ブログラジオ ♯164 Cherry Bomb | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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では半ば先週の
続きという感じで、

今回はランナウェイズです。

Japanese Singles Collection/Runaways

Amazon.co.jp

しかしなんだか
ジャケ写からしていきなり

まったくもって
洋楽っぽくありませんが。

でも昔のシングル・レコードって
確かに大体こんな感じでしたねえ。

いや、この頃はまだ
それほど足繁くレコード屋に

通っていた訳でも
決してなかったはずなのですが。

それでもなんか
時代の空気みたいなものを

ひしひしと感じさせられる
字体でありデザインだなあと、
まあそんなことを思います。


さて、
ガールズ・ロック・バンドとでも
いうべき括りが
そういうものとして存在するとして、


その歴史をひもとこうとするならば、
まずは一番最初のページに

必ず名前が載せられて
いなければならないだろう存在が、

ほぼいわずもがなだが、この
ランナウェイズなるグループである。

彼女たちがいなければ
ゴーゴーズ(♯162)や
バングルズ(♯159)はもちろん、

プリプリもショウヤも、
ZONEもSCANDALも

あるいは世に登場することさえ
できていなかったかもしれない。


もちろん歴史を
やりなおしてみることは
決して叶わないのだけれど、

つまりこのランナウェイズの
いなかった世界で僕らが、

「secret base~君がくれたもの」や
「ダイヤモンド」のような名曲に

はたしてちゃんと
出会えていたものかどうかを

確かめてみることは
絶対にできない訳なのだが、

でもたぶん、どんな歴史でも、
名前やメンバー構成にこそ
多少の違いは
それはあるかもしれないけれど、

ちょうど彼女たちのような、
いわば純正のロックンロールに
真っ向からこだわった存在が、

ある種のパイオニアとして
立ち向かっていくことに
なっていたのではないかと、

まあ個人的には
そんなふうに考えている。

何に対してというのを、
きちんと言葉にするのが、
ひどく難しい問題ではあるのだが。



さて、まあここまでずいぶんと
持ち上げてしまいはしているが、

正直なところをいってしまえば
僕自身も、10年の映画
『ザ・ランナウェイズ』を見るまでは、

ジョーン・ジェットが
最初に出てきた
バンドだという以上の興味は

このランナウェイズに対しては
ほとんどなかったといっていい。

同作品の詳しい感想は
こちら()の記事に
一応まとめてはあるので
もしよろしければ御笑読ください


さて、同バンドの結成は75年、
ロス近郊での出来事である。

とにかくロック・バンドで
ギターをプレイしたかった
ジョーン・ジェットが、

キム・フォウリーなる
ある種のごろつきみたいな、
フリーのプロデューサーと出会い、

彼にドラマーの
サンディー・ウェストと
引き合わされたところから

ランナウェイズの歴史は
始まったのだといっていい。

ほどなくリタ・フォードと
それから後に

バングルズのメンバーとして
脚光を浴びることになる

ベースのマイケル・スティールとが
ラインナップに加わって、
バンドがまずどうにか成立する。

その後スティールがたぶん
キム・フォウリーの
判断によって解雇され、

さらにシンガーの
シェリー・カーリーと


それからベースの
ジャッキー・フォックスとが
オーディションで加わって、

デビュー及び来日時の
ラインナップがようやく完成し、

そしてその直後からこの
ランナウェイズという物語は
一気にピークを迎えることになる。

前回も似たようなことを
書いている気もするけれど、

この来日公演の時の
狂騒振りというのは
相当すさまじいものであったらしい。


姉御自身、
まるでビートルズになった
みたいだったと
後に回想してもいる。

よくよく考えて見れば、
普通ならば高校生か
せいぜい大学生を
やっているような女の子五人が、

飛行機に乗って外国へ行き、
ライヴをやっている訳である。

しかも出迎えたのは、
本国では決して
そこまでではなかっただろうほどの
熱狂である。

その感覚はまさに想像を絶する。

それこそガリバー旅行記の
ガリバーみたいな感じだったの
かもしれないくらいに思う。

たぶんこの時期彼女たちは
いわば非日常を日常として

生きていくという体験を
余儀なくされていたのだと思う。

徒花といってしまったら、
些かニュアンスが
違ってくるとは思うのだが、

やはりそういう
打ち上げ花火のような
一瞬の輝きが、


たちまち訪れて散っていく。

ランナウェイズの物語には、
そんな哀愁がつきまとう。

そのいわば
クライマックス・シーンの舞台に

実は自分の住むこの国が
選ばれていたのだなという
ある種の感動が、

僕がこの映画とそれからバンドとに、
近年強烈なシンパシーを
抱いてしまっている理由だと思う。



で、この彼女たちの
デビュー曲であり、

代表曲でもあるCherry Bombが
今回のピックアップという次第。

同曲は来日と同じ77年に
本邦はオリコンの
年間シングル・チャートでも、

O.N=ジョン(♯130)や
イーグルス(♯150)の
Hotel Californiaなどに混じり、

トップ100入りを果たした
洋楽曲全8曲の一画を
堂々と担ってさえいるのである。

しかしまあ、やっぱりどうして
そこまでのヒットとなったのかは
正直よくわからない。

少なくとも楽曲に
めざましい力があったからだとは
とてもいえないのではないかと思う。

むしろなんか、青いといおうか、
正直聴いていると
どうもお尻の辺りが
ムズムズしてくるような歌詞である。

サビだけちょっと引用してみる。

Hello Daddy, Hello Mom.
I’m your
CH-CH-CH-CH-CH-CH-CH
Cherry Bomb!

――――。


このCherry Bombを
当時の邦題通り「悩殺爆弾」と
訳してしまうことにすると、

たぶんとんでもないことになる。

そもそも引用の最初のラインからして、
どう日本語に置き換えるべきなのか、
見当もつかない。

チワッす、パパ。チワッす、ママ。

こんな感じか?


