ブログラジオ ♯151 Reeling in the Years | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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スティーリー・ダンという。

彼らもまた、残念ながら
前回のイーグルス(♯150)と同様、


80年代にはほぼ活動を
休止していたクチであった。


ザ・ベスト・オブ・スティーリー・ダン/スティーリー・ダン

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いやでも本当、この人たちの音楽に
初めて接した時は、
相当びっくりしたものである。

これだよ、こういうのが
聴きたかったんだよなあ、くらいの
手応えがあった。


甘ったるくないのに、極めて洒脱。

なんだかんだいって当時の僕の
一番のツボだったのである。

ポール・ウェラーの
カウンシル(♯12)にも
通じるような


なんといえばいいのか、
ある種音のおもちゃ箱的な
確固とした手触りがあった。


念のためだが
ここでのおもちゃ箱の比喩は

子供向けとか
雑然としているとか、
そういう意味ではまったくない。


むしろ博物館みたいとでもいった
言葉で形容した方が
しっくりくるのかもしれない。


結局ソフィスティケイテッドって表現が
やっぱり一番似合うのかなあ。

だから確かにとても聴きやすいのに
でもどこかが少なからず気難しくて、


それ故にこそ、
明確な美学みたいなものが、
きっちりと立ち上がってくる。


その手触りが
ひどく心地よかったのである。

念のためだが、もちろん
このスティーリー・ダンの方が、


ウェラーのカウンシルには
多少どころではなく先行している。


あるいは彼がジャムを解散し、
ミック・タルボットを
パートナーにと選んだ時、

このスティーリー・ダンの
フェイゲンとベッカーの二人の形が


ひょっとして頭には
あったのかもしれないけれど、


まあそこまで確かめたことはない。

ただ、この両者の音楽の手触りに
どこか共通するものがある点は
さほど間違ってはいないと思う。


ジャズのコード・ワークを
ロックに翻訳しなおそうという


そういう姿勢がたぶん
根底で似ているのだと思う。

だから、そんな感じの音楽です。

ちょっとハードボイルドめいた
夜の時間を演出してくれるには
これほど相応しいものもない。


でも決して媚びることはしていない。
むしろスタンスはその対極にある。

まあやはり、こればかりは
実際に耳にして
いただくほかはないのだが、


でもやはり、彼らもまた
唯一無二の形容を
十分に受け止めるに
相応しい存在であるはずだと思う。



さて、僕が最初に
この人たちの存在を知ったのは

やや遺憾ながら
スティーリー・ダン時代の
カタログからではなく、


82年発表の、
ドナルド・フェイゲンの方の
ソロ作品からだった。


THE NIGHTFLYという一枚を
ザ・ビート(♯71)の時に
少しだけ触れた

当時の行きつけの
レンタル・ショップが


大きく推してくれていたおかげで
見つけることができたのである。


何故か今に至るまでこの作品は
ディスクを買いなおしそびれて
しまってこそいるのだけれど、

あの頃繰り返し
聴いていたことは間違いがない。


これがまたいいアルバムで、
それでまあ慌てて、


そのフェイゲンが
組んでいたバンドということで、

スティーリー・ダンへと
遡ってみたという訳である。


当時僕がまず手に取ったのは
LPで二枚組のベスト盤だった。


青い背景にサングラスの女性が
大写しになっているジャケットが
極めて印象的だったものである。

ちなみに同作のタイトルには
今回表題にも持って来た


REELIN’ IN THE YEARSの
曲名が採用されていた。


もっとも曲名の時は、
アポストロフィーを
使わない表記になるようである。

いや、年月が経つうちに
ごっちゃになってしまっている
だけなのかもしれないのだが、


あるいはその辺が実は
彼ら特有の
細かなこだわりである可能性も
半分くらい否定できない。


それにしても、

歳月の中をふらついて、である。

今にして思えば、
このスティーリー・ダンなる
バンド/ユニットの


85年当時の集大成として
これほど相応しいフレーズもない。

全然よろめいてなど
本当はいないのだけれど、


でもそんなポーズを気取ってみせる。

そういう外連味みたいなものが、
たぶんこの人たちの音楽を
周囲から際立たせている
一つの核心であることは確かだろう。

同作と同じ編成でのCD作品が
おそらくは録音時間の関係で


ついにリリースされることが
なかったらしいのは、
個人的には至極残念だったりもする。


あの曲順で聴きたいよな、と
思うことがしばしばなのである。

もちろんカセットを探せば
どこからか出てくるのだろうから、
自分でなんとかできる訳だし、


