ブログラジオ ♯111 Lili Marlene | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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マレーネ・ディートリッヒという。

シンガーでもあるけれど、
同時にこの方、


ハリウッドのスター史に残る
女優さんでもあったりする。

マレーネ・ディートリッヒのすべて/マレーネ・ディートリッヒ

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さてこのM.ディートリッヒ、
以前ここでも取り上げた

フランスのディーヴァ、
エディット・ピアフ(♯103)と
大体同じ世代の方である。


のみならず彼女たち二人、
まあおそらくは、


親友同士といっても
ほとんどかまわないような

間柄だったのでは
ないかと思われる節がある。


ピアフの映画でも確か、
そんなポジションで描かれていた。


もっとも、演じていたのは
知らない女優さんだったけど。

いや、そもそも
主演のマリオン・コティヤールの
名前を知ったのさえ、
この映画が初めてだった。



いずれにせよ、ピアフにせよ、
このディートリッヒにせよ、


僕自身が詳しい伝記に
ちゃんと目を通したうえで、
ここに取り上げている訳では
決してないので、

以下どうしても些か歯切れが
悪くなってしまうのだけれど、


彼女たちの生きた時代というのは、
まさに二つの大戦の、


とりわけ第二次の方のそれの
いわば真っ只中だった訳である。

あるいはここでもうすでに、
あれ、ちょっと待て、と、


思われた方も、中には
いらっしゃるかもしれない。


――そうなのである。

あの二つの大戦期、
ドイツとフランスの両国は、
真っ向から敵同士だったのである。


その両国を代表する
ディーヴァ二人が、


ある種の信頼関係を
きちんと築けるためには、

当然それ相応の
背景がなければならない。


そしてその部分はこの、
ディートリッヒの側の、


果敢といおうか、
ある種漢気にあふれたとさえ
いえてしまいそうな、

その波乱の生涯の故なのである。


さて、僕自身がこの方のお顔を
生まれて初めて目にしたのは、


おそらくはあの
市川昆監督の横溝正史作品

『悪魔の手毬唄』がまず
最初の最初であったのでは
ないだろうかと思う。


うろ覚えではあるけれど、
たぶん間違いはないはずである。


もっとも、当然のことではあるが、
この『悪魔の手毬唄』という
東宝製作の純然たる邦画作品に

このディートリッヒが、
キャスティングされて
いた訳ではもちろんない。



横溝正史さんの
代表作の一つであろう同作は


ハリウッド・ミュージカルの傑作
『雨に唄えば』と同様、

映画がトーキーへと進化していく
その技術革新が、
重要な時代背景の一つとなっている。


まあトーキーなんて言葉も
今は誰も使わないのかもしれないが。


とにかくこの『悪魔の手毬歌』では
作中の重要人物の一人が、
活動映画の弁士をやっており、

このトーキーの台頭とともに
職を失ってしまうという、
いわば脇筋があるのである。


そしてこの辺りの内容の紹介の際、
映画の方でも短い時間ながら、


極初期のトーキー作品である、
ハリウッド映画『モロッコ』の
一場面が引用されていたのである。

もういわずもがなだとは思うが、
もちろんこの『モロッコ』のヒロインが


今回御紹介の、
このマレーネ・ディートリッヒ
その人だったという訳である。


戦地へと出発する恋人を追いかけ、
ヒールを脱ぎ捨て、
裸足で砂漠の上を歩いていく。

そんなモノクロの映像が、
妙な艶かしさとともに、
鮮明に印象に残ったものだった。


それもそのはずで、
このディートリッヒ、


ハリウッド映画史上、
十指には入るであろう、
脚線美の持ち主で
あったということらしい。

100万ドルの脚線美、なんて
表現もそこかしこで見かける。


全盛期には実際、
それだけの額の保険を、
御自身の脚に
掛けていたのだそう。


いずれにせよだから、
戦後すぐの昭和を舞台にした
本邦のカラー作品の中に、

不意にアップで登場した、
彫像のような表情と


