ブログラジオ ♯100 Nutrocker | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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いよいよイギリス編のオオトリは、
この方たちに登場していただく。

エマーソン、レイク&パーマーである。

展覧会の絵(紙ジャケット仕様)/エマーソン、レイク&パーマー

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しかしながら、正直なところ、
いや、もう何度も同じことを
いっているような気もするが、


こういった70年代の大物たちは、
僕自身は実際のところ

リアル・タイムで
慣れ親しんできた訳では、
残念ながら、決してない。


むしろこれらのバンド群は、
どちらかといえば、


僕よりも一回り上の世代の
人たちのもののように思えて、

取り上げるのには、
やや気が引けてしまうのも
割と本当だったりする。



だけどまあ、おそらくだけれど、
時折ここを覗きに来て
下さっている皆様方の中には


僕よりもずっと
若い世代に属する方たちが、

どちらかといえばやはり
やや多いのではないかという気も
しないでもなかったりするので、


ひょっとしてTレックスにせよ
パープルにせよ、


中にはここで初めて
名前を目にするという向きも、

決して皆無では
ないのかもしれないなあ、
なんてことを、
多少は考えなくもなかったりする。


そういう理由で、
とりあえず最後の五回は、


やや自分のメインの守備範囲から、
外れることは承知の上で、
思い切って取り上げてみた次第。


とりわけHR/HMとクラプトン、
それから今回のプログレは、


当時から本当に
がっつりと惚れ込んで、
追いかけて来ている方々には、


僕程度ではまるで
太刀打ちできないので、

やはりその辺は今回も、
適当に割り引いて
お読みいただければと思ってます。


万が一、それは誤解だろうと
いったような内容にまで
筆が滑ってしまっていたとしたら、


その辺りは是非忌憚なく
御指摘いただいた方が、
むしろこちらとしても
よほど有難いくらいであります。


さて、ではプログレである。

ピンク・フロイド、
キング・クリムゾン。
そして今回のELPに、
それからイエス(♯35)。


これにP.ゲイブリエル(♯36
在席時のジェネシスを加えて、

四天王とか五大バンドとか
いった感じで扱う模様。


おおよそまずは、
65年にデビューした、
ピンク・フロイドが、


68年のシド・パレットの脱退を期に
音楽的な方向性の
転換を図った辺りから、

後にプログレッシヴ・ロックの名前で
呼ばれることになる一つの潮流として、


シーンに形を成し始めたのでは
なかったのだろうかと思われる。


ちなみにこの翌年、69年にはもう、
クリムゾン、イエス、ジェネシスが
相次いでデビューを果たしている。

もっとも、プロコル・ハルムを、
そもそもの源流として捕らえる
見方もなくはないみたいだし、


前衛性という部分に限っていえば、
それこそ前々回から
続けてここで触れている、


68年のビートルズの二枚組み
WHITE ALBUM所収の

レノンによるRevolution 9など、
ある意味で、今なお
嚆矢の位置を譲らないともいえよう。


いずれにせよ、どうやらこの辺りの
時代が70年代に突入しようという
直前の時期に、


HR/HMに連なる
ムーヴメントまでをも含めて、

ロックというものが、
それこそ身を捩り
巨大化する怪物のように、


進化といって差し支えないような
ある種の変質を始めたことは、
ほぼ間違いはないのだろうと思われる。



では、いわゆるプログレとは
いったいどんな音楽なのか。

陳腐な形容ではあるけれど、
メンバー個々の
高度な技術を背景に、


ある意味ではひどく難解な意匠を
音楽によって具現化しようとした
試みだったのではないだろうか。


まあ個人的には大体
そんな具合に把握している。

とにかく一筋縄では
きちんと捕らえられない。


変拍子、転調はもちろんのこと、
時に楽曲の構成も
極めて複雑になってくる。


だから、ドラム、ベース、
ギター、鍵盤といった、

大雑把にいうところの
ロック・バンドの編成での
表現の可能性を


極限にまで追求したとまで、
いってしまえば
些かいい過ぎかもしれないけれど、
大体そんな感じではないかと思う。


故に、こういったバンド群の
楽曲によってもたらされるものは、

単純なノリとか、
明快なセンチメンタリズムではなく、


むしろ、すげえな、人間って
こんなことまで出来ちゃうんだ、
みたいな種類の感動に近い。


そういう音楽であるからして、
当然聴く側にも、
相応の集中力を要求してくる。

で、僕はおおよそ、
テキストを書きながら
聴ける種類のものでないと
基本触手が伸びないのである。


それがまあ、プログレが
さほど得意だといえない、
一番の理由だったりもする。


まあ、もちろん今回は、