だから所詮は単なるわがままで、
しかもさらにいえば今の時代は


そういうプレイリストを
これも自分でせっせと
作ればいいだけのことでは
あるといえばあるのだが、

その辺はまあ、少なからず横着である。

最近はプレイヤーのディスクを
取り替えるのすら面倒で、
気がつけば三回くらい平気で、
同じアルバムをかけている。


――年かなあ。

そういう訳で今回のジャケ写は
CDでの最初のベスト盤を掲げている。



さて、改めて
このスティーリー・ダンだけれど、


基本的には、
このドナルド・フェイゲンとそれから

ウォルター・ベッカーなる
もう一人の人物との
二人組のユニットであるといっていい。


もっとも当初から、
こういう形だった訳ではない。


この辺りでざっくりと彼らの
来歴めいたものを紹介しておくと、

結成は実に72年にまで遡り、
デビュー当初は


各楽器のパーソナルが固定された、
普通のバンドの形を採っていた。


デビュー直後から
スマッシュヒットを放っているし、

74年のRiki Don’t Lose My Numberは
全米で四位、カナダでは三位と
大ヒットとなってもいる。


ここから先の経緯は所詮
噂レヴェルに過ぎないのだが、


ところが次第に
フェイゲンとベッカーの二人が

あまりツアーに出ることを
好まないようになっていき、


自ずとほかのメンバーとの間に
軋轢めいたものが生じてしまい、


平行して他所からの
引き抜きみたいなことも
あったらしくて、

76年に五枚目のアルバムを
リリースする頃には、
バンドに残っていたのは


ソングライティングを担っていた、
この二人きりという
結果となってしまったらしい。


あるいはこの背景があった故に、
むしろ作品毎にフレキシブルに

トラックに合ったミュージシャンを
随時起用できるようになったことが、


後年のAJA、GAUCHOといった
二枚の傑作を生み出すことに
プラスに働いたのかもしれないが、


でも初期の作品を聴いてみても、
とりわけメロディーラインの
洒脱さ振りとでもいうべきものは、

AJAやGAUCHO所収のトラックにも
まったく引けを取っていない。


むしろ一貫しているのではないかと思う。

ポーターやガーシュインによる
いわばアメリカの
ポップ・ソングの黎明期の

そういった作品群のニュアンスが
スタイルこそまったく違うのに、
ほどよく残っている気がするのである。


こういった方々の楽曲の多くが、
ジャズに吸収されたことによって、


今も揺るがぬ
スタンダード・ナンバーとして
受け継がれてきていることは

たぶん御承知の向きも
決して少なくはないだろう。


ある意味ではそういう加工を
改めて白人の手に取り戻したのが、


このスティーリー・ダンという
スタイルの本質だったのかもしれない。

いずれにせよ、
ジャズ・ロックという言葉が
もし成立するのだとしたら、


僕が生まれて初めて耳にした
そのジャンルの作品が
彼らの音楽だったのだと思う。


いつだったか一番好きなのは
たぶんブルー・アイド・ソウルだろうと
そんなことを書いた気もするが、

翻って彼らの音楽は
その形容には決して当たらない。


でも根底のスタンスは、
たぶん似ているのだと思う。


だからこそ、ツボだったのだろう。


ではそろそろ、今回の表題曲に行く。

このReeling in the Yearsは
デビュー・アルバム
CAN’T BUY A THRILLの収録である。


しかし考えてみれば、
最初の最初からこの人たちは、

ベスト盤のタイトルにして
十分遜色のないトラックを
作ることができていた訳だから、


やっぱり相当すごいのである。

前の方でも少し触れているけれど、
このタイトルにあるreelの語は

よろめく、千鳥足で歩くと
いったような意味だそうで、


僕もこの曲に出会って辞書を引いた。

しかし、この語のイメージとは
たぶん裏腹に
曲のタッチは極めてポップである。

Aメロの部分など、
まさにロックのリズムでしかない。


それでも、その軽快さの中に
何故だか立ち昇ってくるのは、
切なさめいた何かなのである。



君は涙を集めているのかい?
もう僕のを十分持っているというのに――


サビの後編で登場するのは
こんな感じのラインである。


これがフェイゲンの
少し乾いた声と相俟って、


単純にノスタルジーともいいきれない
でもそういうものに近い何かを
音楽から立ち上げてくれるのである。


ちなみに同曲のギター・ソロは
あのジミー・ペイジが、
生涯で最もお気に入りのものとして


挙げてもいるそうなので、
一聴の価値はあるかと思う。


僕なんかはでも
この曲のピアノの入れ方が
すごく好きだったりする。

さらにいうとこのギター・ソロ、
当時録音された、
4チャンネルのヴァージョンには


ちょっと違うラインが
収録されているらしい。


たぶんビートルズのLet It Beの
シングルとアルバムとの
違いみたいなものだろうと
