ブログラジオ ♯137 Bad Medicine | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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さて今回はボン・ジョヴィである。

いやだから、あの頃はまさか
自分が五十を過ぎてなお、


この人たちの音楽聴いて
喜んでいようとは、
欠片も思いもしなかったのである。


NEW JERSEY (デラックス・エディション)(通常盤)/ボン・ジョヴィ

¥3,456
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現時点のアメリカで、
ヴァン・ヘイレンと並び、

いまなお現存している
最も重要なバンドが
この人たちなのではないかと思う。


いや、90年代になってから
登場してきた新しい人たちは
正直よく知らないし、


とりわけグランジ系の音は
決して得意な方ではないので、

パール・ジャムとかも
実はまだ聴いていないし、


何故かレッチリには
まったくハマれていないので、


その辺りの評価には、
多分に偏見が
入っているとは思うのだが。

それでもこのボン・ジョヴィほどの
動員力を誇る現役のアーティストが


今いったい
どれだけいるというのだろう。


いや本当、出てきた頃は
まさかここまで
ビッグになろうとは、
ほとんど考えてもいなかった。


それにしてもHR/HMは、
あまり得意じゃないといいつつ、


これでここでは三回も
そのジャンルが
続いていることになる。


ひょっとして自分、実は
ハード・ロック大好きなのかな、と
ちょっとだけ思わないでもない。

しかしながらいずれにせよ
このボン・ジョヴィだけは
やっぱり特別なのである。


デビュー盤から聴いていて
これほどまでに化けてくれた上、


しかも今なお
現役でいてくれるバンドは、

僕の50年あまりの
もうずいぶんと
長くなってしまった人生において、


後に先にも
彼らただ一組しかいないのである。



ボン・ジョヴィのデビューは
まさに前回のJumpが登場した
84年の出来事だった。

しかしながら当時はちょうど
アメリカン・ハード・ロックの
冬の時代だったといっていい。


新譜が曲がりなりにも
ヒットするのは、それこそ
ヴァン・ヘイレンくらいのもので


第二次侵略真っ盛りの
英国勢に紛れて
チャートの上位に顔を出すのは、

なるほどジャーニーが
それなりに孤軍奮闘こそ
一応してはいたのだけれど、


この年にはスティーヴ・ペリーの
ソロ作品が出てきて、
さて、どうなることかと
むしろなんとなく居心地が悪かった。


ほかに目に付いたのは、
映画がらみのヒット曲か、

MJを筆頭とした
ソロ・アーティストたちの
作品がほとんどで、


唯一ヒューイ・ルイス辺りが
気を吐いてこそいたのだけれど、


少なくとも彼らのサウンドは、
ハード・ロックと呼ぶことが
やや憚られる種類のものだった。


事実ボン・ジョヴィのいわゆる
セルフ・クレジットだった
デビュー・アルバムも


チャートの上での実績は
ヴァン・ヘイレンには遠く及ばず


40位以内に滑り込むのが
やっとといった有様だった。

シングル・ヒットなど
当然望むべくもない。


ところがそれでも僕らは
バンドの名前を知っていたし、


ファースト・シングルである
Runawayも
飽きるほどよく耳にした。

同曲については後年、
日本語によるカヴァーも
登場してきたりもしたから、


その記憶と一部
ごっちゃになっている可能性も
決してなくはないのだけれど、


まあだから、
ニュー・ジャージーから、

それこそちょうど
ヴァン・ヘイレンみたいに
メンバーの
ファミリー・ネームを


そのままバンド名に冠した
グループがいることは
なんとなく把握していたのである。


なお、念のためだが
BON JOVIという
2ワードのファミリー・ネームは
たぶん実際には存在していない。

リード・シンガーであり、
バンドの顔であるといっていい


ジョン・ボン・ジョヴィの
バース・ネームは
John Francis Bongioviといい


発音こそだいたい同じだが、
本来はワン・ワードである。 


とにかくこの
ボン・ジョヴィの名前は、


デビュー直後からじわじわと
僕ら洋楽ファンの間に
しっかりと浸透していった。


そしてセカンド・アルバム
7800°FAHRENHAUTは、

本国ではデビュー作にも
到底及ばない
実績だったにも関わらず、


翻って本邦ではなんと、
