ブログラジオ ♯95 Running in the Family | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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レベル42というバンドである。

シャカタクと並んで、いわゆる
ブリティッシュ・フュージョンの
双璧ともいわれていた。


Level Best/Level 42

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もっとも、我が国においては
全盛期のシャカタクほど、
一世を風靡したというまでの
イメージはないような気がする。


テクニックに裏打ちされた
ファンキーでかつきらびやかな
サウンド・メイキングが、

このバンドの真骨頂だとでも
いったところになるかと思う。


前回のシャカタクがまだ
ほどよくジャズのテイストを
随所に残していたのに比べ、


こちらのグループのサウンドは
まさにフュージョンとでも
いったような手触りである。

ソフィスティケイテッドという
言葉なら、たぶん当たる。


だがアーバンかというと、
ちょっとだけ首を傾げたくなる。


かといって野暮ったい訳では
まったくもってないのだけれど、

ナイト・ミュージックみたいな表現が、
何故だか似合ってくる気がしない。


そういう訳でとにかく
なかなか表現に困ってしまう種類の
音楽性なのである。


やっぱりフュージョン。

しかもその音作りで、
歌詞のしっかりとある


ポップ・ソングを演っていたところが
独特だったのではないかと思う。



代表曲として挙げるのなら
85年に全米7位を記録した
Something About Youか、

でなければ続いたアルバムの
リード・シングルだった
Lessons in Loveなるトラックが


おそらくは順当なところだとは
僕も重々そう思うのだが、


個人的には、今回表題にした
Running in the Familyなる曲が
妙に印象に残っていたりする。

ひどく不思議な曲なのである。

もっとも、メロディーやあるいは
コードワーク、リズムなどが
極端に変則的だという訳ではない。


リズムなどむしろ
極めてストレートな
ファンキーさを誇り、
十分にダンサブルだといっていい。

ただ確かに、メロディーラインは、
全編を通して
やや忙し過ぎるきらいがある。


以前マット・ビアンコのカヴァーを
エクストラの方で紹介した
Yeh Yeh(♭68)なるトラックにも
どこか通じる部分があるような、


本来インストゥルメンタルとして
十分成立するよう
意図して作られた旋律だと思う。

だから、よくこれに
歌詞載せてくるよな、みたいな


ちょっと笑い出したくなるような
奇妙な面白さがあるのである。



しかも、その描き出してくる世界が
ポップ・ミュージックのそれとしては
ひどく異質だったりする。

まず歌い出しからしてが、
Our Dad、である。


親父がね、みたいな感じなのかなあ。

以下、少し長くなるけれど、
ワン・コーラス目は
大体こんな感じ。


一日中石みたいに
むっつりとしていた父親は、


それでも毎晩八時になると、
もうお前らはベッドへ行く時間だと
厳かに宣告したものだった。


だけどその日、自分たち兄弟は、
ちょうど部屋の窓の外に伸びていた
庭の樹をつたって降りて、

過去や、あるいは
そうなるように生まれてしまった
すべてのことから逃げ出そうとした。


そんなこと続かないなんてことは
十分にわかっていたというのに――。



だから、なんだかちっとも、
ポップ・ソングを
聴いている気がしないのである。

そしてどうやら、この歌の主人公には、
ジョセフとエミリーという
兄弟がいるらしいことがわかる。


サビのパートでは、彼ら三人が
父親の運転する車の
後部座席に並んでいるシーンが
描写されている。


家族の中に走るもの、
それは父親の眼差しだったのだと
たぶんこの歌はそういっている。


いや、本当に、
こういうモチーフを
ポップ・ソングに載せてくるんだと、


最初に耳にした時は
びっくりしたというか、
不思議に思ったものだった。



80年代も後半に向かうあの当時、
ミニマリズムという言葉が

いわゆる小説の、
特に英米文学の世界で
なんだかひどく流行っていた。


非常にざっくばらんにいうと、
歴史とか社会というものを
真正面からテーマとして
扱うような手法から離れて、


限定された世界に起る、
身の回りのレベルの出来事を
作品として昇華していくとでも
いったようなムーヴメントだったと思う。

それなりに幾つかの短編を
読んではいたはずなのだが、


すぐに思い出せるほど、
記憶に残っているものが出てこない。


ただ、今こうしてこれを
書いていて思いついたのだが、

自著の話になって恐縮だけれど、
「ビザール・ラヴ・トライアングル」
(文庫『向日葵の迷路』所収)なんかは、


あるいはそんな方法論を
どこかで意識しながら
書いていたかもしれない。


なんてことのない日常の景色を
言葉で切り取って
小説として成立させてみよう。

そういった目的意識みたいなものは
確かに持っていた気もする。


だからまあ、そういった潮流と、
この歌とが、なんとなくひそかに


しかもおそらくは無自覚に
呼応しているようにも
あの頃感じたりもしたのである。


もちろんRunning in the Familyの
ヴァースの全体は、
4分弱の歌に収まる程度であるから、
散文に比べれば極めてどころでなく短い。


主人公の現在の年齢も、
当時父親の置かれていた状況も、
曲中で説明されることはない。
母親についても触れられない。


ところが終盤に差し掛かったところで、
不意にmusicという単語が登場してくる。

カエルの子はカエルだからな、
いつかお前も音楽ってやつと
向き合わざるを得なくなるだろう。


これが誰の台詞なのか、
おそらく父親のものなのだろうが、