延々ELP聴きながら書いてるけれど。


さて、そういう訳で改めて、
エマーソン、レイク&パーマーである。


最初に『展覧会の絵』の
ジャケットを掲げこそしたが、


彼らのカタログの白眉は
やはりTARKUSであろう。

イレギュラーだが、こちらもまた、
ジャケ写を載せておくことにする。


まあ、100回目だし。

それにこれ、やっぱり
ヴィジュアルないと
とてもじゃないけど説明できない。

とにかくまずは、
このインパクトをご覧いただきたい。


タルカス(紙ジャケット仕様)/エマーソン、レイク&パーマー

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――いかがでしょう。

最初にこれが市場に
登場して来た時の衝撃が

いかほどのものであったかは、
容易には想像もつかない。


どう見たって、
すぐには音楽のソフトに見えない。


コミックかあるいはゲームの
パッケージみたいだけれど、

前者はともかく、
後者はまだ世間に、
ほとんど影も形も存在していない。


さて、この『タルカス』とは
ここに描かれた
奇怪なモンスターの名前であり、


アナログ盤時代の
A面全部を占めていた
20分を越えるトラックの題名である。

この怪物が、
火山の噴火口から出現し、
世界のすべてを破壊し尽くして、
海へと還っていってしまう。


そんな物語、あるいは
ヴィジョンのすべてを、


音楽だけに翻訳して、
提示しようという、

その着想そのものからして、
すでに常軌を逸しているとも
いえるだろう。


そもそもがまず、どんな神話にも
登場してこないような怪物である。


足、キャタピラだし。
前脚は砲塔になってるし。

もう、こうことをやろうと
思いついたというそれだけで、


キース・エマーソンという人が
正直わからなくなってしまう。


ほんのちょっと間違えば、
目も当てられないとでもいうしかない
出来になりかねない試みだとも思う。

それを可能にしてしまったのが、
この三人、つまり上のエマーソンと、


ベースのグレッグ・レイクと、
ドラムスのカール・パーマーの、


それぞれの信じられないくらいの
卓越した技術に裏打ちされた

かつバンドとして一体になった
類を見ない表現力だったのだと思う。


だから、この20分のトラック全体が、
もちろん文字情報が、
随時入ってきた結果なのだけれど、


確かにこの魔獣タルカスの
物語を語っているように
いつのまにか思えてきて
しまっているところが

まったくもって
摩訶不思議なのである。


なるほど同曲のメインのモチーフは
相当癖になるし、示唆に富んでいる。


オルガンの変則的な分散和音と、
鼻に銃口を備えているような、
攻撃的なアルマジロの顔とが、

知らぬ間にどこかで
しっかり結びついてしまっている。


なんだかもう、
あっけに取られる。



ちなみにこのTARKUSの登場は71年。

前年にビートルズが
解散したと思ったら
翌年にはもうこんなのが
出現していたんだなあと思うと、


いったいどんな時代だったのかと、
半ば羨望に似た、
憧れめいた気持ちを抱きもする。


そしてしかも、このTARKUSと同年に、
ELPはさらに次の、
彼らの代名詞ともいうべきアルバムを
発表しさえしているのである。

これがもちろん、今回冒頭に
ジャケットを掲げた、


PICTUIRES AT AN EXHIBITION
すなわち『展覧会の絵』なのである。


いうまでもないが、このアルバムは
ムソルグスキーの同名の組曲を

いわばすっかりロックに
翻訳してしまったという一枚である。



で、まあ何を隠そう、
実は僕が初めてちゃんと聴いた、


洋楽のアルバム作品というのが、
たぶんこれだったりするのである。

忘れもしない。これとあと、
イーグルスのライヴを、
とある友人が貸してくれた。


彼の兄の持ち物だったはず。

もう記憶も定かではないけれど、
中学時代でも、
確かにビートルズは聴いていた。

でもアルバムじゃなかった
気がするんだよねえ。


ほか、バグルズとか、
これはアメリカだけれど、
ブロンディのCall Meなんかは


ラジオでかかりまくっていて、
名前を覚えた。
あと、ザ・ナックとかね。


それでも、アルバムをちゃんと
頭から終わりまで聴いたのは、
この二作品が最初だった。
それは絶対に間違いがない。


いまだに忘れていないから、
やっぱり相当
衝撃的だったのだろうと思う。


なんだか海の向こうの音楽って、
すごいなあ、と
たぶん思ったんだろうなあ。

まあ、そういう背景があるものだから、
メインにはこちらのジャケットを
出しておきたくなったという次第。


いや、しかし改めて
このアルバムも相当ものすごい。


とりわけドラムという楽器が
担わされている役割が、

ほかの数多の
いわゆるロック・バンドとは
まったく違っている気がする。


オルガンやベースの
些か忙しないくらいのフレーズに、
このパーマーの
ドラミングがぴたりと合って、


それこそオーケストラにも
引けを取らないような
音の厚みを演出してくるのである。

そもそもトラックそのものが、
