ブログラジオ ♯93 Too Shy | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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個人的には、あの頃数多いた
いわゆるワン・ヒット・ワンダーの

筆頭格みたいに思っているのが、
このカジャグーグーだったりする。


White Feathers/Kajagoogoo

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まあバンドがこのToo Shyの時の
形のまま続かなかったというのが、


僕の印象のよくない
最大の原因かもしれないが。


そういう訳で、本作も
アルバムの全体は未聴である。


それでも、おそらくは
僕らの世代の人間ならば、

このトラックのサビは、
すぐに浮かんできて
しまうのではないだろうか。


むしろ一旦思い出してしまうと
頭からすっかり追い出して
しまうことがなかなかに難しい。


それくらい強力で、
同時に極めてユニークだった。

Too Shy Shy,
Hush Hush, Eye to Eye――


やはりこういう
音節の少ない単語だけで構成され、


しかもそれが執拗に
繰り返されてしまったりすると、

正直好き嫌いに関わらず、
記憶に残ってしまうものである。



でもこの曲に関しては、
たぶんほかの箇所の、


ヴォーカルのたどっていた旋律を、
すぐに思い浮かべることは
かなり難しいのではないだろうか。

むしろ印象に残っているのは、
イントロの白玉のシンセの
浮遊感漂う独特の雰囲気だったり、


もしくはエレピみたいな音で、
歌の背後に割り込んでくる
緩い上下動のラインだったり


あるいはベースとユニゾンするような、
ちょっと変則的な

コーラスのかかり方だったり
するのではないかと思うのだけれど
いかがだろう。



さて、何がいいたいかというと、
だからたぶん、このToo Shyなる曲、
ヴォーカルが強力だったから
売れた訳では絶対になく、


むしろなかなかに凝った
鍵盤の主体のアレンジの
曲がりなりにも前衛的な
バッキングの全体と、

それからこのキャッチーなサビとが
幸運にも出会えたからこそ、


あれほどの大ヒットに
繋がったのではなかったのかと、
まあそんなふうに思うのである。


ちなみにこの曲、
カジャグーグーとしての
デビュー・シングルであるのに、

全英では一位を獲得、
全米でも五位まで上昇する
大ヒットとなっている。



ところでこのカジャグーグーは
アール・ヌーヴォーという
アマチュア・バンドが
その母体となっている。


学生バンドの延長だったこの四人組は、
シングルを一枚、おそらくは

当時のインディーズから
リリースこそしたものの
鳴かず飛ばずの状態にいた。


というのも、
このアール・ヌーヴォーの音楽の
基本的な方向性は、前衛的な
インストゥルメンタルだったのである。


この最初のシングルの売り上げは、
百枚程度ともいわれており、

当然ながら、レコード会社との契約を
獲得することなど夢のまた夢で、


やがてこの前衛芸術家たちは、
自分たちにはヴォーカリストが
必要なのだという結論に至ることになる。



ここで、クリストファー・ハミルなる
役者/歌手志望の青年が
この物語に登場してくる。

こちらもまた、数枚のレコードを
やはり自主制作で
発表しこそしたものの、


メジャー・デビューには
漕ぎ着けずにいた。


一時期は、音楽誌にバンドを募集する
広告を出したりもしていたらしい。

もっともこの広告に
アール・ヌーヴォー側が
応えて応募してきたと
いう訳でもないらしいのだが、


ただ結果として、
ヴォーカリストを探していたバンドと、


バンドのヴォーカルとして、
自身のキャリアを開拓する道を
模索していたシンガーとが、

幸か不幸か、
邂逅を果たすことになるのである。


そしてこのC.ハミルは、
ファミリー・ネームのHAMILを
基本逆から読んで、最後にLを足し、
リマールと名乗るようになる。


もちろん、カジャグーグーの
リード・シンガーその人である。

だからまあ、
対立に繋がる構図は、あらかじめ
組み込まれていたのだといっていい。



さて、この彼らの
デビュー・アルバムだが


DDのニック・ローズともう一人、
コリン・サーストンという人物が、
共同でプロデュースを担当している。

まあ、音の印象としては
わからなくもないかなあ。


だからToo Shyしか
聴いたことないんだけどね。


それでも、とりわけこのベーシスト、
