『くたばれインターネット』⑥ | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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思いがけず手元に素材が揃ったので
今回はあちらで出てきた、
本作にまつわる書評群を多少まとめて御紹介。


これらは先頃入手した
彼のほかの著作の
ペイパーバックに掲載されていたもので、

引用元はそれぞれ明記した通りだが、訳は僕。

だから文責は僕が持つわけではないけれど、
日本語についてはソースはこことでも
いった形になるのではないかと思われる。

黒字が書評で、青は僕のコメントです。



「一/四はすくいようもないほど
 しょうもないが
 三/四は完全に天才だ。
 ほかの本と比べればかなりマシな比率だ」
 ――〈クラック〉

そうそう。確かにこういう、
どこか斜にかまえた
いじり方をしたくなる本なのである。


「何よりもこのコベックは、
 まるで優れたピン芸人みたいなのである。
 文章は凄まじいほどの牽引力に富み、
 張り詰めて、実際相当に危険だ」
 ――〈ヘラルド〉

特にこの文章に対する評価は的確だと思う。

しょうもない無駄ばかり書いていながら
構文が複雑で理解しにくいという場面が
ほとんどなかった。

修飾節が並んでくる時は大概わざとだ。

それが牽引力に繋がっているのだと思う。


「アメリカのウエルベックたる
 存在などいったい有り得るか? 
 このジャレット・コベックこそは一番近い存在だ。
 実はさながらヴィクトリア朝期にも
 似てしまった我らのこの時代に、
 方法論こそ彼のフランス作家とは
 時に真逆に見えもするが、
 それこそインドの聖なる牛のごとく
 神聖不可触とされているような
 存在たちに向けてすら、
 執拗なまでの攻撃を仕掛けて見せている点が
 共通しているのである。
 なるほどこの作家はウエルベックと
 同じくらいに物騒だ。
 そのうえこちらは翻訳を待つ必要がない。
 ただし、ページをめくる際に火傷などせぬよう
 耐火手袋くらいは準備した方がいいかも知れない」
 ――ジョナサン・レセム(作家)

評者の一九九九年発表の
代表作『マザーレス・ブルックリン』が
昨年映画化されていて、
しかも現在日本公開中らしいのだけれど、

恐縮ながら映画も未見だし
著作に関してもまったく未読。

SF系の方だと、いってしまっていいのかな?

コベックをウエルベックに準えたのは
どうもこの方が最初であるらしい。

いずれにせよ、そんな彼でさえ
“耐火手袋”みたいないじり方を
したくなるという訳である。

大丈夫です。火傷はしません。たぶん。


「ぞくぞくするほど面白い、
 ハイテク文化と現代社会一般に対する
 悪意に満ちた解析である。
 文学的修辞なんてものが
 慎重に回避されていることは明白で、
 徹底的に考え抜かれたであろう
 文体の取っつきやすさには、
 思わずカート・ヴォネガットを
 思い出さずにはいられなかった。
 しかし本書が読者をつかんで離さないのは、
 文化の腑分けを根拠とした、
 怒りのコメディーとでも
 形容すべき要素であろう。
 あらゆる事象に対する、
 つい引用せずにはいられないほど斬新で
 かつ切れ味のいい定義づけが随所に見つかる」
 ――〈ガーディアン〉

ヴォネガットとの比較は
ほかの場所でも為されている。


「カート・ヴォネガットと
 ステュワート・リーを足して二で割り、
 ツイッターなる装置が掘った
 落とし穴に放り込んでしまったら
 こうなったとでもいう感じであろうか。
 ジャレット・コベックのスタイルは
 賑やかでかつキレがある。
 我々が当然と思っているような内容にも
 彼は怯まずにこの、
 バカバカしくも辛辣な批判の
 矛先を向けていく。
 だから、本書を手に取ることに
 怯んではいけないのである」
 ―-〈スキニー〉

文中に出てくるステュワート・リーは
イギリスのそれこそ
いわゆるピン芸人であるらしい。

こちらも未見だが、風刺的な
ちょっと捻ったネタが特徴である模様。

モンティパイソンを
思い浮かべれば大丈夫なのだろうか。

イギリス人だし、しかも
彼らと同様オックスブリッジの
出でもあるらしいし。


「ツイッター時代のカート・ヴォネガットか、
 ああくそ、さもなければスウィフトか
 ヴォルテールが登場してきてしまった。
 誇張ではない。この男は実に
 風刺的な作品を引っ提げて現れた。
 少なくとも読み耽っている間は、
 誰のものにせよほかの一切の作品群が、
 ただハイテクに腐食され肥大し切り、
 笑顔を浮かべながら陰で
 搾取ばかりを試みているような
 我らが西洋文明によって生み落とされた、
 所詮は視野狭窄の域を出ない
 疑似文化のようにしか
 思えなくなってしまうのである。
 意地の悪い野次みたいなものか」
 ――〈タイムズ〉

スウィフトにヴォルテールまで
並べられれば
自ずとその斜にかまえ具合も
察せられてくるのではないだろうか。


「その歪み具合ゆえについつい
 引用してみたくなってしまう。
 ほとんど全頁にわたって、人生や宇宙、
 さらにはほかの一切にまつわる、
 簡潔だが痛烈で、
 書き留めておきたいような一節が見つかる」
 ――〈タイムズ・リテラリー・サプルメント〉

おかげさまで例の
“皮膚組織中の基底細胞層の真性メラニン”云々は、

随所で引用されておりまして。

いやでも、これがあそこまで
繰り返されているのを

原文で最初に読んだ時の僕の気持ちを
是非とも想像していただきたい。

たぶんそこそこの量の日本語は僕も
おかげさまで書籍に
させてもらってきていると思うのだが、

基底細胞層なんて単語は
かつて一度として
ワープロでも打ったことはなかった。

それがこの一冊で何回使わされたか。


いや前にも書いたかも知れないが
途中からは真性メラニンまで
コピペしておりました。

ま、いろいろ変えるところは変えましたが。

完全武装とか、ね。

さて、紹介したい書評は
まだもう少しあるのですが、
続きはまた改めてということで。

今日のところはこの辺で。



と、思ったのですが
ついでながら少しだけほかの宣伝。


先頃再来年の大河が
三谷幸喜脚本の
『鎌倉殿の13人』だと
発表されましたけれど、

なんと主人公は
北条義時なのだそうで。

浅倉の以下の二冊には
この北条義時が
非常に重要な役割をもって
登場してきています。



特に『黄蝶舞う』の方などほとんど
彼が主役みたいなものであります。

お目に留まる機会がありましたら。


いやしかし、
XXXテンタシオンの次の更新で
北条義時の話題が出てくるなんてのは

きっとここくらいだよなあと
自分でも思わないでもありませんでした。