『くたばれインターネット』⑦ | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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おかげさまで本書ここまで
日本経済新聞に「ダ・ヴィンチ」誌、
京都新聞、北海道新聞と

随時取り上げて戴いてきております。


タイトルのインパクトのおかげも
もちろんあるのだろうけれど、

本邦初紹介の作家で、
しかも大きな賞を受賞した
訳でもなんでもなく

そのうえそもそもが
自費出版だったという点まで
考え併せれば、

結構すごいことなのではないかと
多少自負していないでもない。

いい読書だったなと
思って戴けた方が
評を書いて下さっている
気がしております。

でもまあ、繰り返すけれど
この本のくれる読書体験、

僕自身が自作においては
一応は理想としている

クライマックスに向け
感動やカタルシスを

練り上げていくような種類のものでは
まったくないので念のため。


いや、オチはしっかりあるし
しかもちゃんと丁寧に
作り込まれてもいるのだが、

基本全編を貫いているのは
シニカルで捩れた笑いである。

だからそういうのが大好きな方の
手元に届けばいいなと思っている。



たまたまだけれど、アイン・ランドの
『肩をすくめるアトラス』の直後に
本書を手に取ったという方を見かけて、

そりゃ大受けするわなと膝を打った反面、

あれを読もうとする人が
まだこの国にもいるんだなと、
ついつい感心してしまった次第。

僕もいつか挑もうかなと、
思わないでもないでおります。

いえ、実は本書のクライマックスが
そもそもは同作のパロディとして
構想され成立していることは
作中でも繰り返し明示されているのです。



さて、前置きが長くなったが、
今回は基本先週の続き。

英米で出た本書の書評群です。


「嬉しくなるほど辛辣だ。
 思わず引用したく
 なるくらい容赦のない、
 ほとんど天才的とも
 言っていいコベック節が、
 ページごとにこちらを笑わせつつ、
 世に蔓延った金と権力との及ぼす
 不可視の作用に
 我々の目を向けさせずにはいない」
 ――〈メトロ〉

“金と権力の及ぼす不可視の作用”。

延々と繰り出される罵詈雑言の数々が
暴き出そうとしているのが
そういうものであることには異存はない。

そしてネットがそれらを集約する
一つの力場として作用している点も

本書は改めて
考えさせてくれるのである。


「粗削りとはいえ、
 政治と文化とに向けられた
 声高な警鐘であり、
 同時に世界規模で訪れたこの新時代の、
 権力と金とに支配された構造に対する、
 途切れることのない悲鳴とも響いてくる。
 威勢のよい才能が
 沸騰寸前となっている様を
 垣間見せてもらえる訳だ。
 どうするのがいいかって? 
 一日ツイッターからすっかり離れ、
 代わりにこいつを手に取るべきだ」
 ――〈ニューヨークタイムズ〉

先の〈メトロ〉は名前の通り
英国の地下鉄の無料の新聞なのだが、

こちら〈NYタイムズ〉も
ほぼ同じような主旨で論じていた模様。


「本書はインターネットに代表される
 世界規模で蔓延った
 悪意のような存在を、
 優雅にかつ声高に、しかも延々と
 笑い飛ばして見せている。
 フィクションの姿をまとった、
 怒りに満ちた所信表明だと言えよう。
 主人公はサンフランシスコ在住の
 アーティストで、
 本人の些か突飛な言動が録画され
 ネットに流布されてしまったことで
 人生が引っ繰り返ってしまう。
 また同時にこの作品は、
 我々の暮らす現代世界の
 本当の姿へと目を開かせてくれもする。
 日々は中国の子供たちの
 奴隷労働によって生産された機器に
 すっかり取り囲まれており、
 我々が力を実感できるのは、
 ただこうした機械を使って
 不平不満を並べ立てている時だけなのだ」
 ――〈シカゴ・レビュー・オブ・ブックス〉

ここに出ている中国の子供たち云々は、
お察しの通り作中でも
しつこく繰り返されている内容である。

ICを必要とするすべての機器を
指しているといっていい。

最早それなしでは現代の生活が
成り立たなくなっている点には
疑問を挟む余地もない。


「延々止まないコベックの
 不平不満ぶりは
 どこか魅力的でさえある。
 しかも彼は、決して
 特定の購買層や派閥に
 おもねるようなことをしていない。
 このネット時代においては
 希有な資質であると言える
 ――〈スペクテイター〉