ずいぶんと頑張って、個性的な音で、
変則的なリズムを刻んでいる。

少しだけ、ジャパン(♯86)の
ミック・カーンを思い出さないでもない。


そしてこのベースの上に、
音色を凝りに凝った
鍵盤が絡んできて、


トラック全体のテイストを
決めてきている辺りは

DDの採用していた方法論と
よく似ているといって
いいのかもしれない。


だから、この段階では、
リマールも残りのメンバーも
いわば賭けに勝っていたのである。


しかしながら、この
Too Shyの大ヒットの後、
あるいは大ヒットして
しまったが故に、

ほとんど間をおかず、
バンドは分裂してしまう。


こういうのは、元の鞘とは
たぶんいわないと思うのだけれど、
かといってどういえばいいのかも、
よくわからない。


あの当時はバンドがリマールを
解雇したというのが、
もっぱらの噂だったのだが、

どうやら実際には、
リマールの方が


ロイヤルティーに関し、
いささか法外な要求を
アール・ヌーヴォー・チームに、


突きつけてきたというのが
すべての発端だったらしい。

それは飲めないだろうなあと、
僕でも思う。


何故ならば、元々はインストを演っていた、
アール・ヌーヴォー側の各プレイヤーの
それぞれのアイディアがあってこその、


このToo Shyなるトラックであり、
そのヒットだったと思うからである。

当然アール・ヌーヴォー側にも
その自負は相当あったに違いない。



本稿の最初から仄めかしている通り、
このToo Shy、歌のメロディーが
曲を引っ張っている訳ではまったくない。


とりわけAメロからサビへと繋がる
Bメロというのか、
あるいはブリッジというのか、

ここの箇所の出来は、
はっきりいってちっともよくない。


転調がぎこちないというのか、
役目を果たしていないといおうか。


たぶん本人たちもわかっていたのだろう、
曲の後半では、この箇所はすっ飛ばされ、
いきなりサビに入る構成になっている。

どこまでが誰のアイディアで、
全体が誰の作品というべきなのかは
もちろん関係者以外にはわからないが、


少なくとも楽曲への
リマールの貢献が、
突出して大きかったとは、
どうにも思えないのである。


たとえ、例のサビの箇所が
万が一リマールの一人の
発想だったとしても、である。

もちろんこういうのは、
所詮個人的な感想でしかないのだが。


だからまあ、
本作WHITE FEATHERSの段階では、
たぶんバンドはまだまだ、
発展途上だったのである。


それでも、可能性は
決して皆無ではなかった。

しかしながら結局リマールは、
ソロ・アーティストとしての
キャリアを改めて模索するほかなくなり、


残りのメンバーは
バンド名をカジャと改め
活動を続けていくことになる。


それでもなんだかんだいって、
どちらも音楽から
すっかり離れてしまった形跡はあまりなく、

それどころか近年は、
一緒にステージに立つことも、
始めているらしいところが
またすごいとは思うのだけれど。



さて、ここから話は少し横道にそれる。

たぶん僕自身はこのまま一生
ちゃんと全編を聴かないで
終わるのだろうとも思うのだが、

今回のWHITE FEATHERSにはどうやら
Kajagoogooというタイトルの曲が
収録されているらしいのである。


――いや、だから。

確かビッグ・カントリー(♯66)や
あるいはキュリオシティ~(♯49)の時に
書いたのではないかと思うのだが、

こういう具合に、
折角選んだバンド名を、
トラック一つで安易に
消費してしまうのは、


たぶんあまりよくないのだと思う。

前も書いた通り、こういうことをして
そのまま順調にいったバンドは、
僕の知る限り、ほぼ見当たらない。

ちなみにこのKajagoogooなる語は
もちろん彼らの造語である。


いわゆるオギャアオギャアに相当する、
あちらのオノマトペをもじったものだそう。


新生バンドの第一声、
みたいな思い入れが、

つけた当初はひょっとして
あったのかもしれないなあ、とも
思ったりもするのだが、
まあそれもいずれ、真相は闇の中である。



さらに以下は、まったくの余談になる。

大体最終的にここをまとめる時には
他聞に漏れず、僕自身も、
あのウィキペディアを
参照させていただいているのだけれど、

――いや、しかし。

このカジャグーグーの日本語のウィキ、
幾らなんでも詳し過ぎだろう。


すごく好きな方がいらっしゃって、
こつこつと、ひょっとしたら今でも、
情報を拾い集めては、

更新していらっしゃるのではないかと、
それくらいに思った。


なんてったって英語版より