オリコンの
アルバム・チャートで、


並み居る邦楽アーティストたちに混じり
実に五位を記録しさえしたのである。

同作の発売前に、
バンドはそれこそ今の


夏フェスみたいな形の
ライヴに呼ばれ、
初の来日を果たしてもいる。


この時の熱狂的な歓迎ぶりに
いたく感動したバンドが、

このセカンド・アルバムに
Tokyo Roadというトラックを


我が国への謝意をこめて
書き下ろしたというのは、
たぶん有名な話であろう。


実際この曲を初めて聴いた時、
いきなりサクラサクラの一節が、

しかも日本語詞の
女声によるヴォーカルつきで


こぼれだして来て、
結構びっくりしたものである。



こういう一連が起きたのは、
当時の我が国の音楽マスコミが、
彼らの可能性を最大限に評価し、

それを喧伝することを
躊躇わなかった、
一重にその故だったのだと思う。


なるほど彼らのデビュー作、
中でもとりわけ


ファースト・シングルだった
Runawayなるトラックは、

今にして思えば
とりわけ僕ら日本人の感性に
訴えかけてくる何ものかを
備えていたといえるのかもしれない。


シンセサイザーのイントロも
それからサビの、
She’s a Little Runawayの
メロディー・ラインも、


決していわゆる
ヨナ抜きではないのに、

なんとなくそのニュアンスを
感じさせてくる。


それはそれこそキッスや
エアロスミスにジャーニー、
それからヴァン・ヘイレンといった、


先行した米国産のHRバンドには
なかなかに見つけることが
難しかった種類の特徴だったと思う。

いや、どのバンドもカタログを全部
聴いている訳ではないので、
迂闊に断言はできないのだが、


それでも、どちらかといえばたぶん
ツェッペリン(♯4)やあるいは
D.パープル(♯98)といった


いわばロックンロールを
ハード・ロックへと
進化させるのに一役買った、

そういうバンドが蒔いた種子が、
ことアメリカで結実するためには、


このボン・ジョヴィの登場を
待たなければならなかったと
いうことなのではなかったかと、


個人的にはそんなふうに把握している。


ボン・ジョヴィの曲の
最大の特徴は、
ゴリゴリに押し出してくる


マイナー・スケールの
メロディ・ラインだと思っている。


何度かここでも
触れているかとは思うのだが、

この要素はだから、
イギリスはもちろんドイツや
あるいは北欧産のHMバンドとも、
実は幾分共通している。


ところがボン・ジョヴィが
決定的にこういった
バンド群と異なっていたのは、


それが神話的な大仰さに
結びつこうとしない点だったと思う。

この特徴が大きく出ているのは、
押しも押されぬ代表曲、
Living on a Prayerであろう。


同曲には確か以前ちらりとだが、
ヨーロッパ(♯126)を
扱った時にも触れているはずである。


貧しい夫婦二人を
曲中の物語の主人公に据えて、
彼らを点描した内容は、

ぎりぎり「昭和枯れススキ」みたいに
思えるところがないでもない。


だがそれ故に、なんというか、
皮膚感覚みたいなものがある。


一日中食堂で働くジーナ、
合衆国は不況に直撃され
トムはギターを
しまいこむことを決意する。


手に入れたものに
しがみつくよりほかはないんだ


やり遂げたかどうかは、
実はさほどの問題じゃない


僕らにはお互いがいる
それはたぶん
あの愛ってやつのおかげだ

だけど時にたまらなくなる――


それでも、祈りを支えに
生きていくしか途はない。



タイトル通りのこの、
いささか古めかしい一節が

すんなりと、
しかもカッコよく入ってくるのは、


そこに描かれた物語が、
ヴィヴィッドだからなのだと思う。



さて、上述のように
デビューからブレイクに至るまで、

我が国での人気が、
彼らにとっても


一つの支えとなっていたことは
たぶん断言してしまってかまわない。


古くは日本で収録の
ライヴ盤が大ヒットとなった
ディープ・パープルや

あるいはすぐ解散してしまったけれど、
ジョーン・ジェット
率いるところのランナウェイズ、


そしてチープ・トリックなど、
日本のファンに後押しされて、


キャリアを維持することに
成功したバンドというのは
実は幾つか見つかってくる。

まあこのクラスになると
ビッグ・イン・ジャパンという
用語でくくってしまうのは
いささかどころではなく憚られるが。


それから少しジャンルは
違ってくるけれど、


全米デビュー前のワム!(♯32)も
よくプロモーションのために
来日していたように記憶しているし、