想像してこそいるのだけれど、

聴き比べはまだ
できないままでいる。


コレクター泣かせというのは、
こういうことをいうんでしょうね。


当時どれくらいの家庭に
四チャンネルの再生機器が
あっただろうか。

でもこういう逸話も
あまりにそれっぽいからもう


手放しで受け容れるより
ほかにしようがないのである。


そしてこういうのもたぶん、
ほんのさわりに過ぎず、

トム・スコットや
ウェイン・ショーターのプレイが、
思わぬところで聴けたりなど、


とにかくいろんな魅力というか
フックみたいなものが


一つのトラックの中に
相当たくさん詰まっていて、

しかもそれが見事に
統御されているところが、


今日に至るまで彼らが
他の追随を決して許さない


そういう場所に居続けている
その秘密なのだと思っている。


ほかにもDeacon BluesやPeg、
Hey NineteenやDr. Wuなどの辺りが
個人的にはかなりオススメである。


これらはたぶん
バラードと呼べる訳でも
決してないのだけれど、


そんな言葉に通じる手触りを
確実に有している楽曲である。

そしてこのスティーリー・ダンの場合、
少しテンポを落としたトラックの方が、


彼ら固有の旋律の美しさが
より際立つような気がするのである。


いやもちろん異論を認める準備はある。

Bodhisattvaだって
Kid Charlemagneだって
全然嫌いじゃないし。


もうでもこの辺りは、
タイトルだけでは絶対、
どんな曲か想像もつかないよね。


Bodhisattvaは菩薩のことである。

少なくともこの単語を
タイトルに用いている
ポップ・ミュージックは
彼らのものだけだろう。



さて、そろそろこの
一風どころではなく変わった
バンド名の由来について。


こちらも有名な話ではあるので、
書こうかどうか
やや迷わないでもなかったのだが、

まあスルーもあまりできないよなと、
やはり文字にしてしまうことにした。


このスティーリー・ダンなる言葉は、
そもそもはW.バロウズの代表作
『裸のランチ』に登場してくる


いわゆるベッド・ルーム・トーイに
つけられている名前なのだそうである。

ちょっと品がないっちゃあ
そんな気もしないでもないけれど、


まあでも、ここまで
ビッグになってしまえば
もう関係ないよなあ。


大体がレコード会社と契約書を
交わすのに必要だからという理由で、

たぶんベッカーの方の思いつきで、
急いでつけられたのだそうで、


だから当時のほかのメンバーも
それからレコード会社の方も、


きちんと意味を知っては
いなかったのではないかと
思われるような節もないでもない。

むしろ、いい響きだ、
スティール・ギターを
容易に想起させるところも


君らの音楽には相応しいね、くらいには
どうやらいわれもしたらしい。


いやだから、本当はディルドウの
名前なんだけどね、みたいな感じで、

懸命に笑いを押し殺している
ベッカーとフェイゲンの姿が
なんとなく浮かんできてしまう。


しかもそんな悪戯を彼らは、
40年以上引きずっている訳で、


そういうところもまた、
やっぱりこのチームが、

最初から只者ではなかった
その徴しなのかもしれない。



すでに80年代にはもう
ほとんど伝説みたいな
存在だった二人なのだが、


90年代の半ば辺りから、
再び一緒に活動することを始め、

00年には実に20年振りとなる
オリジナル・アルバム
TWO AGINST NATUREを


満を持してといった感じで
スティーリー・ダンの名義で発表している。


そしてこれがなんとエミネムや
レディオヘッド、あるいは
ポール・サイモンなんかと競い合った末、

その年のグラミーで
アルバム・オブ・ザ・イヤーを含む


計四部門を獲得するという快挙を
成し遂げてしまうのである。


まさに見事な復活劇だった。

そして03年には
EVERYTHING MUST GOなる
新作も登場している。


これいわば
何も残っちゃいけないんだよ、とでも
いったニュアンスであることからも
明らかなように、


要はあちらでの閉店セールの時の
商店のキャッチコピーである。

閉店セール売り尽くし、とか
出血大サービスとか、そういう感じ。


はたして彼らがこの作品で
スティーリー・ダンというブランドの


在庫一掃みたいなことを
意図していたのかどうかまでは
さすがにはっきりとはわからない。

だがなるほど残念ながら同作以来、
スティーリー・ダンとしての
まとまったアルバムは


今年16年現在に至るまで
発表されていないことは確かである。


そういう訳で、
じゃあ二人は今どうしているのだろうと
つらつらと思ってはいたのだが、

今回改めてきちんと
調べてみたところ、03年以降も、


どうやらそれぞれのソロ名義で、
幾つかの作品が
リリースされてはいる模様である。


フェイゲンの方は
マイケル・マクドナルドや
ボズ・スキャッグスなんかと一緒に

ステージに立ったりもしているようだし、

