もう少しまた『君の名残を』 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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またぞろ少しこの本の話です。

 

 

今年は本当、次にいつあるかも

定かではない大河イヤーなので

どうか御寛容いただけますよう。

 

それに、今回の復刊に関しても

各方面でご尽力下さった方々が

複数いらしてのことなので

 

なんか自分にもアシストできて

消化に繋がればなというのが

 

やはり本音ではありまして。

 

 

さて前回少しだけ、原型については

会社員時代に書いてましたよ、

みたいなことを

 

ついうっかり申し上げて

しまった形にもなっているのですが、

 

まあ、本作が実は

僕が生まれて初めて

 

最後まで書いた小説であることは本当です。

 

ただし、今本になっている原稿とは

まるっきり違ってますけどね。

 

発表できそうになった段階で、

というのはつまり、

 

デビューできることになったところで

頭から全部書き起こしなおしています。

 

たぶん一字一句残ってはいない。

 

しかも、あれでもだいぶ削ってますし。

 

だからまあ、僕自身の

執筆時の思い出というのは

 

じつはもう二十五年以上も前のことで

当然業界につてなど

一切なかった時代のものになります。

 

いろいろなものが変わったよなとか

つい年寄りじみてしまいますが

実際年を取ったのだから仕方がない。

 

たとえばですが、

最初の最初に書いた時点では、

 

冒頭のプロローグでも

主人公の二人が二人とも

携帯電話なぞ持ってはいませんでした。

 

スマホなんてまだ影も形もなかったし。

 

ええそうです。通勤の電車では

皆様文庫本とか新聞を

広げていらっしゃった時代です。

 

週刊誌と文庫の新刊の

吊り広告も必ずありました。

 

まさかこんなになるとはねえ。

 

当時はけっこうはっきりと、

三〇になる前に

これを完成できなかったら

 

自分はきっとダメだろうな、

くらいのことを、

かなり鮮明に思ってましたね。

 

これは今でも忘れてないです。

 

最後の最後のエピローグまで

曲がりなりにも一応

テキストが届いたのは

 

問題の誕生日の二日前でした。

 

ちなみに当時使っていたのは

卒論のためだけに買ってあった、

サンヨーさんのワープロです(笑)。

 

データは当然フロッピーデスク。

 

さすがに五インチではないですが。

 

 

前回木曾義仲の

入京の際の陣容について

少しだけ書きましたけれど、

 

それと並ぶくらい

思いついた時に

ほぼガッツポーズ気味にまでなったのが

 

弁慶の名前を書き下した部分です。

 

作中では平泉時代に藤原秀衡が、

武蔵坊に弁慶という名前を

改めて与えたことにしてありますが、

 

もちろん典拠はありません。

 

でも、この弁慶という綴りに

頭の中でいわばレ点を打った時、

 

え、きっと、これマジで

こういう意味だったんじゃないの、

くらいに思ったものでした。

 

作中にもその通り書いておりますが、

慶(よろこ)びを弁(わきま)える、ですから、

 

まさに異世界から来て

未練を引きずったまま

 

それでも生きていかなければならない

いわば自分で創った武蔵の姿に

 

ピタリと嵌まったように思ったものです。

 

これは確か、頭から書き進めて

萌芽之章の該当箇所を書いている時に

閃いたように覚えています。

 

 

ちなみに『鎌倉殿の13人』で

この弁慶を演じている佳久創さんは

 

あの郭源治さんの

息子さんなのだそうですね。

 

ストッパー時代の印象は

本当に強烈だったものですが、

 

それと同時に、

あ、ここにもゲンジだし、とか

つい思ってしまいました。

 

かくのごとく、名前とは

実に不思議なものであります。

 

そもそもが『君の名残を』という

お話そのものが

 

名前のネタがなければ

成立しない訳でして、

 

だから友恵=トモエという

仕掛けをまず思いついた時点では

 

僕自身もまだ、自分が平家物語に

真っ向から挑むことになろうとは

 

ほとんど考えてもいなかったりも

したんですよね、実は。

 

それはまあ、原稿を書き始めるよりも

さらに大昔の出来事だったりする訳ですが。

 

それはまた別の機会の講釈で。

 

 

さて、名前で強引に結びつけますが

実はデイヴィッド・ボウイの出生名は

デイヴィー・ジョーンズといいます。

 

これを『デイジー・ジョーンズ・

アンド・ザ・シックス~』の

作者であるテイラー・J・リードが

 

まさか知らなかったはずも

あるまいな、と思っています。

 

 

そのせいかどうかはわかりませんが、

作中でデイジーは、

 

「誓ってボウイとは寝たりしてません」

 

とか発言してたりもします。

 

でも、こういう一言が、

虚構内存在であるデイジーの

リアリティーを一気に増すんですよね。

 

この本に関しては本当、

ほとんどドキュメンタリーの感触で

読んでもらえれば

 

僕も訳者として、作者リードに

きっちり顔向けができる感じです。

 

前にも書いている気もしますが、

たぶんオーラルヒストリーの

形式で書かれた小説というのは

 

ほぼ前例がないんじゃないかな、とも

思わないでもないでいます。

 

以前紹介したRSの記事で

インタビュアーの記者さんが

言っていた通りで

 

たぶんこれ、面倒臭いこと

このうえないはずです。

 

しかもペイパーバック一冊分。

 

うわあ、と思うのと同時に、

どんなネタなら自分でも

この形式をやりとげられるのだろうかと

つい考えたりしてしまいます。

 

 

この『デイジー~』については僕も

同書の後書きでも書いている通り、

 

アマゾンプライムでの映像化の続報を

今か今かと待っている感じなのですが、

 

なかなか詳細が出てこない。

 

公開が決まればまた、

いろいろ書くつもりではいるのですが。

 

最後になりましたが、

こちらの本も

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

人生とか自分とか

つい考えてしまう皆様に、是非。