ブログラジオ ♯112 Dentaku | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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さすがはドイツ語である。
絶対に英語の単語には
見つかってこない種類のスペルである。

――なんて、嘘です。

日本語です、これ。

単なるローマ字表記。

ですからすなわちこの曲
ドイツのアーティストの
作品でありながら、


『電卓』というタイトルを
つけられているという訳です。


THE MIX/クラフトワーク

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では改めて、
テクノ・ポップ界のエルヴィスこと
クラフトワークである。

あるいは同ジャンルの
ビートルズと形容されるような
場面もあるようでもあるけれど、


いずれにせよ、
もしこの方たちがいなければ、


たぶんOMD(♯16他)も
ヒューマン・リーグ(♯46)も
おそらくは影も形も見当たらず、

あるいはYMOだって、
ひょっとすると
まったく違う音楽を


やっていたのではないかと
いうくらいの
重要度を誇る存在である。


いわば、ポップ・ミュージックに
電子音を導入した
パイオニアだったといっていい。


なお、クラフトワークとは、
ドイツ語で『発電所』の意味だそう。


発音も、厳密には、
クラフトヴォルクというのが正しく、


本人たちも自分たちのことは
頑なにこう称するのだそうだが、

英語圏はもちろん我が国でも、
英語風の発音の、ワークの表記が
すっかり定着している模様。


そういう訳で本稿でも、
表記はクラフトワークのままでいく。



さて、シンセサイザーなるものが、
この世界に登場してきたのは、

大体1930年代辺りに、
その起源を求めることができるらしい。


電気的に音を鳴らすという行為が、
いったいいつ頃から始まったのかは、
さすがにはっきりとはわからないが、


たぶんエジソンとか
テスラ辺りの段階で、
もうすでにそういう試みは
為されていたのに違いない。

やがてブザーみたいなものが
必要に応じて開発され、


それをいわば、楽器/音楽に
転用しようという発想が、


この時期におそらく
ある種同時多発的に
起こっていたのだろうと思う。

もちろんコンピューターなるものの、
基本的な考え方や
技術的な進歩がなければ、


ありえなかったであろう
イノヴェーションであることは
九分九厘間違いはない訳で、


そういう意味では
あの二つの大戦期を挟んで、

こちらの方面にも、飛躍的な
進歩が見られたのであろうことは
想像するに難くない。



いわゆる電子オルガンと
呼ばれる楽器群を別にすれば、


モルグ・シンセサイザーというのが、
おそらくは商業レコーディングに
最初に使用された機材だったのでは
なかろうかと思われる。

ここでもやはり、
あのビートルズが出てくる。
もちろんこちらは本家の方。


Strawberry Fields(♭25)の
あの印象的なイントロに
使われているのが、
確かモルグであったはずだと思う。


Lucy(♭4)もそうだったかな。

いずれにせよ、
60年代後半にはもうすでに、
こういう試みが為されていた訳である。


もちろん、こういったトラックが
厳密に世界初かというと、
やや断言は憚られる。


ただし、今現在もなお、
市場に流通しているものの中では

極初期の作品であることは、
十中八九間違いはない。



さて、そして本邦の
富田勲さんによる作品群が、


全米で注目を集め始めたのが、
やや下って74年頃のことになる。

まずはドビュッシーの『月光』を
中心とした、幾つかの器楽曲、


それからムソルグスキーの
『展覧会の絵』を
すべて電子楽器で演奏した一枚とが、


立て続けに全米の
クラシック・チャートの上位を
にぎわすことになった。

そしてこのクラフトワークの代表作、
AUTOBAHNなる作品もまた、
この同じ74年の発表なのである。


トラックの全体を
ほぼ電子音だけで構成して
しまおうというのは


やはり極めて画期的な
アプローチだったのである。


いや、猿の芋洗いの喩えを
ここで引き合いに出すのは、


なんとなく気が引けなくも
正直なくはないのだけれど、


進化というのか進歩というのか、
そういうものが
この世界に顕現する時、

なんといえばいいのか、
はっきりとはわからないが、


いわば種子みたいなものが、
あちこちに撒かれて、


それを上手く捉え、大事に育て、
発芽させることの出来る人が、

実は複数存在しているのではないか、

