ブログラジオ ♯188 Lovin’ You | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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ミニー・リパートンと仰る。

フリー・ソウル クラシック・オブ・ミニー・リパートン/ミニー・リパートン

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今回はいつもよりやや時代が遡り、
75年のヒット曲になるのだが

この曲のインパクトは
実際もの凄かったのである。

僕自身リアル・タイムでは
まったく知らないはずなのに、

気がついた時には
タイトルもメロディーラインも
すっかり頭に入っているほど

あちこちから頻繁に
耳に入ってきていたことは
断言して間違いがない。

後年ジャネット・ケイによる
カヴァーが大ヒットする以前から

もう半ばスタンダードの域に
達していたようにも思う。

とにかく音域の広いシンガーで
この曲もサビの最後に現れてくる

信じられないほどの高音からの
ポルタメントのような


下降のラインが
たぶん一番有名なのだが、

それ以前にそもそもこの曲、
一度聴いたら忘れられない
独特の雰囲気を有していた。

イントロに紛れ込んでくる
小鳥のさえずりからしてが、
異彩を放っていたといっていい。

掛け値なしの名曲である。


さて、47年にシカゴで生まれた
このミニー・リパートンなる方は


十代の半ばに差し掛かる頃には
すでに音楽の業界にいたらしい。

同じシカゴにあった
あのチェス・レコードに

バック・コーラス隊の
シンガーとして採用されて、

当時同レーベルの
看板アーティストであった
エタ・ジェイムスや

ラムゼイ・ルイス、あるいは
マディ・ウォーターズ辺りの

作品なんかにもしばしば
参加してもいた模様である。

ちなみにこのうち、
映画『キャデラック・レコード』
(→感想はこちら)で

ビヨンセが演じていたのが
エタ・ジェイムスである。

いや、この辺りになると
僕にとってもすでに
歴史みたいなものなのだが、

とにかくまあ、
ジェムズという名前だったらしい
このコーラス・グループは


自分たちの名義でも
何枚かのシングルを

同レーベルから出すのだけれど
これらは不発に終わった模様。

その後アンドレア・ディヴィスなる
芸名での
ソロのリリースもあったようだが

これもまた目立った実績は
どうやら残してはいないし、

今となってはもう、
音源を探すことも
なかなか難しい感じである。



さて、この辺りまでが
大体66年くらいまでに
起こった出来事である。

これが僕の生まれた年だから
ざっと半世紀以上前の話である。

そして彼女はその後、
このチェス・レコードの
社長の息子が立ち上げた

ロータリー・コネクションなる、
ソウル/ファンクの
実験的なバンドに

リード・シンガーとして
迎えられることになる。

このバンドの作品も
僕自身は残念ながら
一度も聴いたことがないし、

それどころか今回のリサーチまで
名前さえ知らなかったのだけれど

いろいろと文字情報を眺めてみると
EW&F(♯179)のスタイルの

先駆的な存在として
位置づけられる場面もあるらしい。

些か時代を先取りし過ぎたとでも
いったところであったのだろうか。


そのせいかどうかは
わからないがこのバンド、

ライヴでの人気は
ものすごかったにも関わらず、

レコード・セールスが
まるで振るわず、
70年代を迎える前に
こちらも自然消滅してしまう。

このロータリー・コネクション時代に
ミニーは生涯の伴侶であり、
またソングライティングの
パートナーともなった

リチャード・ルドルフなる
プロデューサーとの
出会いを果たしていた模様である。


ちなみにこの
ロータリー・コネクションは

ボブ・ディランのあの
Like A Rolling Stoneや

あるいはストーンズ(♯3)の
Lady Janeとか
Ruby Tuesdayなんかも

このミニーの在籍時に
カヴァーしているらしいので
今更ながら興味津々である。


さて、この後ようやく
上のルドルフとともに初めて
ミニー・リパートン名義での

アルバムを一枚
制作するのだが、

こちらもなかなかリリースにまで
漕ぎ着けなかった上に、
やはりさほどのヒットにもならず、

70年代の初頭にはこのミニー、
半ば引退状態だったのだそうで。

おそらくはこの時期、
結婚と最初の出産、
そして育児とに

忙殺されていたのだろうとも
自ずと想像されるのだが、


それでも彼女は
夫リチャードと一緒に
曲を書いたり

あるいはデモを作ったりと
いったことは
続けていたようである。

やがてエピックから声がかかり、
これと並行して

あのS.ワンダー(♯177)の
支援を得ることもできて、
いよいよ完成、発表されたのが

今回のLovin’ Youを含む
74年の
PERFECT ANGELという
アルバムだった。


ちなみにタイトル曲は
S.ワンダーその人の提供である。

そして翌75年には
いよいよこのLovin’ Youが

チャートのトップを
記録する大ヒットとなるのである。

しかもこれ、アルバムからの
四枚目のカットだったそうで、

エピックの方はもう
次のアルバムを早くという
感じだったらしいのだが、

ミニーとリチャードが、
かなり強く主張して
シングルカットを
実現したという経緯だったらしい。

後述するが、
それだけ二人には
思い入れの強い
トラックだったのである。

でも確かに普通に考えれば
