ブログラジオ ♯101 Seaside Weekend | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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ではドーヴァーを渡って
まずはフランスへ。

アンテナというシンガーである。

En Cavale/Isabelle Antena

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大体この方が、
一番活躍していた辺りの時代が、


いってみれば僕自身の
本来のフィールドである。

いやあ、だから実は、
ここ五回ばかりの
ややアウェイみたいな気分からは


今回は少なからず
解放されていたりもしたりする。



さて、彼女のデビューは82年。

当初はバンドの形態をとっていて、
トリオ編成のグループとして、
アンテナの名前を名乗っていた。


しかしながらこのバンドは
どうやらほとんどすぐに、
雲散霧消してしまい、


リード・ヴォーカルだった、
本名をイザベル・ポワガという
このジャケットのイラストの女性が

イザベル・アンテナの名前で
そのままソロとしての活動を
続けていくことになったという経緯。



いずれにせよ、彼女がまず、
シーンにインパクトを与えたのは


このバンドの時代に発表した、
The Boy from Ipanemaなる
トラックだった。

タイトルからあるいは
ああ、とおわかりの向きも
いらっしゃるかとも思うけれども、


これ、あのボサ・ノヴァの名曲
The Girl from Ipanemaの
(邦題『イパネマの娘』)の
女性視点ヴァージョンである。


――それは確かにそうなのだが。

ところがこのトラックに限っては、
単純にカヴァーと
呼んでしまうことが、
ややどころではなく気が引ける。



ボサ・ノヴァといえばまあ、
大体のところ、小節の後半に
シンコペーションの入ってくる、


あの変則的なリズムの、
ガット・ギターのプレイが、

それこそ夏のあの、
うだるような午後の空気を、
ちょっとだけ中和してくれる、と
でもいったような感じの、


アンニュイで、
少しだけ涼しげな音楽、
みたいなイメージだと思うのだけれど、


このトラック、
ある程度あのリズムを
尊重したバッキング・パターンに
全体が載せられているにも関わらず、

極めて不穏に響くのである。

厳密にいうと、
アクセントがきっちりと頭に
置かれているから、


最早ボサ・ノヴァとは
到底いい難い種類の手触りである。

むしろこのトラックだけを取り出すと、
後年、ハウスなどといった用語で
呼ばれることになるアプローチを、


彼女たちの場合、
すでにこの時点から、


自分たちのスタイルに
採用していたのだと
いってしまっても
いいのかもしれないとも思う。

今さらだが、
ウルトラヴォックスの
ジョン・フォックスの
プロデュースというのも十分頷ける。


いや実際、原曲の作者の
アントニオ・カルロス・ジョビンは


いったいこれをどんなふうに
聴いたのだろうかと、
ちょっと訊いてみたい気さえしてくる。

間奏のあのラインだって、
かなり忠実になぞられているのに、
全然違って聴こえてくる。


ちなみに後年ソロになってから
このアンテナは、


フィフス・ディメンションの
Aquariusを取り上げたりも
しているのだけれど、

こちらもまた、原曲とは
ずいぶんと違った手触りに
仕上げてきていたりする。


だから、昔からそういうアプローチが
実は好みだったのかもしれない。


それはやはり、
独創性といっていいものだろうと思う。

なお、このIpanemaは、
CAMINO DEL SOLという
五曲入りの
ミニ・アルバムでの発表で、


バンドとしての作品は
これ一枚のみである。


しかも同作のリリースは、
クレプスキュールという

ベルギーに拠点を置いた
インディーズ・レーベルからの
ものだったから、


当初からさほど頻繁に耳に
入ってきた訳では決してなかった。


実際僕自身も、今回御紹介の、
ソロとしてのファースト・アルバム、

EN CAVALE(邦題『プレイバック』)で
彼女の名前を知ってからの、
