『くたばれインターネット』⑤ | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

さて、では年を跨いでさらに続き。

実は僕がこの
ジャレット・コベックという人を

こんな具合に一見些かどころでなく
ふざけているようにしか見えない
本を書いているからといって

決して侮ってはいけないなと
心底痛感したのは
次の本に目を通した時だったりする。

この本になる。


XXXテンタシオンというのは
フロリダ出身の
ラッパー/ミュージシャンである。

いや、実は本書に拠れば
彼をラッパーと呼ぶのは

決して正しくはないだろうと
いうことにもなるのだけれど、

いずれにせよ黒人発祥の一大文化
ヒップホップの文脈に咲いた
いわば一つの徒花だった。

かなり最近の人なので、
かくいう僕も
編集部から本書を薦められるまで

存在すら知らなかったものだから、
急いで聴いてみてひどく驚かされた。

確かに誰にも真似のできない
独特の世界を構築できる
希有な才能の持ち主だったと言える。



こんな具合に彼のことは
基本はもう過去形でしか
語ることができなくなっている。

本人がすでに一昨年
世を去ってしまっているからだ。

2018年の6月18日
外出時に銃撃を受けた

このXXXテンタシオンこと
ジャセー・オンフロイは

頸部を撃ち抜かれ、
20歳の若さで世を去った。



コベックもまた彼の音楽には
大層ハマっていたようである。

まだ彼が存命のうちには
一度本人とコンタクトを
取ろうともしていたらしい。

コベック自身は
自著の宣伝も兼ねていたと、

多少自嘲こそしてもいるが、
決してそれだけではなかっただろう。



そして、テンタシオンの不慮の死を受け、
彼についての本を書くことを思いつき、

まずは本人がツイッター上に遺していた
発言の全部に目を通すところから着手する。

そうやって構築されたのがこの本である。

昨2019年の一月には
すでに書籍になっていたようだから

彼の死と同じ2018年のうちに
完成させていたことは間違いがない。

察せられるものは余りある。


原書につけられているコピーが
実に的を射ているので、

拙訳で恐縮だが、引用する。

「二十年の生涯、二万件のツイート、
 一七一頁に及ぶ悪魔への弔歌
 (シンパシー・フォー・ザ・デヴィル)」

まさにこの通りなのである。

まるで長い長い詩のような本だった。

ノンフィクション以外の
何ものでもないことは
確かに本当である。

しかし伝記でも評論でも、
そのどちらでも決してない。

散文と呼んでしまってもいいものかも
少なからず躊躇われてしまうような

そういう非常に特徴的な文体が
全編にわたって貫かれているのである。

それでいて、この
XXXテンタシオンという
アーティストの生涯や、

音楽についてもきっちりと
何かが伝わるようにできている。

たぶん音楽ジャーナリズムからは
絶対に出てくることの
できない種類の内容に
仕上がっていると言っていい。

というか、むしろ本書においては
その音楽ジャーナリズムもまた
一つの批判の対象ともなっている。

その罪を告発、糺弾しているとまで
言ってしまえば言い過ぎではあるのだが。



だからコベックはここで
『くたばれインターネット』にも共通する
彼独特の視座と話法とを駆使し、

XXXテンタシオンという現象を
社会的な観点から解読しようと試みて

それにある程度の成功を収めているのだ。


XXXテンタシオンなるアーティストは
〈サウンドクラウド〉という
音楽投稿サイトにアップした曲が、

商業販売の形態のないまま
ビルボードでのチャート入りを
果たすところからまず

ミュージシャンらしいキャリアの
第一歩を踏み出している。


前時代であればそんなことは
ほぼ奇跡と呼ばれていただろう。

つまりは、ネットがなければ
世に出てくることなど
なかった存在だったとも言えるのだ。

そしてこれを期に
一気に時代の寵児とでもいった
存在へと駆け上がっていく訳だけれど、

この事態は同時に彼の身に
拭いがたくまとわりついていた

若い頃の醜聞の類を
吹き出させてくる結果にも繋がった。


過去の暴力事件や違法行為の数々、
