれば嬉しいです。

 

なお、今回の義仲と巴の話は

また機会を改めてすることにします。

 

書影だけは、まあ、しつこいけど。

 

 

 

ああ、でもマジびっくりした。