ブログラジオ ♯76 9 to 5(Morning Train) | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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そうか、この方をまだやっていなかったな。
シーナ・イーストンである。

彼女のデビューは80年であった。
正直もっと前かと思っていた。


まあ記憶というのはかように、
さほど当てにならないものではある。


BEST NOW/シーナ・イーストン

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だけど僕自身、まだ中学の頃のうちに、
この方のお姿を
テレビで拝見していることは間違いがない。

たぶんミュージック・フェアか、
ヒット・スタジオだったとは
思うのだけれど、確証はない。


いずれにせよ、あの当時は、
洋楽のアーティストが日本の歌番組に
出演すること自体がひどく稀だった。


アバがザ・ベストテンに出てきた時には
相当びっくりしたし、
率直にいっていえばちょっとだけ浮いていた。

だからたぶん僕は、そういう場で
この方が取り上げられているのを目にして、


きっとこの人はすでに、
相当にキャリアのある
大物であるのに違いないと
思い込んでしまったのだと思う。


たぶんビートルズだって、
まだ動いている映像は
ちゃんと見たことがなかった時期だと思う。

そういう錯覚も、
仕方がないとは思うのだけれど、
そうでもないだろうか。



さて、とにかくその番組で彼女が歌ったのが、
今回のMorning Trainだったはずなのである。


もっとも、ひょっとすると
Modern Girlの方かもしれない。
問い質されると正直いって自信がない。

ただ時期的に考えれば、
この二曲のうちのどちらかでしか有り得ない。


もしかすると両方歌ったのかもしれないなあ。


いずれにせよ、あの時期この二曲は
二曲とも相当耳に入ってきていた。

どちらを記事のタイトルにしようか
少なからず迷ったくらい、


どちらも実に正統で、
良質なポップ・ソングである。


シンセサイザーこそ
多用されてはいるけれど、
全体の手触りはむしろ、

カーペンターズとか上のアバとか、あるいは
オリヴィア・ニュートン・ジョンであるとか、


その辺りの、いわば70年代の空気感を
ほどよく引きずっていた感じがする。


適度にノスタルジックでもあるのに
同時に十分に現代的、つまりは、
それこそ「モダン」な手触りだったのである。

ちなみにこのシーナが
歌の道に進もうと思ったきっかけは、
バーブラ・ストライザントだったのだという。



どういった形容が一番相応しいのか
どうにも自信がないのだが、


ここに名前を出したような人たちの
残したレコードというのは、

なんというか、基本サウンドではなく、
「歌」なのである。


それもディーヴァという言葉が
実はあまり似合ってこない、


浸る、揺さぶられるというよりむしろ、
一緒に楽しむといったタッチのそれである。

ストライザントだけは、
ちょっと違うかもしれないが。



いずれにせよ、それを時代への
迎合とでも呼ぶのかどうかは、
まあ決めかねるところではあるし、


そういう空気を反映するからこそ、
「ポピュラー・ミュージック」と
呼ばれるのだろうと思いもする。


それにこの二曲の場合、
個性的でない訳では全然ない。


むしろこのシーナ・イーストンの歌声は、
本当に特徴的である。


とりわけどの音域でも聴こえてくる、
ある種のツヤみたいなものが、
ほかのシンガーではなかなか出せない。

それはやはり、才能と呼んでいい、
種類の資質だったのだろうと思う。



さて、このシーナ・イーストンのデビューは、
ちょっとだけ変わっている。


テレビの企画(もちろんBBC)で、
プロを目指している
駆け出しのシンガーに一年間密着し、

レコード会社との契約を
はたして無事取れるのかどうかを、
ドキュメンタリーとして
追いかけるという番組があって


まず同番組のオーディションに
合格することで、
彼女のキャリアはスタートしたらしい。