やはり明示されてはいない。


それでもこの一節が出てくることで、
ひょっとしてこの内容って、

実はマーク・キングの
自伝的な要素も多少は
入っているのかなあ、などと
ついつい想像してしまうのである。


しかも、ここに至って、
Running in the Familyという
タイトルのラインの意味するものが、
いわば二重写しになってくる。


端的にいえば、血統みたいなことだろう。

だから本当に、一種の
家族小説みたいな物語が


この四分に満たないトラックの中から
じわりと浮かび上がってくるのである。


この辺が、まあ、思わず
上手いよなあと、感心してしまう所以である。

まあ穿ち過ぎなのかもしれないが。


さて、上で短いとはいったけれど、
それでもこれだけの
内容を描写している訳だから、


リリクスの全体の音数は、
普通のポップソングと比べて、
必然的に相当多くなっている。

そしてこのユニークなリリクスが
やっぱり基本この人たちは、
インストのグループなんだよなあ、と
十分に思わせてくる種類の、


上下動の大きな、
忙しいメロディー・ラインに、
器用に載せられているのでる。


2コーラス目の中ほどで、
Heading in the Same Directionなんて
歌ってくる辺りは、

文の持つ本来のアクセントなど
まったく無視した忙しさである。


かといってラップのようには
決して聞こえてこないのが、
不思議といえば不思議なのだが。


そんな具合に、このトラック、
昔からなんだかとても
印象に残っているのである

もちろんバンドにとっても
やはり重要な曲ではあったらしく、


今回はベスト盤のジャケ写を載せたが
この曲は彼らの八枚目のアルバムの
タイトル・トラックでもあるので念のため。



ついでに同じアルバムの収録だった
Lessons in Loveにも
少しだけ触れておくことにする。

コズミックとでもいうような
鍵盤の白玉で開幕するこちらの曲は、


全編を通じ、ベースとそれから
リズム・ギターとが、
譜割の細かい印象的なフレーズを、
競い合うように重ねてくる。


とりわけこのベースのライン、
曲全体を決めているといっていい。

そして奥行きのあるシンセが
背景のように敷かれ、


こちらもまた独特の手触りを
演出するのに成功している。


もっとも、ヴォーカルの旋律には、
Running in the Familyのような
無理矢理感はあまりない。

詞の内容の方も、
割と普通のラヴ・ソングである。
少なくとも僕にはそう思える。



さて、ではこのレベル42なる
奇妙な名前について少しだけ。


この42という数字のチョイス、
昔からどういう意味だろうと
不思議に思っていたのだけれど、

これどうやら、
『銀河ヒッチハイク・ガイド』なる
SF作品に由来しているらしい。


元々はラジオ・ドラマだったという同作は
いうなればイギリスの
スラップスティック・コメディである。


この作中に、
ディープ・ソートという名前の

一台のスーパー・コンピューターが
登場してくるのだけれど、


この彼あるいは彼女が
「生命、宇宙、そして万物についての
究極の疑問に対する答え」として、


実に750万年もの時間をかけた
計算の末導き出したのが、
この数字なのだそうである。

これ、実は相当有名なジョークのようで、
グーグルで上の「」の部分を検索すると、
一番上に42という数字が出てくるのだそう。


やってみました。
本当でした。


まあだから、そういうノリなのである。

もっとも、この作品に関しては
僕自身は映画版の視聴のみで、


恐縮ながら小説の方は未読である。

映画はまあ、うん、どうだろうなあ。

基本こういった、
たぶん言葉遊びが主体のものって、


その言語のネイティヴでないと
いまいち乗り切れないところが
多々ある場合が少なくはない。


すぐには『ホット・ショット』や、
『オースティン・パワーズ』辺りが
挙がってくるかと思う。

正直本作も、やっぱりその例には
漏れなかったかなあ、という感じ。


いや、笑えるところも
あるにはあったのだが。


むしろ改めて、
翻訳でも相当笑えてしまった
モンティ・パイソンの
凄さを思い知ったという感じかなあ。

確かにあのイルカの歌は
なかなか秀逸だとは思うけれど。



という訳で、今回のトリビアはこの
究極の疑問に対する答えということで。



以下は取りこぼしの羅列というか、
むしろある意味個人的な備忘録。


本当はリック・アストリーか
デッド・オア・アライヴの時に


名前を出しておくべきだったなと
今となってはつくづくそうも
思ってしまいはするのだけれど、


一応Lessons in Love辺りは、
ダンス・フロアでも

それなりにかかっていたはずなので、
やや無理矢理だけれど、その繋がり。



ディスコ系でやろうかなと思っていて
ついに手が回らなかったのが
シニータとメル&キムである。


Toy Boyは恐ろしく流行ったし、
Respectableも割りと気に入っていた。

しかもこのどちらも、
あのS/A/Wの
プロデュースだったりするからすごい。



それからあとはまあ、
たぶん同じジャンルで括っても
大丈夫だろうと思うのだけれど、


もう少し後になってからは
スパイス・ガールズなんてのも
シーンに登場してきたはずである。

もっともこの人たちは、
基本90年代なので、
僕自身はほとんど聴いていない。


でもまあ、だいぶ流行っていたので、
聴けば思い出す曲というのは
何曲かはあるのではないかと思う。


でもやっぱりこの系統は、
アメリカの方が強いよね。


さて、ではいよいよ
イギリス編ラストスパートとなる
次回からの五回分は


基本70年代かそれ以前の方たちで、
やっぱり落とせないよなあ、といった感じの


ラインナップからの
ピックアップとなる予定。

もちろんこの辺りはリアルタイムで
よく知っていた訳でもあまりないので、


その辺りは適度に割り引いて
お読みいただければと存じます。


まずは来週、恐竜の御紹介から。