ラジオエクストラ ♭48 Technopolis | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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何故だかこの曲を行きたくなった。

いや単にこの前、細野さんのお姿を
テレビで拝見したからなのだけれど。


Solid State Survivor/イエロー・マジック・オーケストラ

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もちろんYMOこと、
イエロー・マジック・オーケストラである。


OMDやヒューマン・リーグや
ネイキッド・アイズ辺りを愛聴していて

クラフトワークやこの方たちを
聴いていない訳がない。



いや、次の邦楽は浜田省吾さんでしょ、と
万が一突っ込まれてしまったら


こちらもそれは平伏して認めるほかはない。
実際その予定で準備もしていた。

だがしかし、はたしてこのYMOが
単なる邦楽かというと、


すぐには簡単には頷けないことは、
大方同意していただけるのではないかと思う。


という訳で、今回はある種の別枠。
まあだから、結局は気分次第なのである。


実際このジャケット一つとっても、
当時のレコード・ショップでは、
極めて異彩を放っていた。


こんなデザイン、どこにもなかった。

昔はよく、あのLPサイズのラックの前で、
一枚一枚アルバムを順番に持ち上げて、
まずはジャケットを逐一確かめながら、

よさそうなものを手にとっては
収録曲やコピーなんかに
目を通したりしていたものである。


そんな場面でいきなり
このジャケットが出てきて、


やっぱり手が止まってしまったことを
割と鮮明に記憶している。

イエロー・マジック・オーケストラ?
日本のバンドなの? 五人編成なのか? 
いやでも、これとこれはたぶん人形だよな。


そんなことを訝ったようにも覚えている。

うん。もしかすると本当に、
音ではなくこのアートワークが、
僕のまず最初の
YMO体験だったのかもしれない。


アルバムSOLID STATE SURVIVORの
発売は79年の9月であった模様だから、
いわば中坊真っ盛りとでも
いったところで、


季節的にも、深夜ラジオを聴く習慣が、
なんとなく出来始めた頃だったかと思う。


といってもまだ、
オールナイトニッポンの時間には、
到底届かなかったと思うけど。

その後、それこそバグルズの
Video Killed the Radio Starと
ほとんど競い合うようにして


ラジオからまさにあふれんばかりに
こぼれだしてきたのが、
このTechnopolisと、それからもちろん
Rydeenだったという訳である。



ちなみに、YMOのシングル盤としての
最初のリリースは、このTechnopolisである。

前作にして、デビューアルバムである
YELLOW MAGIC ORCHESTRAからの
シングル・カットは存在しない。



だけど、これむしろ当然の判断だと思う。

同作の方の発表、つまり
YMOのデビューは
78年の11月のことである。

この時期、世の中にいったい
どんな音楽があったかというと、


いうなれば沢田研二とピンク・レディーの
全盛期の後半とでもいった感じで、


歌謡曲以外の分野では、
ようやく六月にサザンオールスターズが
レコードデビューを
はたしたばかりといった状況である。

山下達郎さんのRIDE ON TIMEも
大瀧詠一さんのA LONG VACATIONも
まだ登場してきてはいない。


洋楽だと、方向転換したビージーズが
思いっきり流行っていた時期だろうか。
あとオリビア・ニュートン・ジョン辺りかな。


だから、こんな市況の中で、
『東風』なり『中国女』なりが、
シングルとして成立する訳がないのである。

むしろよく、このTechnopolisを
シングルで切ったよなあと思う。


しかも確認してみたら、
オリコンで9位にまで入ってるし。



しかしそもそも、このデビューにしても
今さらながら、ものすごいことを
やっていたものである。

何がすごいかって、この時
当時のアルファレコードは、


デビューアルバム発表直後に、
このYMOの三人を、
まず海外へと送り出しているのである。


本国での実績もまるでないアーティストが
