『くたばれインターネット』④ | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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さて、またぞろ続きです。


そろそろ多少深く内容に触れます。

まあ、ネタバレ的なものが
本書に目を通す楽しみを
さほど軽減する訳でもないのですが。


「インターネットに近づく唯一の方法は、
 中心人物が作中に登場しないような
 ひどい小説を書くことである。

 様々な媒体に憑かれてしまったような
 コンピューターネットワークの姿を真似た
 ひどい小説を書くしかない。

 無関係なごわごわとした
 手触りの悪い中身が
 次から次へと現れてくる
 コンピューターネットワークの姿を真似た
 ひどい小説を書くしかないのである」


第五章の終わりからの引用になる。

作者が言い訳しているわけである。

ある意味キモでもあるので、
あとがきにもここを引いたし

以下と大体同じ主旨の内容を
そこに書いていたりもするのだが、

冒頭からこの箇所まで来るまでは、
正直僕自身首を傾げっぱなしだった。

とにかく本書に関しては
小説という既成概念すら
通用しない気がしたのだ。

プロットが全然進まない。

遅々としてどころですらない。

だけど読める。

それどころか、ところどころ
思わずクスリとさせられてしまう。

まずその登場人物が、
いや、本書の場合は、

本筋には決して
登場しない人物まで
含まれてくる訳だが、

とにかくその人物が、
白人なのか黒人なのか、
あるいはそれ以外なのかを
紹介するために、

普通は目にすることのない
些か変わった表現が
徹底的に繰り返されてくる。

いや、この言い回しについては本当、
何度打たされたかも最早わからない。

真性メラニンなる語を
「し」とかで一発変換できるよう

ワープロに一旦登録して
しまおうかと思ったほどだ。


途中からこの漢語の連続については
コピペしていたことは本当です。

必定“ギャグの基本は繰り返し”なる
一節が頭に浮かんできたので、
こちらもあとがきに書きました。

だから、そういう楽しみ方なのである。


ほかにはたとえば
あのビル・クリントンの名前が
登場してきたかと思うなり、
こんな具合にまとめられてしまう。

「ちなみに彼の好物は三つある。
 ①女②自分の声③自由化、だ。

念のためだが、クリントンについては
この箇所以外では触れられていない。

たぶん本人が一応は
民主党支持者だからだと思う。

一方でやはり元大統領の
ブッシュ一族については

親子三代とさらにその
係累にまでわたって
徹底的にぼろくそである。

ジョージ・ブッシュ二世の
二人の弟のうちの一人は、

実に不名誉な醜聞を
繰り返し揶揄されている。

さらには彼らの祖父にまつわる
ジェロニモの髑髏なんて挿話まで
持ち出されてくる。

残念ながら本書の舞台と
原著者の執筆期間とは

オバマ政権の時代であるため、
あのトランプへの言及はない。

しかし御安心いただきたい。

次のDO EVERY THING WRONGでは
期待に違わぬ言及のされ方をされている。

いや、誰も期待なんぞ
してはいないかも知れないが。


で、まあ、とにもかくにも、
こうした一切が
本筋とはまったく関係がないのである。

まさに“手触りの悪い中身が
次から次へと現れて”きている訳だ。


あるいはもし中に僕の以前発表の
「箴言――これは小説ではない」
という雑誌掲載のみの掌編にまで

目を通して下さっているような
奇特な方がいらっしゃったら
お察し戴けるのかも知れないが、

こういうのは実は僕自身
決して嫌いなたちではない。

作者の意見なり見解なりが
登場人物そっちのけで
展開されていくようなパターンだ。

少し気取って言えば
メタレベルとか呼ばれて
然るべき感じの要素たちである。


だけどちょっと思いなおせば
昔はこうした手触りの作品が
けっこう多かったはずである。

そもそもが小“説”という言葉自体が
この形式の有する

こうした傾向に裏打ちされて
採用されていたはずだ。

いうなれば、
語り手が作中にいない文章だ。

たぶん『ジェーン・エア』とかが
こんな手触りだったような気がする。

登場人物の思想信条とか
そういうのが
いきなり説明されてしまう感じ。

いや、やはり読んだのはもう
ずいぶん昔のことなので

きっぱりと断言するまでには
やや腰が引けてしまうのだが。

でもこのスタイルは、
たぶん前世紀の前半に
葬り去られて
しまっていたはずなのだ。


だから僕は本書を読みながら
なんとなく振り子のようなイメージを
片隅に思い浮かべつつ

小説の進化みたいなことを
ついつい考えてしまったのである。

でもそれも、笑いながらなんだけれどね。


ちなみに個人的には
テイラー怪獣のエピソードが
一番受けた。

これ本当かよ、とは思ったが。


ついでに本書の本筋について。

これは以下のように要約できるし
あとがきにもこのように書いた。

“二十一世紀においては
決して許されない唯一の大罪”を
犯してしまったこのアデレーンに
襲いかかった運命の顛末である。

しかしいったいテキストの何%くらいが
この内容に割かれているのだろう。

まあ確かに半分は超えているか。


ヒロイン、アデレーンは
多少は有名な漫画家である。

ジェレミー・ウィンターブロスという
友人の原作を得て書いた

『トリル』という作品が
映画化までされている。

エミルという息子がいるが、
一度として結婚していたことはない。


サンフランシスコで生活し、
かなり年下の
エリック・ウィレムという恋人がいる。

ほかにはSF作家のベイビーや
トルコ系でやはり作家の
ジェイ・カレセヘネムという友達がいる。

でまあ、こんなふうにまとめてみても
本書の手触りを幾らかでも
紹介したことにはたぶん全然ならないのが

この本のすごいところなのである。


では“二十一世紀においては
決して許されない唯一の大罪”とは
いったい何か。

冒頭で示されているこの問いが
一応フックとして
中盤まで十分機能している辺りも、

ちゃんと計算して
書いているんだろうなあと
思わないでもなかった。

同時にある意味では実に
オーソドックスな幕引きが

全然そう見えていないからすごい。

でもちゃんと伏線も張ってあった。

初読の際は、あれかよ、と思った。

だからある意味基本には忠実なのだ。

だけど、それでも、どうしても
まともな小説とは呼べないのである。


だからまあ、まだ小説というものに
こだわりを持っている方にこそ
読んでいただきたいのは本音である。

どう思われるものなのか
実に興味がある。



では今日のところはではこの辺で。

あと一回か二回くらいはやるつもりです。