ブログラジオ ♯66 In a Big Country | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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やっぱりこの人たちも取り上げておく。
ビッグ・カントリーという。

スコットランドのロック・バンドである。

Crossing/Big Country

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さて、このバンドも実は、この曲と、
あともう一曲しか聴いたことがない。


しかも、やはり前回のデキシーズと同様、
彼らのやっていた音楽を、単純に
パブロックへと分類してしまうのは、
たぶんやや強引に過ぎるだろうとも思う。

とはいえスコティッシュ・ロックなんて
ジャンル分けはたぶん存在しないと思うし、


そもそも二曲しか知らないので、
正直音楽の方向性の全体像は
やっぱりよくわからないのである。



さて、80年代の、とりわけ
前半から中盤の時代というのは、
とにかくまずシンセサイザーが急激に台頭し、

バンドという形式で産み出すことの
できる音色の種類が
一気に多様化をし始めたという点を
大きな特徴の一つとして持つ時代である。


それと並行し、なんというのだろうか、
各アーティストたちが、
それぞれのアプローチで


ある意味、新しいコードのパターンを、
懸命に模索していた時期でもあるのだと
たぶんいってしまっていいのだと思う。


スタカンやブロモン、そして幾つかの
彼らの後継バンドたちが、
ソウル/ジャズのエッセンスを
ロック/ポップスへと取り込もうとして、


結果として、とりわけジャズの影響から
9thどころか、11th、13thといった
高音部でのある意味での不響和音や、


あるいは増減の五度の醸し出す
複雑な和声を、自分たちの音楽の中に
積極的に採用していく動きが起きた。

ちなみに上の数字は、基本全部、
基音からの度数。


だから9とか11が出てくると、
いわばオクターヴ上の箇所で、
別のキーの和音が、同時に一緒に
鳴っているようなことになる。



また一方で、たとえばトライアドの全体が、
そのまま半音なり全音なり
上がったり下がったりといった展開は、

初期のロックやそれこそ前回のスキッフル、
あるいはフォーク、ブルースなどには、
ほとんど見つからないのではないかと思う。


C→C♯→Dとか、そんな感じ。
ギターだと、セーハで全弦を押さえた
同じポジショニングのまま


左手を一あるいは二フレットずつ
ずらしていくようなパターンである。

楽典とかだと、本当はこれ、
やっちゃいけないって書いてあるんだよね。
コードを移す時は残る音がなければならない。


でも、そういうルールをあえて
真っ向からブレイクすることで、
何か新しいものが生まれてくる。


なお、トライアドとは、
基音と三度と五度の、
いわば一番基本の和音のこと。

ドミソもラドミも、こういう言い方で
まとめて呼んでしまえるということである。


で、こういうのは、ニック・ローズが
結構頻繁にやっているんですよ。
だからDDのあの変な音には、
そんな仕掛けもあったりします。



そしてこういった動きを最初に切り拓いたのが
EL&P、イエスらを嚆矢とする

プログレシッヴ・ロックと呼ばれていた
ミュージシャンたちであったことは
おそらく疑念の余地がないのだけれど、


同ジャンルについては、
時々ここでも告白しているように、
正直あまり得意ではないのである。



また今回はずいぶんと話が逸れていく。
そろそろ軌道修正しないとね。


で、そういういわばある種の
アヴァンギャルドさを追求する
ムーヴメントがあれば、当然その一方で、


そのスタンスにあえて対抗する種類の潮流も、
やはり同時期には大抵見つかるものである。


たとえば楽器編成や、曲作りに
あまり奇を衒おうとしない。

スリー・コードとはいわないけれど、
基本、ある意味でトラッドな方法論に
なるべく忠実であろうとする種類の音楽。


ビール飲んでバンドをからかいながら
皆でわいわい聴いて、
時には一緒に歌ったりする。


そんな光景が似合うサウンド。

だからパブ・ロックなんて
いわれてるんだろうな、なんて、
そんなことを時に思ったりもする。



さて、ここまでいっておいてなんだが、
ところがたぶん、
このビッグ・カントリーなるバンドは、


本人たちのつもりでは、
むしろアヴァンギャルドであろうとして
いたのではないかと思う。

いや、だから、二曲しか知らないから、
本当は迂闊には断言はできないのだが、


それでもこの人たちの編成は
極めてオーソドックスである。


基本ギター二本に、
ベースとドラムのリズム隊。

ホーン・セクションを使うようなことも、
少なくとも僕の知る二曲ではしていない。


もちろん工夫がないわけではない。

中でもこのIn a Big Countryの
特徴的なギターリフは、

前回のCome on Eileenの
フィドルのラインと似て、
一発で極めて強く印象に残る。


発表から30年以上経った今でも、
なんだか忘れられないくらいだし、


二本のギターの音の分担も、
このラインを活かすために
十分に検討されているとも思う。

でも正直、これがカッコいいかというと、
どうしてもちょっと
首を傾げてしまうのである。


このラインがバグ・パイプのサウンドを
お手本にして作られていることはわかる。


バンドもこの点に、いわば
自分たちのアイデンティティーを
作り上げようとしてもいたようなのだが、

音階もなんだか、それこそ四七抜きみたいで、
確かにエスニックっぽい、
あるいはエキゾチックではあるけれど、


やっぱりどこか、
ロックのサウンドにそぐわないのである。


それ以外の要素に関しては、
まあ、メロディーラインも普通だし、
リリクスのインパクトも弱い。

それでも今まで、