そうやって歴史というのは、
前に進んでいるのではないだろうか、


だからまあ、そういうようなことを
こういったある種の
シンクロニシティともいうべき
事象に出会うと

時についつい
考えさせられてもしまうのである。


文明も音楽も分け隔てなく、
そういうものは
たぶん目には見えない場所で、
日々起きているのではないかと思う。


あるいはビル・ゲイツと
スティーブ・ジョブスというのも、

そういう組み合わせ
だったのかもしれない。


だからやっぱり、
猿の芋洗いに喩えるのは
少なからずどころでなく気が引ける。



さて、僕自身が
このクラフトワークの

アルバムを聴いたのは、
まだ中学時代のことだった。


もちろんYMOから
遡って見つけた形であったし、
それから当時大ヒットしていた


あのバグルズの
Video Killed the Radio Star(♯18)の
インパクトがあまりに強過ぎて、

こういう音はたぶん、基本的には
洋楽からしか出てこないんだろうなあ、
みたいな感覚を、


そこはかとなく持ち始めていた
時期だったのではないかと思う。


手にしたアルバムは、77年発表の
TRANS-EUROPE EXPRESSである。

曲数が少なくて、やや物足りなく
感じたような記憶もあるが、


同作のラスト収録の、
Endless, Endlessなるトラックの


シンプルであるが故の
異様なインパクトは

今に至るまで一度も
脳裏から消えたことがない。


もっとも80年代に入ってからの
このクラフトワークは、
いわばある種の停滞期にあったので、


なんというか、
深追いする機会は
逸してしまった感がなくもない。


さて今回のピック・アップの
Dentakuは、
元々は81年の作品であった。


原題、というのが正しいのかどうか
よくわからないけれど、


英語ヴァージョンのタイトルを
Pocket Calculaorという。

勿体をつけるまでもなく、
基本そのまんまである。


ほか、もちろん
ドイツ語版が存在している。


しかも、それぞれの言語のために
シンガーを起用している訳ではなく、

全部メンバーたちが
自身で歌っているのだそう。


いや、歌うという表現は、
とりわけ彼らの場合
少なからず語弊が
あるのかもしれないのだが。


でも、まあこういうサウンドなので
日本語は結構
流暢に聞こえてきたりする。


僕は音楽家 電卓片手に
このボタン押せば 音楽奏でる



ちゃんとこの通り聴こえている。

こういう場合、自虐的という言葉が
相応しいのかどうかは、
多少の懸念は拭えないのだが、

だからこの方たち、結構こういう
ある種ネタ的な発想から、
曲を作ってしまったりするのである。


その辺がまた、
いかにも「らしく」はあるのだけれど。


音楽のみならず、
世界観もまた、極めて機械的なのである。


なお、今回ジャケットを掲げた
THE MIXなる作品は、


91年に、過去の代表曲を
自身でレコーディングしなおした、
ある種のベスト盤であるので念のため。


付け加えておくと、
このコンセプトそのものには
当時からそれなりに
賛否があったようである。

また、我が国の国内盤は英語盤の編成に
この『電卓』を加えた形に
なっているはずだと思うのだけれど、


輸入盤にはもちろん
全編ドイツ語のドイツ国内盤も
あるはずなので、


その辺りがジャケットからだけでは
たぶんよくわからないと思われる。

ですから、もしご購入を
検討される際には、


その辺り十分な確認が
必要になるのではないかと思われます。



では恒例の締めのトリビア。

ついこの前エクストラで取り上げた
ボウイの“HEROES”(♭73)の中に
V-2 Shneiderという


インストゥルメンタルの
トラックが収録されている。


これはこのクラフトワークの
二人の中心人物のうちの一人である

フローリアン・シュナイダーに
献じられた曲なのだそうである。


実はクラフトワークの方からも、
こういったアプローチはあって、


上で少しだけ触れた
Trans-Europe Expressの
タイトル・トラックの歌詞には、

イギー・ポップと一緒に
ボウイの名前が
出てきていたりもしたりする。


しかも、81年のこのクラフトワークの
ロンドン公演の際には、


なんと前三列の座席を全部、
ボウイが一人で買い占めたという
エピソードもあるのだそうである。


まあこの前から、なんだか、
ボウイの話題ばかり
出しているような気もするけれど、


今年はそういう年になってしまったし、

そういう巡り合わせに
なっているのだろうと思う。

いや、もちろん半分以上わざとだけれど。