まあこれもこの通り。

何が潔いって、コベックは次の
『ONLY AMERICANS BURN IN HELL』では
出版業界さえ槍玉に上げている。

読んでいるこちらが、
これ大丈夫かなと思ったほど。


「様々な意味でこのコベックは革新的だ。
 情け容赦なく攻撃的で、しかも
 死ぬほど笑わせてくれる点で
 まったくぶれていない」
 ――〈ビッグ・イシュー〉

「このジャレット・コベックは、
 エネルギーに知性に機知に繊細さに、
 広範に及ぶ知識量に優しさに、
 そしてもちろん、
 いかにも人を選ばずにはいない
 強烈な悪辣ぶりとを備えた作家である。
 これらが渾然一体となって、
 完全に彼独自の、
 明らかに今の時代に必要とされて
 いるであろう何かを作り上げている。
 ひょっとすると彼こそは、
 現代アメリカにおいて
 唯一意味を持つ書き手で
 あるのかも知れない」
 ――マシュー・スペクター(歴史学者/著述家)

あとがきを書いた時には
どこで見かけたのか忘れていて
少し歯切れが悪くなったのだけれど、

ちゃんと裏が取れたので、
ちょっとだけほっとした。

現代アメリカにおいて
唯一意味を持つ書き手までは
やや誉め過ぎかなとも思うが、

でも現代のアメリカ作家の作品は
あまりよく知らないのも本当。

コベックが指摘している通り
アマゾンやネットの
出現といった状況が

出版業界を息絶え絶えにしているというのは
たぶん真実なのだろう。



前回からこうやって
いろいろ並べてみてふと気づいたのが、

これらのレビューからは
ちっとも見えてこない内容が
一つだけあることだ。

ここから先は多少ネタバレになる。

まあ、ネタが割れたからといって、
面白くなくなる種類の読書では
本書の場合は決してないし、

一応はぎりぎりのところで
踏みとどまるように
するつもりではいるけれど。


さて、本書のクライマックスは、
先の『肩をすくめるアトラス』の
パロディとなっている箇所のほかに

さらにもう一つある。

これが実はJ・G・バラードの
『スーパーカンヌ』とそれから
アントニー・バージェスの
『時計仕掛けのオレンジ』を

いわば両親として
持つような形で成立している。

まあ、詳しい内容は、
読んでからのお楽しみなので
ここでは伏せておくけれど。

ヴォネガットの名前がしばしば
引き合いに出されていることからも
すでに明らかである通り、

だからこのコベックという作家
本質はたぶんSF作家である。

『スーパーカンヌ』も
『時計仕掛け~』も

オーウェルの『1984』と同様、
いわゆるディストピア小説だ。

鬱々たる未来の世界像が
作家の想像力の
産物として提示されてきた。

それ故このタイプの小説は
SF作家にしか書けなかった。

けれどコベックが二十一世紀に
同じことをしようとした時、
作品はSFにはならなかった。

――何故か。

それはたぶん現実の方が
小細工など必要もないほど

かつてSFが描いてきた世界に
近づいてしまっていたからなのだと思う。

だから彼にはむしろ
SF的要素など一切導入せずに
SFが書けてしまったのだ。

だから僕には、上で評者たちが
“金と権力の及ぼす不可視の作用”と
形容しているものが本質的に、

『1984』や『すばらしき新世界』が
浮き彫りにしようとしていたものと
よく似ているように思えて仕方がないのだ。


作中の本人の言葉によれば、
「SFは今や死にかけのジャンル」
なのだそうである。

でもこのコベック、
絶対SFが大好きである。

トールキンやバラードはべた褒めだし、
アンナ・カヴァンとか
キャシー・アッカーまで扱っているし

ハインラインだって
きちんと読み込んでいなければ
あそこまではいじれない。

だから本書
『くたばれインターネット』が
登場してきた事実それ自体を、

舞台であるサンフランシスコが、
ひいては世界そのものが
ディストピアへと近づいているぞという

一つの警鐘として読むことも
実は可能なのだと思う。

とはいえ本文は、各書評が
紹介している通り

基本は罵詈雑言の連続である。

それこそ四分の三は天才だが
四分の一はしょうもない。

さすがにこれを
ディストピア小説の現代版として
紹介するのは気が引ける。


という訳で本稿のオチ。

世界初の
“ディスりトピア小説”という
コピーを思いついてしまったのだけれど

ダメだろうか。

――やっぱダメか。

まあ、こういう滑り具合まで含めて
楽しめる方にこそ
超オススメの一冊である。



最後になったが、今週いきなり、
コービー・ブライアント選手の
訃報が報じられてきた。

本書の翻訳作業で複数回
彼の名前を書いていたものだから、
少なからずどころではなく驚いた。

とはいえ扱いが扱いだけに、
いや、決してコベックは
コービー本人を罵倒している訳では
まったく全然ないのだけれど、

かといって
エールとかファンレター的な
内容ともかけ離れているので、

こういう流れで触れていいものか
大分迷いはしたのだが、
やはり書きとどめておくことにする。

慎んで御冥福をお祈りいたします。


以下、今回触れた本。ちょっと多いかも。