情報量が多いのである。


おかげでこのテキストも、
またこんなに長く
なってしまったという訳である


さて、では恒例のトリビアである。

このToo Shyの数年後、リマールは
ジョルジオ・モロダーの知己を得て


エンデ原作の映画『ネヴァー・
エンディング・ストーリー』の

同名の主題歌を担当することになり、
これがToo Shy以上の大ヒットとなる。


まあこれは、
今さら僕がいうまでもなく
知っていらっしゃった向きも
多いのではないかとも思うのだが、


同曲、実は本邦でも
カヴァーが複数作成されていたりする。

たぶん近年の、E-girlsのヴァージョンが
一番通りがいいのだろうけれど、


たぶん最初の最初は
羽賀研二の歌唱によるものだった。


この組み合わせには、当時
結構びっくりしたものである。

元いいとも青年隊といえば
通じるのかな?


あるいは、梅宮アンナさんを
引き合いに出せばいいのだろうか。


まあ、そういった人である。

でも、そう遠くないうちにきっと
いいともって何?っていう世代も、
どんどん登場してくるのでしょうねえ。


思わずため息が出てきてしまいますが。

トリビアはまあ
こんなようなところなのですけれど、

今回はさらにもう少しだけ続きます。

だいたいのところまあ、
このカジャグーグーで、


いわば80年代イギリス勢の
大まかにポップスといった括りに
入りそうなアーティスト群の御紹介は、
一旦お終いということになる。

残りの枠はあと七つしかないので、
次回とその次は、
いわば英国産のフュージョンを扱い、


残り五つは、ここまでついつい
取りこぼしてしまっている
大物の中からのチョイスと
いったようなつもりでいる。


まあ、こういう判断基準も
基本は僕の個人的なものなので、

このラインナップの全体が、
ブリティッシュ・ロックを


語る上で必須の百組という
訳では決してない。


いや、全然違うといった方が正確だろう。

なんてったってオアシスとブラーにも
お恥ずかしながら枠は割かないし、
ケミカル・ブラザーズもまた然り。


やっぱり活動時期の影響が
どうしても大きいのである。


ほかにもいろいろ、やろうかなと
思ったり思わなかったりした
バンドやシンガーはいるのだが、

とりあえず、今回含め後八回のうちに
名前だけでも思い出せるものは
極力挙げておこうかな、と思っている。



という訳で、ある意味では、
今回のカジャグーグーと
いわば一発屋枠を最後まで争い、


あえなく敗れたバンドを
ついでながら二つばかり挙げておく。

一つ目は、
カッティング・クルーという。


邦題を『愛に抱かれた夜』という
(I Just)Died in Your Armsなる曲が
86年にそれこそいきなり大ヒットした。


なんと全米二週連続一位である。

だから、この実績だけなら、
Too Shyを軽く上回っているのである。


ただまあ、アルバムは
大して面白くはなかった。


正直Died in Your Arms以外、
まったく印象に残っていない。

バンドも、ちょうどブリーズ(♯52)や
キュリオシティ~みたいに
そのままどこかへ消えてしまった。



それからもう一つ迷ったのは、
北イングランドから出てきた
ドリーム・アカデミーなるバンドである。


こちらは85年、
Life in a Northern Townという曲が、
やはり突然にブレイクし、
ビルボードで7位にまで昇っている。

ヘオンマンマンマ、と聞こえる
不思議なサビのラインが
印象に残っている方も
あるいは少なくないのではないだろうか。


もっともこちらは
時代の趨勢に逆行するような
アコースティックな
サウンド・メイキングを誇り、


打楽器もドラムセットではなく、
大太鼓小太鼓のようなものを用いて、


フォーク・ロックという言葉でも
くくりきれないような、
独自の雰囲気を醸し出していた。


興味はむしろ、カジャグーグーや
カッティング・クルーよりも
そそられていた気もするのだが、

結局聴かずじまいに終わっている。

あるいは彼らの登場が、後の
フェアグラウンド・アトラクション(♯29)や、
サンデイズ(♯30)へと至る、


道をつけていたのかもしれないなあと、
まあ今になってみれば、
そんなふうに思わないでもない。


ほか、アイルランドからの
シネイド・オコナーとコアーズ、
ケルティック・ウーマンなどを、


どうしようかなあ、と
いろいろ迷いながらも、
結局は枠が足りなくなって
見送らざるを得なくなっている。


そういう訳で、
次回はシャカタクの登場である。

では、今日のところはこの辺で。