いやまあ、
姉御十五の時の作品ではあるし
基本ノリがすべての曲なのだから、

一々こんなところに
目くじらを立てても

本当は仕方がないのだけれど、
それはわかっているのだけれど、

だからまあたぶん、
ネイティヴではない
我々だからこそ、

ある意味このむず痒さを
スルーして支持することが
できていたのかもしれないと、

そんなふうに
思わないでもないのである。

もっともレコードを聴く限り、
演奏はとてもしっかりしている。

ベースだけは曲によっては
ブロンディーのベーシストが
客演してもいるらしいのだが、

ドラムはもちろん、
二本のギターは十分にプロである。

繰り返すがこの頃全員
十五、六、あるいはその
少し上くらいの年齢なのである。


さすがジョーン・ジェットと
リタ・フォードだよなあと
改めてつくづくそう思う。


そしてそもそもが
このCherry Bomb、

オーディションにやってきた
シェリー・カーリーのために、

ジョーンとそれから
キム・フォウリーとが

その場で即興で書き上げた
ものであったらしい。


もちろんだからCherrieの名前が
Cherryに引っかけてあるのだそうで。

ただどうやら、
映画で描かれているように、

キムがこのラインを
主導していたのかどうかは
ちょっとだけ疑問が
残らないでもない様子である。

いろいろと調べていくと、
初期の段階では

カリ・クロームという名前の女の子が、
ソングライターとして
プロジェクトに参加していたらしく、

そもそもは女の子だけの
バンドを作ろうというアイディアも

キムではなく、このカリの
発案であったような形跡も
実はあったりするのである。

ほかにもちょっと、
ここではっきりと

文字にしてしまうことは
少なからず憚れるような事件も
どうやらあった模様で、

だからまあ、
このキム・フォウリーを、
バンドの陰の立役者として、


単純に肯定的に評価することは
どうやら違う感じである。

映画でも相当のキワ物として、
描写されてはいるのだけれど、

あれでも控えめだったという
可能性も皆無ではない気がする。

ただまあ、この人物を抜きにしては
ランナウェイズなる物語が
完成することは決してなかったことも

同時にほぼ明らかなので、
少なからず複雑である。


功罪相半ばというか
清濁併せ呑むといおうか。

でもまあ、物事が一気に
前に進む時の原動力というのは、
得てしてこんなものかもしれない。

ちょっと何をいいたいのか
自分でもよく
わからなくなってしまった
気もしないでもないけれど。

でもいずれにせよ
この「サクランボ爆弾」が今や
一つの伝説となっていることは

揺るがしがたい事実である。


それからまたさらに
このシェリー・カーリーという人の
人生そのものが

なんというかやはり、
ものすごいのである。

そもそもが
シェリーとマリーという、
いかにもなとでもいおうか、

それこそラノベにでもありそうな
たとえば魔法使いといった感じの

そういうポジションの
登場人物のような名前を持った
双児の姉妹の片割れで、


それだけでもうすでに
かなりドラマチックなのだが、

さらに父親の違う姉が女優だったり、
あるいは十二の時にまた
母親が離婚してしまったり、