シングル向きの曲とは
なかなかいえないかもしれない。

だからこそ際立ったとも
いえることも確かなのだが。

まあ、どうしたって
後出しめいてしまうけれど。



さて、かくしてようやく
スポットライトを
浴びることに成功した
ミニーだったのだけれど、

しかしこの大ヒットの後、
乳癌の診断を受けてしまう。

一旦は手術に成功するものの
やがては転移のため、

79年にはもう
実に31歳という若さで
この世を去ってしまっている。

Lovin’ Youの大ヒットから
まだ五年も経ってはいなかった。


最後の日々、入院中に
S.ワンダーが見舞いに訪れた時、

ああ、待っていた最後の人が
現れてくれたと口にして
その翌日になくなったのだそうで、

そういう半ば
伝説的な背景もまた
このLovin’ Youを

極めてドラマティックな
一曲にしていることも
確かな事実ではあろう。


もっとも癌が発覚してからも
このミニーという人は

決して悲観的になることは
なかったのだそうである。

もって生まれた
性格だったのだろうか、
音楽に対する姿勢もまた
同様に一貫していて、

悲しみばかりを
どっぷりと表現するような
種類の曲は、

レコーディングすることを
したくなかったのだといった
発言も残しているらしい。

半分入ったコップを見て、
もう半分なくなってしまうか、
まだ半分あると思うかというのは、


その人物が楽観的であるか
あるいは悲観的であるかを測る
一つの物差しとして

用いられる場面の多い
言い回しだとも思われるが、

手術後の彼女はよくステージで、
自分はまだ半分あると
考える方の人間なのよと
口にしていたのだそうである。


そういう訳で
このLovin’ Youはそもそもは、

上述のようにこのミニーが
妻から母親へとなった時期に


夫婦によって
書きためられていたうちの
一曲だったりする。

しかもこれ、
生まれたばかりの娘を
寝かしつける時に

彼女が必ず歌っていた
曲だったのだそうで。

Lovin’ you is easy,
Because you’re beautiful――。

改めて歌い出しを見てみると
なるほど恋の歌というよりは、

母親が我が子へ向けて
語りかける場面がしっくりくる
言葉と旋律でもあろう。

そうか、これ、
子守歌だったんだ、と
僕自身も今回
改めて納得した次第。

シングルになりにくいという
当時のエピックの姿勢も
こうなるとわからないでもない。

なお、この平和な家庭の
リヴィングのような雰囲気を

音の上でも
過不足なく演出するため
ミニーとリチャードが
この時考え出した方法が、


非常にシンプルに
バッキングトラックの上に

全編にあの小鳥の囀りを
敷くことだったのだそう。

いや本当
お見事としかいいようがない。

さらにいうとこのLovin’ You、
打楽器を使わずに

全米一位を獲得した
数少ない楽曲の
一つでもあるのだそうで、


同曲以外には
ビートルズ(♯2)のYesterdayと

ほか一曲くらいしか
見つからないらしい。

それもまた、この歌の本質が
子守歌であったのだと知れば、
やはり大きく頷けてしまう。

確かにドラムのある曲で
眠りに落ちて行くのは、

とりわけ赤ん坊には
ちょっと厳しそうでもある。

そういった曲なものだから、
アルバム収録のヴァージョンでは

最後の方に
この歌で寝かしつけられていた

長女のマーヤの名前が
繰り返し出てきていたりもする。

上のベスト盤にはめずらしく
こちらのヴァージョンが
収録されているものだから、

今回の御紹介は
この一枚にした次第。


さらにこれは
まるっきりついでなのだが、
晩年のライヴなどでは、

その後生まれた
第二子の長男の名前も

時折この箇所に
追加されてもいたようである。

話は多少逸れてしまうが、
この挿話を目にした時は、

公平な母親であるって
結構大変なんだろうなあと、


まあそんなことも思わずふと
考えてしまったりもした。


ではそろそろ締めの小ネタ。

今回はこのLovin’ Youで
寝かしつけられていた
マーヤ・ルドルフさんの現在から。

この方実はあちらでは
有名なコメディエンヌとして
活躍されているのだそうで。

11年の映画
『ブライズ・メイズ』という作品で

メイン二人の片方という位置付けで
出演しているのが彼女なのだが、

そもそもは
『サタディ・ナイト・ライヴ』という
あちらの番組で、

ホイットニー(♯185)やら
ティナ・ターナーやら、

あるいは前大統領夫人
ミシェル・オバマなんかの
物まねを披露して、
人気を博していたのだそうである。

いやでも、
ホイットニーにせよ
ティナ・ターナーにせよ


そもそも歌唱力がないと
真似なんてできないよなあと
思いつつ

いろいろとネットで探してみました。

僕が見つけることのできたのは
残念ながらホイットニーでも
ティナ・ターナーでもなく、

ダイアナ・ロス(♯184)と
ビヨンセくらいな
ものだったのですが、

ああでも、確かに
二人ともこんな感じだわと
思いました。


歌もなかなかお上手で、
そんなところもきっと
親譲りなのだなあと
もちろんそうも思ったのだけれど、

それよりも何よりも、
笑わせるという行為の
後ろに確実にあるはずの

他者をなんとか幸せにして
あげたいなという気持ちが、

実はミニーからこのマーサへと
受け継がれたものだったのでは
なかろうかなどともふと思いつき、

ビヨンセの真似に
しこたま笑わせて
もらったのみならず、

なんだか暖かな
気持ちにさせてもいただいた。

また出演映画でも
公開されたら
是非拝見させて
いただこうかと思っている。