いわば後追いである。


むしろ、最初はこんなこと
演ってたんだなあ、みたいな
感慨を持ったようにも記憶している。


がらり、とまではいわないけれど、
ソロになってからは少し、
方向性は違ってきている。

そちらの方が、個人的には
好みだったりもするのだけれど。



しかし、このEN CAVALEは
あの頃、本当によく
プレイヤーに載せていたものである。


開幕は、アルバムの邦題にも
採用されている
Play Backというトラック。

ピアノのストローク・プレイに
フルートがある種の際どさを
伴いながら絡み付いてくる
印象的なイントロから始まるこの曲も


単純にジャジーとかクールとか、
そういう言葉では
表現し切れないような
微妙にファンキーな手触りがあって、


オープニングに相応しい
インパクトがあったのだけれど、

本作のハイライトは、続く二曲目の、
ナイル・ロジャーズ他の手による
Easy Streetという
シスター・スレッジのカヴァーから、


今回表題にした、
Seaside Weekendへと、
メドレー的に雪崩れ込む、
この箇所の展開だったのである。


タイトルのEasy Streetのフレーズを
洒脱なコーラスと
ピアノのリズムで繰り返す
コーダがフェイド・アウトしていって、

そこにひそかに波の音が忍び込み、
そしてその上に、


次のトラックのキモとなる、
分散和音のベースと、


それからマラカスと
パーカッションとの刻むリズムが、
巧妙にテンポを引き戻して、

まるで時間の流れがそこで少しだけ、
速度を落としたとでもいうような、
独特の気怠さを演出してくれている。


この繋ぎ方は是非、
オリジナルの曲順で
楽しんで戴きたいなと思うくらいである。


しかもこのアルバム、
ほかの曲にも
ほとんど外れがないといっていい。

全曲少しずつ違ったテイストを
醸し出しながら、


全編の雰囲気はやっぱり、
どことなくアン・ニュイで、
極めて洒落ている。


実際本作を初めて聴いた時には、
ああ、自分の探していたのは、
こういう音だったんだ、みたいな
手触りさえあったように覚えている。

ジャズやあるいは
ラテン系のサウンドのエッセンスが、
絶妙にポップスに昇華されている。


いうなればそんな感じかと思う。

あるいは難しくなり過ぎない、
ジャズ・ヴォーカルとでも
いうのが相応しいのかもしれない。

やはり独特の存在である。


いや、本当にこの方の
ソングライティングは
驚くほど安定しているのである。


もちろんカヴァーを
取り上げることも
上で触れたように皆無ではないし、

時折共作者が
クレジットに名を連ねることは
頻繁にあるけれど、


基本は自分で曲を書かれている。

そしてまあ、何がすごいといって、
どのアルバムも、収録曲に必ず複数、

ラジオのエアプレイに
十分向いていそうなものが
ちゃんと見つかってくることである。


ある意味では、あの頃
ネオ・アコースティックなどと
呼ばれていたムーヴメントを、


とりわけ我が国においては、
最初から最後まで、
中核に在って担っていたと
いいきってしまってもいいのかもしれない。

追って取り上げる予定のバーシアや、
フェアグラウンド・アトラクション(♯29)、
ワークシャイ(♯23)辺りのサウンドが、


広範に受け容れられていく土壌を、
最初に切り拓いたのは、
間違いなくこの彼女と、それから、


トレイシー・ソーンと
ベン・ワットによる
EBTG(♯20他)だったと思う。

そしてこのアンテナがやがて、
ドラムンベースを主体にした
アシッド・ハウス系の
サウンドへと傾倒していく辺りも、


なんとなくEBTGの歩んだ方向性と
酷似している気もしないでもない。


その辺の嗅覚には、たぶん
共通するものがあったのだろう。


余談ながら、上に名前を出したような
アーティストの作品群が、


90年代の中盤辺りから、
シブヤ系と称されることになる、
一連の我が国のムーヴメントの


いわば源流となっていたこともまた、
断言して間違いはないだろうと思う。

当時なら、
フリッパーズ・ギターを筆頭に


ピチカート・ファイヴ、
オリジナル・ラヴといった辺りが
まず挙がってくるはずである。


それから、現在も様々な場面で
お名前をお見かけする

中田ヤスタカさん、
