ブログラジオ ♯67 Radio, Radio | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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さて、パブロックも
いよいよ本番とでもいおうか。

御大、エルヴィス・コステロである。

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もっとも、このコステロの場合には、
キャリアが進めば進むほどに、
ちょっと普通では考えられないほど
音楽性の幅が増していき、


コロンビア傘下からワーナーに移籍した
80年代中期以降には、すでに
到底パブ・ロックという言葉では
括りきれなくなっている。

それどころか、ロックの範疇さえ、
どうにかして踏み越えていこうと
絶えず模索しているような印象もある。



ただ、そのキャリアの
極めて初期の段階において、
このコステロが、


次回取り上げる予定の、
ニック・ロウなるアーティストの

まさにパブ・ロックそのものみたいな
スタイルをお手本にしていただろうことは
ほぼ疑念を差し挟む余地がない。



いずれにせよ、とりあえず本稿では、
基本ワーナー移籍以前、つまり86年の


BLOOD AND CHOCOLATEまでの
彼の音楽性を基本にして、
テキストを起こしていることを
ご理解いただければと思う。


コステロは70年代後半にはすでに
レコードデビューを果たし、
瞬く間にシーンに認知されている。


だから、80年頃からようやく
洋楽を聴き出した僕としては、


気がついた時には、もうとっくに
シーンの重鎮の一人に
数えられているといった感じであった。

ちなみにデビュー当時23歳、妻子持ちで、
コンピューター技師からの転進だったそう。


なるほど、トレードマークの
この黒縁眼鏡には、
どこかそんな理系っぽい
冷徹で緻密な印象がなくもない。


ところがこの方の場合、その音楽性は、
シンセサイザーやシーケンサーといった
電子的なテクノロジーとは、
とりわけ初期においてはほぼ無縁である。

エレピなどの鍵盤を導入する場合でも
音色は極めてオーソドックスである。


むしろたちまちに周囲の瞠目を集めた
アヴァンギャルドさは、


創意にあふれたメロディーラインの展開と
そしてシニカルで、どこか攻撃的にも
思われるリリクスに
出てきていたのだろうと思われる。


ところが、では改めて、この人の
代表曲はどれなのかと問われると
実はこれが、すごく迷ってしまうのである。


実際コステロが全米で放った初めての
スマッシュ・ヒットは、なんと89年の
P. マッカートニーとの共作による
Veronicaまで待たねばならない。


今回確認してみて、
いや、そんなはずはないだろう、
くらいに思ったものである。


だから、デキシーズなんかの場合とは
まったく逆で、この人の場合は、
楽曲からではなく、名前の方がまず先に
頭に入ってきていた模様なのである。


どうしてかな、と訝って、気がついた。

実は様々なアーティストが、
彼の初期の楽曲をカヴァーしているのである。

たとえばDDが77年の
Watching the Detectivesを
THANK YOUという
カヴァーアルバムで取り上げている。


EBTGもAlmost BlueとAlisonの
二曲を取り上げている。


さらにこのAlisonは、
オリジナルの発表から間もない段階で、

リンダ・ロンシュタッドが取り上げて、
全米で大ヒットさせてもいたりする。



だから、こういうアーティストたちに、
自分たちでも歌ってみたいと思わせる、


それだけの強さを持つ
ソングライティングができること。

この点がやはり、このコステロの、
コステロたる所以なのだと思う。



しかしながらこの方の場合、キャリアも長く
しかもアルバムも相当数に昇るので、


正直僕はいまだに、複数のベスト盤で、
全体をざらっと俯瞰した程度の把握である。

ちょっと今からでは30枚以上のアルバムに、
頭からちゃんと手を出すことは難しいかなあ。


まあその辺は、おいおい、
いわば成り行き任せで。



さて、今回のRadio, Radioは78年、
いわばノリにのっている時期の
シングル曲の一つである。

もっとも、厳密にいうと曲自体は
この前年には完成していた模様。


さて、デビュー当初の彼を形容するのに
アングリー・ヤング・マンという表現が
しばしば使われることがある。


で、実はこの呼称の背景には、
このトラックの存在が
あったりもするらしいのである。

同曲はこの前年、つまり77年に、
BBCラジオがセックス・ピストルズの


God Save the Queenというトラックを、
(イギリス国歌とは同名異曲なので念のため)
その内容を鑑み、日中の時間帯の間には


放送禁止にしたことを受けて、
作られたのだそうである。

なるほど、ラジオのことを
音楽による救済だと賛美しながら、一方では、


やつらは君らにどんな選択も
させるつもりはないんだ。
だってそういうのは背信行為だと
思っていやがるんだからな。


なんて痛烈な皮肉をぶつけてきている。


そしてさらに、そもそもそのピストルズが
招待されていたアメリカの音楽番組、
サタデイ・ナイト・ライヴに、


諸般の事情から、その頃ちょうど、
本格的なアメリカ進出の準備のために、