THE BIG TIMEなるこの番組、
さすがに僕は未見だけれど、

この収録期間中に彼女は
EMIのオーディションを受け、
見事に合格を果たしたという
経緯なのだそうである。


舞台こそイギリスだが、まさに
アメリカン・ドリームという感じである。


そしてシングルModern Girlで
80年の二月に念願のデビューを果たし、

さらに二枚目のMorning Train発売後、
いよいよこのTHE BIG TIMEが放映されて、


これをきっかけに、満を持してといおうか、
まさに一大旋風が巻き起こった訳である。


イギリスではMorning Trainに
引っぱりあげられる形で

Modern Girlまでもが再浮上し、
ついには二曲ともが同時に
トップ10に入る結果となる。


一方のアメリカでは、
同国でのデビュー・シングルとなった
Morning Trainの方が


あれよあれよというまに
ビルボードのトップ・ワンを獲得する。

まさに破竹の勢いといっていい。

その後もしばらくは快進撃が続き、
007の主題歌や、
ケニー・ロギンスとのデュエット曲などが
チャートを賑わせ続けるのである。



ただしまあ、彼女の場合、
やっぱりどこかが
ミュージシャンというよりは
どうしてもアイドルっぽく聴こえる。

とりわけ今回御紹介の一枚のような
編年体形式のベスト盤で聴いてしまうと、


音楽的な芯が実はまったくないことが、
あからさまに見えてきてしまう。


狙いどころが定まらずぶれてしまって
足元がふらついている感じがする。


ちなみにいうと、この一枚は、
どうやら本人の正式な許諾なしで、


レコード会社側が
勝手に編んだもののようである。


実際御本人は、これ知らないって
ちょっと怒ってらっしゃいましたし。

実はこの一枚がリリースされるに先立って、
シーナは古巣EMIを離れ
MCAへと移籍しているのだけれど、


こういった経緯が決して
円満なものではなかったりすると、


時としてこういう作品が
出来上がってしまったりする場合がある。

レコード会社側としては、
そこで関係は切れてしまうとしても、


そもそも原盤を作る制作費は
会社が出している訳だから、
これは当然の権利だよなと、個人的には思う。


ただ同時に、
たとえ10年を越す付き合いだとしても
たとえば担当のA&Rが替わるなどして、

これ以上この会社とは無理だなと
アーティストの側が


決めざるを得なくなるようなことは
もちろん有り得るだろうと思う。


――割と身に染みて。

ま、これ以上は愚痴なので控えますけれど。


まあでも、こと小説に関していえば、
とりわけソフトの中身に関して
制作費出してもらうようなことは


普通の場合まったくないから
そこは全然違うと思いもするけどね。


さて、またいつものごとく話が
横道に逸れてきたので、そそくさと戻る。


そしてこのシーナ・イーストン、

87年には、あのプリンスの
U Got the Lookというトラックに
ゲスト・ヴォーカルとして
参加していたりもする。

この縁で、シーナが彼の貴公子に
相当ほれ込んでしまったらしい、
なんて噂も当時はよく、
耳に入ってきたものである。


そしてこの曲を追いかけてリリースされた
Lover in Meなるトラックが、
結局は彼女にとっての


最後のトップ10ヒットとなってしまう。
こちらは88年の作品である。

まあそれはさておくとしても、
このU Got the Lookでの


彼女とプリンスとの掛け合いは、
聴いていて相当楽しいものだった。


個人的には今でも時々
この曲が不意に聴きたくなって、
SIGN OF THE TIMESを
プレイヤーに載せている。

念のためだが、こちらは同曲を収録した
プリンスのアルバムのタイトルである。


それから、どこで読んだのかは
すっかり忘れているのだけれど、


冗談はよしてよ、というニュアンスの
Oh, Pleaseというフレーズを

ポップ・ソングに載せたのは、
たぶん同曲が最初なのだそうである。


もちろんこれ、ここで紹介しているのだから、
当然シーナのパートで登場してくる。


そしてこんな一節でも、
