コメント御礼です | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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まずは改めて宣伝させて
いただくことに致しますが、

浅倉の短編『関ヶ原の丑三ツ』の
前編が掲載されております


『歴史街道』さんの
最新号がこちらです。


歴史街道 2016年 09 月号

¥680
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それからこちらにも

文芸 2016年 08 月号 [雑誌]

¥1,404
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また全然赴きの違った
『液晶と携帯電話のフーガ』
なる一篇を
発表させていただいております。


お目に留まる機会が
ありましたら、
是非ともよろしくお願い致します。



さて、翔子さんもそれから
Lionheartsvegaさんも、

『関ヶ原の丑三ツ』もまた、
早速読んでいただいたようで
本当にありがとう御座います。


正直、過去あまり
手を出してきていない時代背景を
扱ったテキストだったもので、


まあ歴史街道さんが
OKを出してくれたんだから

たぶん大丈夫なんだろうくらいには、
思わないでもなかったのですが、


続きを期待してもらえるくらいには
楽しんでいただけたのかなと


胸をなで下ろさせて
いただいております。


どの作品もそうなのですが、
書き出しの最初の数パラグラフと、


それからタイトルとの
関係とでもいうべき部分には、
とりわけ注意を払います。


現代ものの場合は特に、
基本的には描写ですべてを、

つまりは主人公の設定や、
舞台となる場所、
あるいは基本的な
人間関係などの要素が、


なるべくすんなりと
提示できるよう
それなりに腐心するのですけれど、


翻って時代物だと、結構大胆に、
説明を使ってしまっても大丈夫だなあと
なんとなく思わないでもありません。

たとえば『関ヶ原~』だと、
そもそもが最初に
視点として機能させている
この関守という人物は


実は本筋にはほとんど
関係のない存在ですし、


参勤交代云々からのしばらくは、
視点の設定からもすっかり離れ、

ほとんど真っ向から
舞台や時代背景を
説明してしまっています。


翻って『フーガ』では、
話者の異質さという要素が、


全体をやや説明の印象に
寄せてこそいますが、

実際このテキストが真っ向から
説明をしてしまっているのは、


ヒロインが毎週
同じ番組を見ているという


情報の提示から始まる
一連の箇所だけです。

この説明と描写の
違いというか、区別というのは
実は結構シンプルで、


ただ一点
読み手の中で作中の時間が


きちんと動いてくれているか
どうかという部分だけが
唯一の判断基準だったりします。

そうすると、
たとえば同じ内容の文でも
話者を変えることで、


説明を描写に転化するなんてことも
実はできてしまったりします。


上手い例がすぐには
浮かんで来ませんが、

たとえばネタ割りに必要な
化学物質の構造を、


地の文でやってしまえば
これは説明になりますが、


登場人物の発話の中に組み込めば、
一応は描写として機能します。

いわゆる説明キャラってやつですね。

いろんな手段を駆使して
なるべく説明を説明と気づかせない。


それでも描写だけで押していくと、
時に文章の流れが
平板になったり、あるいは
冗長になったりしてしまうので、

必要な箇所では
思い切って説明も導入する。


そんな匙加減がなんとなくでも
わかってくるようになると、


『関ヶ原~』の冒頭のように、
場面の印象をある程度固定したまま、

必要な説明を
しれっと書いてしまうなんてことも
どうにかできるようになります。


さらにいうと
この箇所には、


物語全体の構図を仄めかす
ある種の伏線として
機能させている部分もあるので、

説明として
あまり浮いて来ないように
なっていたりもするつもりです。



いやまあ、ですから
何がいいたかったかというと、


才能云々よりはむしろ、
小説というものを

やはりある種の方法論で
一旦自分で噛み砕いた上で、


ある程度理詰めで、
同時に丁寧に書こうとしている、
そういうのがたぶん、


構成や展開の部分とか、
ひいてはテキスト全体の印象

もっといえば読みやすさに
繋がってくれて
いるのではないかなあ、と、


まあお二人の
コメントを拝読し、


改めてそんなことを
思い起こした次第でありました。

もっとも、上では
理詰めとこそ
表現していますけれども、


実際に書いている時は、
この文の場所、ここでたぶん
間違っていないよなあみたいな、


それなりにアバウトな感じです。


いすれにせよ、
自分がその雑誌に載ることで、


本屋に足を運んで雑誌を手に取り、
急いで読んで下さる方が
実際にいらっしゃるということは、


自分でも常々どこかで
目指している部分でも
あったりもしますから、

なんといおうか
いわゆる物書き名利に尽きるとでも
いってかまいような
種類のことなのかもしれません。


改めて、慎んで御礼申し上げます。

なんとかもう少し頑張って、
単著の話も

ここでもまたできるように、
精進しようと思いました。


おつきあい戴いた時間が
悪くないものであったことを
切に願っておりますです。



最後に掃除の音楽の話。

御指摘のメンデルスゾーンは
実は、実話であったりします。


中学の時だったはずだよなあ。
たぶん間違ってないと思うけど。


いやしかし、
よもやヴァン・ヘイレンのJumpが
そういう使われ方をしようとは。

なかなかなんというか
アグレッシブな
放送部だったみたいですね。


いや、先生のチョイスかもしれないけれど。

でも実際、全国の学校でどんな曲が、
掃除の時間にかかっていたか、
統計を取ってみたら

いったいどういう結果に
なるんだろうな、などと、


ついしょうもないことを
考えてしまったりもしました。


たぶんボン・ジョヴィで
掃除をするのは
九分九厘無理だろうなあ、とか、
さらに脱線してみたり。

いや、ありかもしれないけど。

なお、ちなみにこの掃除の音楽の
エピソードが登場しているのは、


現在『レイン・デイズ』の
タイトルで流通している
元々『追憶の雨の日々』という
題だった作品であります。

まだ多少、市場在庫が
残っているようですので、
万が一お目に留まりましたら幸甚です。



それにしても毎日暑いですね。

皆様にも、体調管理には
十分ご注意の上、
日々大禍なくお過ごし下さい。

ちなみに僕は昨日、
後半のゲラが
届いたところだったりします。


また頑張ります。