ブログラジオ ♯75 Higher Love | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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スティーヴ・ウィンウッドという。
こちらは86年の全米No1ヒット。

Back in the Highlife/Steve Winwood

¥1,303
Amazon.co.jp

この方も、すでに80年代当時から、
つまり僕が名前を知った時にはもう
押しも押されぬ大御所だった。


商業デビューはなんと65年にまで遡る。
実に僕の生まれる前年である。


この時点でウィンウッドは
まだ15か16くらい。
ヴォーカリスト兼鍵盤奏者として
クレジットされている。

だから、天才少年だったと
いっていいのだろう。


この時のバンドは
スペンサー・ディヴィス・グループといい、
当時割とよくあった、ギタリストの名前を
そのままバンド名に冠した形だった。

そして同バンドは、もちろん
このウィンウッドのヴォーカルで、


複数のビルボード・トップ10ヒットを
記録しているのだけれど、
さすがにこれらの音源に関しては未聴。


ただ、あちこちの記述を見る限り、
白人ヴォーカリストらしからぬ
ソウルフルな歌い方が
相当話題を呼んだ模様で、

白いレイ・チャールズなどと
形容されるような場面もあったらしい。


まだ十代の少年が、
R&Bの代名詞ともいうべき
シンガーに準えられてしまう。


これ、相当すごいことだと思う。

しかも当時はまだ
いわばラジオの時代だったから、
市場に届いてくる情報は
基本的には音だけだった。


だから、声と歌い方だけで、
絶対このヴォーカリストは黒人だと
思い込んでしまった人も
少なくなかったということらしい。



しかしながらウィンウッドは
67年には同バンドを脱退してしまう。

そしてまず一旦は69年まで、
トラフィックというバンドを
パーマネントな活動母体とする。


こちらのトラフィックに関しては、
もちろん後追いだけれど、
幾つかの代表曲を聴いている。


Dear Mr. Fantasyとか
40,000 Headmenとか、その辺り。

70年代後半から流行り始めたはずの、
クロス・オーヴァーとかいった名前で
呼ばれていた辺りの音楽群との
親和性をどこかに感じるサウンドである。


しかも、上でも記したように
このトラフィックのメインの活動時期は、
まだ70年代にもならないうちなのである。


先見性といえばいいのかなんといおうか。

もっとも同バンドは、
文字情報で見るかぎり、
トラッドをやってみたり
ブルースに寄ってみたりと、


様々な方向性を試みていた
グループだった模様なので、


恐縮ながら、全体を把握できるほど
聴き込んではいないというのが
正直なところではある。

そしてやっぱりこのウィンウッドの声は、
どのタッチにも
きっちりとハマってくるのである。


音域も広いし、
すごいヴォーカリストだと思う。


そしてさらにウィンウッドは、
このトラフィックの活動を一時期停止し
あのクラプトンと組んで、
作品を制作したりもしているのである。

ただし、このブラインド・フェイスなる、
ある種のスーパー・グループは
アルバム一枚を作ったきりで
姿を消してはしまうのだけれど。


その後一旦はトラフィックが復活するが
結局ウィンウッドは、
ソロ・アーティストとしての道を選択する。


そして77年の
セルフ・クレジットのデビュー盤の後、

81年にARC OF A DIVER、
82年にTALKING BACK TO THE NIGHTと、
続けざまにアルバムを発表し、


それからやや間を空けて
86年になって登場したのが、今回の
BACK IN THE HIGH LIFEなのである。


そしてここに至ってようやく僕は、
この方のサウンドを
リアル・タイムで体験できたという訳である。

いえ、洋楽をきちんと追いかけだしたのが、
実はだいたい83年84年くらいだったもので。



さて、名盤と名高い同作の代表曲が
今回のこのHigher Loveである。


このトラックも、なんというか
ブルー・アイド・ソウルの
お手本みたいな曲である。

だけどこの音、いったいどうやって
決めているんだろうなあ。


弦のピチカートとも、
あるいはシロフォンともつかない
スタカート気味の高音のバッキングが、


歌の開幕からずっと
曲そのものを決定づけている。

リズムはどちらかといえば
ちょっとだけラテンっぽい。


そして展開していくにつれ、
ブラスやらストリングスやら、
あるいは鍵盤の白玉やらが、


ほどよくファンキーに、
この「至高の愛」を盛り上げてくる。

極めて完成度が高い。
さすがはヴェテランの仕事である。



遺憾ながら本作もまた、何故だか
買いそびれて今に至っている一枚なので、
ほかの収録曲にまで
今回はきちんと言及できないのだけれど、


いわば間違いのない
一枚だったことは保証する。


さて、では恒例の締めのトリビアは、
上で少しだけ触れた


クラプトンとのブラインド・フェイスが
一枚きり残したアルバム、
BLIND FAITHなる作品から。


もっともこの作品に関しても
遺憾ながら僕は、
未だに一曲もちゃんと聴いたことがない。

だから、今回のネタになるのは
そのジャケットなのである。


万が一アメーバさんに
要らぬ迷惑がかかるような
事態になってしまっても困るので
あえてここには載せないけれど、


このアルバム、明らかにティーンネイジャー、
それもまだロウ・ティーンだろうと
思われる女の子が、

トップレス姿で
でかでかと映っているのである。


70年代どころか69年の出来事である。
もちろんCDなんてものはまだ
影も形も、世界のどこにも存在していない。


てことはつまり、この写真はLPサイズ、
30×30で店頭に並んでいた訳である。

今なら絶対有り得ないだろう。

さらにいうとこのアルバム、
どういう経緯かはわからないけれど、


スーパー・ジャイアンツなる、
まったく関係のない邦題で発売され、
今もそのままになっているらしい。

――なんで?

当時の担当者に会う機会があったら、
是非問いただしてみたいな、と
ちょっと思わないでもないけれど。


まあそういう時代だったんでしょうねえ。


ちなみに似たような内容で
物議をかもしたジャケットには、
もう一枚超有名なのがあって、


こちらはスコーピオンズという
ドイツのバンドの作品である。


これに関しては、ジャケ写はもちろん
アルバム・タイトルの方も、
あえてここには載せないことにするけれど、

この一枚は僕自身、レコード屋で見て、
相当びっくりした記憶がある。


手に取って眺めるには、周囲の目が
ちょっとどころではなく憚られる、
そういうジャケットでありました。


まあだから、トップレスのさらに
その先にまで行ってしまってます。

もちろん見えてはいけないものは
さすがに写ってはいませんけれど。