彼女のあの声のツヤは、
やっぱりひどく独特だったりするのである。


では締めのトリビア。

今回は実は、久々に自給自足的である。

シーナ・イーストンは
カエル・グッズのコレクターである。

これはおそらくどこかに書いてあると思う。

そしてそのコレクションの中には、
我が国のケロケロケロッピの
ポケット・ティッシュが
一つだけ紛れ込んでいるはずである。


まあ、彼女がまだ捨ててしまって
いなければの話ではあるのだが。


そうなのである。


記事中でも少しだけ仄めかしたけれど、
実は僕はこの方とも、
一度お会いしたことがあったりするのである。


もう20年以上昔の話である。
彼女がプロモーションで来日した際に、

担当のA&Rのアシスタントとして、
多少同行したことがあったりする。


アシスタントなどといってはいるが、
実情はもちろん雑用係である。


荷物持ったり缶コーヒー買ってきたり、
そういうための人員。

大学出て二年目くらいだから当然です。


ところがこの時は、最後の最後で、
成田空港まで、
マネージャーさんと御本人のお二人を


同行して送り届ける役目を
単独で仰せつかってしまったのである。

緊張しましたよ。英語だって自信ないし。

そういう訳で、僕らは総勢三人だったので、
移動はハイヤー一台だった。


むしろハイヤー一台だから、
お前だけでいってこいって
話だったんだとも思うけれどね。

通訳さんとか一緒に乗ると、
二台になっちゃうじゃない。


さすがにシーナ・イーストンに、
後ろに三人で座って、ともいえないし。



だからもちろん僕が助手席に座り、
VIP二人が後部に並んだ訳です。

ところがである。

この日に限って、高速がものすごい
渋滞を起こしてしまっていたのである。


まず必死で状況を説明しました。

予定より時間はかかってしまうけれど、
予約の飛行機には間に合います、とか


そんなことをたどたどしく話しました。

だから、通訳さんいなかったから。

だけど本当、この時の渋滞は相当ひどくて、
ほとんど動かないまま時間だけが過ぎて、


そのうちシーナがかなり
苛々してきちゃったんですね。


こういう時ってさ、レコード会社の人が、
なんか話でもして、せめて多少の
退屈しのぎしてくれてもいいんじゃないの?

みたいなことを、隣のマネージャーに
いっているのがわかっちゃったんです。



もうね、どうしようかと思いました。


若僧だったから何を話せばいいのかすら
まったくさっぱりわかりませんでしたし、
そもそも語彙力がありません。

今にして思えば、それこそプリンスとの
レコーディングの時のエピソードでも
お尋ねしてみればよかったんですけれど、


それをどう訊くのがいいのかも、
やっぱりわからない訳ですよ。


ずっと連日取材やってもらった後だったし。
仕事の話はまずいのかな、とか考えたし。

でも黙ってると、どんどん表情が
険しくなっていくのが、
鏡越しにわかってしまう訳ですよ。


万事窮すとでもなった僕は、
これ、お別れの時に渡そうと
思っていたんですけれど、などと
やっぱりたどたどしくいいながら、


準備していたケロケロケロッピの
ポケット・ティッシュを、
後ろを向いて差し出したという訳です。

ま、カエル好きっていうのは、
一応来る前から、
頭に入れてはあったので。



本当、結構喜んでくれましたね。
嬉しそうに笑ってくれて、
機嫌もすっかりなおしてくれました。


――心底ほっとしましたね。

まあでも、それからも
渋滞は相当続いたんですけれど。



だけど、今になって考えてみると、
もし空港で普通に
サヨナラと一緒に渡していたら、


ティッシュ一個のことなんて、
僕自身すっかり忘れてしまって
いたかもしれませんから、

ひょっとして実はこの渋滞も、
これが僕のいい思い出になるのに


一役買ってくれたのかな、と、
そんなことを思わないでもないこの頃です。


いや、なんか年寄りの
思い出話みたいですいません。

だけど現実、
もうじき僕も50なんです。



そういう訳で、あれからずっと
陰ながらご活躍、あるいは御復活を
切にお祈りしているのですが、


まあなかなか、
そういう訳にもいかないようで。