あるいはスティーリー・ダンとしても
コステロや(♯66)や
S.ウィンウッド(♯75)なんかを


オープニング・アクトに迎えて、
ツアーを回ったりもしているようで

喜ばしいことに
80年代の沈黙が嘘のような
健在振りだといっていいかと思う。



ちなみに僕自身は
TWO AGINST NATUREについては


お恥ずかしながら
今なお未聴のままでいるのだが、

EVERYTHING MUST GOの方は
入手して耳を通している。


いや、なんというか、
やっぱりちっとも揺らいでいない。


たぶんどのコンピレーションの中に
本作からのトラックが
収録されたとしても、
まるで違和感はないだろう。

まさにスティーリー・ダンの音であり、
それ以外の何物でもないといっていい。


確かにリリクスの随所には
多少の時代性が感じられもする。


70年代には
Pixeleenなんてヒロインはまだ

成立しなかったことは
たぶん間違いがないだろうし。


でもサウンドは
メロディーもアレンジのスタイルも
まったく歳月というものを感じさせない。


改めてこの
フェイゲン/ベッカーのコンビが

どれほど優れた
ソングライティング・チームというか
メロディー・メイカーであったのか、


そんな思いをより一層
新たにした次第である。


ちょっとだけ変わった点を
挙げるとすれば、

本作では一曲だけだが、
ベッカーの方が
ヴォーカルを採っていることだろう。


いずれにせよまあ、
閉店セールと銘打ちながら、


そういう気負いみたいなものは
一切感じさせず、

淡々と、というか、ただ普通に
自分たちにしか出せない音を
そのようにやっているとでも
いったような印象で、


やっぱりこの人たちらしいな、と
つくづく思った。


堂々と、飄々としている。

そしてもちろんこちらもまた、
そそくさと愛聴盤の位置に
ついているという訳である。



ではそろそろ恒例の
締めのトリビアに行く。


TWO AGINST~登場以前の
スティーリー・ダン最大のヒットが
78年のAJAという作品である。

今回はネタの関係で、
こちらのジャケ写もここに載せる。


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あるいはこのサイズでは
もうほとんどただ真っ黒に
見えてしまうかもしれないが、


このジャケット、
実は人物写真である。

センターの辺りで縦方向に
まっすぐ降りてきているのが


ちょっと僕には
正確な名称までは
さすがにわからないのだが、


和装の小物、
たぶん帯の一種であろう。

それが上の方で
左右を逆転しながら
折れている箇所が女性のうなじで、


だからそのやや左上に
ほんのちょっと見えているのが、


ほとんど鼻と唇だけの
このモデルさんの横顔なのである。

この方、山口小夜子さんという方で
いわば日本のスーパー・モデルの
先駆者といっていい存在なのだそう。


AJAの発売の前後、
だから70年代の後半の時期には、


資生堂の専属のような形で
幾つものポスターに
登場してもいらしたらしいから、

なるほど僕もたぶん、
一度や二度ではなく彼女の顔を
目にしたことがある気もする。


だから、当時から今現在に至るまで
たとえば栗山千明さんが
時折やっているような感じの、


黒髪おかっぱの
日本人形みたいなイメージは

なるほどこの人によって
改めてあの時期に


作りなおされたものであるとも
いっていいということらしい。


早い時期から
モデルを志していた彼女は

ところがなかなか
雑誌等のオーディションを
通ることができず、


もうそんな希望は
捨ててしまおうかといった気持ちに
少なからず傾き始めたある日、


母親に髪をおかっぱにしてもらって、
これが最後のつもりで

その日のオーディション会場に
出向いたところ、


一発で採用されたのだそう。

しかもこの時彼女を見出したのが
あの寛斎さんだったのだそうで、

そこからまあ、アメリカ市場にも
相当出回ったはずの
アルバム作品の


そのジャケットを飾るまでにも
なったという訳である。


やっぱりすごい人には
すごい人がわかるものなんだなあ、と

今回のリサーチで
このエピソードを初めて知って


ついそんなことも
考えたりしてしまった次第。


どうやら昨年には彼女の生涯を
扱った映画作品も
制作されているようなので、

今度見てみようかな、などと
つらつら思っているところである。


念のためだが、
ジギー期のボウイの衣装を


ほぼ全面的に手がけていたのが
この山本寛斎さんである。


いやしかし、ついまた
ボウイの名前を出して
しまったのだが、


本テキストの仕上げの最中に
今度飛び込んできたのは
レオン・ラッセルの訃報であった。


――まったく。

今年は本当、ちょっと
星回りが悪過ぎるのかもしれない。


ここで大統領選を
持ち出していいものかどうか、
ちょっと迷うなあ。


いや、やっちゃってるけどさ。