『火星の井戸』 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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ええと、勝手ながら今回だけはまず、
一旦必ず最後まで読んで下さいね。

火星の井戸

¥3,024
Amezon.co.jp


誰も知らないんじゃないかなとも思う。
79年の、米仏合作作品。


前回の『バージニア・ウルフ~』と同様
本作も少なからず小難しい。


映像というよりはシナリオ、
つまり台詞回しの力で
押し出してくるタイプの作品である。


さて、現在でもなお、国際的な映画祭が
やはりカンヌをその嚆矢と、
していることからも明らかなように、


そもそも70年代頃までの
映画という文化全般において、
このフランスという国の
持っていた影響力は絶大だった。


それはとりもなおさず、
映画という技術、あるいは文化を
まず最初にこの世界に誕生させたのが、
この国だったからにほかならない。

この辺りの背景は、以前紹介した、
スコセッシの『ヒューゴ』に少しだけ詳しい。



実際僕らは、クリント・イーストウッドや
ロバート・レッドフォード、あるいは
イングリッド・バーグマンなんか、
とにかくそういうアメリカの映画俳優たちと


ほぼ同等の、時にはそれ以上の頻度で、
あのアラン・ドロンを筆頭に、
カトリーヌ・ドヌーヴとかジャンヌ・モローとか

そういったフランスの著名俳優たちの名前を
テレビなり新聞なりで
しばしば目にしていたものである。



しかし、改めて考えてみると、
今みたいに洋画はハリウッド映画しか、


大きなプロモーションの遡上に
載っからなくなってきたのは
いったいいつ頃からなんだろうなあ。

今のフランスの映画俳優なんて、
オドレイ・トトゥが
辛うじて知名度があるくらいじゃないかな。


いや、僕が不勉強なのかもしれないけどさ。


とにかくだから、たぶんこれ、
いわゆるヌーベル・ヴァーグの
最後期の一本とでもいった
位置づけになるのではないかと思う。

ただし、欧文タイトルが
英語であることからもわかる通り、
原作はアメリカの小説なので、


合作になったのはきっと
その辺りの絡みだったのかな、と
まあ勝手に推測している。配給はUPI。



さて、そういう訳で本作、
かなりアヴァンギャルドで
しかも少なからず難解である。

なんだか一昔前の
ハヤカワ・ミステリ文庫みたいな
印象のジャケットだけれど、


タイトルから明らかな通り一応SFである。
ただし、すぐにはそれとはわからない。



オープニングは、どこかあのキューブリックの
『2001年宇宙の旅』のラスト近くの、
色彩を加工した渓谷の光景に似た映像から始まる。

厳密には、陽炎のようなものが
輪郭を微妙に揺らしてこそいるのだが、
この画像が三分近くほぼ動かないのである。


しばらくして、どこからかかすかに
音楽が鳴ってきていることがわかる。


タイトル等のテロップが入り出し、
次第に音量が上がってきて、
ようやくそれがバッハの
『G線上のアリア』であることがわかる。

音楽だけはそのままに、
やっとカットが切り替わると


一人の青年が、明るい洞窟のような場所を
単独で歩いているという構図になる。


足取りは決して速くはない。
そしてこの青年、なんとなく、
どこか嵐の櫻井翔君を
思わせるような顔立ちをしている。

なんというか、あまり欧米人には
見当たらない種類の造作である。



本編、いってしまえば全編が
この主人公のいわば独り言、
あるいはオルター・エゴとの対話なのである。



たとえば彼が母親のことを
思い出すシークエンスが出てくる。

そうだ、あの人はクッキーを焼くのが得意だった。
でも彼女は僕に、自分の青い目を
きちんと受け継がせてくれることをしなかった。
してくれなかったんだ。


だから僕は――。
いい加減にしろ、それは彼女が
責めを負うべき種類のことなのか。


そんなつもりはないよ。
猫だって親は選べないし、
そもそも自分であることすら、
なんらかの選択の結果では決してない。

ああ、その通りだ。
僕だってそんなことは
