ラジオエクストラ ♭55 『ラストショー』 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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続いてはHOME BOUNDの次作である、
こちらの作品からのピック・アップ。

Born in 1952 - 愛の世代の前に/浜田省吾

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このアルバムに関しては
まず最初に、以下の事実を
確認しておかなければならないだろう。


本作の、LPレコードでの発表、
つまり初出は、前回扱った6thアルバム
HOME BOUNDの翌年である81年で、


最初のCD化は85年のことだった。

そして、どういう背景かは
はっきりと断言はできないが、


おそらくは三千円を切るよう価格を見直して、
さらに再発されたのが90年の出来事だった。



そしてこの再発版が、
それ自身のリリースからまた
さらに二年近くを経た92年に

オリコン最高位である
2位を記録するのである。


――こんなこと、普通は起きない。

つまり本アルバムは、
最初の発表から数えると、
実に11年もの時間をかけて、

ついにチャートを、自身の最高位にまで
昇り詰めていったのだとも
いおうと思えばいえるのである。



もちろん、下の方にずっといて
そこから徐々に
順位を上げていった訳ではまったくない。


それどころか、LP盤発売時の
81年にも、アルバム・チャートで
12位までは上昇しているのである。

リバイバル・ヒットといういい方で
説明されるしかないような事態だが、


ことアルバムで、この表現でしか
呼べないような現象を起こしたのは、


音楽史上、後にも先にも
この一枚きりなのではないかと思う。

データ的なウラを取った訳ではないので
断言することは控えるけれど、


十年以上前のアルバムが、
トップ3に入った例など、
少なくとも僕自身は、今に至るまで
寡聞にして一つも知らない。



アルバム収録曲のタイトルと同名の
ドラマとのタイ・アップという要因は
なるほど厳然としてあるだろう。

もちろんこれがなければ、
この92年の爆発的なヒットは
決して生まれてはいないはずである。



だがしかし、一般にこういった話が
テレビ局とレコード会社との間で
持ち上がってきたような場合には、


普通は新曲が書き下ろされるなり
なんなりするのではないかと思う。

しかもこの時すでに、
浜田さんのカタログには
『愛の世代の前に』よりも後の作品が、


オリジナル・アルバムだけで
実に6枚もあったのである。


正直、新しいものを売りたいというのが
メーカーとしての
偽らざるところではあろうかと思われる。


改めて調べてみたところ、
この時の『悲しみは雪のように』の
同作品の主題歌への起用については、


やはりドラマの制作側は当初から
新曲の提供を希望していたらしいのだが、


スケジュール的な要素もあって、
残念ながらこれは実現には至らず、

ドラマのテーマを鑑みた
浜田さんサイドの方から


代わりに同曲を提案し、
どうやら合意点を見出したという
経緯だった模様である。


実際この曲だけは、同ドラマのために
新たにレコーディングが為されてもいる。


なるほど当時は、とりわけ
この辺りの枠のドラマ主題歌から
スーパー・ヒットが次々と
生まれてくるような状況ではあった。


現実にこの、いわばセルフ・カヴァーされた
『悲しみは雪のように』も


同年にトータルで十週一位を記録する、
ミリオン・セラーとなっている。

三週目に一度二位に落ちてから
返り咲いての計十週であるから


そのモンスター・ヒットぶりが
自ずと忍ばれてこようというものである。



しかし、それにしても、
同曲のヒットを受け、
あるいは十分に予見し、

十年以上前のアルバムを、
もう一回ちゃんと売ろうと決めた、
この時のCBSソニー・サイドの判断が、


なんというか、それこそ途轍もなく
すごいことだよなあ、と
今さらながら思うのである。


やると誰かが決めなければ、
そもそも、チャートに入るだけの

十分な数の商品が
市場に出回ることはないはずなのである。


背景にはやはり、周囲のスタッフに
この『愛の世代の前に』というアルバムが、


いまだ正当な評価を
きちんとは受けていないはずだという
確信のようなものがなければ、

