ラジオエクストラ ♭54 『丘の上の愛』 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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さて、コメントを下さっていた翔子さんと、
あるいはひょっとしてほかの皆様にも
大変永らくお待たせいたしました。

予定よりやや遅れてしまったけれど、
いよいよ浜田省吾さんである。


まずは80年9月発表の、
こちらのアルバムから。


Home Bound/浜田省吾

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これなんと、
ロス・アンジェルス録音作品である。

しかもギターには、
当時まさに飛ぶ鳥を落とさんばかりの
勢いだった、あのTOTOの


スティーヴ・ルカサーが
参加していたりもしたりする。


さらには、のみならず、
鍵盤をプレイしているのが、
最早伝説といってもいい
ニッキー・ホプキンスなのである。


一応説明をしておくと、レノンの
プラスティック・オノ・バンドで
ピアノを弾いていたのがこの方である。


そればかりでなく、ストーンズの
Sympathy for the Devilのあのピアノも、
実はこのホプキンスのプレイである。


さらに余談だけれど、ホプキンス自身、
このSympathy for the Devilに関しては、
自身の生涯のベスト・プレイの
一つとして挙げているらしい。納得である。


いや、だから今にして思えば、
この時の浜田省吾さんとそのスタッフ、


ずいぶんと思い切ったことを
敢行したものだなあ、と
つくづく感心せざるを得ないのである。


もちろんそもそもは
浜田さん御本人の
希望だったのだろうけれど、

それが現実になるための
諸々の手続きというのは、
相当面倒臭かったはずである。


だからやはり、この時の周囲のスタッフの、
浜田省吾というアーティストへと寄せた


篤い信頼と、それから期待とを、
ひしひしと感じざるを得ないのである。

そしてもちろん何よりも、その期待に
十分以上に応えきったといっていい
本作所収の楽曲群を生み出した、


御本人の熱量みたいなものに
諸手を挙げて賞賛を寄せるよりほか
まるで為す術が見つからなかったりする。


さすが、第二のデビュー作とまで
いいきるだけの出来である。


アルバムのオープニングは、
『終わりなき疾走』なる
まさにタイトル通りの疾走感に
隅々まで満ち満ちたトラックである。


始まった途端、ルカサーのギターが
あ、なるほどこれ、
TOTOの音だよな、なんて、


あからさまにわかったりして、
興奮するやらほくそ笑むやら、
なんとも不思議な気持ちにさせて戴いた。

もちろん中坊の頃の出来事である。

だからこの作品、僕にしてみれば、
音って、ミュージシャンによって
こんなにも違ってくるんだなあと


そうはっきりと教えてくれた
最初の一枚でもあるのだと思う。


二曲目に登場してくる『東京』や
B面の『反抗期』『家路』辺りは、


もう、なんといえばいいんだろう、
ロックンロールというスタイルの、
とりわけ尖って迫ってくる部分と、


浜田さんの歌詞に独特の
怒りとも一概にはいいきれないような

ある種の生命力の暴発みたいな
激しさとでもいったような要素とが
見事にサウンドに昇華された名曲だと思う。



それから、ラス前収録の
『明日なき世代』も相当好きだった。


とりわけこの『明日なき世代』は
先行してリリースされていた
シングル・ヴァージョンと、
まったく音の手触りが違っていて、

のみならず、一部アレンジか、
あるいはサウンドの方に合わせ、


ヴォーカルのメロディーも修正されていたりして。
(シングルだと、冒頭の「泣かないで」の
「か」の箇所の音程が一度低くなっている)


絶対アルバムの方がいいや、などと、
また例によって勝手に
そんなことを思ったりもしていたものである。


今になってみれば、
たぶんこのアルバムから、


日本のロックの音の作り方が、
少しだけ変貌し始めたのでは
ないかとすら思える。


たぶんそのくらい重要な一枚である。


そんな本作収録の10曲のうちでも
個人的に今後も揺らぐことのないだろう
べスト・トラックが、


今回標題にした『丘の上の愛』なのである。

何がすごいかといって、歌詞である。

これ、ある意味で二人称小説として
ほとんど過不足なく成立している。



語り手は、本編のいわばヒロインである
一人の女性を淡々と描写していく。


しかも彼女の美しさは、
ここでは笑顔ただ一つだけの
ほんの短い一節で、まさに
十二分に描き出されているのである。

彼女の恋と計算、それから選択。
そして訪れる、逡巡と後悔。


必要最低限としかいいようのない
短くてしかも適切な言葉が、


切ないメロディーと相俟って、
この女性の物語を静かに紡ぎ出していく。

そしてサビに載せられた、
ついにこぼれるヒロインの涙と、


それから一つの問いかけ。

こういうものをスムーズに導入しながら、
語り手は一切、

いわばこの歌のプロットに
登場することをしていないのである。


でもだからこそ、つまり話者が
いわば物語世界の外側にいるからこそ、


サビの問いかけの部分が
忽然と立ち上がってくるのだろうと思う。

こういう歌は
たぶんひどくめずらしい。



尾崎の時に、歌もまたフィクションだ、
みたいなことを書いたかとも思うけれど、


こんなハードルの高いことを
音楽という器の中で、いとも簡単に

やりとげてしまっている浜田さんには
本当に頭を下げるよりない。


この話法の採用故、
この歌は今なお僕にとって


独特の魅力を持ち続けているのである。


いや本当、二人称小説って、
成立させることそのものが、
相当に難しいと思います。


僕の知っている限り、この話法が、
作品自体のギミックと完璧に絡み合って
きちんと完成している作品というのは、


テッド・チャンというSF作家の
『あなたの人生の物語』という一編しか
すぐには浮かんでこないくらいである。


以下はまったく余談というか、
ほとんど与太話の域だけれども、


この曲をメインのモチーフにして
BGMに浜田さんのトラックを連ねて、


一本の映画を作ることは
絶対にできるだろうと思う。

というか、もし僕が映画監督なる
職業に就いていたとしたら、


是非ともやってみたいくらいに
昔は思ったりもしたものである。


ま、正直にいって、デビュー以来、
自分の原稿をちゃんと仕上げて
本にするのにやっぱりずっと手一杯で、

この先もそんな状況はたぶん
ずっと変わることは
ないだろうなあとは思うのですけれど。



そうそう、一つだけ触れ忘れていた。

本作のレコーディングに参加した、
ルカサーではないもう一人の
ジェフ・バクスターなるギタリストがいる。

こちらは、あのスティーリー・ダンの
結成当初のメンバーでも
あったのだそうである。


――やっぱり本当、相当すごいや。

スティーリー・ダンの話はでも
当然ながら本編がアメリカにいってからね。