とっくにわかっているさ。


ま、こんな感じである。

そして彼の記憶の再生と共に、
フラッシュバックのようにして、
時折映像が切り替わる。

郵便局にたむろする猫たち。

雨の日のエンパイアステートビル。
その周囲を行きかう人々の雑踏。


だがその回想の登場人物たちは
決して声を発するということをしないのである。

まったくもって徹底している。

猫でさえ鳴き声を上げはしないし、
咽喉すら鳴らそうとはしない。


全編、聴こえてくるのは音楽と
それから風と思しき効果音以外には、
唯一この主人公の声だけなのである。


いや、よくこれで90分近く
もたせたよなあという気になってくる。


そもそもこんな企画が
通ったこと自体が不思議であろう。


さて、色調の微妙に変化する洞窟の中を
自身の過去とともに進みながら

青年は時折、立ち止まるなり座り込むなりして
背負ったナップザックから拳銃を取り出しては、
ためつすがめつし、またしまうことを繰り返す。


――はたしてこれが使用されるのか否か。

この点がある意味、この作品の
唯一にして最大のサスペンスなのである。

ただ、もしそれが使われるとしても、
物語の中にいるのは彼だけなのだから、


銃口の向く先は、
最初から決まっているともいえる。


そういう訳で、本作
退屈といってしまえば退屈である。

だけど、最後に襲ってくる
この圧倒的な寂寞感の
正体はいったいなんなのだろう。


いまだにその正体がわからないままでいる。


残念ながらこの作品については、
日本公開はついにされなかった模様。

こういうのを、だから、
カルト・ムービーと呼ぶのかなあ、と
時に思ったりもするのだけれど。



ではそろそろスペック。まず監督は、
マイケル・ペッパーなるクレジット。


でもこの方、ほかの作品では
名前を一切見たことがない。
本名かどうかあまりに疑わしいので、

ひょっとして著名な方の、
変名だったりするのかもしれないとも思う。


それから原作は、
デレク・ハートフィールドなる作家である。


この方の著作も、残念ながら僕は
まだ手にしたことがない。

一度読んでみたいなあ、とは
ずいぶん以前からずっと思っているのだけれど。




さて、そろそろいいだろうか。


ちょっと書き過ぎたかな、と
多少思わないでもないのだけれど。


ひょっとしてタイトルですぐにもう
わかっちゃってた方も
いらっしゃたりするのではないかとも思いますが。

あるいはデレク・ハートフィールドで、
ピンと来てしまった向きならば、
少なくないだろうなあとも思います。


でもわからない人にはわからないよね。
わからないでくれればいいな、とも
正直思ったりはしているんだけど。



はいごめんなさい。全部ウソです。


こんな映画ありません。


いや、だから。
エイプリル・フールだからさ。


だから、万が一最初に
タイトルで検索とかされてしまうと、

すぐにネタが割れてしまうものですから、
今回あんな始まりになったという次第です。



そういうことなので、
どうかお願いですから、
くれぐれもレンタル屋さんで、


『火星の井戸』って映画が
確かあるはずなんですけどって、
リクエストしたりしないで下さいね。



それにしてもねえ、この偽ジャケットですよ。
これがなければ今回のネタは
たぶん目も当てられないくらいに滑ってます。


これ、うちのA嬢の作品なんですけど、
僕がこの嘘レビューやりたいんだっていったら
一日で作ってきてくれました。


いや、三時間くらいで出来てきてたな。

DVDのロゴもちゃんと入って、
英文もきちんとレイアウトして。


しかし、UPIって、
ウソッパチ・イメージの
略だったんですねえ。教わりました。



まあそういう訳で、多少なりとも本記事、
お楽しみいただけていれば幸いです。


いやだから、僕の本職は
前にもいったかもしれないけれど、
いってしまえば「嘘つき」だからね。



では最後に、今回の元ネタはこちらでした。

風の歌を聴け (講談社文庫)/村上 春樹

¥421
Amazon.co.jp


『火星の井戸』は、
同作で言及されている
ある種の作中作のタイトルなのであります。