しかしなんという年なのだろう | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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うーん、こういう場で、
訃報にばかり反応するのも

やっぱりなんだかなあと思って、

一月初旬のボウイ以降は、
ずっと控えていたのだけれど。



あのボウイの突然の死で幕を
開けてしまったような今年は

まだ始まって三ヶ月も
経ってはいないというのに


あまりに立て続け過ぎて、
少なからずどころでなく滅入る。



ボウイの訃報の直後、
まず、イーグルスの
グレン・フライが亡くなってしまった。

そして月が替わったと思ったら、
今度はモーリス・ホワイトである。


こちらはEW&Fなるグループの
リーダーだった方。



二人ともアメリカの
アーティストなので、
まだ本編では取り上げていないが、

それぞれにロックとそれから
ファンク・ミュージックとを


相当の飛距離で跳躍させた、
そのグループの
中核だった人物といっていい。



そして今月になった8日に
ジョージ・マーティンの
訃報が飛び込んできたかと思ったら、

今度はキース・エマーソンまで
世を去ってしまったらしい。


いったいどうなっているんだろう、と
それくらいしか言葉が出てこない。



ジョージ・マーティンは、
そもそもビートルズのデビューを
決断するという
世紀の偉業を為し遂げた方である。

もしこの方と、
ブライアン・エプスタインなる
人物とがいなかったとしたら、


たぶんポップ・ミュージックと
レコードの歴史そのものが
変わっていたに違いない。


まだ基本、プレイヤーなり
シンガーなりは
そういうものとしてしか
扱われていなかったような時代に

自分たちで作った曲を
やりたいんだという


ジョンとポールの希望を容れて、
デビュー当初から、
その機会をきちんと与えた。


そしてビートルズと一緒に、
新しい音楽の模索を繰り返し、

その結果として
レコーディングに関する
様々な技術を
いわば次々と切り拓き、


さらにはアルバムという一つの形式を
完成させることに
大きく貢献した一人だったといっていい。



キース・エマーソンについては、
本編(♯100)でも
かなりの字数を割いたとも、
思うのだけれど、

ロック・バンドという
編成のポテンシャルを
世に知らしめたとでもいおうか、


その一つの可能性を
こちらもやはり、極限まで
切り拓いた方だと思っている。


その影響は、たぶん測り知れない。


安らかであればいいな、と
そう思うしかないのだけれど、


とりわけエマーソンについては、
なんだかそう簡単に
いってしまえないような


死因であるらしいところが
またどうにも、
なんというか、ただやるせない。


ここから先は、半ば以上に戯言である。

いずれシングルとアルバムという
この半世紀あまりを支えてきた


音楽の一つの形式というか、
あり方そのものが、

まあ消滅とまではいわないとしても、
たぶん簡単には想像も


できないようなレベルにまで
衰退していくであろうことは、


この数年、なんとなく感じてはいる。

国内でもそうなのだろうが、
アメリカでも


ディスクそのものの
生産量というものは、


最早落ち込むという言葉すら、
すっかり越えてしまっているような
惨憺たる状況であるらしい。


だからまあ、こんな具合に
重鎮といっていい方たちの逝去が
矢継ぎ早に続いてしまうと、


一つの時代の
漠とした終焉みたいなものを
自ずと感じざるを
得なくなってしまうのである。


改めてその事実を、
正面からまともに、

突きつけられているような
そんな気分になってくる。



まあ、だからといって、
僕にできることなど
ほとんどないといっていいのだが。



自身がもうそろそろ
半世紀生きようかという時期に
差し掛かっている訳だから、

僕がまだ十代の頃からもうすでに
ビッグ・ネームだった方々が、
それなりに御年を召されているのは


当然どころかむしろ
揺らぐことのない道理である。


それは重々わかってはいるのだが。


だから結局は、
自分がこういった方々と、


多少なりとも
同じ時代の空気を感じ、


その作品の数々に
触れる時間を持てたことを、

改めて寿ぐべきなのだろうと、
まあ、そんな具合に


重ねて自身にいい聞かせている
今日この頃であったりする。



なかなか暖かくなりませんが、
皆様も体調等には
十分お気をつけてお過ごしください。