絶対にできなかったことだよなあ、と
まあそんなことをつくづく
考えざるを得ないのである。



やや後出しジャンケンみたいな感は
どうしても拭えない気もするが、


実際中学の頃の僕自身も、
たぶんそんなふうに
思っていたはずである。


つまり、このアルバムこそ、
81年の発売当初から
佐野さんのSOMEDAYと並べて、


僕がいわゆるティーンネイジャーの時代に
もう本当に、それこそ飽きるほど
繰り返し聴いていた一枚なのである。



まず最初に僕の脳裏に
浜田省吾という名前を
鮮明に刻み付けたのは、

本作所収の
『ラストショー』というトラックだった。


今回このテキストのタイトルに
いわば本アルバムの代表曲となった
『悲しみは雪のように』ではなく、


あえてこちらを持ってきたのは、
実はそういう理由に拠っている。

たぶん15の頃、ラジオでこの曲を聴き、
すぐにレコードを借りてきた。


そして、これは持っているべきだなと思い、
同作のみならず、
複数の既存のカタログを購入した。


だから、前回のHOME BOUNDに関しては、
僕は厳密には後追いで聴いているのである。


サウンドの立体感、あるいは
迫り来るエネルギーみたいなものは、


やはり全体に、HOME BOUNDの方が、
やや勝っているかもしれないとも思う。


むしろHOME BOUNDの録音の経験で
浜田さんなりあるいは同行した
銚子さんや、アレンジの水谷さん以下の
ミュージシャンたちなりが得たものを

国内のレコーディングで
どこまで甦らせることができるのか。


そんな辺りを目標に
全員が挑んでいたのでは
ないだろうかとも想像される。


そしておそらく、その挑戦は、
たぶん十二分以上といっていいレベルでの
成功を収めているのである。

なんとなれば、
この一枚に封じ込められたものは、


十年という時の経過すら
まるでものともしない種類の
ある種の普遍性にも
手の届いた何かだったからである。


それは上で触れた事実が
厳然と証明しているのだといえる。

たぶんこの作品は、それほど先鋭的だった。

本当にあの頃、僕自身もそうだったし、
音楽を、とりわけ洋楽を
主に聴いていた周囲の面々が皆、
このアルバムを絶賛していたものである。


そのくらい、当時の時代のマーケットを
賑わわせていたほかの作品群と比較して、

サウンドそのものが際立っていたのである。

収録は全10曲、名曲揃いである。

エッジの際立ったギターや
ドラムとベースの立体感、
ブラスや鍵盤の華やかさ、

そして空間を一気に
広げてしまうかのようなコーラスワーク。


おそらくは、やっぱりどこかで、
西海岸を感じさせてくれる
そういった要素に、


はっきりそれとは気づかぬままでも、
僕らは反応していたのだろうと思う。


加えて、色々な方向に振れていく、
楽曲のヴァラエティを存分に活かした
全体の構成も極めてカッコいい。


冒頭の収録でタイトル・トラックでもある
『愛の世代の前に』には
反核のメッセージが込められているのだそう。


『ラストショー』のほかには、
『独立記念日』や『陽のあたる場所』あたりを、

特に気に入って聴いていたようにも記憶している。


そういえば映画『陽のあたる場所』については、
以前ここでも少しだけ触れたような気もするが、


そういう作品があると知ったのも、
たぶんこのトラックがきっかけだった。

思いなおしてみれば、この浜田さんからも
相当いろいろなことを教わっている。


アラン・シリトーなる作家を手に取ったのも
間違いなく彼の歌が取っ掛かりである。


本作に『土曜の夜と日曜の朝』という曲が
収録されているのだけれど、

これが、この作家の長編のタイトルからの
引用だったのである。


それから本作の次作に当る
ライヴ・アルバムの
タイトルでもあるON THE ROADは
もちろんケルアックだしね。



まあ、今回もだいぶ長くなったので、
今日のところはこの辺で。


最後に一つだけこっそりと
告白しておくことにするけれど、


たぶん僕がこれまでカラオケで
一番よく歌わせていただいているのが、


ほぼ間違いなく、
この浜田省吾さんの作品である。

いや、最近どころかもうずっと
そんなこともしていないのだけれど、


二十代とかね、まあそういう時期は、
僕にだって一応あった訳だから。



中でもおそらく『いつわりの日々』を
ここまで一番多くの回数
歌っているのではないかと思う。

あれも本当、いい曲だと思います。