そしてそれらによって
収監されていた事実などが

マスメディアによって
ことさら喧伝されるようになったのだ。

そうすると司法の側も、
傍目にはいびつとしか
映ってこないような動きをし始める。

明らかに発生から十分以上の
間が開いているような事件さえ
訴追されるようになってくる。

実際最初のヒット曲
「ルック・アト・ミー」が

ビルボードのチャートで
一位に輝いたまさにその時、

本人は塀の中にいたりしてしまう。

ついにアルバムの方までもが
チャートを制するに至ったのは
先述の彼の死の
その直後のことだった。



何故こんな、どこか寓話めいたとでも
形容できてしまいそうな物語が現実に

しかもフロリダ生まれの
ただのろくでなしだった

ジャセー・オンフロイなる少年を
あえて主人公に選んで
生まれてくることになったのか。

コベックが解き明かそうとしているのは
たぶんそういうことなのだと思う。

社会全体を動かしてしまうような
見えない力の存在を
なんとかして炙り出そうとしている。

もちろんXXXテンタシオンだけが
一方的に犠牲者だった訳ではまったくない。

コベックはその点も明確にしている。

XXXテンタシオンなる男は
つき合っていた女性のことを

彼女がもう逃げ出さざるを
得なくなるくらい激しく殴ったし、

子供の頃には常習的に盗みも働いていた。

本書もこの点を弁護することはしていない。


ただ以下のようには書いている。

こちらも拙訳の、それも試訳の段階の
テキストにはなるのだけれど、引用してしまう。

「感傷的に過ぎると思って
 いただいてかまわない。
 だけど僕は、XXXテンタシオンは
 本人の最悪の行動だけによって
 判断されるべきではない
 存在だったと信じているのだ」


だから本書は、
彼の音楽が大好きだった著者が

その死を自分で消化するための
一つの手続きでもあったのだろう。

それ故この本は
いわゆるルポルタージュのような
スタイルを採用し、

銃撃事件の真相や
犯人の背後関係の類を

詳らかにしようなどといったことは
一切しない。

あくまですべては
コベック自身の主観を基盤にしている。

そして同時に
テンタシオンを巡って為されてきた

報道なりネットの反応なりを
引用することも極限まで切り詰めてある。

しかしその最小限の引用が
実に雄弁なのである。



『くたばれインターネット』を
既読の方はすでにお察しと思うが、

このコベックが好んで用いる
特徴的な技法は、
いわゆる“反復=繰り返し”である。

本書ではこれが実に効いている。

特に最初と最後の章にそれぞれ
XXXテンタシオン本人による
同じツイートが引用されているのだが、

これがまた、全然違った読み方が
できてしまうように
丁寧に作り込んであるのである。

この点については正直唸った。

こんな手法があるのだと思い
同じ物書きとして嫉妬もした。

一つのクライマックスだと言える。

計算してやってあるのなら
本当にすごいことだと思うのだが、

たぶんこの人は絶対そうしている。

だから侮れないなと思ったのである。


そういう次第で本書もまた
本年中には日本版にできるよう

P-VINEさんと一緒に
頑張るつもりでおるところであります。

もうこれも文字にしてしまいますが
『くたばれインターネット』の方が
いよいよ話題になどなってくれれば、

同じ作家の本として
こちらの方もまた、

世に出しやすくなることも
この御時世本当ですので、

今のところは是非こちらの方を
どうぞよろしくお願い致します。


まあ本当、これもまたずいぶん
人を選びそうな本だよなあとは

僕自身重々わかってはいるのですが。

面白くない人にはたぶん
“何じゃこりゃ”だと思います。

先日読み終えて下さった中に
舞城王太郎さん辺りのノリに

準えていらっしゃる方なんかも
ちらりとお見受けしまして、

なるほどそうかもな、などと
改めて思っておるところです。


確かにちょっと通じるものはありそうで。


最後についでに一つだけ。

そのうちラジオの方でも
取り上げるつもりではおるのですが、

このXXXテンタシオンの
「Jocelyn Flores」というのは
掛け値なしの名曲です。

もし機会がありましたら。