ブログラジオ ♯104 Maria | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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いよいよフランス編の最後は
パッツィーというシンガーである。

もっとも、たった四回だったけど。

Tout contre

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まあ、よほどの好事家でない限り、
たぶん今ではもう誰も
知らないのではないかとは思う。


92年頃、今回タイトルにした、
Mariaという曲が、

J-WAVEやbay-FM辺り、
つまり主に首都圏を中心に、


フランス語の楽曲ながら、
それなりに頻繁に
オンエアされていたはずである。



いやでも、本当はこの曲、
最初の予定では、
先週になるはずだったんですよ。

でもピアフくらいはやっぱり
取り上げて置こうかと思って
一つ枠をずらしたら、


なんかイヴのまさに当日に
(これも実はずいぶんと
変な日本語ではありますが)、


いかにもそれっぽい
このトラックが
来てしまったという訳でして。

クリスマス・ソングかといえば、
たぶんそうではないんですが、


だけどこうなってみると
本質はそうだったのかもしれないなあ。


どこかでこの時期
耳にする機会が
一度でもあると嬉しいんだけど。


さて、そろそろもう種明かしを
してしまうことにするけれど、


今回のネタは、実は僕の、
最後の手札みたいなものだったりする。


何を隠そう、この方のデビュー作を、
日本に紹介したのが、
実は僕だったりするのである。

しかも、最初に自分で
レーベル・コピーに
判子ついたアルバムがこれ。


つまりは、彼女の1stアルバムにして、
僕のディレクター・デビュー作が
この一枚だったりするのである。


忘れる訳ないし、
よもや捨ててしまったり
なんてことは絶対しない。

大事にしまってあるとまでは、
でもいわないかな。


ほかのCDと一緒に棚に入ってる。

今でも時々聴くからさ、やっぱり。


もっとも、自分で見つけ出して、
契約を取ってきたり
した訳ではもちろんない。


だってその二年くらい前まで、
まだ学生だったから。


――お前、これやってみるか。

みたいな感じ。
決済とかそういう手続きは、
もうすっかり済んでいたからね。


いつでも出せる状態だった。

だから先輩というか、
当時の僕の指導役だった
編成担当者の方が、

御自身で手がけようと思って
いろいろ練っていた一枚を
たぶん回してくれた訳である。


まあだから、実際すごく引き上げて
戴いてはいたのですよ。


だけどまあ、フランスの新人の
デビュー作って、むしろ
相当ハードル高くないですか、と、

今となってはちょっとだけいいたい。
もちろん当時はいえなかったけどさ。



そういう訳でまず、
僕はこの方の
輸入盤のCDを手にして、


そうか、このパッツィーって名前が
今頭の中に入っているのは、

先輩を除けば、この日本では、
ほとんど僕しかいないんだ、と、
いわば途方に暮れた訳ですね。


だけどね、音楽はすごくよかった。
自分の肌にもぴたりと合った。


――さて、どうすればいいんだろう。

まあ、そういういわば
悪戦苦闘というか、
艱難辛苦みたいなものが
そうやって始まった訳ですよ。



例のよっての余談ではありますが、
上でレーベル・コピーと
僕が呼んでいるものは、
 

まあ商品の基本情報を
まとめた書類みたいなものです。

もちろん今でもこういう呼び方を
しているのかどうかは
残念ながらよく知らないけれど。


マスター・テープもこの書式と
つき合わせてチェックするし、


ほか、ジャケットやスリーブや、
ブックレットとかに載せられるべき、
基本情報を一枚にしたフォームです。

要は商品の設計図ってことですね。

だから、この書類をきちんと
間違いなく仕上げることから
まずは仕事が始まる訳です。


いや、本当にすごい昔だからさ。

サーバーとかデータベースとか、
そういう概念がなかった時代だから。


――全部紙。

なのに皆、毎日デスクで
煙草吸ってましたねえ。

だってパソコンないからね。
ワープロはもうあったけど。


いや本当、世の中って
変わるもんなんだなあ、と思います。



でもまあ、この時からしばらく、
ずっとそんなことに頭を悩ませて、

いろいろとやってみたことが
実は後になって、
僕という個人の人生において、


まったく思いもよらなかった形で
役に立ってくれたりもする訳です。


なんとなくお察しがつくのでは
ないかとも思いますけれど、

だって、どんな作家だって、
デビューした時には
誰も名前なんて知らない訳ですからね。


そりゃあ考えましたよ。

まあこの詳細は、また別の機会に、
譲ることにしますけれども。


とにかくそんなような次第で、
この『パッツィー』を
リリースするに当たり、


やっぱりいろんなことに
一生懸命頭を悩ませた訳です。


二十代半ばだった当時の僕が。

だから、この作品だけは
絶対に忘れられないですよ。


例の先輩が、仕上がってきた
日本盤のサンプルを見て、


うん、このコピー正しいわ、と
いってくれたこととか、

でなければ、十かそれ以上年上だった、
テレビ担当のプロモーターの方が、


会社を出る間際、
このMariaのサビのところを


鼻歌で歌いながら自分の横を
通り過ぎていった場面とか、

鮮明に覚えていますからね。


Maria, Maria,
Serre três fort Pedro dans Ses Bras,

Tout Lá-bas, Tout Lá-bas,
Maria Crie, On ne L’entend pas――



いや、もちろん彼が口ずさんだのは
最初の一行だけだったのですけれど。

こんなところでネタにしちゃって
ごめんなさいね。


では、いつもの勝手な和訳。


マリア マリア