一つのリズム・パターンに載って
展開されていくという


ある種の制約から
すっかり解放されているが故に、


かえってドラムという楽器の
潜在的な表現力というものを
全編に渡って
改めて思い知らされるのである。

とりわけ二曲目の
The Gnomeなど、最早痛快である。


しかも、これ、
当初は商品化される予定さえなかった
ライヴ音源だったりするのである。


まあ詳しいことは今回は譲るが、
この演奏のタイトさは、
やっぱり常軌を逸している。

70年代の作品という括りでも、
十指には間違いなく入るだろう。



しかしながら、この『展覧会の絵』は
11曲全部で初めて一つの作品なので、


今回の表題には、同作にいわば、
ボーナス・トラック的な扱いで、
最後の最後に収録されていた、

このNutrockerを
持ってくることにした。


いや、こちらも相当に面白い。

なんというか、タテノリみたいな
気持ちよさをくれるのである。

タイトルから、なんとなく
思い浮かんでくる単語が
ある向きもあるかと思うが、


そもそもは同曲、Nutcracker、
すなわち『くるみ割り人形』を
ベースにしている。


もちろんチャイコフスキーによる
バレエ曲のことである。

この中の、『行進曲』(MARCHE)を
いわばロックのスタイルに
移し変えてしまったのが、
このトラックなのである。


方法論が『展覧会の絵』と
まったく同じなので、
当然ELPの三人の
アイディアなのだろうと、


実をいうと、ついこの間まで
頭から思い込んでいたりした。

ところが、今回本テキストを
起こす準備でいろいろと眺めていて、


クレジットがKim Fowleyと
なっていることにようやく気がついた。


あれ、どこかで聞いたことある
名前だなあ、と思って確認したら、

あのランナウェイズの仕掛け人の、
キム・フォウリーその人だった。


ELPが元にしたのは、
彼がインストのロック・バンドを
組んでいた時代の作品だそうで、


しかも、61年の発表なのだそう。

つまり、ある意味では、
クラシックをロック/ポピュラーの
フォーマットに
落とし込むという試みは、


そんな時期から既にもう
始まっていたりするのである。


いや、だから、
いろんなものがいろんな形で、
影響を及ぼし合うというか、

連綿と連なっているんだなあ、と
改めてつくづく考えてしまった次第。



ELPというのは、
デビュー作からすでに
こういうことをやっていて、


セルフ・クレジットの同作所収の
Knife Edgeなるトラックには、

あのヤナーチェクの
『シンフォニエッタ』が
引用されていたりもする。


それでなんとなく、こういうのは
キース・エマーソンが
パイオニアだったのだろうくらいに


はなから思い込んでいたので、
少なからず意外だったものである。


ではまあ、今回のトリビアは
上のキム・フォウリーということで。



さて、そういう訳で、
イギリス縛りは
今回でついにお終いである。


フロイドとクリムゾン、
それからプロコル・ハルムは
恐縮ながら上でちらりと触れたのみ。

ちょっとさすがに、
一回分テキストを埋められるほど
きちんと聴き込んではいない。


とりわけクリムゾンの
『ポセイドンのめざめ』の
誤訳のネタは、


トリビアにしようかなくらいに
思わないでもなかったのだけれど、

恐縮ですが、
ほかのところで探して下さい。


たぶんすぐに出てきます。


それからこのほか、
結局取りこぼしてしまううち、
名前を挙げ忘れているのは、
まずはアダム・アントだろうか。

80年代のニュー・ウェーヴへの
先鞭をつけたという意味では、


たぶん重要度は
それなりに大きいんだろうけれど、
何故かあまりちゃんと聴かなかった。


ほかにはバウハウスなんてのも確かいたし、
XTCも同じくらいの時期だったかと思う。

ミッジ・ユーロのウルトラヴォックスも
相当流行ってはいたんだけれど、
ちょっと手が回りませんでした。


そういえばヤズーなんてのもいたか。
でもここに並べると、
やや見劣りするかなあ。


あとモット・ザ・フープルは
Tレックスの時に
名前を出しておくべきであった。

まあ、この辺りはさすがに
アルバムまでは
手を出さなかった人たちです。


だから本当、名前だけ。
出し忘れもまだある気もするけれど。



さて、ではいよいよ来週からは、
満を持してアメリカ編――
とはすぐには行かず、

以前にもちょっとだけ
宣言したかもしれないけど、


少しばかり寄り道を
してからにする予定である。


経由はヨーロッパとオーストラリア。

それでもリスト・アップしてみると、
やっぱり25は
優に越えそうな感じなんだよねえ。



という訳でアメリカ編のスタートは
おおよそ半年後になる模様。


だから、来年の夏頃ですね。

ではまず来週は、
とりあえずドーヴァーを渡ります。



ところで、いかがでしたでしょう?

どうやら博多まで僕と一緒に
新幹線乗れそうな方、

もしいらっしゃいましたら
是非コメントなりメッセージなりで
御一報いただければと存じます。
(→♯81参照)