北川勝利さん辺りの
手になる楽曲群には


やっぱりそこはかとなく、
この時代のこの辺りの
音楽の持っていた旋律やコードワーク、


あるいはアプローチの名残みたいなものを
感じてしまう場面が皆無ではない。

それからたぶん、
UNISON SQUARE GARDEN(♭58)の
ソングライターである田淵智也さんも


この辺りの時代からの影響を
少なくなく受けているのではないかと、


多少は想像してもいるのだけれど、
こちらはまあ
実際に確かめてみたことはない。


さて、僕が知っているかぎり、
このアンテナのカタログは、


上でもまず名前を出した、
クレプスキュールなる


ベルギーのインディーズからの
リリースだったのだが、

ついでなので、
このレーベルについても少しだけ。


このクレプスキュール、実は
ニュー・オーダー(♯17他)との
関わりが、結構深かったりする。


創設者の一人である、
アニック・オノレという
女性がいるのだけれど、

この彼女がN.O.の前身であったバンド
ジョイ・ディヴィジョンの


自殺してしまったフロント・マン、
イアン・カーティスの
いわゆる愛人だったらしいのである。


そういう背景もあって、
当時の同レーベルのカタログには、

時折ニュー・オーダーの
トラックが紛れ込んでいたりもして、
まずはそれで
名前を覚えたのではなかったかと思う。


その頃は、新星堂さんが
オーマガトキという商標で、
ディストリビュートを手がけていた。


Touched by the Hand of God(♭13)など
N.O.自身のアルバムには
収録されていなかったのに、

このレーベルのコンピレーションには
しれっと入っていたりして、
買おうかどうか、
迷わされたりもしたものである。


なお、残念ながら同社は、
04年ごろを境に、
ほとんど休眠状態になっている模様である。



さて、では締めのトリビア。

今回は久々に自給自足。

まあまた記事が予定より、
ずいぶんと長くなったのだけれど、


それにもやはり理由があって、
実をいうと、僕は一枚だけ

この方のアルバムを
レコード会社時代に、担当として
関わらせてもらっているのである。


92年発表の、
CARPE DIEMという作品である。


いや、本当短い時期だけなのだが、
同レーベルの担当だったのである。

大学の頃からのファンだったから、
正直相当嬉しかった。


それでまあ、
いろいろと詳しかったりもするし、


今なお、ある種ホーム的な感覚を、
ついつい持ってしまうという次第。

でも編成として
きちんと稼動していたのは、
正直ほんの二年余りだった。


それでも、そんな短い間に、あの
ジョン・ケイル(♯80)のアルバムと、


それから本作とに関わることができたのは、
今となれば極めて幸運なことだったと思う。

もちろん苦労もしましたけれど。

いや、何が大変だったって、
タイトルも歌詞もフランス語だから、


基本邦題が全部要るというのが、
まずかなり悩ましかったです。

しかもこの時のこの
CARPE DIEMという
アルバム・タイトル、


フランス語どころか、
なんと、ラテン語なんですね。


そりゃあフランス語の辞書にも
載ってない訳だよな、とか
頭抱えたような気も
しないでもないけれど、

もう遠い昔の出来事なので、
記憶は定かではありません。


まあこちらのアルバムについては、
折を見てまた、


エクストラの方で扱おうと
思っておりますので、

当時のこぼれ話なんかは
そのうちにそちらで。



そうそう、書き忘れましたが、
今回のEN CAVALEは
全編英語で歌われていますけれど、


そこから先のカタログは、
彼女の場合、
フランス語が基本になります。

その辺りもまた、作品全体に
非常にユニークな手触りを
演出してくれる結果に


繋がっていたのでは
なかろうかとも思います。



いや本当、前にも書いたけれど、
当時の原宿辺りのブティックでは、
本当に頻繁に、この人のアルバムが
かかっていたものでありました。

それがまた、ハマってたんですねえ。


では、そろそろ今回はこの辺で。


そうそう、ようやく自分の時代に
戻ってきたなどといっておきながら、

次回はまた、少なからず、
時代を遡る予定です。