ペドロを強く腕の中に抱き締めて

遠く 遠く
マリアは叫ぶけれど、耳を貸す者はない

まあこんな感じであります。

だからやっぱり、
クリスマス・ソングなのかもしれません。



あの仕事を離れて
しまってから数年の間は、

このアルバムを
プレイヤーに載せることが
なかなかできませんでした。


思い出すとものすごく
後悔しそうだったからね。


その後悔を打ち消すために、
デビューできるまでの十年間、
僕が止めずに小説を
書き続けてきたことは本当です。


はい、もうオチにお気づきの方も
少なくなく
いらっしゃるかとも思いますが、


今回は全編がトリビアでした。

――ダメかな。

そうですね、
やっぱりアルバムの紹介も
ちゃんとやりましょう。



このパッツィーは、本名を、
パトリシア・ラナリジョーナという。


やはり共にミュージシャンだった
両親の間に生を享けている。

もっとも父親は
マダガスカルの出身で、
それもアジア系の血を
引いているのだそう。


そのせいか御本人も、
なかなかにエキゾチックな
顔立ちをされている。


いや、実際に会ったことはない。
写真と、それからビデオだけ。


さて、ところがこの父親は
彼女が一歳の時に
海で命を落としてしまう。


母親はそれでも音楽の道を
諦めることはせず、
幼いパトリシアを抱いて、


時にはクラブ・サーキットに出たり、
英米のアーティストの
フランス公演に連れて
いったりもしたらしい。

そういう環境で、十代の頃、
いわば母親の
ピンチ・ヒッター的に


幾つかのCMソングに
歌を入れるという経験をした彼女は、


20歳を迎える前後に
自らもシンガーとして
生きていこうと決意し、

88年、Liverpoolという
シングルをまず発表する。


幸運なことに、このトラックが
フランス本国で十分な注目を
集めることに成功するのである。



もちろんこのLiverpoolも、
デビュー・アルバムである
TOUT CONTRAに収録されている。

これがでも、正直にいって
ギリギリな曲なのである。


タイトルにもあからさまに
仄めかされているけれど、
同曲はレノンへのオマージュである。


のみならず、冒頭からすぐ、
ビートルズやレノンの名前が、

歌詞や、あるいは
SE的にかぶせられている、
ラジオ・アナウンスなんかでも
かなりはっきりと聞こえてくる。


それだけならいいのだが、
ピアノのバッキング・パターンと、
それからコードワークが、
もろレノンのImagineなのである。


後半の展開は確かにオリジナルに
なってくるけれど、

いわゆるAメロは、
無理矢理別の旋律で
歌われている同曲を
聴いているような感じである。


しかもサビのリリクスは、
真正面からこう歌っている。



ジョン・レノンを聴きながら、
彼は想像(Imagine)する――


本歌取りとでもいえばいいのかなあ。

ある意味では、実は音楽の分野でも、
こういうこともやっていいんだという、


そういったトライアル
だったのかもしれないけれど、

確かにボウイの
Life on Mars(♭14)のような
例も過去にはあるけれど、


正直ちょっと抵抗があった。

だからまあ、僕は、
フランスでのヒットの
実績からではなく、
曲の強さで判断して、

今回のMariaの方を、
収録の曲順を繰り上げるまでして、


いわゆるリーディング・トラックとして
扱うことに決めたりもしたのである。



まあでも、こういった僕の違和感は
ほどなくMCハマーやPMドーン、
あるいはエミネム辺りの
幾つかのヒット曲によって、

木っ端微塵にされて
しまうことになるのだが。


確かに走りは、86年のランDMCの
Walk This Wayだったのだが、


同曲にさほど拒否感がなかったのは
どこかであの二人自身が、
自分たちはイロモノなのだという
自覚があったように見えたからだと思う。

でもハマーとか、違ったからね。

これもありに
なっちゃうんだなあ、と
つくづく思った。



今このパッツィーが、
どこでどんな活動を
しているのかまでは
詳しいことがここには書けない。

日本語はもちろん
英文のWikiにさえ
項目がなかったのだから、
そこは御容赦いただきたい。


もっとも、さすがに仏文は見つかった。

なんか、どうやら13年に、
それこそ前回のピアフの
メモリアル・ステージみたいなものに、
参加しているみたいではあるが、

こういう理解で合ってるかどうかは
まったくもって自信がない。



なんだかちょっとLiverpoolには
難癖をつけたみたいに
なっちゃいもしたけれど、


本作は、本当に捨て曲のない、
完成度の高い一枚である。

どう書いても手前ミソなのだが、
構成も元々からして結構いい。


『冬の間ずっと』とか
『こんな一日』とか
アルバムの後半にも、


十分シングルカットに
耐えられる佳曲が並んでいる。

オリジナルから曲順を
変更されていることによる


違和感みたいなものも
ほとんどない
――つもりである。



アンテナ(♯101)やEBTG(♯20他)
辺りが好きな方なら
この一枚は絶対いける。

機会があったら是非一度。

もっともなかなか入手は
もう難しいかもしれませんけれど。



なお、今回はここには載せませんが
日本盤のジャケットは、
実は上とはまったく違っています。

イラストを僕が描いた訳では
もちろんないのですけれど、


ああいうふうな
打ち出し方を決めたのは
もちろん僕の仕業です。



ほか実は、同国のアナイスという
アーティストのアルバムにも
自分で判子をついているのだけれど、

こちらはまあ、
そのうちエクストラかなあ。



でもこうやってみると、実は僕の専門は、
フレンチ・ポップスなのかもしれません。


もっともたぶん、
このパッツィーに関していえば、

シャンソンではなくむしろ
英米の音楽に近いメロディー・ラインと


それからネオ・アコや、
ちょっとハウスに寄った音作りが、
なかなかユニークだったことが、


そもそもの本国でのヒットに
繋がっていたのではないかと思います。