唐突に放り込まれた、
モノクロのシークエンスとは、


それなのに、か、それ故になのか、
石坂金田一を楽しみに
画面を追っていた当時の僕に

思いがけずも鮮烈な印象を
残していったという次第である。



その次にこの方のお顔を
僕が拝見したのはたぶん、


アガサ・クリスティーの
『検察側の証人』を原作とした

ビリー・ワイルダー監督の傑作、
『情婦』だったはずである。


目を直射しているはずの、
鏡の反射を受けてなお、
微塵の動揺すら見せない


怜悧といっても
かまわないくらいの美しさが
やはり強力に目を引いた。

こちらも極めて面白い映画なので、
いずれいつかここでも
取り上げるかもしれないけれど、


本当にこのM.ディートリッヒ、
そこにいるだけで周囲のすべてを、


すっかり圧倒してしまう、
そういう存在感の
持ち主だったのだろうと思う。

妖艶であると同時に、
貫禄というか、威厳がある。


なかなか醸し出せる雰囲気ではない。

だからこそ、あのピアフとも
引かれ合うものがあったのに違いない。


ちなみに彼女の出演作では僕はこの他に、
『ニュルンベルグ裁判』を観ている。


もっともどれも、スクリーンでの
鑑賞ではないので念のため。


基本すべて自分が生まれる前の作品だし
そうではない『悪魔の手毬歌』も
映画館に足を運ぶまではしなかった。

ビデオでは実は何回も
見ていたりはするのだけれど。



さて、今回のピック・アップの
Lili Marleneなるトラックだが、


元々はララ・アンデルセンという
やはりドイツのシンガーの
ヴァージョンがそもそものオリジナルで、

1939年のレコードなのだそう。
だからたぶん、SP盤である。


最初はなんと60枚くらいの
実売でしかなかったらしいのだが、


このうちの何枚かが、
同じ年に勃発した大戦の

まずはヨーロッパでの戦乱の、
その最前線へと送られて、


その歌詞の内容から、
兵士たちの間で
たちまちに人気を博したのだという。


だから、曲そのものも、幸運というか、
ある意味非常に数奇な運命をたどって
ポピュラーになっていったらしい。


端的にいえばこのLili Marleneは、
戦地から恋人を思う歌である。


この曲の話者は、
自分が明日命を落とすかも
知れないような身であることを
十分にわかっている。



二人が時を過ごした街灯が、
再びあのリリー・マルレーンの
姿を見つける時

その隣にいるのは
いったい誰なのでしょう



逐語訳ではもちろんないが、
大体こんな感じ。


こんなリリクスが、
いかにもドイツの
ビア・ハウスに似合いそうな、

ある種軽快なメロディーに
載せられているのである。


実際に戦地でこの曲を
耳にするということが
いったいどういうことなのかは、


想像に難くない気もするし、
でも同時に、本当のところは、

決して僕の立場では
わからないのだろうなあとも思う。


――ただただ切ない。

そんなふうにしか
たぶんいいようがないのだろう。


ところでM.ディートリッヒは
実はその本名を、
マリー・マグダレーネと
いうのだそうである。


一目瞭然かもしれないが、
由来はマグダラのマリアである。


だから彼女は、
自分のファースト・ネームと
ミドル・ネームとを
くっつけて縮めて出来上がった

マレーネという名前を、
芸名として採用していたらしい。


そしてこのマレーネのスペルは、
リリー・マルレーンのMarleneと
まったく同じになるのである。



さて、彼女の女優としてのデビューは
もちろんドイツ本国のことであったが、

キャリアのスタートから
比較的すぐに、マレーネは
ハリウッドへと招かれている。


『モロッコ』が撮られたのは
おおよそこの時期のことであろう。


折りしもヒトラーが
政権を獲得しようという
辺りだったのではないかと思う。

やがてヒトラーが彼女を
自国に呼び戻そうとしたりなど、


いろいろとエピソードは
あるらしいのだが、今回は割愛。


やがて彼女はついに
反ナチの態度を真っ向から鮮明にし、
アメリカへの帰化を決める。

のみならず、彼女はある意味
本職の女優業を投げ打つ形で、


むしろ米国の兵士たちのために
彼らのいる戦地へと赴いて、
そこで慰問のために
歌うことまで始めるのである。