いったいどのくらいのステージを、
ヘッドライナーとしてこなしたのか、

そもそもそんなブッキングが
どうやってできたのか。
詳細までは調べていない。


でも、このデビュー盤をアメリカに紹介した
ホライゾンなるレーベルの
プロデューサーが関与していたらしいことは
どうやら間違いがなさそうである。


このトニー・リピューマなる方
イエロー・ジャケッツや
ジョージ・ベンソンなどを手がけ、

後にはGRPのCEOかなんかにも
就任しているらしいから、
まあなんとなくわからないでもない。


なお、ちなみに上のGRPとは、
アメリカを代表する、
ジャズ/クロス・オーヴァーの
専門レーベルである。


有名どころだと、リー・リトナーとか、
スパイロ・ジャイラとかになるかと思う。

いわばコンテンポラリーな、
インストゥルメンタルといった感じ。


まあ共通点はヴォーカルが
主役ではないということだけで、


テイストはこのYMOが
最初から打ち出していた方向性とは
まるで違っている気もするけれど、
それでも、嗅覚を刺激する部分はあったのだろう。


それにしても、アーティストやスタッフを
海外で動かすには、
やっぱり相応の予算が必要になるはずである。


しかも、のみならず、このデビュー盤には、
当時の通常の倍に近い
レコーディング予算がかけられてもいたという。


――もう、なんといえばいいんだろうなあ、

とにかくこの時のアルファ・レコードの
肝の座り方に驚きを隠せないのである。


YMOの音楽性は、確かに、
国内よりも海外で、
より評価されるだろう種類の
ものではあるに違いない。


だからといって、できたばかりのものに
どんな確信もそう簡単には
持てるはずがないのである。

それでもこの一連は
現実に敢行されているのである。


それはだから、この時のA&Rが
細野晴臣というミュージシャンの持つ
いわばポテンシャルみたいなものに、


絶大の信頼を寄せていた、
あるいは心中する覚悟を決めていた、

そういう要素がなければ
たぶん実現してはいないのである。



さて、アルファ・レコードの目論見通り、
この2ndアルバム
SOLID STATE SURVIVORが
国内発売を迎える頃には、


YMOの名前はすでに欧米で評判を呼び、
その評価が日本に逆輸入される形で、
新作は最初から市場の注目を集めることに
十分過ぎるほどの成功を収めていた。

そして、ラジオから流れてきた
このTechnopolisとRydeenとが、
僕らの度肝を抜いた訳である。



最初のボコーダーの「TOKIO」からして、
もうすっかり異質である。


しかも歌詞はあと、
微妙にリズムをいじったタイトルの
スペルアウトだけである。

そして、生音などほとんど
存在しないかのような異様な音像。


そこに描かれていたのは、それこそ
手塚治虫や石ノ森章太郎が描いたかのような
未来都市としか形容しようのない
来るべきトーキョーの姿であった。


まあだから、何か新しく、すごいものが
この世界に生まれてくる時には、

それを信じ、支えたスタッフというのが
たぶん周囲に必ず見つかるのでは
ないだろうかと思うのである。


いや、別に含むところはないけれど。

――ほんのちょっとしか。


さて、少し前OMDの記事を書いている時に
一つ興味深い記述を見つけた。


クラフトワークがテクノ・ポップの分野の
エルヴィスだったといえるとしたら、


OMDは同ジャンルのビートルズに
準えられるのだそうである。

いや、さすがにOMDがビートルズは、
ちょっと誉め過ぎだろうと思ったけれど、


もしこういう例え方ができるとしたら、
はたしてこのYMOは誰に当たるのだろう、
なんてことをつい考えてしまった。


思いついたのは、チャック・ベリーかなあ。

だとすると、富田勲は
マディ・ウォーターズってところか。


で、ヒューマン・リーグがストーンズで、
バグルズはエディ・コクランか
でなければサム・クック辺り。


どうでしょう。
結構いい線いってるんじゃないかと、
自分では思っているのですけれど。


いや、それにしても、この人たちが、
世界的なミュージック・シーンにおいて
果たした役割というのは、


本当、ものすごいんだろうなあ、と
改めて思います。


こういうアーティストは、ほかにはいない。
少なくとも我が国からは、

この三人に比肩するような存在は
いまだ出てきては
いないのではないかと思われる。