カナダ北米地域をプロモーション・ツアー中だった、
コステロとそのバンドとが
彼らの代わりに呼ばれるという事態が起きた。

ここでコステロは、レコード会社と番組とから、
演奏するように指示されていた


デビューシングルLess Than Zeroを
イントロの途中でバンドを制止してストップし、
こういったのである。


紳士淑女の皆さん、申し訳ないのですが、
僕らにはこの曲をここで演る理由がありません。

そしてコステロは、まず一人で、
このRadio, Radioを
歌い始めたのだそうである。


バンドもだから、戸惑いつつ
追いかけて演奏を合わせていったのであろう。


なるほど、こちらのトラックならば、
経緯を鑑みれば、
チョイスする理由はすぐ見つかりそうである。


いずれにせよ、番組名の通り、
生放送だからこそできた離れ業である。


77年12月17日の出来事だった。

以後コステロは、89年まで、
同番組への出演を禁止される。

こういう処遇を
同番組から受けたアーティストは
現在に至るまで、コステロを含め
過去三組しかいないのだそう。


そういえば、清志郎さんが、
似たようなことを確かフジで
やってたよなあ、などと、
思い出したりもしますけれど。



まあそんなバックグラウンドは
さておくとしても、

この曲、オープニングだけで、
いかにもパブロックという感じである。


ほとんどオルガンに近い鍵盤が
まず一気呵成に切り込んでくる。
難しいラインでは決してない。
むしろ極めて明快である。


なんというか、
遊園地によくある射的みたいな、
ぎりぎり安っぽい雰囲気でさえある。

そしてこの空気、
おそらく最初から狙って作られている。


だからこそ、彼のバンドのネーミングは
アトラクションズになったのだろうと、


まあ、邪推といえば邪推だけれど、
個人的にはそんなふうに把握している。

ある種の気安さ、親しみやすさ。
それによって辛辣な歌詞を包み込む。


初期の印象的なトラックの多くが、
このアプローチに則っているように思える。



しかしながらコステロの場合、
一見(というと実はおかしいが)
シンプルに聴こえてくるのに、

ところどころに細かくて、
同時に相当斬新な工夫がなされている。
少なくとも僕にはそのように聴こえる。


この展開でどうしてこの旋律が
出てこられるのだろう、といったような
発見をさせられることが、
初期から一貫して、極めて多いのである。



まったく不思議な人である。
ちゃんとコピーとかしてみると、

さらに色々と
びっくりさせられるような気もするのだけれど、
まあ、現状そこまでの手は出ない。


だから、無理やりにまとめてしまうと
些か乱暴にはなり過ぎるが、


この人の音楽というのはたぶん、
極めてきっちりと、
ロックンロールの様式に則った、
ある種のニュー・ウェーヴだったのだと思う。


ちなみにアトラクションズとは違うけれど、
コステロのファースト・アルバムの
レコーディングでバッキングを努めた中には、


のちにヒューイ・ルイズ&ザ・ニューズの
メンバーとして活躍する面々が複数いる。


なんとなくその音楽性に
共通するものがあることも十分に頷ける。


でも81年のAlmost Blueや
その翌々年のShipbuildingなんかでさえ


改めてきちんと聴いてみると、もうすでに、
はたして本当に同じ人が書いたのか、
少なからず不思議になるくらいの
そこから先の変貌の予兆が見えている気もする。


こういう貪欲さは、少なからず
ボウイに通じるものがあるかもしれない。

だからこそなのだろう、先に触れたように
ポール・マッカートニーが
共同制作者にこの人を指名したり、


あるいはバカラックと組んで
アルバムを発表するなんてことが実現したり、


また別の機会には、スウェーデンのオペラ歌手、
アンネ=ゾフィー・フォン・オッターと、
一緒に作品を作ってみたりと

まあとにかく、この人は現在に至るまで、
その音楽性の幅をこれでもかとばかりに
見せつけ続けているのである。



さて、このエルヴィス・コステロという名前、
やっぱりお察しの通り芸名である。


もちろんファースト・ネームは
かのプレスリーに由来している。

そしてちなみにファミリー・ネームの
コステロの方は、母方の祖父の名字だそうです。



では恒例のトリビア的な何か。
今回はなんといおうか、単なる雑感。


本邦でも、ミスチルの幾つかの楽曲には、
明らかに彼の音楽からの影響が
垣間見えているのではないかと思われる。

それからフランプールの山村さんも
確か、彼のヴォーカル・スタイルを
参考にしているといったようなことを
コメントしていたはずである。



さらに付け加えておくと、佐野さんが、
『ナポレオン・フィッシュ~』の時に、


このアトラクションズと、それから
次回触れる予定の、ブリンズレー・
シュウォーツなるバンドからのメンバーを
レコーディング・ミュージシャンに起用しても
いたりするのである。


そういう訳で、80年代以降の
いわば正統派ともいうべきロックンロールを
追いかけていくうえでは、


このコステロは、素通りしてしまうことの
決して許されない存在であろうと思われる。


ま、白状した通り僕自身も、
この方に関しては、いまだなお、
些か勉強不足ではあるのだが、

それでも今回は、いつもよりも相当
テキストが長くなってしまった。


たぶんこの点もまた、このコステロの
重要度の一つの証拠なのだと思われる。