そうかと思えばその三年後の
ランナウェイズ加入の年には、

その双児の姉妹の昔の彼氏に
レイプされてしまったり、

のみならず事件から数ヶ月後には、
今度はそっち系の女の子と
一夜を共にしてしまったり、


あるいはようやくバンドが
スタートしたと思ったら、

今度は母親が三度目の再婚で
インドネシアに行ってしまったり、

そのために
姉妹の面倒を見るために
家に戻ってきた父親が、

事業に失敗して
すっかりアル中になって
しまっていたりと、

僕もあえてノンストップで
いろいろ繋いでみたけれど、

もうとにかく
次から次へという感じなのである。

一連がこの方の生きてきた
現実の人生である以上、
こういう紹介の仕方では

少なからず不謹慎に
見えてしまいかねないことも、
十分わかってはいるのだが、

もし小説で
ヒロインの設定だけで、
これだけやってしまったら、

幾ら何でも盛り過ぎだろうと
担当編集者なりなんなりに


相当怒られてしまいかねない
そのくらいの勢いなのである。

そこにまた、史上初の
ガールズ・バンドの

リード・シンガーという役割が
加わってくるのだから、

もうちょっと、
筆舌に尽くしがたいというのは
こういうことを
いうのかな、という感じである。

そしてこのシェリーは、
キムとの軋轢はもちろん、


マリーやほかの家族との
関係もあって、

来日公演から間を開けずに
バンドを脱退してしまう。

前後してジャッキー・フォックスも
やはり同様にバンドを離れ、

その後のランナウェイズは
クアトロのようなパンクへの
嗜好を主張するジェットの姉御と

むしろHR/HMに近い
路線を目指したい


リタ・フォード、
サンディ・ウェストとの対立が
次第に露わになっていき、

結局は解散せざるを
ならなくなってしまった模様。

そしてもちろんこの直後から、
前回扱った姉御ご自身の、

ソロ・デビューへ向けての
苦闘が始まる訳である。

しかしまあ改めて、
あれだけの苦労を乗り越えて

姉御のいわばポジションを
不動のものにしたトラックが、

I Love Rock n’ Roll だったなんて
やっぱりちょっと出来過ぎだろうと、

まあそんなことを
考えてしまう。

この一節こそまさに
彼女の魂の叫びそのものと
いっていいだろう。

いや、ちょっとだけ
Rock n’ Rollな表現を
自分でもやってみたくなりました。


魂の叫びとか、
自分の小説ではまだ
使ったことがないはずです。


さて、ではそろそろ締めの小ネタ。

いや、しかし探せばちゃんと
見つかってくるもんだなあ、本当。

今回ばかりは結構マジで
そんな具合に思いました。

上でも触れたように
シェリーにはマリーという
双児の姉妹がいるのですが、


この方がなんとあの、
スティーヴ・ルカサーの
奥様なのだそうで。

ルカサーはいわずもがな、
TOTO(♯152)の
ギタリスト兼今はシンガーですね。

しかもお子さんも二人まで、
設けられているのだそう。

いや、なんというか
業界って広いんだか狭いんだか。

そんな関係からなのか、
シェリーとマリーの
姉妹による一枚きりのアルバムは

このルカサーが
プロデューサーとして
クレジットされている模様です。