最初こそ、戦意高揚に
相応しくないとも
見做されもしたらしいのだが、

この慰問の行動を通じ、
先述の名前の縁もあって、


Lili Marleneは次第に、
マレーネ自身の重要な
持ち歌となっていったらしい。



では、この時のアメリカの兵士たちは、
いったいどんな思いで、
彼女のLili Marleneを聴いたのだろう。

ドイツの産んだ世界的ディーヴァが、
最前線にいる自分たちの目の前で、
まさに敵国の言葉で紡ぎ出す、


戦場の兵士が後に残してきた、
そして永遠に


置き去りにしていくことに
なるのかもしれない

ただ一人の恋人への思いを
切々と歌い上げるこの歌を。



それはたぶん、自分が銃口を
向けた先にいるだろう相手が、


自分と同じ思いを抱いているのだと、
痛切に思い知らされるような
場面であったに違いない。


このLili Marleneなる曲が
連合、枢軸の両陣営の間に、
ひそかに結んだものは
いったいなんだったのか。


そんなことに思いを馳せると、
実になんともいえない気持ちになる。


答えなど、僕ごときでは決して
見つけられるはずもない問いである。


ほか、マレーネ・ディートリッヒは、
PPMのWhere Have All the Flowers Gone
(邦題:『花はどこへ行った』)や


ディランのBlowin’ in the Wind
(邦題:『風に吹かれて』)なんかも


ドイツ語でレコーディングを
遺していらっしゃったりもする。

クリスマス・ソングの
Little Drummer Boyとかも、
ここまで色々な人の
ヴァージョンで聴いてきたけれど、


このマレーネの録音は、
なんというかやはり、
不思議な存在感というか、


貫禄に似たものが
響いてくるから不思議である。

また54年には、あのバカラックを
アレンジャーに迎えて、


『ベルリンのスーツ・ケース』なる曲を
レコーディングしてもいる。


同曲のソングライティングは
専門の作家の手によるものだが、

マレーネの意向が
多分に反映されているに違いない。


結局ついに生涯故国ドイツへ
還ることを許されなかった、


彼女の波乱の人生を
思い浮かべながら耳にすると、

この曲にもまた、
なんともいえない感慨を
刺激されざるを得なくなる。



私はスーツ・ケースを一つまだ、
あのベルリンに残したままでいる


そこにはかつての私の
幸せのすべてが詰まっている――


なんというか、
もうほとんど言葉が出てこない。



さて、では切り替えて、
そろそろいつもの締めの
トリビアに行くことにしよう。


85年になって、アメリカの
スザンヌ・ヴェガという
シンガーソングライターが、

このマレーネをモチーフにした
Marlene on the Wallという曲を、


本国での自身のブレイクに先立ち、
何故かまずイギリスで
スマッシュ・ヒットさせている。



壁にかけられたマレーネの肖像は、
たくさんの兵士たちの
姿を見つめてきたはず――


まあこんな感じの歌詞である。

そして同曲のPVでは、
確かに当然考えられる
演出ではあるのだが、


スザンヌ本人が、
髪型なり衣裳なりで、

なんとかディートリッヒ本人を
彷彿させようとしているのである。


たぶん写真も映像も、
使う許可が
降りなかったんだろうなあ。


いや、そもそもする気も
その予算も
まだなかったのかもしれないが。


だけど、正直にいって
やっぱりちょっときついのである。


当然だけれど、
本家には到底及ばない。


このスザンヌ・ヴェガ本人は
どういうのがいいのだろうか、

確かに十分に人目を引く
ルックスの持ち主なのだが、


キュートといおうか、
どことなく愛嬌のあるタイプの
顔立ちをしていらっしゃるので、


なんとなく全体の印象が、
ひどくぎこちなくなっている。


だからむしろ、あのまるっきり、
バニーガールみたいな


網タイツを中心とした
妖艶な衣裳に身を包んでさえ、


威厳と貫禄とを
否応なく醸し出していた

ディートリッヒの方が
特別な存在なのだろう。


いや、スザンヌ・ヴェガさん御本人が
この記述を見ることは


まずあり得ないだろうと思って、
つい書いてしまっているけれど、

お願いですから、
英訳とか絶対しないで下さいね。