この曲もなんやかんやで
それなりの回数聴いている。


そうして聴くたびになんとなく、
それこそだから、あと一歩、
ちょっとだけなんか足りないよ、と
からかってみたくなったりするのである。



残念ながらこのバンドのシンガーで
リーダーでもあった
ステユワート・アダムソンという方は、

この前のR.フィッシャー(♯62)と同様、
01年に、43歳の若さで還らぬ人と
なってしまっている。


こちらはだが、アルコール依存症などに
苦しんだ末の自死だったらしい。



そんなことを知ってしまってから、
手元にあるコンピレーションで、
このIn a Big CountryのPVを観て、
なんだかひどく不思議な気持ちになった。

このアダムソンが、いったいU2や
あるいはシンプル・マインズなんかを
どういう気持ちで見ていたのかなあ、とか
ついそんなことを考えてしまったのである。


ちなみにシンプル・マインズが
やはりスコットランドの出身で、
U2はご存知のようにアイルランドである。


そういう、いわば非イングランドという点で、
彼やほかのメンバーたちが、これらのバンドを、
少なからずライヴァル視していたであろうことは、
たぶん間違いはないだろうと思われる。

少なくとも、スタートラインの切り方は、
ビッグ・カントリーの方が
比べ物にならないほど恵まれていた。


ところがやがて90年代が訪れると、
U2もシンプル・マインズも
いわゆるスタジアム・バンドにまでなっていた。


対してビッグ・カントリーは、
Look Awayというもう一曲のヒットを
どうにか出たすことができたにもかかわらず、

とりわけアメリカでは
一発屋的な認識のされ方を
最後まで拭い去ることができなかった。



辛かったろうなあ、とは、
正直ちょっとだけ思う。


死者に鞭打つつもりもないけれど、
でも、酒に溺れたりせず、
なんとか続けるしかなかったんだけどな、と
まあそんなふうに思っております。



まあでも、こうやって前回のEileenと
このIn a Big Countryとを並べてみると、


やっぱりなんとなく、
ああ、エイティーズだなあ、と
いう気分になってくるから不思議である。


そしてそれは間違いなく、
このアダムソンなるシンガーが
僕にくれたものなのである。


この曲のサビの一節は、
一部勝手に略しているけれど、
大体こんな感じである。



あの大きな国では、
夢は君とともにあるんだ。
生き続けろ。



改めて、御冥福をお祈りする。



さて、では恒例のトリビアめいたもの。

今回のビッグ・カントリーや、
あるいは少し昔に取り上げた
キュリオシティ・キルド・ザ・キャット
♯49)みたいに、


バンド名と代表曲とを
あえて類似させている例が時々ある。

これらのほかには、87年に、
リチャード・ダービーシャイアなる
人物を中心とした


リヴィング・イン・ザ・ボックス
というこれまた長い名前のユニットが


まさしくLiving in the Boxという
曲でデビューしていたりする。

こちらはアルバムも聴いたはずなのだが、
同曲のサビの、
俺はダンボールの箱に住んでいるんだ、という
タイトルそのままの箇所の旋律以外、


まったく、本当それこそきれいさっぱり
記憶に残っていないので、
ここで取り上げることは諦めました。


ブルーアイド・ソウルっぽかったとも
僕としてはさほど思わないのだけれど、
どうやらそんなふうに
形容されていることも多いようですね。

でも、だとしたらたぶんもっと
記憶に残っていると思うんだよね。



さて、ここから先は所詮
私見にしかならないのだが、


だからキャリアの初期の段階で、こういう
ある種の裏技めいた手段を採ってしまうと、

なんとなくバンドそのものが
長続きしなくなって
しまうような気がしてたまらない。


アルバムのタイトルをバンド名にするのは、
全然ありなのに、不思議といえば不思議である。
それこそDDなんて二回もやっている。


実はブームタウン・ラッツ(♯38)にも
Rat Trapなるスマッシュ・ヒットがまずあって
これがバンドの最初のブレイク・スルーに
なっているのだけれど、

まあ彼らの場合は、そのあとでさらに
例のI Don’t Like Mondaysが
ちゃんと出てきてはいるので、


一概に似たようなパターンだとも
いいきれないとは思うのだが、


それでもやはり、キャリアの晩年が
やや尻すぼみであったことには変わりはない。

いずれにせよ、そのせいなのかどうか、
本邦にはあまりこういった例は
見つかってこないようにも思える。


だから、戦略って大事なんだよなあ、と
もう現場を離れて20年になろうというのに、
今さらながらそんなことを
つくづく思ったりもするのである。


ま、音楽のことは、聴くだけでなく、
考えてるのも好きだから。


だけど、そういえばHM/HRには、
こういったパターンはないのかなあ。


むしろいっぱいありそうな
気もしないでもないけれど。


もっとも、こちらのジャンルは
まったく聴かない訳でもないけど、
決して得意分野ではないので。

ひょっとして正則さん辺りなら、
すぐに浮かぶのかなあ、とも思います。



でもまあ、それでもたぶんそれなりには
知ってはいるとも思うんだけれどね。


だからサンダーヘッドは好きだったってば。
とっくの昔になくなっちゃったけど。

それでもさすがに、デス・メタルや
スラッシュ・メタルまで
いっちゃうと本当全然だめだったなあ。


受け付けなかった。
好きな人には大変申し訳ないけれど。


やっぱりあれは歌じゃない。


でも、本邦のcoldrainは
全然ありだと思ってますよ。

むしろこの時代によく、ちゃんとした
ヘヴィメタやってくれてると思う。


もうあれ以外やらなくていいから、
きちんとあのノリを
継承していってくれればいいなと思ってます。


だってさ、絶対にいろんなものが
一緒くたになって同時代にあった方が
面白いに決まってるんだよ。

たぶん音楽も、同じように小説も。