木曾義仲登場! | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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すっかり間が空いてしまいました。

月も代わってるし。

コメントもいただいていたのに恐縮です。

 

さらに二冊ほど、今年出せそうな

訳書が動いておりまして、

その立ち上げでわたわたしておりました。

 

うち一冊は、時々ここでも仄めかしている

あの方の自伝だったりします。

 

誤解しないでね(ドント・ゲット・ミー・ロング)

とか、時々言ってるやつですね。

 

今日はまだはっきりとは書きませんが、

わかる人にはこれで十分わかりますよね。

 

よっしゃ、って感じなんですよ。

 

 

さてそれにしても『鎌倉殿~』です。

 

いやあもう、青木崇高さん演じる

木曾義仲が、最高ではないですか。

 

僕はこの作品を書いている関係で

もちろん心底木曾びいきでありまして。

 

 

 

秋本才加さんの巴との関係性も

かなりイメージに近く、

 

しかも、木曾パートは

基本コメディ要素なし。

 

あ、でも義村のあれはあったのか。

 

まあとにかく。

 

なんだか三谷さんの解釈では、

ひょっとして源氏の中で

義仲が実は一番

カッコいいんじゃないのだろうか、とか

 

ちょっと考えないでもありませんでした。

 

義経あれですしね。

 

整君と同じ人とは思えない。

 

それはさておき。

 

もう遠い昔の出来事ではありますが、

『君の名残を』執筆時には

 

やはり僕も徹底的に、

当時の歴史の動きを

勉強しまくった訳ですよ。

 

その時に、こんなふうに思ったことを

いまだ忘れておりません。

 

「え、ってことは

 平家の政権をまず崩壊させたのは

 木曾義仲だったってこと?」

 

いや、ですからその頃は僕もまだ、

木曾義仲について知っていたのは

 

都に入って狼藉を働き、

上皇に嫌われ頼朝に追討された、

 

くらいの感じだったんですよ。

 

当然“木曾の山猿”なんて言葉も

あちこちで目に入っていましたし。

 

 

『鎌倉殿の13人』でも

頼朝の視点中心ではありますが、

 

兵力についての論考が

たびたびどころでなく出てきています。

 

この時期の源氏というのは

基本は子飼いの兵を持っていない訳です。

 

これは頼朝も義経も範頼も、

さらには義仲も

ほぼ同じだったのでしょう。

 

ところが倶利伽羅の後の木曾軍は、

入京までのほんのつかの間に

倍どころではなく膨張しています。

 

取材の中でそれを知り、

そこで僕も初めて、

 

さてこの軍勢とは

いったいどういう集団だったのだろうと

首を捻らざるを得なくなりました。

 

中にはきっと、近江界隈にいた、

夜盗野伏せりの類みたいな輩が

 

糧食目当てに群がったいたりも

ひょっとしてしたのではなかろうか、と。

 

それはだから、義仲本人の

粗暴さの発現とか

そういうことでは決して

なかったのではなかろうか、と。

 

そもそもそんなに人望のない人間に、

京都侵攻まで果たせるはずがないだろう、とか

つくづく思ったものでした。

 

この発見が、いずれ『君の名残を』作中の

義仲の人物造型に繋がったことは確かです。

 

 

考えてみると、この時期に起きた

平家から源氏への政権交代というのは、

 

以下のようなステップを

踏んでいるのだ、とも言えそうです。

 

①  前政権の瓦解

②  朝廷の庇護による暫定的支配の形成

③  武家による独自政権の完成

 

こんな具合に俯瞰できた時に、

やっぱり、お、と思ったんですね。

 

これもエウレカ的感覚でした。

 

だから、これって実は、戦国時代と

ほぼ同じ構図なんじゃないのかな、

とか考えた訳ですね。

 

上にも書いたように

平家の政権を現実的に瓦解させたのは

義仲でした。

 

そして、義経が後白河法皇の寵愛の下

検非違使に任官され、

京都の武力を掌握したことも

 

この時期の彼が、権力者と呼ばれるに

価する存在だったかどうかについては

多少の留保が必要そうですが、

さほど間違ってはいないと思います。

 

そしてもちろん頼朝は

あえて京都から離れた鎌倉に

自前の政府機能を樹立します。

 

なんだこれ、信長→秀吉→家康の流れで

歴史がたどった変遷と、

 

ほぼまったく一緒じゃないか、

と気がついたのが、

 

また第二の発見だった訳です。

 

ですからこうした解釈がやがて、

同作の根底にある

 

時自身が正しく流れることを

欲していたのだという考え方に

反映されていったのだと思います。

 

 

そしてまた、義仲の果たした役割が

信長に比肩しうるものであれば、

 

現在の彼の評価はちょっと低過ぎるよな、と

一人息巻いたことも忘れていません。

 

まあ、その当時の僕というのは

自分の本を出すことを夢見るだけの

一会社員だった訳ですが。

 

 

それでもおかげさまで後年

もちろん『君の名残を』の発表後に

 

幸いにも『歴史街道』という雑誌で、

上のようなことを

書かせてもらう機会を得ることもできました。

 

まあ、そうした経緯があるもので、

こと義仲に関しては

どうにも思い入れが拭えないもので、

 

今回の三谷作品のような描かれ方には

ほとんど両手を打って大喜び、

みたいな状態になっております。

 

そうそう、絶対このくらい

カッコよかったはずだって、

 

みたいな感じです。本当。

 

 

とはいえ『鎌倉殿の13人』は

まだまだ先の長い義時の物語なので、

 

たぶん来週か再来週には

義仲の出番は終わってしまいそうですね。

 

倶利伽羅の章はきっと来週で

全部吸収されちゃうんだろうし。

 

という訳で、青木義仲に

興味を持たれた方が

もしいらっしゃいましたら

 

是非拙著も

お手に取っていただければ幸甚です、と

改めて申し上げたくなった次第です。

 

なお、4月24日の日曜日には

義仲ゆかりの小矢部市で、

 

青木崇高さん秋本才加さん出演の

プレミアムトークなるイヴェントが

開催される模様です。

 

あ、だけどもう応募は

締め切っちゃってるみたいですね。

 

ちょっと行きたかったかなとか、

今さらながら思っておりますが。

 

 

おかげさまで『名残』新装版と

ほぼ同時期に発売となった

『ミッドナイト・ライブラリー』の方も

 

引き続き多くの方に

手に取っていただけているようで、

 

感想を目にする機会にも

多々恵まれております。

 

「抱き締めたい本になった」

「背中を押してもらった」

 

なんて言葉を目にできるのは

やはり訳者冥利に尽きます。

 

 

この本、どういうのがいいのかな、と

ずっと考えていたのですけれど、

 

「人生とは何か、自分とは何かを

 真っ向から問いかけた一冊です」

 

と、御紹介させていただくのが

一番いいのではないかな、とか

ようやく思いついた次第です。

 

小説ってたぶん、そういうものから

逃げちゃダメなんだろうなあ、とか

 

改めて思わないでもなかったかな。

 

自分でできるかどうかはともかくとして、

まずそういう場所を目指さないと

本当はいけないんじゃないのかな、とかね。

 

 

それから先週はずっと

ブライアン・イーノの講演の採録原稿を

訳すなんて仕事を

させていただいておりました。

 

国内盤のブックレットに載るものなので、

商品の告知が可能になったら

またここで御案内させていただくつもりです。

 

 

ああ、今回もまたついつい

『デイジー~』に触れ損ねてしまった。

 

 

こちらもいい本なので、機会があれば是非。