スタイル・カウンシル(♯12)の
ポール・ウェラーなんかも
実はソロ時代を支えていたのは
日本のレコード会社だったりする。


こういうのはまあだから、
日本の側のA&Rだったり、


あるいは音楽雑誌だったり、
でなければ評論家の方が、

そのアーティストの音楽に
相当な肩入れを
していたという背景が
たぶん見つかってくるはずである。


さて、ブレイク以前の
このボン・ジョヴィに関し、
たぶん一番大きく旗を振っていたのが、


伊藤正則さんだったのだと思う。

このバンドは必ずビッグになる。

会う人会う人に
あるいはそんなふうにいって
いたのではないかとすら想像してしまう。


なんとなく、
レコード会社主導であった気が
あまりしないのである。

いや、まあ決して
きちんとした裏付けがあって、
いっている訳でもないのだけれど、


それでも国内盤の
この方の手によるライナーを読めば、


当時どれほど正則さんが
バンドを信じていたかは
十分過ぎるほど伝わってくる。


思うに批評が健全で、
その力を十分に
発揮するためには、


この時の正則さんのように
様々な私利私欲から、


きっちりと独立していることが
必要不可欠なのではないかと思う。

レコード会社側や
あるいは評論の筆者自身の
ある種の名誉欲みたいなもの。


たぶんそんなのが
紛れ込んでくると、
たぶんいずればれてしまう。


そういう純粋なエネルギーに
さてなんと名前をつければよいものか。

結構難しい問いである。


もちろん毎回拝見している
訳でも決してないのだけれど、


正則さんは今なお、
TVKで番組を
持っていらっしゃる模様である。

本当に生涯をまさに
ハード・ロック一筋に
踏みしめていられるのだなあと思う。


まあだから僕が
HR/HMに触れる時に
少なからず
歯切れが悪くなってしまうのは、


どうしたって自分では、
この正則さんやあるいは
和田誠さんのような、

あふれる熱意に裏打ちされた
紹介の仕方はできないよなあと、
どこかでわかっているからである。


むしろ万が一、ここのテキストが
こういう方々のお目に留まるなどして、


今さらお前が
ロックを語るな、なんて

いわれてしまったら
どうしようくらいに
どこかで思っていなくもない。


もっとも実は
面識がある訳でも決してない。


僕がお世話になっていたのは
ジャンル的にいって、

当時NHKで番組を持っていられた
大伴良則さんとか、
あるいは村岡裕二さん、
伊藤史朗さん辺りであった。


もう十年どころではなく、
御挨拶するような場面もないが、
お元気かなあ、と思ってはいる。


なお、和田さんには
一度か二度だが
お会いさせていただいている。

でも僕のことなど
たぶん覚えては
いらっしゃらないだろうなあ。



さて、適度に話も
横道に逸れたところで、
ボン・ジョヴィの話題へと
そそくさと戻ることにしよう。


日本のチャートでの成功の後、
続くサード・アルバムを作るに辺り、

彼らは自分たちの弱点に
大幅にメスを入れている。


やはりそこには、
不退転の決意みたいなものが
あったのだろうと思う。


まずはプロデューサーが交代している。

それからたぶん
何よりも大きかったのは、


外部の作曲家を
ソングライティングの
パートナーとして
迎え入れたことだろう。


この人物の名を
ディズモンド・チャイルドといって、

ボニー・タイラーや
あるいはシェールなどの、


ハード・ロックの
タッチを有した、
シンガーへの楽曲提供で
十分に実績のある人物だった。


この方の貢献は
非常に大きかったと見るべきである。

SLIPPERY WHEN WET所収の
二大代表曲、


You Give Love a Bad Nameと
Living on a Prayerの両方、


それから今回のピック・アップの
Bad Medicineはもちろんのこと、

同じアルバムの
Born to be My Baby、


そしてその次の
KEEP THE FAITHの
タイトル・トラックなど、


いわばいずれもボン・ジョヴィを
今のボン・ジョヴィたらしめた

すべての楽曲に、
共作者として
名前を連ねている。


このチャイルドはのちに
リッキー・マーティンなどにも
曲を提供しているから、


たぶんマイナー・スケールを
基調にした上で、
同時に十分にノリがいい

そういうメロディー・ラインを、
最も得意とするような
タイプだったのではないかと思う。


これがだから、
ボン・ジョヴィというバンドの


元々持っていた本質と
ピタリとハマったように見える。

誰の仕掛けかは
さすがにわからないけれど、


極めて幸運な出会いだったと
いってしまっていいだろう。


いや本当、三枚目以降の楽曲は、
曲の展開の仕方とかが、
格段にうまくなってるんだよねえ。


さて、なんだか気がつけば
SLIPPERY WHEN WET以前の
話ばかりになってしまったけれど、


今回のピック・アップの
Bad Medicineは
同作に続いて88年に発表され、


バンドの地位を不動のものとした
4thアルバムNEW JERSEYの
リード・オフ・シングルだった
トラックである。

このタイミングで
この曲をものに出来たことが、


ボン・ジョヴィの地位を
不動のものにしたのだくらいに
いってしまっていいだろう。


実際当時の勢いそのままに、
HOT100でも
やすやすと一位に君臨している。

そして僕にとっても
彼らのベスト・トラックはこれである。


本当、このBad Medicine
いつ聴いてもカッコいいなと思う。


冒頭に持ってこられている
サビのメロディーも
ありそうでなかった感じだし、

中盤のコーラスとの掛け合いなんか
いかにもロックという感じで、
聴くたびにわくわくしてしまう。


で、一番好きなのは、
曲の最後の方で、
一回引っ込んだバッキングを、


ジョンが呼び戻す、
そういう悪戯みたいな
仕掛けだったりする。

こういうのをカッコよく
決めてしまえるのだから、


やはりジョン・ボン・ジョヴィ、
希代のロック・シンガーだと
断言してしまっていいだろう。



ボン・ジョヴィは
00年代に入って以降も、

極めて精力的に
作品を発表し続けている模様である。


正直僕は現段階では
CROSSROAD以降の作品は、


HAVE A NICE DAYしか
手に取ってはいないのだけれど、

この一枚もまた
なんといおうか、
安心の充実振りである。


もっとも近年は、
ギターのリッチー・サンボラが
抜けてしまったとかそうでないとか、


なんだかこちらも多少
きな臭くなって
きてしまっているようではある。

実際最新作
BURNING BRIDGESは


結局リッチー抜きで
制作された模様なのだが、


リッチーの方はどうやら、
復帰を望んでいるようなことも
口にしているらしいので、

なんとか元の鞘に収まって、
彼らにはそれこそ
ストーンズのように


最後までロッカーとしての
存在を貫いてほしいなと思っている。


ただし、この分裂劇の背景には
どうやらリッチーの側の

アルコールの問題が
大きく影響しているらしいので、


まずはそこをなんとか本人に
乗り越えていただきたいなあと、
そんなことを考えているこの頃である。


いや、なんか本当は
もっといろいろ

書きたいことが
あったような気もするのだが。


デビュー時の契約の話とか、
なかなかほかには、
見つかってこないパターンなので、


少し紹介しようとも
実は思っていたのだけれど、

まあでも長くなったので、
今日のところはこの辺で。


書き切れなかった分は
いずれエクストラで
取り上げることにしようかと思う。



では締めのトリビア。

She Don’t Know Meという曲が、
彼らのデビュー盤に
収録されている。


これは同時に
Runawayに続いた彼らの
セカンド・シングルでもあった。


まあ一目瞭然、あからさまな
三人称単数現在の

誤用というか、文法の無視が、
ほとんど誰の目にも
留まってしまうのではないかと思う。


でも確かに、
このメロディーラインに載せるには、
Doesn’tとはいってられないよなあ、


なんてことを考えながら
それでも実はなかなかにいい曲で、

あの頃も結構
繰り返し聴いていたのだけれど、


まあベスト盤にも、
クリップ集にも
収録される気配はまったくないし、


セット・リストにも、
全然載ってくる様子がないので、

バンドもあまり
気に入っていないのかなあ、


なんてことを
思うでもなく考えていたのだが、


ところが今回
よくよく調べてみたところ、
これ、作者が全然違っていた。

むしろボン・ジョヴィの
これまでのすべての録音の中で、


もちろんカヴァーを除いての話だが、

ほとんど唯一
バンドのメンバーの誰一人として

ソングライティングに
関わっていないトラックなのだそう。



ああ、でもそうかもしれない。

いわれてみれば、
全然ボン・ジョヴィっぽくないわ。

この曲はなんか、きわめて
アメリカン・ロックっぽいです。


そもそもがどこの
発注だったのかはわからないけれど、
まあたぶん、
そういうオーダーだったんだろうなあ。


いや、嫌いじゃないんですけどね。